No. 69 2016 · 2016. 6. 28. · No. 69 2016 溶液化学研究会ニュースNo.69, 2016 < 解説...

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No. 69 2016 溶液化学研究会ニュース No.69, 2016 <解説> 液体断片化質量分析法によるクラスター構造解析 実測:液体に特有なクラスター構造形成機構 国立研究開発法人産業技術総合研究所 環境管理研究部門 脇坂昭弘 液体断片化質量分析法は真空チャンバー内で液滴をクラスターレベルに断片化してその質量スペ クトルを計測する方法であり、クラスターを構成する分子の組成を特定できるという利点がある。 断片化の過程で失われる液体の情報があることも考慮しなくてはならないが、液中でどのような分 子間相互作用が優勢なのかを観測することができる。本解説では、液体断片化質量分析法による二 成分混合溶液のクラスター構造とそれらの溶液の物性との相関について紹介する。また、一連の研 究から明らかになった液体に特有なクラスター構造形成機構についても紹介したい。 1.はじめに 液体を真空チャンバー内でクラスターレベル に断片化して、その質量分析を行う測定方法は、 西信之先生(分子研)が開発した独創的な研究方 法である[1] 。筆者は、平成2年に西研究室を訪問 して、液体断片化質量分析法と出会い、溶液中の クラスターレベルの構造に基づいて溶液物性を 理解するという大きな目標を目指すことになっ た。しかし、 「観測されたクラスターは溶液中に 存在するクラスターか、それとも真空チャンバー 内で生成したクラスターか?」 という議論が国内 外の学会で沸騰し、この問題の解決を抜きにして 目標の達成はありえないと思っている。 本稿では、測定の原理、測定例、溶液の物性と クラスター構造との相関(気液平衡特性、共沸)、 そして、液体に特有なクラスター構造形成機構に ついて解説したい。この方法で観測されたクラス ター構造を考慮しなければ、理解できない溶液中 の現象があると思っていただけたら幸いである。 2.測定の原理 液体断片化質量分析法では、試料溶液をスプレ ーし、液滴として真空チャンバーに導入する。液 滴の周りの圧力を低下させることによって、液滴 が膨張・破裂し、生じた断片を質量分析すること により、液滴からクラスターを取り出して観測す ることができる。ここで、クラスターのサイズ、 化学組成は、液滴の膨張・破裂の程度によって変 化するため、一つの測定から液中のクラスター構 造を議論することは難しい。必ず温度や濃度を変 えた複数の測定を行い、一連の測定におけるクラ

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  • No. 69

    2016

    溶液化学研究会ニュース No.69, 2016

    <解説>

    液体断片化質量分析法によるクラスター構造解析

    実測:液体に特有なクラスター構造形成機構

    国立研究開発法人産業技術総合研究所 環境管理研究部門 脇坂昭弘

    液体断片化質量分析法は真空チャンバー内で液滴をクラスターレベルに断片化してその質量スペ

    クトルを計測する方法であり、クラスターを構成する分子の組成を特定できるという利点がある。

    断片化の過程で失われる液体の情報があることも考慮しなくてはならないが、液中でどのような分

    子間相互作用が優勢なのかを観測することができる。本解説では、液体断片化質量分析法による二

    成分混合溶液のクラスター構造とそれらの溶液の物性との相関について紹介する。また、一連の研

    究から明らかになった液体に特有なクラスター構造形成機構についても紹介したい。

    1.はじめに

    液体を真空チャンバー内でクラスターレベル

    に断片化して、その質量分析を行う測定方法は、

    西信之先生(分子研)が開発した独創的な研究方

    法である[1]。筆者は、平成2年に西研究室を訪問

    して、液体断片化質量分析法と出会い、溶液中の

    クラスターレベルの構造に基づいて溶液物性を

    理解するという大きな目標を目指すことになっ

    た。しかし、「観測されたクラスターは溶液中に

    存在するクラスターか、それとも真空チャンバー

    内で生成したクラスターか?」という議論が国内

    外の学会で沸騰し、この問題の解決を抜きにして

    目標の達成はありえないと思っている。

    本稿では、測定の原理、測定例、溶液の物性と

    クラスター構造との相関(気液平衡特性、共沸)、

    そして、液体に特有なクラスター構造形成機構に

    ついて解説したい。この方法で観測されたクラス

    ター構造を考慮しなければ、理解できない溶液中

    の現象があると思っていただけたら幸いである。

    2.測定の原理

    液体断片化質量分析法では、試料溶液をスプレ

    ーし、液滴として真空チャンバーに導入する。液

    滴の周りの圧力を低下させることによって、液滴

    が膨張・破裂し、生じた断片を質量分析すること

    により、液滴からクラスターを取り出して観測す

    ることができる。ここで、クラスターのサイズ、

    化学組成は、液滴の膨張・破裂の程度によって変

    化するため、一つの測定から液中のクラスター構

    造を議論することは難しい。必ず温度や濃度を変

    えた複数の測定を行い、一連の測定におけるクラ

  • 溶液化学研究会ニュース No.69, 2016

    スター構造の系統的な変化から液中の分子間相

    互作用について議論することが望ましい。

    図1は水-エタノール混合溶液系などの非電

    解質・弱電解質溶液のクラスター構造を解析する

    のに用いている質量分析装置の模式図である[2]。

    本装置は、4 段差動排気系真空チャンバー、液体

    試料導入用加熱ノズル、及び四重極質量分析計よ

    り構成される。試料溶液は一定流速 0.1 cm3/min.

    で加熱スプレーノズルから真空チャンバーに導

    入される。ノズル先端部を加熱すると、ノズル内

    部の液体の一部が気化することによりノズル内

    の圧力が上昇し、液体試料が液滴流となって噴霧

    される。真空チャンバー内の圧力差によって、液

    滴は第 1から第 4室に向かって飛行し、飛行過程

    で断熱膨張することによって断片化を起こす。断

    片化の際に強い分子間相互作用を及ぼす分子ど

    うしはクラスターとなり、一方、相互作用の弱い

    分子はクラスターを形成しない。生成したクラス

    ターは 30eV 以下の電子衝撃によってイオン化さ

    れ、四重極質量分析計によって質量スペクトルが

    測定される。西らはこの方法を用いて,水-エタ

    ノール混合溶液のクラスター構造を初めて観測

    している。

    3.測定例

    液体断片化質量分析法で測定した代表的な質

    量スペクトルとして、種々の混合比の水-エタノ

    ール混合溶液の測定結果を図2に示す[2]。観測さ

    れたクラスターはエタノール分子と水分子から

    構成され、H+(C2H5OH)m(H2O)nで表される。

    エタノール濃度 5.0 %(質量パーセント)で観

    測された質量スペクトルを図2a に示す。クラス

    ター中のエタノール分子数mが同じで水分子数n

    が異なるピークを線で結んでみると、m = 0~6

    のシリーズが確認できる。各シリーズの分布には

    類似性があり、水分子間の水素結合ネットワーク

    が主体となっていることが分かる。各シリーズに

    は特異的に安定なマジックナンバーが観測され

    ている。m = 0のシリーズでは,水分子 21個か

    らなる 0-21 がマジックナンバーとなり,純水の

    断片化から観測された質量分布とよく一致して

    いる。この水分子の 21 量体は,水分子間水素結

    合ネットワークにより正十二面体のかご構造を

    作り、かごの内部に水分子が 1個存在して安定構

    造を形成している[3,4]。m=1, 2 及び 3 の各シリ

    ーズについても、m + n = 21に相当するクラスタ

    ーがマジックナンバーとして観測されている。こ

    の結果は、エタノール濃度が低い領域では、水分

    子間の水素結合ネットワークが主体となったク

    ラスター構造を形成し、水分子のOHとエタノー

    図1 液体断片化質量分析装置概略図 4段差動排気系真空チャンバー、液体試料導入用加熱ノズル、

    四重極質量分析計から構成されている。(Ref. 2)

