「学び」の可能性を考える - Kyoto Seika...

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-256- 「学び」の可能性を考える ──心理学における学習理論と実践から── 石 上 浩 美 ISHIGAMI Hiromi 問題 現行の公教育制度では、学習指導要領の基準性(すべての子どもたちに対して指導すべき内 容)に依拠しながら、各学校ではそれぞれの現場の実情に応じた教育課程を編成し、日々の実 践教育活動を行っている。H10年度改定以降、学習指導要領の目指す最大の教育目標は「生き る力」 1 を獲得することである。その後、中央教育審議会答申「幼稚園、小学校、中学校、高等 学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について」では、「生きる力」の理念は従来通 り踏襲しつつ、「確かな学力」、「豊かな心」、「健やかな体」の調和を重視し、①基礎的・基本 的な知識・技能の習得、②知識・技能を活用して課題を解決するために必要な思考力・判断 力・表現力等、③学習意欲、の3点を育成することを重点目標として、これを基にH20年度 小・中学校学習指導要領の改訂が行われた。 その一方で、OECDのPISA調査などの国際学力比較調査の結果や、文部科学省がH19年度か ら小学校6年生と中学校3年生を対象に実施している全国学力・学習状況調査の結果など、日 本の子どもの学力に対する社会的な関心は高まっている。全国学力・学習状況調査の一義的な 目的は、「国が、全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から、各地域にお ける児童生徒の学力・学習状況をきめ細かく把握・分析することにより、教育及び教育施策の 成果と課題を検証し、その改善を図ること」であった。その結果をふまえて、各自治体教育委 員会・学校においては「教育成果と課題を把握し、改善を図る取り組みを通じて、教育に関す る継続的な検証改善サイクルを確立すること」と、「児童生徒への教育指導や学習状況の改善 などに役立てる」ことが求められている。 各種調査の結果は、「生きる力」の育成のために活用できるデータである。全国学力・学習 状況調査の結果は、文部科学省から各学校に詳細なデータがフィードバックされている。それ に基づいて、各学校では子ども個々人および学校としての学習上の課題を把握し、授業方法や 「学び」の可能性を考える―心理学における学習理論と実践から

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    「学び」の可能性を考える──心理学における学習理論と実践から──

    石 上 浩 美ISHIGAMI Hiromi

    問題

    現行の公教育制度では、学習指導要領の基準性(すべての子どもたちに対して指導すべき内

    容)に依拠しながら、各学校ではそれぞれの現場の実情に応じた教育課程を編成し、日々の実

    践教育活動を行っている。H10年度改定以降、学習指導要領の目指す最大の教育目標は「生き

    る力」1を獲得することである。その後、中央教育審議会答申「幼稚園、小学校、中学校、高等

    学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について」では、「生きる力」の理念は従来通

    り踏襲しつつ、「確かな学力」、「豊かな心」、「健やかな体」の調和を重視し、①基礎的・基本

    的な知識・技能の習得、②知識・技能を活用して課題を解決するために必要な思考力・判断

    力・表現力等、③学習意欲、の3点を育成することを重点目標として、これを基にH20年度

    小・中学校学習指導要領の改訂が行われた。

    その一方で、OECDのPISA調査などの国際学力比較調査の結果や、文部科学省がH19年度か

    ら小学校6年生と中学校3年生を対象に実施している全国学力・学習状況調査の結果など、日

    本の子どもの学力に対する社会的な関心は高まっている。全国学力・学習状況調査の一義的な

    目的は、「国が、全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から、各地域にお

    ける児童生徒の学力・学習状況をきめ細かく把握・分析することにより、教育及び教育施策の

    成果と課題を検証し、その改善を図ること」であった。その結果をふまえて、各自治体教育委

    員会・学校においては「教育成果と課題を把握し、改善を図る取り組みを通じて、教育に関す

    る継続的な検証改善サイクルを確立すること」と、「児童生徒への教育指導や学習状況の改善

    などに役立てる」ことが求められている。

    各種調査の結果は、「生きる力」の育成のために活用できるデータである。全国学力・学習

    状況調査の結果は、文部科学省から各学校に詳細なデータがフィードバックされている。それ

    に基づいて、各学校では子ども個々人および学校としての学習上の課題を把握し、授業方法や

    「学び」の可能性を考える―心理学における学習理論と実践から

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    内容の工夫・改善をなすのが、本来あるべき活用方法である。ところが、都道府県自治体ごと

