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Instructions for use Title 我国における金政策の変遷について Author(s) 浅田, 政広 Citation 北海道大學 經濟學研究, 28(1), 117-138 Issue Date 1978-03 Doc URL http://hdl.handle.net/2115/31408 Type bulletin (article) File Information 28(1)_P117-138.pdf Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

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Title 我国における金政策の変遷について

Author(s) 浅田, 政広

Citation 北海道大學 經濟學研究, 28(1), 117-138

Issue Date 1978-03

Doc URL http://hdl.handle.net/2115/31408

Type bulletin (article)

File Information 28(1)_P117-138.pdf

Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

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117 cn7J

我国に,t'ける金政策の変遷について

I はじめに

H 金地金時価買上政策について

E 日本銀行金貿入法とその意義

W むすびに代えて

はじめに

浅田政広

「金本位制の崩壊は,同時に管理通貨制への移行である」と言われているρ

我国の場合,金輸出再禁止以降,その移行過程が開始されたとみなしてよい

であろう。管理通貨制の中身には,文字通りの通貨=中央銀行券の管理ばか

りでなく,為替の管理ならびに金管理が含まれよう。それらは互いに密接に

関連し合ってはし、るが,またそれぞれ相対的に独自性を有している。本稿は,

この金管理に関わる政策の事実経過をその変遷に従いつつ検討・吟味Lなが

ら,その目的ならびに意義について述べることを課題とするものである。な

お,金政策の対象としては, r金地金買上並輸出手続J(昭和 7年 3月),日本

銀行金買入法(昭和9年 4月〉および金準備再評価法(昭和12年 8月〉を取

上げるが,本稿では前二者を中心に論じ,後者に関する詳細については別稿

を用意したし、と考えている。

1) 酒井一夫「インプレーシヨンと管理通貨制』北海道大学図書刊行会, 1977年,

133頁。なお,同書第5章参照。

日 金地金時価買上政策について

内務大臣安達謙蔵による政民連立内閣の提唱は閣内の収拾すべからざる不

統ーを惹起し,かかる事態を直接的な契機として若槻内閣は昭和 6(1931)

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118 (118) 経済学研究第28巻第 1号

年12月12日総辞職を余儀なくされ,翌日日犬養内閣の成立と同時に,高橋蔵

相の下,金の輸出の再禁止がなされた。金再禁後,直ちに為替相場(外貨建〉

は下落し,金の市場価格は騰貴した。すなわち,金の市場価格は金再禁前 1

匁 5円 7銭で一定していたが,金再禁後は 5円50銭 6円 6円30銭,翌年

2月に入って最高 6円80銭へと騰貴しているのである。そして,このような

金の市場価格の動向は,為替相場,産金業者の買上問題および国内の金需要

に依存していた。

他方,金再禁前においては産金業者がその新産金を日本銀行と地金商に販

売する場合,前者に対する価格は造幣価格の 1匁 5円であり,後者に対する

価格は精製料が加味されて大体 1匁 5円2銭の卸売価格が成立していた。そ

れが金再禁後になると,卸売価格については為替相場で換算した金価格を主

張すQ産金業者と内需不振,ストッグ過多を理由にその価格を認めない地金

商との聞で折合いがつかず,結局,取引杜絶とL、う事態に至っている O さら

に,造幣価格すなわち日銀の金買入価格は 1匁 5円のままであり,それが為

替相場換算の金価格と大幅な聞きを生ずるに至って,産金業者より政府に対

して地金の時価買上に関する陳情がなされたので、ある。いま,その買上陳情

理由を「金地金御買上ニ関スル陳情書J(昭和6年12月28日〉にみると,まず

第ーに,1金輸出禁止時代は一般物価の騰貴により著しく生産費の上昇を招来

するを以って金鉱業は採算困難と相成」とL、う金鉱の採算上の問題であり,

第二に,1商品としての金の価格は為替の低落に伴いて騰貴するにも不拘日本

銀行の買入価格が不変なるが放に其結果として金の産額は其増加の趨勢を止

むるのみならず却而減少する憂あること J,そしてついには日銀べの金納入が

杜絶する懸念があることであり,第三にJ自己の産金を海外に販売し得ると

せば為替の低落したる丈対価を増加」出来るけれども,輸出が禁止されてい

るので産金は市中に販売せざるをえず,しかもそこでは内需不振によって

「価格の低落を来し延いては金の圏外への不正逃避を促す結果と相成」とい

う密輸出の激化への懸念で、あった。かくして,以下のようにその陳情書を結

んでいる。

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我国における金政策の表湛について 浅田 119 (119)