    ロータリーポンプ

    ターボ分子ポンプ

    イオン化 四重極質量分析計

    ヒーター

    10-3

    Torr 10-7

    Torr10-6

    Torr

    10-1

    Torr

    液体試料 液滴 断熱膨張 クラスター

    Oscilloscope

    ターボ分子ポンプ

    ターボ分子ポンプ

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    ル分子のOHが置き換わるようにしてエタノール

    が水中に分散していることを示している。このよ

    うな水分子間の水素結合相互作用を主体とする

    クラスター構造は、エタノール濃度 15%(質量パ

    ーセント)程度まで観測できる。この濃度が発酵

    によって生成できるアルコール濃度の最大値と

    一致していることは興味深い。

    エタノール濃度が 15%以上になると、水分子間

    の水素結合ネットワークよりもエタノール分子

    間の水素結合が安定化される。エタノール濃度

    52.3 %(質量パーセント)で観測された質量スペ

    クトルを図2b に示す。この濃度ではエタノール

    分子のみから成るクラスターが安定となってい

    る。また,m ≥ 8の各シリーズではエタノール分

    子と水分子の両方を含んだクラスターが安定と

    なっている。特筆すべき特徴として、エタノール

    100%では,エタノールクラスターの生成は減少

    し、エタノール 4量体よりも大きなクラスターは

    観測されないことが挙げられる(図2c)。

    これらの結果は、水-エタノール混合溶液中の

    エタノール濃度が増加するに伴って、クラスター

    構造は、水分子間水素結合を主体とする構造から、

    エタノール分子間水素結合を主体とする構造に

    変化することを示している。また、エタノールの

    自己会合は純粋なエタノール中よりも水との混

    合溶液中で促進されるという特徴が表れている。

    4.溶液の物性とクラスター構造との相関

    共沸とは何か?

    ここで、図2に示した水-エタノール混合溶液

    のクラスター構造と同溶液の物性との相関につ

    [EtOH]=5.0wt%

    [EtOH]=52.3wt%

    2-1

    9

    2-1

    0

    0 100 200 300 400 500 600 700 800 900M/Z

    Ion

    In

    ten

    sity

    0 100 200 300 400 500M/Z

    Ion

    In

    ten

    sity

    0-2

    0-1

    0

    0-2

    1

    1-2

    0

    1-1

    0

    3-1

    8

    3-1

    0

    4-1

    7

    5-1

    0

    6-1

    0

    6-5

    5-5

    7-0

    8-1 9-1

    10-2

    11-3

    12-5 1

    3-7

    14-8

    15-8

    6-0

    5-0

    4-0

    3-0

    2-0

    0 100 200 300 400 500 600 700 800 900M/Z

    Ion

    In

    ten

    sity

    [EtOH]=100wt%

    0 100 200 300 400 500 600 700 800 900M/Z

    Ion

    In

    ten

    sity

    [EtOH]=79.3wt%

    3-0

    2-0

    7-0

    8-1

    9-1

    10

    -2

    11

    -2

    12

    -3

    13

    -5 14

    -6

    15

    -6

    16

    -7

    4-0

    6-0

    5-0

    4-0

    3-0

    2-0

    (c)

    (d)

    Fig.3

    (a)

    (b)

    (c)

    図2 水-エタノール混合溶液から観測されたクラスターの質量スペクトル: ピーク上の数字 m-n

    はエタノール分子数 mと水分子数 nを表す。(a)エタノール 5.0質量%(モル分率 0.02)、(b)エタノ

    ール 52.3質量%(モル分率 0.3)、(c)エタノール 100質量%(モル分率 1)。(Ref. 2)

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    いて考えてみる。クラスター構造を考慮しなけれ

    ば説明が難しい物性として、気液平衡特性の混合

    比依存性と共沸について考えたい[5]。

    図3は水-アルコール混合溶液の液相と気

    相のアルコール濃度の関係を示した気液平衡曲

    線である[6,7]。メタノールの気液平衡曲線は気相

    中のメタノール濃度が常に液相中よりも大きい

    ため共沸を起こさない。しかし、その他の水-ア

    ルコールの気液平衡曲線は対角線と交差し、液相

    と気相の組成が等しくなる共沸点が存在する。共

    沸点よりも低アルコール濃度領域ではアルコー

    ルが揮発しやすく、一方、高アルコール濃度領域

    では水が揮発しやすいという特徴を示す。このよ

    うな揮発性の変化はクラスター構造の変化とよ

    く対応している。

    図2の水-エタノール混合溶液のクラスター

    構造の混合比依存性は、エタノール濃度の増加と

    共に水分子クラスターは分解し、アルコール自己

    会合クラスターが生成する傾向を示している。こ

    れに伴って、水が揮発し易くなり、アルコールは

    揮発し難くなっている。水-アルコール混合系の

    共沸は、クラスター構造の変化が揮発特性を変化

    させていることによるものであって、水分子とエ

    タノール分子の水素結合錯体が蒸発する現象で

    はないことに注意したい。

    低アルコール濃度領域では、水分子間水素結合

    ネットワークが主体となるクラスターが形成さ

    れている。この中でアルコール分子は水分子に比

    べて相対的に不安定であり、エタノール、1-プ

    ロパノール、1-ブタノールと疎水基が大きくな

    るほど水分子間水素結合ネットワークの中で相

    対的に不安定になる。図3のアルコールのモル分

    率 0.02 以下の低濃度領域の気液平衡特性を注意

    深く見ると、アルコールの揮発性がメタノール<

    エタノール<1-プロパノール<1-ブタノー

    ルの順に分子サイズの増加と共に揮発性が増加

    している。この順は純アルコールの揮発特性とは

    逆順となり、クラスターレベルの構造を反映して

    いることが分かる。

    共沸を示すアルコールについて、低濃度領域で

    鋭く立ち上がりを示した気液平衡曲線が、1-ブ

    タノールでは x(アルコールモル分率)= 0.02、

    1-プロパノールでは x = 0.05、エタノールでは

    x = 0.08付近を境にして、増加の割合が顕著に減

    少する変曲点が出現し、その結果として、共沸点

    が現れる。これら変曲点(アルコール揮発特性の

    変化)は、アルコール自己会合クラスターの生成

    する濃度とよく一致している[2,5,8]。

    さらに、クラスター構造の温度依存性から、低

    濃度アルコール水溶液で水分子間水素結合ネッ

    トワークが主構造の場合は、クラスターからアル

    コール分子が優先的に蒸発し、一方、高濃度領域

    でアルコール自己会合クラスターが存在する環

    境では、サイズの大きなエタノールクラスターの

    周囲に存在する水分子が蒸発することを確認し

    ている[5,8]。

    図3 水-アルコール混合溶液の気液平衡曲

    線 (Ref. 5, 8)

    0

    0.1

    0.2

    0.3

    0.4

    0.5

    0.6

    0.7

    0.8

    0.9

    1

    0 0.1 0.2 0.3 0.4 0.5 0.6 0.7 0.8 0.9 1

    MeOH(L)760mmHg

    EtOH(L)760

    PrOH(L)760mmHg

    BuOH(L)760mmHg2

    Mole fraction of alcohol in liquid phase (x)