    の成績序列に偏重したデータ解釈が一部にあり、「教育成果と課題を把握し、改善を図る取り

    組みを通じて、教育に関する継続的な検証改善サイクルを確立すること」という本来の調査目

    的とは次元が異なる対応がなされ、各自治体では、前年度よりも少しでも上位序列へ移行する

    ことを当面の教育課題とし、それを受ける形で教育委員会は各学校に対して改善方策を指導し

    ている。その結果、各学校においては、始業前や放課後に短時間の漢字や計算の反復学習や補

    習に時間を費やすということが各地で増加傾向にある。たしかに、これらの対処方法によって、

    学力テストの得点が向上する可能性はあるだろう。しかし、このような方法では、「テストに出

    るから勉強する、テストに出そうな内容を覚える」ことがすなわち学習であるかのような誤解

    を招く可能性がある。テストにおける得点化を目的とした行為は、いわゆる「タブラ・ラサ2」

    的な子ども観に基づく知識注入型の教授であり、学習の本質とはいえないのではないだろうか。

    数ある乳幼児研究の成果(たとえばFantz,1961;Gibson&Walk,1960など)で示されていると

    おり、子どもは無知で無能な存在ではなく、生まれながらに様々なことを知覚し、認知する能

    力を備えているというのが、心理学における子ども観の原点である。知識注入型の教授によっ

    て「生きる力」は育成できるのか。むしろ「生きる力」の原点は子どもに内在化している「よ

    さ」そのものであり、それを引き出すことが教育の力ではないだろうか。学習とは、外部から

    与えられた知識や情報を無条件に蓄積するだけではなく、まず学びの主体と学びの対象があり、

    両者が何らかの媒介物によって結びつくことと仮定するならば、知識注入型の教授のみを学習

    とよぶには抵抗がある。

    そこで、本研究ではこのような教授と学習、学びの主体と対象の結びつきを考えるために、

    あらためて学習とは何かを問い直してみたい。

    目的

    本研究の目的は、教授と学習、学びの主体と対象の関係性を考えるために、心理学の学習理

    論がどのように成立し、変遷しているのかを歴史的に整理し、あらためて学習とは何か、学び

    とは何かを問い直すことである。心理学の学習理論の知見が、実際の教授・学習場面において、

    どのように活用することができるのか、できるとすればどのようなことなのかを探求すること

    が、本研究が最終的に目指すところである。そこで以下では、心理学という学問の誕生期から、

    どのように学習に関する研究がなされてきたのかについて歴史的に整理する。

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    心理学の始まり

    一般的に、近代心理学は、1879年ヴントがライプチヒ大学に創設した心理学実験室における

    研究から始まったといわれている。ヴントは、人間を外側から研究するのは生理学であり、内

    側から研究するのが心理学であると考え、直接経験としての意識を研究対象とし、知覚体験を

    言語化することによって、人間の内面を明らかにしようとした。ヴントの方法論は内観法3と

    よばれ、実証科学としての心理学研究はここから始まったといわれている。

    行動主義から認知心理学における学習理論の展開

    ヴントの内観法は、実証科学としての心理学の誕生という意味で評価された一方、大きくは

    以下3つの立場からの批判も招いた。ひとつはアメリカを中心とした行動主義の立場、二つ目

    は、ドイツを中心としたゲシュタルト心理学の立場、三つ目がオーストリアを中心とした精神

    分析の立場である。ゲシュタルト心理学、精神分析については紙面の都合上割愛し、ここでは

    行動主義心理学の学習理論の誕生とその後の変遷について述べる。

    行動主義の立場は、心理学の研究対象を行動と規定し、あらゆる学習の基本は条件づけ(刺

    激)だと考え、当初は刺激と反応の単純な結びつきに着目(Watson,J.B.ら)した。その結果、

    後述する人間固有の高次精神活動(記憶、理解、思考、言語など)に関する研究が心理学の研

    究対象から除外され、行動主義は「心なき心理学」という批判を受けた。

    その後、刺激と反応の間にある媒介物を明らかにしようとする新行動主義の立場

    (Tolman,B.C. Hull,CL. Skinner,B.Fら)が台頭し、アメリカを中心とした学習研究の主流とな