「依而下名各社ハ金輸出禁止ニヨリテ産金業カ蒙ノレコトアノレ可キ打撃又

其結果トシテ予想、セラノレノレ金地金ノ国外逃避ヲ防キ進ンテハ正貨擁護ノ一

対策トシテ最モ簡単ニシテ容易ナノレ御買上方法即チ日本銀行ニ於テ産金業

者ニ対シ其産金ヲ対外為替相場ヲ規準トセノレ価格ヲ以テ御買上相成様速ニ

適当ナノレ御方策御制定相仰度左スレハ叙上ノ目的ヲ相達シ候ノミナラス又

一面産金奨励ノ助成ノ趣旨ニモ相添可申事カト相信申候」

すなわち,ここに掲げられている金の買上価格引上げの諸理由は,産金業

者の立場からすれば,至極当然のことであったといえよう。けだし,産金業

者にとっては金の価格が金の価値のe実現としてあらわれるからである。金生

産を維持・継続させるための諸生産手段(金鉱労働者の諸生活手段を含む〉

をふたたび購入しうるに足る金価格,換言すれば平均利潤を得るに足る金価

格を金鉱資本は要求するのである。

しかし, 1950年代に盛んであったし、わゆる金価格引上論におけると同様の

理論的誤りが,ここにはすでに存在している O それは,1商品としての金価格」

すなわち金の市場価格の動向に即応して買上価格を変更すべきであるという

ように,金の市場価格の変動を全て価格標準の変更として把え,市場価格に

価格標準を意味するものの他に,単なる金の需給関係の反映を意味するもの

のあることの認識が欠如していることである。また同時に,同種の誤りは為

替相場の変動論にも窺える。すなわち為替相場の低落を価格標準の切下げと

いう一色で塗りつぶし,為替相場の変動に,それが事前的にしろ事後的にし

ろ金平価=価格標準の変更を意味する名目的な変動と当面の国際収支の状況

を反映する為替需給によって変動する実質的な変動との区別の理論的把握が

無いということである。

とはし、え,前述の如く,産金資本の立場からすればいずれの理由ももっと

もなことではあった。

かかる産金業者からの金買上に関する陳情は翌 7年の 1月25日に再びなさ

れ,結局 3月4日政府は「海外支払ニ充当スノレ」という目的をもって1金地

金を時価で買上げることを内容とする「金地金買上並輸出手続」を決定する

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120 (120) 経済学研究第28巻第 1号

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一 一 一一 一三六三六九二五 八一四八二四七

七七七七七七七七 七七七 七 七七相買-・・・・・・・・・・

一ームコ一一一一一一 一 一=四 一 円場上七八七七八七八一 三八 五五 五五

一一一一一一一 一一一一一一一一一一一一一一一一 一一 一一 一替対一一一一一一一一一一一一一一

一一一一一 一一 一一一一一 一一一一一一一一一一一一一一 一一一一一 一一・

相米

e 335353E83242弗場為

八 七年、

一 一一、

四三一 一 一 -0九 八七六、、、 、、 月一一一一 一 一 一

四七 0 0九九八七九九九八六 O 日

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八二二三三四三九O五六四八七四 場上八五九七三四七 六八六七四七

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二一一 0000二三三 四七七 一替対

相米八五一三O七七一九三五七四五三九O七 O四三四九O七三 五弗

三九四六 O六四六一 一三三七 OO 場為

(備考〉 日木銀行「金輸出再禁止後の我国金事情」『日本金融史資料」昭和編,第29巻, 50頁より。

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我国における金政策の変遷について 浅田 121 (121)