    Mo

    le f

    raction

    of

    alc

    oh

    ol in

    vap

    or

    ph

    ase

    (y)

    xaz

    xaz

    xaz

    0

    0.1

    0.2

    0.3

    0.4

    0.5

    0.6

    0.7

    0.8

    0.9

    1

    0 0.1 0.2 0.3 0.4 0.5 0.6 0.7 0.8 0.9 1

    MeOH(L)760mmHg

    EtOH(L)760

    PrOH(L)760mmHg

    BuOH(L)760mmHg2

    Mole fraction of alcohol in liquid phase (x)

    Mo

    le f

    raction

    of

    alc

    oh

    ol in

    vap

    or

    ph

    ase

    (y)

    xaz

    xaz

    xaz

    液相のアルコールモル分率

    気相のアルコールモル分率

    MeOH

    EtOH

    1-PrOH

    1-BuOH

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    5.液体に特有なクラスター構造形成機構

    図2に示したように、エタノールと水を混合す

    るとエタノールの自己会合が促進される。このと

    き、水分子間の水素結合ネットワークは分断され

    る傾向にあった。このことから水のクラスター構

    造とアルコールの自己会合の促進との関連が小

    さいと考えた。

    このことを検証するため、二成分アルコール混

    合溶液のクラスター構造を液体断片化質量分析

    法により解析した[8]。第1成分 1-ペンタノール

    に第2成分としてメタノール、エタノール、及び

    1-プロパノールを混合し、分子間相互作用を系統

    的に変化させて、クラスター構造の変化を計測し

    た。 1-ペンタノール-メタノール混合溶液から

    は、1-ペンタノール自己会合クラスターの生成が

    観測された。溶媒をメタノールからエタノールに

    換えると、1-ペンタノール自己会合クラスターの

    生成量は顕著に減少した。また、溶媒を 1-プロパ

    ノールにすると 1-ペンタノールの自己会合は観

    測されなかった。

    このことは分子間相互作用エネルギーの相対

    的関係によって、液中のクラスター構造が支配さ

    れていることを示唆している。分子間相互作用エ

    ネルギーの差が小さい場合には、熱運動によって

    分子の交換が起こり,安定なクラスター構造を保

    持することができない。一方、分子間相互作用エ

    ネルギーの間に大きな差がある場合には、分子の

    交換が抑制されてクラスター構造が安定化する

    と考えられる。 即ち、水溶液に限定されないメ

    カニズムである。

    6.おわりに

    分子間相互作用の相対的な関係がクラスター

    形成を支配するのは、複数の分子間相互作用が同

    時に作用し、分子の配向・位置を自由に変えるこ

    とができる液体状態に特徴的な現象と考えられ

    る。エタノールと水を混合することによって、エ

    タノール-エタノール相互作用が水-エタノー

    ル相互作用よりも相対的に安定となることがエ

    タノールの自己会合を促進している。また、この

    とき、エタノールの揮発性が低下し、水の揮発性

    が増加することとも一致する。この液体に特有な

    クラスター構造形成機構は液体断片化質量分析

    法で初めて明らかになったと考えているが、皆様

    はどのように思われるでしょうか?

    参考文献

    [1] N. Nishi, K. Yamamoto, J. Am. Chem. Soc.,

    109, 7353 (1987).

    [2] A. Wakisaka, T. Ohki, Faraday Discuss., 129,

    231 (2005).

    [3] S. Wei, Z. Shi, A. W. Castleman, Jr., J. Chem.

    Phys., 94, 3268 (1991).

    [4] X. Yang, A. W. Castleman: Jr., J. Am. Chem.

    Soc., 111, 6845 (1989).

    [5] A. Wakisaka, K. Matsuura, M. Uranaga, T.

    Sekimoto, M. Takahashi, J. Mol. Liq., 160, 103

    (2011).

    [6] アルコールハンドブック(第9版 ), (社)

    アルコール協会編,技報堂,2007,p19.

    [7] 気液平衡データブック,V. B. ゴーガン編,平

    田光穂訳,講談社サイエンティフィック,1974,

    DATA No. 263,351,397.

    [8] A.Wakisaka, T. Iwakami, J. Mol. Liq., 189,

    44 (2014).

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    <トピックス>

    イオン液体の酸塩基性

    鹿児島大学学術研究院理工学域 神﨑 亮

    溶液化学シンポジウムでも随分とお馴染みになったので改めて紹介するまでもないが、イオン液体

    は溶媒化学種がイオンのみからなっている液体であり、溶媒-溶質相互作用および溶媒間相互作用

    において静電相互作用が強調された従来の溶媒とは異質な反応場である.揮発性が低いという環境

    や安全といった観点からの利点は、一方で蒸留によって純度の高い溶媒を得にくいという実験上の

    足枷となるため、実際に化学反応の溶媒として用いた例は当初あまり多くなかった.それでも実験

    値・実測値への希求から、実験報告は増えてきている.本トピックスでは、イオン液体中の酸塩基

    反応(平衡)に着目して、近年の研究例を紹介したい.

    1.はじめに

    溶液化学の興りの1つは、塩溶液中のイオンの

    反応性への興味であった.共存イオンによって、

    関心のあるイオンがどのような影響を受けるの

    か、今日では物理化学や分析化学の教科書の最初

    に取り上げられるテーマである.イオン液体は、

    塩濃度が高い溶液の極限であり、イオン液体中の

    イオンは言わば「イオンに直接取り囲まれたイオ

    ン」である.このような条件下のイオンがどのよ

    うに振舞うのか大いに興味深い.

    最も基本的なイオンは水素イオン H+であり、

    H+の授受がいわゆる(Brønstedの定義による)酸

    塩基反応である.H+の付加・脱離は、分子・イオ

    ンの骨格を変えないまま電荷の増減を伴うので、

    溶媒中におけるイオンの溶媒和エネルギーの影

    響を直接的に反映する.同時に、H+授受の相手は

    溶媒自身の共役酸・共役塩基であり、これら溶液

    中の H+キャリアの溶媒和状態も同様の寄与をも

    たらす.かくして、酸塩基反応を理解するために

    理解すべきことは多岐にわたり、溶媒の酸塩基性

    はその性質を理解する最初の一歩である.そこで、

    イオン液体の酸塩基性に着目した研究について、

    自身の結果も交えながら、トピックスとして紹介

    したい.

    2.イオン液体の酸性

    イオン液体中で、H+のキャリアはその構成陰イ

    オンであるだろう.したがってイオン液体中の

    H+の反応性は、陰イオンの共役酸の酸性を反映す

    ると予想される.イオン液体の陰イオンは多くの

    場合、嵩高く、電荷が非局在化されているような

    イオンが選ばれるので、その共役酸は強酸である

    ことが多い.イオン液体中における酸塩基反応の

    特徴の1つに、これら強酸が酸型のまま溶存して

    反応に関与することが挙げられ、そのH+供与性の

    強さが興味を持たれる.強酸性溶液の酸性の尺度

    として、ハメットの酸度関数 H0 が用いられる.

    H0は、強酸性条件下で電離平衡を示すような酸塩

    基指示薬を用いて、その電離度から pH に相当す

    る値を得たものである.

    Gilbert らは 2003 年、いくつかのイオン液体中

    で、陰イオンおよび添加する酸の種類を変えなが

    ら、H0を決定した[1].イオン液体中で実際の酸塩

    基反応から Brønsted酸性を実測・評価した初めて

    の例であった.2009年には、代表的ないくつかの

  • 溶液化学研究会ニュース No.69, 2016

    陰イオンの共役酸、HBF4や HPF6、トリフルオロ

    メタンスルホン酸(TfOH)、ビス(トリフルオロ

    メチルスルホニル)アミド(Tf2NH)といった一

    群の強酸について、イオン液体中におけるH+供与

    性を順序付けている.[2]

    最近では、実際にこれら強酸性のイオン液体中

    で酸解離定数を決定した報告例が見られるよう

    になってきた.D’AnnaとNotoらのグループ[3-4]、

    Cheng らのグループ[5-8]は、分光高度滴定によっ

    てカルボン酸やアミン誘導体の pKaを決定し、分

    子性液体中の値と比較している.サイクリックボ

    ルタンメトリーなど電気化学測定による pKa決定

    [9-12]やFTIRによってイオン液体の酸性を評価す

    る試み[13]もある.定量的な情報が徐々に蓄積さ

    れつつある.