    った。たとえばスキナーのオペラント条件づけ理論は、個体の自発的な何らかの行動や反応が

    あることを前提に、そこに強化子を与えることによって学習が成立すると考えた。この理論を

    人間の学習場面に応用したのがプログラム学習である。プログラム学習(Skinner、1954)は、

    学習者に与える個別課題レベルの設定と、学習状況に応じた適切なタイミングでのフィードバ

    ックによる系統的・組織的に配列された学習方法である。現在では、スモールステップ、積極

    的反応、即時フィードバック、自己ペース、ヒント後退とよばれる原理を基に、個別指導場面

    やさまざまなプログラム教材、CAI教材の開発に活用されている。

    その一方で、1950年代以降、人間を一種の情報処理システムとみなし、知覚、記憶、学習、

    言語、思考、推理などの側面から、人間の高度な認知過程を包括的に研究する立場として認知

    心理学が台頭した。たとえばミラー(Miller,1956)は、人間の情報処理容量の限界として、絶

    対判断、知覚の範囲、直後記憶の範囲などに7±2という数字がくりかえし現れること、記憶の

    「学び」の可能性を考える―心理学における学習理論と実践から

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    限界を克服するために再符号化によってまとまりのある情報単位(チャンク)を形成している

    ことを明らかにし、今日の記憶研究の基礎を築いた。

    また、ブルーナーら(Bruner&Goodman,1947)は、スラム街貧民層の子どもは、ボストン

    の富裕層の子どもよりコインの見かけの大きさによる価値を過大に評価した事例研究から、主

    体の欲求、感情、価値づけ、期待、興味という主観的要因が知覚に影響を与えることを示した。

    その後、概念達成や範疇化がなされる際に生起する仮説の生成・成立とその検証過程に関する

    研究(Bruner,Goodnow,&Austin.1956)や、表象の発達が文化によって異なること(Bruner

    ,Olver&Greenfield,1966)を明らかにした研究によって、認知的な発達が文化の影響を受ける

    こと、文化的な差異は象徴的表象の出現においてみられること、学校教育の経験による脱文脈

    的な言語の使用によって、言語が現実を抽象的に再体制化し情報を操作・変換する道具的な役

    割を果たすことを明らかにした。この一連の研究は、認知心理学のみならず教育方法学

    (Bruner,1961)や、文化心理学創世期にも多大な影響を与えた(Bruner,1996)。

    さらに、言語学者のチョムスキー(Chomsky,1956;1959)は、人間の言語習得は人間だけ

    が持つ生得的な潜在能力と種々の記号操作を行う認知機能を仮定することによって可能である

    とし、行動主義の学習理論の限界を指摘した。その後、ナイサー(Neisser,1967)をはじめと

    した知覚や記憶を中心とした研究が盛んに行われるによって、認知心理学は急速に普及してい

    った。

    認知心理学の知見の中でも記憶・学習領域における研究は、今日の学校や社会におけるさま

    ざまな実践場面で応用されている。日常的な記憶と想起研究は目撃証言研究(たとえば厳島・

    仲・原,2003など)や偽証研究(たとえば浜田,2005など)として法と心理学を結びつけ、文章

    理解、数的処理や推論、思考の領域は、教科教育法や教授法、学校臨床における支援方法と結

    びついた。また、ICT化にともなう社会構造の変化によって、人工知能研究やロボット開発な

    ど、医療・工学領域や認知科学領域においても、認知心理学を基礎理論とした応用研究は多方

    面に広がりを見せた。

    構成主義とピアジェの発生的認識論

    構成主義とは、「知識は主体自らが行動を起こすことによって、主体の中に構成される」と

    する考え方(Bruning,Schraw,&Ronning,1999)である。個人が知識を獲得しようとする時、個

    人の行動によって個人の内面に知識が構成されるという考え方であり、その代表的な理論がピ

    アジェの理論である。

    ピアジェの初期の研究と同時代、学習・認知研究は行動主義および新行動主義の立場に傾斜し

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    ていたため、アメリカではなかなか受け入れられなかった。しかし、1960年代以降、認知心理