表 ll-2 政府買上金の処理状況

数 -EEE ヨー {illi J額

貝国 入 128,980,074.2伺5

現 送 43,680,327.2 買 入原価 94,547,873.26

現 jき 費 614,535.92

計海外所有価額 95,162,409.18

日本銀行へ譲渡 13 ,955,539.21 買入原価 34,432,200.99

金 利 219,337.42

計日銀譲渡価額 34, 651 ,538.4 1

C備考〉 日本銀行「金輸出再禁止後の我国金事情J~日本金融史資料J 昭和編,第29巻52頁より。

表 ll-3 国際収支(百万円〉

貿易収支 貿易外収支

輸 入|出入(ム〉超 足Jく之ー 取 i支 払|受払(ム〕超

昭手口6 1,179 1,319 ム 140 886 1,035 ム 149

7 1,457 1,525 ム 67 772 770 2

8 1,932 2,018 ム 85 987 898 89

9 2,258 2,400 ム 142 1,055 1,094 ム 39

10 2,603 2,618 ム 15 1,206 1,399 ム 193

11 2,798 2,928 ム 130 1,566 1,602 ム 36

12 3,319 3,955 ム 636 1,800 2,379 ム 579

13 2,897 2,836 60 2,530 3,368¥ ム 838

(備考) 1. 貿易収支は日銀調査局『昭和14年本邦経済統計Jl8J頁より o

2. 貿易外収支は同『本邦主要経済統計Jl306頁より。

出入Cム〉超

ム 289

ム 65

4

ム 181

ム 208

ム 166

ム 1,215

ム 778

幾分緩和しえん土いえ,金再禁後約 1年余向け る 最 高49÷ ドノレから最

低20ドルまでの約60%におよぶ為替相場の低落傾向そのものを阻止すること

は出来なかったので、ある。けだし,輸出を増進させ輸入を減少させることを

通して恐慌からの脱出をはかるために採られた政府の為替相場に対する自由

放任という態度に,それはまず帰国している。さらに,次のような分析が可

能であろう。それはまた,政府の自由放任とし、う態度が客観的に政策たりえ

た経済学的根拠を明らかにするものである。すなわち,第 1に為替相場の実

質的変動要因とよばれる閏際収支の状況(昭和 7年〉についてみれば,依然

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122 (122) 経済学研究第28巻 第 1号

として赤字基調であって(表1I-3参照),このことから当然にも為替相場の

下落が規定づけられ,さらにそれを見越した投機が加わることによって為替

相場の下落は一層強められているとみてよいであろう。さらにまた,このよ

う、な実質的要因からばかりでなく,名目的な要因すなわも国内の貨幣価値減

少の面からも為替相場の下落を説明しうる。すなわち,金の価格が 1匁 5円

から 7円25銭へと政府によって引上げられたことは貨幣価値の減少=I事実

上の平価切下」すなわち価格標準の切下げ、を意味したとみるべきであって,

このことは,たとえば深井英五の次の一般的な言葉の内にも明らかなことで

ある O すなわち,当時の日銀副総裁深井英五は政府による産金時価買上政策

に関説して,[金地金相場は通貨の金価:格を表示するものと一般に思われてい

る。殊に政府の定むる買入値段であればその感想は一層濃厚となるだろう」

と述べている。ここには「金地金相場J=市場価格と「買入値段J=買上価

格ーとの明確な理論上の区別はみられないが,少なくとも政府による金買上価

格の引上げが園内の貨幣価値の低下を意味していると把握している点は正し

いとして認めるべきであろう。かくて,[政府は『時価」買上を行うことによ

って地金に対する決定的な買手として登場し,貨幣法に縛られる日銀はもは

や金の買手とはなり得なくなった。しかも,政府のいう『時価』とはインフ

レーシ冒ンの進行の度以上の割合で暴落した為替棺場を基準とするものであ

った。従ってそれはインフレ政策の事前の確認を意味すると同時に,このよ

うな特別の『時価』で現実に地金を買上げその対価を支払うことによって産

金業者に特別の利潤を与え,かくして,インプレーションを事実上促進して

行った」のである。このような事前的な貨幣価値の減少=価格標準の切下げ

と同時に,恐慌脱出費・戦争遂行費等([時局匡救費Jや「満州事件費」など)

両費用の増大に規定づけられた通貨膨脹=貨幣価値減少の予想、にもとづく為

替投機も加わることによって,為替相場の下落がもたらされていたので、ある。

以上から明らかな如く,投機が加速要因として付加しつつ,実質的要因と

名目的要因の双方から為替相場の下落ほ規定づけられていたのであって,わ

ずかの金現送を行うだけで、はそれが幾分緩和作用を果たしえたとはし、え,そ

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我国における金政策の変遷について 浅田 123 (123)