    3.プロトン性イオン液体

    イオン液体の中でも、オニウム塩からなるイオ

    ン液体を、プロトン性イオン液体と呼ぶ.従来の

    プロトン性溶媒と同様、溶媒自身が解離し得る

    H+を有しており、特に燃料電池の分野で興味を持

    たれている.オニウムがH+を放出し得る一方で陰

    イオンは H+を受容し得る(共役酸となる)ので、

    両性溶媒であり、自己解離平衡が起こっている.

    例えば典型的なプロトン性イオン液体である硝

    酸エチルアンモニウム(EAN)中では自己解離平

    衡は以下のように表される.

    C2H5NH3+ + NO3 ⇄ C2H5NH2 + HNO3

    従来溶媒では自己解離平衡でイオンを生成する

    のに対し、イオン液体中ではイオンから分子を生

    成していることが目新しい.我々は 2007年、EAN

    中においてこの平衡定数すなわち自己解離定数

    KAPを決定した[14].水溶液中(pKW = 14)よりや

    や小さい値(pKAP 10)であったが、水と同様、

    大過剰の溶媒中にほんのわずかの酸と塩基(中性

    条件下で[HNO3] = [C2H5NH2] = 105 mol dm3)が存

    在していることが明らかになった.実はこのとき

    見落としていたのだが、1989 年に、既に Letellier

    らによってほぼ一致する値が報告されていた[15].

    ただし良く読むと酸として塩酸水溶液を加えて

    おり、「完全に脱水した環境下」では我々の例が

    初めてであった.

    自己解離定数はまた、Angellらがプロトン性イ

    オン液体の「イオン性」の尺度として提唱する

    pKaと関係のある物理量である[16].pKaは、プ

    ロトン性イオン液体を構成するオニウムと陰イ

    オン(の共役酸)の酸解離定数の差であり、すな

    わち「水溶液中における」自己解離平衡と等価な

    反応の平衡定数にほかならない.したがって、

    pKa がイオンと分子の比率と関係することは受

    け入れやすい.とはいえ自己解離定数はそれ自身、

    イオン液体の酸塩基反応媒体としての性質を表

    す最も基礎的な物性値である.この観点から、イ

    オン液体中で直接決定した値は依然、重要な意味

    を持つ.[17-22]

    強酸性の陽イオンを含むプロトン性イオン液

    体は、高いH+反応性を持つ.非プロトン性の陽イ

    オンにスルホ基を導入し、これと硫酸やトリフル

    オロメタンスルホン酸など、さらなる強酸と組み

    合わせた一群のプロトン性イオン液体が、酸触媒

    反応など化学工学分野において注目されている

    [23].

    R+-SO3 + HA R+-SO3H + A

    少なくとも有機溶媒中において、この平衡は完全

    に右側に偏っており、H+は十分に陽イオンに移行

    している(つまり双性イオンとして存在している

    わけではない)ようだ.このときオニウムのスル

    ホ基は酸型で存在しており、溶液の酸性はスルホ

    基によって水平化される.このタイプのイオン液

  • 溶液化学研究会ニュース No.69, 2016

    体もプロトン性イオン液体の一種であるから、自

    己解離平衡が起こっているであろうし、適当な緩

    衝剤を加えることによって広い範囲で pH を制御

    できることが期待される.単に陰イオンの共役酸

    を過剰に加えた非プロトン性液体とは異なるた

    め、注目に値する.しかしながら、このようなイ

    オン液体中における酸塩基性の定量的な研究は、

    まだあまり進められていない.

    4.他の溶媒と酸塩基性の比較

    H0決定に用いられる指示薬の pKaは、pH の延

    長となるよう、注意深く非水溶媒中で決定されて

    いる.とはいえ、その pKa決定の基準となってい

    る目盛りが H0 なので、自己撞着を含むことは否

    めない.一方、溶媒間における水素イオンの移行

    自由エネルギー変化trGH(移行活量係数tr,Hで表

    現されることもあり、このときtrG = RT ln tr,H)

    が分かれば、異なる溶媒間の酸塩基性を統一され

    た pH 尺度で表すことも可能である.Krossing ら

    は、pH = 0となる基準を気相中のH+に置き、これ

    を「絶対 pH」と呼んだ[24-27].固体や気相中の

    酸など全ての H+の環境を統一的に理解するには

    便利な考え方であるが、例えば水溶液中の pH は

    絶対 pH と 194 だけずれており、実用性からは使

    いにくい.そこで、水を基準とした共通な pH 目

    盛りを考える[28,29].細かいことを言えば、pH =

    0 の基準となる標準状態は溶媒ごとに違っている

    ため、共通の pH 目盛りという概念そのものは矛

    盾を抱えるが、異なる溶媒(溶液)間で酸塩基性

    を比較できるのは便利である.我々は、典型的な

    プロトン性イオン液体である硝酸エチルアンモ

    ニウム(EAN)中でいくつかの酸解離定数を決定

    し、反応による電荷の変化のパターンに依存せず

    水溶液中より 1 だけ大きいことを見出した[30].

    このことから、EAN中における pH目盛りは水溶

    液中と1だけずれていると見積もることができ

    る.両性溶媒中において pH の取り得る領域(H+

    供与体および H+受容体の活量の最大が1となる

    範囲)の広さは pKAPで規定されるから、EAN の

    pH 範囲は水溶液の目盛りに対して1 から 9 まで

    拡がっている.H+の反応性はこの範囲内で制御す

    ることができるので、これを EAN における「pH

    の窓」と言うことができる.他のプロトン性イオ

    ン液体でも、同じ手順によって pH の窓を共通の

    目盛りの上に描くことができるであろう.

    5.今後の課題

    イオン液体中でガラス電極が機能しないせい

    か、イオン液体の酸塩基性は他の基礎物性に比べ

    ても進捗が遅かったように思われるが、ここ数年

    で実験データも増えてきた.その結果、自己解離

    平衡や酸塩基平衡といった水や有機溶媒で見慣

    れた反応はおそらくそのままイオン液体にも拡

    張できることが実証された.今後は、錯生成反応

    など水や有機溶媒と同じ方法論に沿って、種々の

    イオンの溶媒和状態がより明らかになっていく

    ことが期待される.その過程において、イオン液

    体は分子性液体と何が同じで何が異なるのか、明

    らかになっていくだろう.