    学の台頭による行動主義の衰退にともなってピアジェは再評価され、その後の認知心理学の思

    考研究や教育心理学における発達・学習研究にも多大な影響を与えた。ここでは、知の個体発

    生としての認知発達と、知の系統発生としての科学史を重ね合わせ、詳細な子どもの観察から

    段階的な認知発達を捉えたピアジェの発生的認識論(Piaget&Inhelder,1956; Piaget,1960)と、

    それに付随する認知構造の均衡化について述べる。

    発生的認識論は、子どもが持つ認知的枠組み(シェマ)は、外界からの刺激や情報を得るた

    めの生得的プログラムの役割を果たし、同化と調節の均衡化の過程において、子どもの認知は

    段階的に発達するという理論である。また、シェマは4つの段階期(感覚・運動期、前操作期、

    具体的操作期、形式的操作期)を経て変容し、子どもが、いかにして感覚・直感的な概念から

    抽象的概念を獲得し、変化させていくのかを、年齢段階区分によって説明している。2歳から7

    歳ごろまでの子どもは、主観と客観世界がまだ未分化であることから、自分の視点を離れて視

    点変換を行うことが難しく、いわゆる3つの山課題や保存概念課題において非論理的な回答を

    する。これが自己中心性であり、その後加齢にともなう社会的な操作経験の蓄積や思考の論理

    的発達によって、自己中心性は徐々に消滅し(脱中心化)、保存課題以外にも部分集合と全体

    集合の量を比較する包含課題や、「Aの棒の方がBの棒よりも長く、Bの棒はCの棒よりも長い。

    Aの棒とCの棒ではどちらが長いか。」という推移律課題などは具体物を提示すればほぼ正確に

    回答することができるようになり(具体的操作期)、最終的には仮説演繹的な思考(形式的操

    作期)が可能になる。

    1950年代以降、日本の学校教育におけるカリキュラム編成は、このピアジェ的な認知発達段

    階理論に基づいて作成・実践されてきたといってよいだろう。もちろん、ピアジェの認知発達

    に関する理論は、発達心理学や教育心理学の発展に多大なる影響を与え、さまざまな実践の基

    盤となっている概念である。しかし、実際の学校教育の場において、子どもが単体で存在し、

    誰からも指導や支援を受けずに、一人で知識や技能を習得、熟達するとは考えにくい。ピアジ

    ェの理論は個体の認知発達のみが焦点化され、個体と環境、個体の属する集団や文化の影響、

    他者との相互作用に言及していないところに限界があり、それは後述するヴィゴツキーらの批

    判にあらわれている。

    社会的構成主義アプローチとヴィゴツキーの高次精神機能理論

    社会的構成主義とは、「社会や文化的文脈の中で自己と他者がたがいに関わり合うことによ

    って認知機能が発達する」(佐藤、2002)という考え方で、ヴィゴツキー、レオンチェフらを

    「学び」の可能性を考える―心理学における学習理論と実践から

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    起源とする。

    ヴィゴツキー(Vygotsky,1962)は、子どもの認知発達は大人の支援を受けながら、大人と

    子どもがたがいに関わりあう社会的相互交渉によって発達すると主張し、それを学習領域で理

    論化したのが発達の最近接領域である。ヴィゴツキーの研究課題の中核は、高次精神機能の発

    生過程を解明することであり、人類の精神発達と歴史の関係について、次のように述べている。

    (ヴィゴツキー・ルリア,1987)