    参考文献

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  • 溶液化学研究会ニュース No.69, 2016

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    6266 (2016)

  • 溶液化学研究会ニュース No.69, 2016

    <研究室めぐり東西南北>

    大阪大学 基礎工学研究科 化学工学領域

    松林 伸幸

    1. 大阪大学 基礎工学研究科 化学工学領域 分子集合系化学工学グループ

    大阪大学基礎工学研究科は、大阪府北部に位置

    する豊中キャンパスにあります。理系部局の多く

    は、万博公園近くの吹田キャンパスにあり、豊中

    キャンパスの理系組織は基礎工学研究科と理学

    研究科のみですが、教養課程の多くが豊中で開講

    されるため、とても賑やかで活気のある環境です。

    基礎工学研究科は、「科学と技術の融合による

    科学技術の根本的な開発、それにより人類の真の

    文化を創造する」ことを創設理念とする、国公立

    大学では大阪大学のみにある独自の組織です。昨

    今の流れとなった科学と技術の一体的発展を、半

    世紀以上も前に理念に設定した先鋭的な組織で

    あり、優れた研究者・技術者を輩出してきました。 基礎工学研究科の化学系は、合成化学領域と化

    学工学領域の 2つの領域からなり、化学工学領域

    は 8つの研究グループから構成されています。本稿で紹介する分子集合系化学工学グループは、

    2014年に開設された研究室です。現在(2016年

    5月)、松林伸幸教授、金鋼准教授、石塚良介助教を常勤スタッフとして、博士研究員 3名、事務補佐員 1名、大学院生 12名、学部生 6名の総勢 25

    名からなるグループです。学外研究組織や企業か

    らの短期滞在・訪問者も含め、いつも賑やかな状

    態にあります。研究対象は、グループ名の表す通

    り、秩序とゆらぎを併せ持つソフトな分子集合系

    であり、溶液統計力学と分子シミュレーションを

    用いた理論計算研究によって、多彩な機能発現を

    導く統一原理を解明し、個々の分子の特性に立脚

    して集合系全体の機能を設計するための指針の

    構築に至ることを目指しています。以下に、いく

    つかの研究テーマについて紹介します。

    2. 溶媒和概念の拡張とそのための理論的枠組みの構成 溶液中の少数成分である溶質が、主要成分であ

    る溶媒に囲まれることが溶媒和であり、溶質-溶

    媒相互作用を通して、溶媒中での溶質の安定性が

    決定されます。周囲の分子集団との相互作用によ

    る安定性変化という観点で似たような現象は無

    数にあります。例えば、ミセルの可溶化では、ミ

    セルに取り込まれる分子は、界面活性剤に囲まれ

    ます。界面活性剤などとの相互作用を通して、ミ

    セルへの取り込みのしやすさが決定されます。 似たような現象であれば、共通の概念・理論形

    式で取り扱うべきです。上に挙げたのは、(普通

    の意味での)溶液やミセルですが、これらの系は、

    秩序とゆらぎを併せ持つソフトな分子集合系で

    あり、ソフト分子集合系に対する異種分子の結合

    や取り込みを溶媒和として統一的に理解するこ

    とが、本研究の目的です。そのために、溶質・溶

    媒の概念を拡張しましょう。対象系における混合

    過程の前後に変わらず存在する成分を溶媒と呼

    び、混合後のみに系にある成分を溶質と呼ぶこと

    にします。この呼び方では、ミセルへの分子の取

    り込みの場合、取り込まれるものが溶質、界面活

    性剤と水が溶媒ということになります。その溶媒

    は混合溶媒であり、また、ナノレベルで見ると不

    均一です。もちろん、通常の溶液で使う溶質・溶

    媒は、上記の意味においても変わりません。つま

    り、溶質・溶媒の意味を拡張したことになり、ミ

    セルへの異種分子の取り込みを、ナノレベルで不

    均一な混合溶媒における溶媒和と見なすことに

    なりました。少し変わったところでは、電子の付

  • 溶液化学研究会ニュース No.69, 2016

    加(還元)も、溶媒和と見ることができます。後

    から加わるものは電子であり、これが溶質です。

    最初からあるものは、電子を受け取るもの(酸化

    体)および媒質であり、これらが混合溶媒です。

    一般に、分子の結合/取り込みを考えるとき、

    重要な 3つの問題は、どれだけ多く取り込まれるか(結合強度)、どこに取り込まれるか(結合サ

    イト)、どれだけの時間結合していられるか(結

    合寿命)です。例えば、溶液系における溶解度は

    結合強度の問題になります。結合サイトの問題は、

    結合強度の問題の変形であり、溶質挿入をある特

    定のサイトに限定するという条件付きの結合強

    度を考えることでアプローチできます。結合寿命

    の議論にはダイナミクスも関係しますが、結合強

    度・結合サイトの情報が重要な役割を果たします。

    分子の結合/取り込みの強度を決定するのは、対

    応する自由エネルギー変化です。ここでは、分子

    の結合/取り込みを溶媒和(の拡張)と見なして

    おり、最重要課題(の 1つ)は、溶媒和に伴う自

    由エネルギー変化の評価ということになります。 本研究では、上に述べた拡張した意味での溶媒

    和の自由エネルギー変化を対象とする理論計算

    手法を開発しています[1]。研究対象を(普通の意味での)溶液からミセル、脂質膜、高分子、界面

    にまで拡げ、多様な分子集合系における分子の結

    合/取り込みを統一的に取り扱うことのできる

    溶液統計力学理論の構築を目的としています。 この目的のために、溶質-溶媒間の 2体相互作

    用の分布関数によって溶媒和自由エネルギーの

    汎関数を構成するエネルギー表示法を提案しま

    した。この手法の定式化により、界面活性剤・脂

    質・高分子・イオン液体のような分子構造が柔軟

    で内部自由度を持つ分子の取扱い、および、界面

    など不均一系の取扱いが簡単になりました。低中

    密度領域の超臨界流体を厳密に取り扱うことも

    できるようになっています。また、東北大学理学

    研究科の高橋英明先生によって QM/MM 法との連結がなされています。電子分布が雲状であるこ

    との効果や平均分布を超えた電子分布のゆらぎ

    の効果が計算可能になり、電子の付加(還元)を

    溶液理論の枠組みの中で取り扱うこともできる

    ようになりました。

    3. 固液界面における吸着とその結晶面依存性

    結晶成長の駆動力は自由エネルギー差であり、

    結晶面ごとの吸着安定性の違いが結晶形態の決

    定に大きな影響を与えます。本研究では、分子結

    晶を対象とし、結晶成長の重要ステップである固

    液界面への物理吸着を取り上げ、吸着安定性の結

    晶面依存性を解析しています。

    吸着とは、液体バルクから固液界面への分子の

    移行です。本研究では、吸着分子を溶質とみなし、

    固体・液体を構成する分子を溶媒とすることで、

    溶質位置を固液界面に制限した条件での溶媒和

    を解析しています。ここでの溶媒和は、真空から

    界面への移行を意味するものであり、吸着とは参

    照状態が異なりますが、真空からバルク液体への

    過程を考えることで容易に変換が可能です。結晶

    面依存性は、溶媒和自由エネルギーの制限位置に

    対する依存性として扱うことができます。 分子結晶の典型として尿素結晶を対象とし、

    「溶質」尿素の結晶尿素界面への「溶媒和」を、

    全原子 MD シミュレーションとエネルギー表示溶液理論を用いて解析しました。図 1 に示す(001)面および(110)面の 2 つの界面につい

    て溶媒和自由エネルギーを検討しました。溶媒和

    自由エネルギーは(110)面よりも、(001)面の方が安定であると算出され、吸着安定性において

    (001)面の方が有利であることがわかりました。

  • 溶液化学研究会ニュース No.69, 2016

    これは、(001)面で結晶成長速度が大きいという

    実験的事実に対応するものです。結晶を構成する

    尿素および水と溶質尿素との水素結合数をカウ

    ントすると、(001)面では結晶尿素との水素結合

    が比較的多く、逆に、(110)面では水との水素結合が多く形成されているものの、トータルでは

    (001)面と(110)面の差は見出されませんでし

    た。そこで、水素結合 1本あたりのエネルギーを解析したところ、吸着尿素-水の間よりも吸着尿

    素-結晶尿素の間の水素結合が強力であり、

    (001)面での尿素間水素結合がその面の吸着安定性の要因であることが明らかになりました。 晶析における結晶形態の制御は、現在でも経験

    的な試行錯誤に依存しています。MDと溶液統計力学による理論計算手法の開発によって、食品や

    医薬の分野で重要な役割を果たす晶析プロセス

    の非経験的制御に寄与したいと考えています。

    図 1. (001)面(左)および(110)面(右)へ

    の溶質尿素(黄色)の吸着

    4. ポリマーの物質分離機能

    ポリマー材料は、原子レベルの相互作用および

    メゾレベルの集合様態の両方に依存して、多様な

    物質分離機能を発現し、脱塩処理・水質浄化・ガ

    ス精製など、環境・医療・省エネ等に直結する幅

    広い応用分野を持ちます。ポリマー材料の分離機

    能を特徴付ける物理量は、分離される物質種の透

    過係数です。透過係数は、分配係数と拡散係数に

    よって決定されますが、前者の影響が強いことが

    多いため、分配係数の計算法の確立が、ポリマー

    材料の合理的設計に向けた課題となっています。

    本研究では、全原子ポテンシャルを用いたMDシ

    ミュレーションによって、ポリマー系への小分子

    の溶解の自由エネルギー解析を行っています。ポ

    リマーを溶媒、溶解する分子を溶質とみなすこと

    で、エネルギー表示溶液理論を適用しています。 ポリマーとして、繊維や樹脂としてよく用いら

    れる PE、PP、PPS、PC、PMMA、PVAC、PET、

    PES、Nylon6の 9種を対象とし、それらの非晶凝集系への水の溶媒和の計算を無限希釈条件で

    行いました[2]。図 2に示すのは、溶液理論で算出

    した溶解自由エネルギーと実験値との比較です。

    東レ株式会社との共同研究の結果であり、良い相

    関が取れています。ポリマーの親水性・疎水性の

    程度に関わらず、化学精度が達成されているため、

    実用上有用な結果であることが分かります。 ポリマー理論は長い歴史を持ちますが、そこで

    の中心的概念の 1つが粗視化です。ポリマー鎖をセグメントに分割し、セグメントを相関の単位と

    する取り扱いです。本研究では、全原子モデルを

    用いつつも、セグメントの考え方を取り入れるこ

    とで、さらなる自由エネルギー計算の高速化を図

    っています。エネルギー表示溶液理論の枠組みで

    は、いくつかのモノマー単位からなるセグメント

    を1つの溶媒粒子として扱うことが可能です。異

    なるセグメントの間のエネルギー相関を考えて、

    同一のポリマー鎖の上にあるセグメント間の相

    関と異なるポリマー鎖に属するセグメント間の

    相関が、同程度の強度となるようにセグメントを

    定義すると、正確さと計算スピードを両立した自

    由エネルギー計算手法の確立に至ることを明ら

    かにしました。

    ポリマーの物質分離機能は、結晶化度や多孔性

  • 溶液化学研究会ニュース No.69, 2016

    のようなメゾレベルの凝集構造に強く依存しま

    す。解析対象をガス・イオンに拡げ、共重合トポ

    ロジーやメゾレベル構造の効果を明らかにした

    いと思っています。

    図 2. ポリマー非晶への水の溶解自由エネルギー。計算値と実験値の平均誤差は0.5 kcal/molであり、

    相関係数は 0.97、最小二乗フィットの傾きは 1.0

    5. タンパク質構造に対する共溶媒効果

    タンパク質の構造は、溶媒との相互作用の下で

    決定され、そのため、溶媒環境の変化によって変

    化を被ります。溶媒環境の変化によるタンパク質

    構造変化の端的な例が変性です。例えば、尿素を

    加えると、折り畳まれた天然構造が不安定化し、

    ほどけた構造になることが、多く見られてきまし

    た。本研究は、尿素による変性を対象とし、分子

    間相互作用の立場から、その機構を明らかにする

    ことを目的としています。

    機構解明の鍵を握る量が、移行自由エネルギー

    です。これは、溶質が純水溶媒から尿素-水混合

    溶媒へ移行する過程に伴う自由エネルギー変化

    であり、両溶媒間での溶媒和自由エネルギーの差

    で与えられます。タンパク質の各固定構造に対す

    る移行自由エネルギーを調べることで、どのよう

    な構造が尿素混合によって安定化/不安定化す

    るかを決定することができます。本研究では、104

    残基およびヘムからなる cytochrome c を取り上げ、MDシミュレーションとエネルギー表示溶液理論によって、移行自由エネルギーを全原子レベ

    ルで解析しました[3]。 一般に、溶質構造や熱力学条件が変わると、静

    電相互作用、van der Waals相互作用、排除体積

    効果の全てが同時に変化し、現実に即した系の変

    化では、ある特定の相互作用成分だけを変えるこ

    とはできません。そのような制約の下で、尿素変

    性を担う分子間相互作用を明らかにするために、

    移行自由エネルギーと移行に伴う溶質-溶媒相

    互作用成分の変化の相関を解析しました。図 3に

    結果を示します。これによると、タンパク質構造

    の安定化/不安定化を支配する移行自由エネル

    ギーは、溶質-溶媒間の van der Waals相互作用

    成分の変化と相関し、静電相互作用成分や排除体

    積成分との相関はありません。つまり、移行自由

    エネルギーのタンパク質構造に対する依存性は、

    van der Waals相互作用成分によって支配されていることが明らかになりました。また、移行自由

    エネルギーがより負であるとき、溶媒接触表面積

    が大きく、より開いた構造に対応することを見出

    しています。よって、図 3より、尿素変性は尿素添加に伴うvan der Waals相互作用の増大によっ

    てもたらされることが分かりました。静電成分や

    排除体積成分については、タンパク質-尿素間の

    相互作用がタンパク質-水間のものを置き換え

    るように働くことを見出しており、安定化/不安

    定化のタンパク質構造による違いをもたらす因

    子としてはマイナーです。

    同様の相関解析を、タンパク質-尿素間の直接

    相互作用(直接メカニズム)および尿素導入に伴

    うタンパク質-水間相互作用の変化(間接メカニ

    ズム)に対しても行い、直接メカニズムが重要で

  • 溶液化学研究会ニュース No.69, 2016

    あることを見出し、また、タンパク質の主鎖の相

    互作用および側鎖の相互作用に対する解析から、

    主鎖と側鎖の尿素変性における役割は同程度で

    あることが分かりました。これまで尿素変性のメ

    カニズムについては多くの説が唱えられてきま

    した。本研究の結果は、タンパク質の主鎖および

    側鎖の両方と尿素の間の van der Waals 相互作

    用に基づく直接メカニズムが尿素変性を規定す

    ることを示すものです。 共溶媒添加によって、溶液内の分子間相互作用

    を連続的に変えることができます。種々の共溶媒

    を用いた相関解析によって、タンパク質の構造形

    成原理の理解を深め、タンパク質機能に対して、

    共溶媒濃度という連続変数を用いた微細制御の

    観点を導入したいと考えています。

    図 3. 移行自由エネルギーと移行に伴う静電相互作用成分、van der Waals相互作用成分、排除体積成分の変化との相関図。図内の 1点 1

    点がタンパク質の固定構造に対応し、拡がっ

    たタンパク質構造がより負の移行自由エネル

    ギーに相当

    6. ガラス転移の動的不均一性と多時間相関

    関数による解析 ガラス転移とは融解温度以下で分子がランダ