    現代の文化的な人間の行動は生物的進化の所産だけでも、児童期の発達の結果だけでもなく、歴史

    的発達の所産でもある。人類の歴史的発達の過程において変化し、発達したのは、人びとの外的関

    係だけでも人類と自然との関係だけでもなく、人間自身が変化し、発達し、彼の固有の本性が変化

    したのである。

    高次精神機能とは、意図的で能動的に行為を方向づけることができる人間固有の心的過程で

    ある。「現代の文化的な人間の行為」とは、環境に対して受動的に反応し、あらかじめ決めら

    れたプログラムを実行するのではなく、他者と共同し、自己の行為を意図的に調整しながら環

    境に働きかけ、環境を変えていくことができる人間の行為である。このように意図的で能動的

    に行為を方向づけるのは、人間固有の心的過程であり、これをヴィゴツキー(1970)は高次精

    神機能とよび、その発生について次のように述べている。

    現代の文化的大人の行動は、精神発達の二つの異なる過程の結果である。一方には、ホモ・サピエ

    ンス(知識人)の発生をもたらした動物の生物学的進化の過程があり、他方には、原始人を文化人

    に変えた歴史的発達がある。これら二つの過程-行動の生物学的発達と文化的発達-は、系統発生で

    は発達の独立した路線として、独立した別々の心理学のなすものとして区別される。子どもの高次

    精神機能の発達の問題の独自性およびすべての困難は、これら二つの路線が個体発生で合流し、複

    雑ではあるけれど単一の過程を実際に形成していることにある。まさにそれゆえ、児童心理学は高

    次の形態の独自性をこれまで意識していなかったのである。

    これは、高次精神機能が生物学的機能あるいは歴史的過程のどちらか一方によってもたらさ

    れるのではなく、両者の「合流」によって発生するということである。この過程において重要

    な役割を果たすのが「記号」であり、ヴィゴツキー(1970)は次のように述べている。

    高次の構造において機能的決定全体となるもの、あるいは全過程の中心となるものは、記号とそれ

    の使用方法である。(中略)すなわち、状況の中に記号の役割を果たす一定の人工物刺激を取り入

    れることによって過程全体が組織されるということである。このようなわけで、機械的に異なる二

    つの刺激に役割とそれらの相互の関連は、過程そのものを形成する結合や関係の基礎である。

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    ここでいう「人工物刺激」とは「道具」のことである。環境の刺激に直接反応するのは生物

    機能であるのに対して、「人工物刺激」は自己を制御する機能である。この二つの機能による

    二重構造による精神機能の能動的なコントロールそのものが、高次精神機能の働きである。ま

    た、「記号」は、他者とのコミュニケーションを媒介するものであり、かつ自己をコントロー

    ルするためのもの、すなわち高次精神機能の媒介物として「記号」を使用することによって、

    過去に誰かが発明したものを、後世に伝承することができるようになった。このような「記号」

    の使用方法は、人間に生得的に備わっていたわけではなく、後天的に何らかの形で学習したと

    考えるのが妥当であり、そこには他者や環境との関わりが媒介物となる。たとえば、大人と子

    どもの共同的な行為について、ヴィゴツキー(1970)は次のように述べている。

    子どもの文化的発達におけるすべての機能は、二度、二つの局面に登場する。最初は社会的局面で

    あり、のちに心理的局面に、すなわち最初は精神間カテゴリーとして人々の間に、のちには精神内

    カテゴリーとして子どもの内部に登場する。このことは有意的注意にも、論理的記憶にも、概念形

    成にも、意思の発達にも、同じようにあてはまる。

    ヴィゴツキーは、高次精神機能はまず精神間カテゴリーとして成立し、のちに精神内カテゴ

    リーへ移行すると主張し、このプロセスは「内化」とよばれている。これは、知識や技能の獲

    得ではなく、行為者が自身の行為に対して、記号を媒介させることであり、自分自身に語りか

    け、考えることによって問題解決を図ろうとする思考過程であり、そのためには他者との共同

    が必要であることが、ここに示されている。このような立場は、後述する文化心理学における

    学習観の基盤となった。

    ヴィゴツキーと文化心理学

    文化心理学とは、「人間の精神生活・活動における文化の役割を明らかにする学問

    (Cole,1996)」であり、その起源はロシアの文化-歴史学派(ヴィゴツキー、レオンチェフ、ル

    リアら)、ドイツ行為論(デュルタイ、ボッシュら)、イギリス経験論(リーバース、バートレ

    ットら)、さらにアメリカのボールドウィン、ミード、デューイらの研究、フランスのジャネ、

    ベルクソン、デュルケムの影響を受けた社会心理学者らの研究にさかのぼることができる

    (Cole,Engestr_m,1995)。

    彼らの理論に共通することは、人工物(artifacts)の活用による人間固有の心理的諸過程の

    解明を目指していることである。普遍的な行動・発達の原理の解明を目指してきた近代科学的

    心理学(第一の心理学)は、文化と行為形成の関係の解明を無視していた(Cole,1996)。1950

    「学び」の可能性を考える―心理学における学習理論と実践から

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    年代以降、比較文化心理学領域では、文化をどう位置づけるかを模索したが、その手法は、行

    為形成に及ぼす影響を、行為形成という結果(従属変数)に対する文化の影響(独立変数)で

    とらえようとした、従来の心理学的手法をそのままあてはめたもので、文化概念の吟味が不十

    分であったため(Rogoff,1998)、心理学が文化をどのように扱うかを明確にすることはできな

    かった。

    文化人類学者のシュウェーダー(Shweder,1990)は、文化は人の心と切り離すことができな

    い協働構成(co-construction)的なもので、文化は精神発達における本質的な役割を果たすも

    のとしてとらえるべきだと主張している。そして、歴史的・文化的文脈の中に埋め込まれた領

    域特有の意味的世界の構築過程として、文化概念を中核に据える、まったく新しい心理学領域

    として「文化心理学(第二の心理学)」を提案した。これは、ヴィゴツキーがいう「文化的発

    達の一般的発生法則」に由来する考え方である。

    ブルーナー(Bruner,1990)もまたヴィゴツキー理論を基盤に、社会的シンボル的に媒介さ

    れた人々の日常の中にこそ精神発達が存在し、日常の活動の中から意味を創り上げる過程を会

    話構造や表象から分析することを提言し、文化心理学の概念化に貢献している。これらの理論

    を基に、コール(Cole,1996)は文化心理学の共通点を以下7点あげ、定義化した。

    ①文化心理学は、文脈の中で媒介された行為を強調する。

    ②文化心理学は、歴史的、個体的発生および微視発生的水準の分析を含む広い意味での「発生的方

    法論」の重要性を主張する。

    ③文化心理学は、その分析において日常生活の出来事に基礎をおくことを求める。

    ④文化心理学は、人びとの共同の媒介された活動の中で精神が発生すると仮定する。精神はそれゆ

    え重要な意味で「共同で構成され」かつ分配されるものである。

    ⑤文化心理学は、個人は、その発達において能動的な行為者であるが、完全に自分が選んだ条件に

    おいて行為するわけではないと仮定する。

    ⑥文化心理学は、活動の中で精神が発生するという本質を強調し、その説明枠組みにおける解釈の

    中心的な役割を認める科学を支持し、原因-結果、刺激-反応に基づく説明的科学を拒絶する。

    ⑦文化心理学は、人文諸科学、社会諸科学、生物諸科学の方法を活用する。

    ここまでを整理すると、実証科学としての一般化を求める従来の心理学研究(第一の心理学)

    の限界を指摘し、個人の認識・行動発達と文化の関係を、変数関係ではなく観察と詳細な記述

    内容によって総合的にとらえようとした結果、文化心理学(第二の心理学)が誕生したといえ

    るだろう。この2つの心理学研究に関して、コール(Cole,1996)は、「二つの心理学を統合する

    場は実践の中にある」とし、実践的活動の分析の重要性を主張している。コールのいう実践と

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    は、「個人の目標と知識が、社会の目標と制度に出会い、合流するアリーナ(舞台)」であり、