    ムな配置のまま運動が凍結してしまう現象で、金

    属・高分子・分子性やイオン性液体・コロイド分

    散系など様々な物質で共通して見られます。その

    一方でなぜガラスを形成するのか、ガラス転移を

    引き起こす本質的なメカニズムは未だ解明され

    ていないとされています。 ガラスの最も顕著な性質は、液体と酷似した構

    造をしているにもかかわらず、粘性係数や構造緩

    和時間などの動力学パラメータが温度の低下と

    ともに急激に増大し、緩和動力学が極めて緩慢に

    なることです。これまでに、NMR などの分光学的手法によって,ガラス状態では分子の動きが空

    間的に不均一になっていることを示す結果が得

    られています。また、MDシミュレーションによっても、温度低下とともに不均一に発生する協調

    運動領域が様々に可視化されています。これらの

    研究に基づいて「動的不均一性」という概念が提

    案されるに至りガラス研究の中心的な概念のひ

    とつとなっています。

    動的不均一性の時空間構造を特徴付けるため

    には、密度場の多点相関関数を時間とともにモニ

    ターする必要があります。中間散乱関数など密度

    場の2点相関関数は空間不均一な運動を平均化してしまうからです。本研究では、不均一な運動の

    相関が時間とともにどのように失われるかを調

    べるために、凝縮相ダイナミクスを解明するのに

    有用な 2次元NMR法など非線形分光法を参照し、図4に例示する多時間相関関数を用いた動力学解

    析を提案しています。これにより動的不均一性の

    生成から消滅までの平均寿命を定量化し、2 点相関関数から決まる緩和時間との関係を見出して

    います。特に低温になり過冷却度が深くなると、

  • 溶液化学研究会ニュース No.69, 2016

    不均一性の寿命が分子運動の時間スケールから

    大きく乖離することを明らかにしています。多時

    間相関関数法によって動的不均一性の時間スケ

    ールの定量的・系統的解析が可能になりました[4]。

    多時間相関関数法は、非常に幅広い時間スケー

    ルを持つ多重的な動力学の解析に有効な手法で

    す。構造がランダムなまま分子スケールを越えメ

    ソスケールへ跨がる様々な分子集合系へ展開で

    きると考えています。

    図4. 3時間相関関数による t1間と t2間の運動相関の解析。待ち時間 tmに対する依存性から不均一性の寿命を決定可能

    7. MD と DFT の連成による溶媒系の有効電荷の決定

    カチオンとアニオンだけからなるイオン液体

    は、CO2吸収能やイオン伝導性の観点から面白い溶液特性を持ち、近年では、医薬品開発や潤滑

    油・電池電解液などへの応用もなされ、ますます

    重要な液体として注目されています。本研究では、

    分子シミュレーションと密度汎関数法を連成し

    た手法を用いて、イオン液体の基礎物性評価を高

    精度かつ容易に行うための分子力場開発を進め

    ています。

    イオン液体中のカチオンとアニオンは、溶媒効

    果に起因するイオン間電荷移動や分極により、実

    効的に非整数電荷(有効電荷)を持つと考えられ

    ています。有効電荷は拡散係数や粘性係数の値に

    重要な影響を与えることから、これを効果的に取

    り入れた分子力場の開発が望まれています。有効

    電荷の決定には、液体の構造ゆらぎを反映したカ

    チオンとアニオンの電子状態計算が必要です。そ

    こで、凝縮系の電子状態計算法である第一原理分

    子動力学法(AIMD)を用いた有効電荷解析が行われてきました。しかし、イオン液体のような高

    粘度液の構造緩和は、AIMDで計算可能なシミュレーション時間(数ピコ〜100ピコ秒)では捉えきれないという問題がありました。

    高粘度なイオン液体の構造ゆらぎを効果的に

    有効電荷の計算に取り入れるため、本研究では、

    分子動力学シミュレーション(MD)と密度汎関

    数法(DFT)を連成したMD/DFT自己無撞着計算法を提案しています。この手法では、図 5に示す手順により有効電荷を決定します。

    1) 既存の分子力場を用いて古典MDを実行 2) トラジェクトリーから、十分大きなサイズのクラスターを取り出し、DFT による電子密

    度分布計算から原子部分電荷を算出 3) 得られた部分電荷を用いて古典MDを実行 4) 熱力学量や輸送係数を評価し、部分電荷更新

    前の値との差を評価。もし、差が大きい場合

    は手順 2)と手順 3)を繰り返し、差が小さい場合は繰り返し計算を終了

    MD/DFT 自己無撞着計算法を用いると、イオン液体系の有効電荷を、実験からの情報を援用せ

    ずに、理論計算で決定することができます。例え

    ば、 [C1mim][TFSA] (1,3-dimethylimidazolium bis(trifluoromethylsulfonyl)amide)系に適用すると、C1mim+の有効電荷は 350 Kで 0.84 eと計算され(eは電気素量)、イオン間電荷移動の程度に応じて、低温で有効電荷が小さくなる(電荷移

    動が大きい)ことが見出されています。さらに、

    自己無撞着に決定した有効電荷を用いることで、

  • 溶液化学研究会ニュース No.69, 2016

    従来の分子力場では桁違いにずれていたイオン

    液体系の拡散係数を大幅に改善することにも成

    功しています[5]。 MD/DFT 自己無撞着計算法の適用対象はイオ

    ン液体に留まるものではなく、ポリマーなど緩和

    の遅い凝集系の力場構築に有用であると展望さ

    れます。さらに、溶質の電子状態に対する溶媒効

    果を取り入れる QM/MM 法などとは相補的に、凝集に伴う溶媒そのものの電子状態変化を取り

    入れたという点でユニークなものであると考え

    ています。

    図 5. MD/DFT自己無撞着計算法の手順

    8. 輸送係数の空間分割解析

    従来、中高濃度条件での塩挙動の記述には、2量体、3量体、・・・の生成定数や輸送係数をパラメータとする手法が用いられてきました。無限希

    釈条件からの摂動展開と見なすことができます。

    これに対して、MDシミュレーションの発達により、中高濃度条件の塩溶液を、「あるがまま」に

    取り扱うことが可能になっています。本研究では

    濃厚イオン系を対象とし、イオン会合状態のダイ

    ナミクス情報を、実測物性値である電気伝導度に

    即した形で取り入れて解析する枠組みを構成し

    ます。直感にアピールするイオン会合の空間描像

    を、時間相関関数を用いて定式化された

    Green-Kubo式に組み込む空間分割表式を開発し、時間的描像と空間的描像を統合した輸送係数の

    新規解析法の確立を目指しています。 電気伝導度の Green-Kubo 式は厳密な一般式

    であり、イオンの 1体運動を表す自己相関項と 2

    体運動に起因する交差相関項の和となっていま

    す。2 体の相対運動をイオン間距離で条件付けることにより、イオン種 Iの電気伝導度σIを厳密に

    σ I =ρI zI

    2

    kBTDI +

    zI zLρIkBT

    drρLg IL r( )DIL r( )∫L∑

    と書くことができます[6]。ここで、kB はボルツマン定数、Tは温度、ρI, zI, DIは、それぞれ、イオン種 I の密度、電荷、拡散係数であり、gIL(r)がイオン種 I-L間の対分布関数(動径分布関数)、r がイオン間距離、DIL(r)が距離 r にあるイオン対の相対運動を特徴付ける量です。上式は、各距

    離にあるイオン対の寄与の積分として表されて

    おり、時間の座標上で定式化されたGreen-Kuboの厳密論に、化学者になじみ深く直感にアピール

    する距離概念を導入したことになります。第 1項

    がNernst-Einstein式となっており、第 2項は希釈かつイオン対寿命が長いという条件で

    Ostwald希釈律の形に帰着します。そのため、全

    濃度領域における Ostwald 律の厳密拡張であると位置付けることができます。さらに、第 2項の積分を、あるカットオフ距離 λ 以内に制限し、積分値の λ 依存性を見ることで、イオンの 2体運動が電気伝導度に影響を与える空間範囲を決定で