    活動の制度的文脈の中で、その場で起こっている出来事や人々の相互接触・交渉、人工的に媒

    介された活動の変容過程そのものを描写することによって、文化と人間の分かち難い関係が明

    らかになると述べている。

    文化心理学と活動理論

    文化心理学は、「人間の精神生活・活動における文化の役割を明らかにする学問(Cole,1996)」

    であるが、活動の単位は家庭・学校・企業といった社会システムの中にあり、そのシステムの

    中で、誰が、何を、どのように学んでいるのかという学習の観点は、精神構造を分析する上で

    は重要である。コール(Cole,1996)は放課後活動システムづくりの実践において、学習障害を

    持った子どもを大学生が支援するという、協働構成的活動の形成過程研究を行っている。この

    研究は、カリキュラムの設計・実行に至る困難さとその克服、教授方法の改善、活動を共同で

    作り上げることが子どもの支援に結びつくといった、教育方法的成果が多数あり、活動理論研

    究の助走的役割を果たしている。

    活動理論は、もともと人間の道具や記号に媒介された対象志向的活動を基本単位として人間

    に固有の高次精神機能の分析を行っており、(レオンチェフ, 1970; ヴィゴツキー, 1970)コール

    (Cole,1999)やエンゲストローム(1999)などによって、学習理論として展開している。

    エンゲストローム(Engeström, 1999)は、活動システムは、主体・対象・道具(記号やシ

    ンボルだけではなく具体的な道具も含まれる)を統一的な全体へと統合するものであり、そこ

    には対象志向的で生産的な側面とコミュニケーションの側面の両方が含まれているという。ま

    た、活動理論における学習とは、ある主体が活動集

    団(活動システム)の中で技術や知識の習得を通じ

    て、活動システムへの参加の仕方を変えて行くこと

    であり(Greeno, Collins, & Resnick, 1998)、それは必

    然的に活動システムに参加しているメンバー間の関

    係をも変えることになる。最終的には活動システム

    自体が変化し、これをモデル化したものが、Fig.1で

    ある。

    「学び」の可能性を考える―心理学における学習理論と実践から

    Fig.1 学習活動の構造( Engeström 1999)

  • 京都精華大学紀要 第三十六号 -265-

    従来の学習と新しい学び

    個体主義的な発達・学習観に基づいた学習の定義は、一般的に「学び習うこと、過去の経験

    の上に立って、新しい知識や技術を習得すること、広義には精神・身体の後天的発達」とある。

    これは、「教える(教師または大人)-学ぶ(子ども)」という二者関係が前提にあり、「知識

    の注入-習得」過程である。また、「あるひとつの場面における行動ないしは行動能力の変化

    であり、練習ないしは経験の結果もたらされる、永続的なもの」(Schunk,2004)という、教育

    心理学における学習の定義の根幹的な考え方であり、先に述べた「第一の心理学」における学

    習観でもある。

    学校教育におけるカリキュラムの編成は、発達段階に応じた習得目標と、それを達成するた

    めの方法・実践・評価のサイクルがあり、学級内のすべての子どもが同じカリキュラムの内容

    を、あらかじめ定められた規準や方法、斉一な教材によって、系統的に学んでいる。これらは

    知識・技能の習得と熟達化のプロセスであり、それをシステム化したものである。このような

    システム化した学びの活動を、本研究では「学校文化・文脈における学習」とよぶことにする。

    一方、学級集団は、編成当初は子ども同士のつながりは希薄であり、集団としてのまとまり

    も高くはない。ところが、担任教師の指導の下、ある一定の規準や目標、価値観や活動を共有

    するにつれて、年度末には教師と子どもの双方にとって居心地のよい、ともに学び、遊び、生

    活する実践の場が構築され、独自の学級文化を醸成するケースがある。これは教師による学級

    経営の成果であるが、教師は、「当たり前の日常に、子どもと同じ目線で喜びを見いだせる

    (矢野・宮前、2009)」ことをねらいとして、子どもと関わりながら、様々な試行錯誤の中から、

    協働的な関係を時間をかけて作りだしている。年間を通じて、教師と子どもだけではなく、子

    ども同士にもそれぞれの関わり方があり、学級活動への参加を通して仲間と関わることを体験

    し、互いに協力し、また時には葛藤しながら、学級生活における共有規範を育んでいるといえ

    る。このような集団状況的変化は、学習というよりは、コールのいう「アリーナ」における、

    より躍動感をともなった学びである。学級では、学びの主体は子どもだけではなく、教師もま

    た学びの主体となりえる。

    学級はコール(Cole,1996)のいう、「二つの心理学を統合する場」であり、学習と学びが混

    在しているものの、両者を明確に区別することなく、日々の実践が行われている。学習が、

    「教える(教師または大人)-学ぶ(子ども)」の二者間による固定化した「知識の注入-習得」

    システムであるならば、学びは集団内他者との双方向性を持った自由度の高い「教える-学ぶ」

    関係性を形成する過程そのものであり、集団の中で見出される価値の生成・成立の総体が、学

    びであるといってよいだろう。

  • -266-

    また、エンゲストローム(Engeström, 1999)にならっていうならば、学びの活動は、個々

    人が持つ概念的な枠組みや、既存集団のシステムそのものを変容させる可能性を持つといって

    もよいだろう。現代社会においては、個人が全く他者や環境と接点を持たない孤立した存在で

    はありえない。集団規模の大小にかかわらず、個人は何らかの集団の中に内包化され、また複

    数の異なる集団活動に適宜参加し、集団内外の他者や環境との接点を持ち、流動的で社会文化

    的な状況の中で、生活しながら学んでいるといえる。

    新しい学びの可能性と今後の課題

    以上述べてきた通り、心理学の研究は、「第一の心理学」に対する批判的な立場から「第二

    の心理学」が台頭し、現在では、人間の精神生活・活動における文化の役割を考慮せずに学習

    理論を展開することは困難になりつつある。ただし、それは「第一の心理学」の否定ではなく、

    両者の接点と合流のための研究方法を、より実践的な場から提言することである。ここまでを

    まとめる意味で、本研究では、学習(狭義の学び)と新しい学び(広義の学び)の関係をモデ

    ル化した(高橋・石上,2005)。

    学びの主体は子どもだけではなく、教師を含めた大人もまた、子どもと関わり、日常の場を

    子どもと共有しながら学んでいる存在である。学齢期や年齢にこだわらない、自由度の高い学

    びは、学習よりもより広義な意味あいを持つ活動であり、物理的・人的リソースの活用によっ

    て生成・成立するだろう。このように学びをとらえるならば、教育は学習のみならず、学びの

    文化的伝承である。過去の世代が構築した知識や技能、行動様式などを、学びの主体が取り入

    れ、状況的変化に合致した価値を見出し、新たな文化4を創造することは極めて自然なことで

    あり、それは学校文化・文脈に限定されたものではないだろう。本研究の今後の課題は、「学

    「学び」の可能性を考える―心理学における学習理論と実践から

    Fig.2「学習」のモデル Fig.3 新しい「学び」のモデル

  • 京都精華大学紀要 第三十六号 -267-

    校文化・文脈における学習」の枠組みを超えた、より幅広い学びの実践の中から、新しい学び

    の可能性を探求することである。

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    1 変化の激しい社会を担う子どもたちに必要な力は、基礎・基本を確実に身に付け、いかに社会が変化

    しようと、自ら課題を見つけ自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決す

    る資質や能力、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな

    人間性、たくましく生きるための健康や体力などの総称。

    「学び」の可能性を考える―心理学における学習理論と実践から

  • 京都精華大学紀要 第三十六号 -269-

    2 子どもは原罪を持たない純粋無垢で無知な存在であるため、知識や技能を与えることが教育であると

    いう、J・ロックによって提唱された教授概念。

    3 ここでいう内観とは、知覚体験から人間の意識を内面から明らかにしようとしたものであり、のちに

    吉本伊信が開発した同名の心理療法(人格の陶冶、精神修養などを目的とした)とは異なる。

    4 ここでいう文化とは、人間が作り出した人工物(Cole,1996)だけではなく、ある社会において人間が

    自らの理想を実現しようとする活動そのものの総体であり、科学、芸術、道徳、制度などはその所産

    であると本研究では考える。

    抜刷P255-269石上_1F抜刷P255-269石上_1B抜刷P255-269石上_2F抜刷P255-269石上_2B抜刷P255-269石上_3F抜刷P255-269石上_3B抜刷P255-269石上_4F抜刷P255-269石上_4B抜刷P255-269石上_5F抜刷P255-269石上_5B抜刷P255-269石上_6F抜刷P255-269石上_6B抜刷P255-269石上_7F抜刷P255-269石上_7B抜刷P255-269石上_8F