    きます。

    上式に基づいて、古典的な 1 m NaCl水溶液や[C4min][TFSA](1-n-butyl-3-methylimidazolium bis(trifluoromethylsulfonyl)amide)イオン液体を

    解析しました。上記の空間積分を|r|< λ に制限

  • 溶液化学研究会ニュース No.69, 2016

    した時の積分値をσI(λ)とします。σI(λ)のカットオ

    フ距離λに対する依存性を調べることで、NaCl水溶液系では交差相関項の寄与が異種イオン対

    の第1配位圏に局在していることが分かりました。

    古典的な接触イオン対概念の妥当性を支持する

    結果です。これに対して、図 6 に見るように、[C4min][TFSA]では交差相関項の寄与が長距離

    に及んでいます。この原因は、イオン液体の

    charge ordering 構造にあります。同種イオン対と異種イオン対の動径分布関数は反位相でnmオ

    ーダーまで減衰せずに振動し、それが図に見られ

    るnmオーダーの振動挙動に反映されることを明らかにしました。

    上に述べた空間分割手法は厳密一般論で、様々

    な量に適用可能です。現在、他の輸送係数やスペ

    クトル量に関する定式化・適用も行っています。

    図 6. [C4min][TFSA]イオン液体系における電気伝導度σI(λ)のカットオフ距離λに対する依存性

    9. おわりに 以上、現在の研究テーマのいくつかについて紹

    介をしました。それら以外にも、フッ素化合物の

    界面特性やナノ液滴の吸着挙動、ミセルや逆ミセ

    ルへの物質分配、タンパク質-脂質膜の相互作用、

    イオン液体によるガス吸収やタンパク質機能改

    変などのテーマも手がけています。全てのテーマ

    に共通するのは、秩序とゆらぎを併せ持つソフト

    な分子集合系の機能を、分子間相互作用の知見に

    立脚して理解し制御することを目指す点です。 溶液化学は、いくつかの成分を混ぜた効果を研

    究する学問です。出発点が地に足のついたもので

    あるだけに、物理化学・分析化学・界面科学・高

    分子科学・生物物理学・分離工学・ソフトマター・

    移動現象論など広範な研究分野の基盤をなす分

    野であるとともに、本稿で述べた溶媒和概念の拡

    張に例を見るように、諸分野の融合や新規機能開

    発の核となりうる分野でもあります。我々のグル

    ープは、溶液と溶液の関わる現象の研究において、

    厳密な基礎の掘り下げ、および、産学連携も含め

    た応用展開を、一体として追求したいと考えてお

    り、今後とも、溶液化学研究会の皆様のご指導・

    ご鞭撻を仰ぎながら研究を進めていければと願

    っております。

    参考文献

    [1] S. Sakuraba and N. Matubayasi, J. Comput. Chem. 35, 1592-1608 (2014).

    [2] T. Kawakami, I. Shigemoto, and N.

    Matubayasi, J. Chem. Phys., 137, 234903 (9 pages) (2012).

    [3] Y. Yamamori, R. Ishizuka, Y. Karino, S.

    Sakuraba, and N. Matubayasi, J. Chem. Phys., 144, 085102 (14 pages) (2016).

    [4] K. Kim and S. Saito, J. Chem. Phys., 138 12A506 (12 pages) (2013).

    [5] R. Ishizuka and N. Matubayasi, J. Chem. Theory Comput., 12, 804-811 (2016).

    [6] K.-M. Tu, R. Ishizuka, and N. Matubayasi, J. Chem. Phys., 141, 244507 (11 pages) (2014).

  • 溶液化学研究会ニュース No.69, 2016

    <第 39回溶液化学シンポジウムのご案内>

    会期: 2016 年 11月 9 日(水)–11 日(金)

    会場: 産業技術総合研究所(共用講堂) 〒305-8561 茨城県つくば市東 1-1-1

    主催: 溶液化学研究会

    共催: (公社)日本化学会, (公社)日本分析化学会, 日本高圧力学会,電気化学会溶液化学懇談会,産業

    技術総合研究所

    後援: (一社)つくば観光コンベンション協会,つくば市

    討論主題:

    「溶液の物性と構造、溶液内の分子間相互作用と分子構造、生体分子と水、イオン液体、溶液反応などの

    溶液に関する諸問題」

    特別講演: 輿水精一 (サントリー酒類株式会社 名誉チーフブレンダー) ウィスキーの魅力と不思議

    大内幸雄 (東京工業大学) イオン液体/分子液体界面の直接計測と分子科学

    藤井朱鳥 (東北大学) 大きな水素結合クラスターの赤外分光

    プレシンポジウム

    日時: 2016年 11月 8日(火) 午後

    場所: 産業技術総合研究所(共用講堂) 〒305-8561茨城県つくば市東 1-1-1

    ・参加登録・発表申込開始: 7月 1日(金)

    ・発表申込締切: 8月 26日(金)必着

    ・予稿原稿締切: 9月 23日(金)必着

    ・参加登録予約申込締切: 10月 28日(金)

    ・発表形式: 口頭発表・ポスター発表 (プログラムの編成は実行委員会にご一任下さい。

    口頭発表の申し込み多数の場合はポスター発表に変更していただく可能性があります。)

    ・ポスター賞: 35歳以下の PD および学生のポスター発表講演者を対象にポスター賞を選考します。

    対象者は講演申込時に申請してください。

    ・参加登録費: 一般 5,000円(当日 6,000円), 学生 3,000円 (当日 3,000円)

    ・懇親会: 11月 10日(木)産業技術総合研究所内レストラン

    ・懇親会会費: 一般 6,000円(当日 7,000円),学生 3,000円(当日 4,000円)

    詳細はホームページをご覧ください。

    http://www.solnchem.jp/sscj/39/

  • 溶液化学研究会ニュース No.69, 2016

    <溶液化学研究会 2015年度収支決算書>

    1) 収入の部

    前年度繰越金 670,871円

    利息 146円

    溶液化学研究会年会費(振込手数料差し引き分) 303,000円

    要旨集バックナンバー販売 6,000円

    雑収入 216円

    ---------------------------------------------

    合計 980,233円

    2) 支出の部

    通信費(ニュースレター、会員名簿送付料ほか) 25,424円

    レンタルサーバー等契約料 9,699円

    WWW管理費(2014年 10月~2015年 3月分および 2015年 4月~9月分として) 120,000円

    第 38回溶液化学シンポジウム経費 37,796円

    事務補佐謝金 60,000円

    振込手数料 2,428円

    文具 4,605円

    電報料 8,056円

    次年度繰越金 712,225円

    ------------------------------------------------

    合計 980,233円

    以上

    ※年会費 2,000円のお支払いをお願いいたします。今年度の名簿と共に請求書と振込用紙をお送りさせ

    ていただきます。

    尚、過年度におきまして年会費未納分がおありの会員の方には、請求書にその旨を記載させていただい

    ておりますので、今年度分と合わせてお振込みくださいますよう、

    どうぞよろしくお願い申し上げます。

    発行所: 溶液化学研究会

    http://www.solnchem.jp/

    〒606-8502 京都市左京区北白川追分町

    京都大学大学院理学研究科化学専攻

    光物理化学研究室内 溶液化学研究会事務局

    Tel: 075-753-4026 Fax: 075-753-4000

    e-mail: [email protected]

    http://www.solnchem.jp/mailto:[email protected]

    160406_template_h_fomatted_解説_160609_revised.pdf160607_トピックス_神崎先生研究室めぐり(松林)160609_溶液化学研究会ニュースレター原稿160530_2015年度収支報告書_NL_69