の基本方向を変えることは出来なかったので、ある。とはいえ,上述のような

産金奨励策の一環としておこなわれた金の時価買上策は,一つにその結果と

して為替対策としての若干の意義を持ったと同時に,金の買上価格を引上げ

ることによって,客観的に事前的な価格標準の切下げをもたらしていったと

いうインフレ政策としての意義を有したことをも認むべきであろう。

そして,為替の思惑取引,為替投機の禁止ならびにそれ以外の為替取引に

関しては大蔵大臣の許可を必要とするという条項等を盛り込んだ外国為替管

理法(昭和 8年 3月〉による強力な為替相場安定策の実施と,さらに低為替

政策が効を奏して国際収支の改善をもたらしたこともあって,海外への金現

送の必要性が希薄化するに至り,ここに「金地金買上並輸出手続」が不要と

なった。しかも,貨幣法による価格以上の価格での産金の買上げ自体を止め

ることは,産金奨励策からみても無謀なことであり,同時に準戦時体制下に

あった日本帝国主義にとって金の国内保有の必要性がますます緊要となるに

したがい,金政策上の変更の必然性が形成されたので、ある。

最後に,蛇足になるかも知れないが,後の蔵相津島寿ーが産金時価買上政

策の意義について,昭和11年に東京帝国大学経済学部において講演している

ので,それの簡単な紹介と論評をおこなって,本章を閉じたし、と思う。

さて,津島は次のように語っている。

「昭和 7年 3月以来政府は国庫金を以って金地金の買入を開始しました。

政府としては之を海外支払に充当し,之に依って政府海外払の為替市場に

及ぼす影響を緩和し,尚又金買上値段の按配に依って政府海外払に於ける

国庫の負担の軽減ともなると云うので,誠に一石二鳥も三鳥も四鳥もの措

置を採ったので、あります。J

この発言が昭和 9年 3月第65議会における高橋蔵相の言葉(注 8参照〉に

由来していることは明白であるが,ここでは「一石二鳥も三鳥も四鳥もの措

置」として金地金買上策を激賞している。すなわち,一烏は当然のこととし

て産金奨励だとすれば,あとは海外払への充当,為替下落の緩和,国庫負担

の軽減等々 3 様々な効果をもたらしたと評価しているのである。しかしなお,

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124 (124) 経済学研究第28巻 第 1号

それを五鳥目として数えてよいか否かは分らぬが,もう一つ重大な客観的意

義があったので、ある。津島も高橋と同様,それを看過している。すなわち,

それは前にも述べたように,為替相場の低落を規定づけていったー要因であ

ると同時に,インフレ政策としての意義を有した金の買上価格引上作、の効果

すなわち価格標準の切下げ、をもたらしたという客観的意義であり,彼等にお

いてはそのことに関する認識が欠如しているのである。

そして,このインフレ政策としての意義は次章にみる日本銀行金買人法へ

と継承されてゆくのである。

1) この安達内相の行動について「十月事件」との関連で説明する研究(大島清『高

橋是清』中央公論社,昭和44年〕もあるが,しかしそれで、は,この期における日

付上のあまりのタイミングの良さについては説明できそうにない。すなわち,い

わゆるド・ル買合戦において,この期政府側は優位に立っており, ドル買側に対す

る最後通牒とも言うべき r15日以降は解合に応ぜず」とL、う正金の決定を10日に

みており,これが実施されれば,年内物のドノレ為替を大量に抱え込んで、いたドソレ

買側は非常なピンチに陥る筈だったので、ある。しかるに,上述の安達内相の奇ー怪

ともいえる言動によって, 11日に総辞職が決定され, 12日に総辞職, 13日には新

内閣の成立をみるというように,実に慌しく政変が生じ,その結果ド、ル寅側の思惑

通り金再禁によって為替相場は激落しその分だけドル買側に投機利潤が転りこ

んだわけで、ある o このようなタイミングのよさは,やはり当時における「ドルを

買っておいて,さてそのもうけを握るためには,政府をして金再禁止を行わしめ

なければならぬ。しかるに民政党内閣は断じてそれを行わぬ。政府をして金再禁

止を行わしめるためには政変を起す必要があった。果して政変が起ったJ(馬場恒

吉の見解,長幸男「昭和恐慌』岩波書j苫, 1973年, 142頁よれなお傍点は浅田〉

という見解の 1つの有力な傍証であろう。

なおJ'昭和7年版朝日経済年史』では「最後通牒」が朝日新聞に報道されたの

は10日付であるとしているが,これは11日付の誤りである。

2) 日本銀行調査局「本邦の金に就てJr日本金融史資料」昭和編,第20巻, 299頁。

3) 向上書, 299~300頁。なお,本文中のヲ聞は,片仮名を平仮名に直しである。

4i このことに関する詳細は,酒井一夫,前掲書,第七 2章および,岡橋保『金の

価格理論』第 2~4 章, r現代インフレーション論批判』第5章参照。

5) このことに関して,猪俣津南雄は,金鉱資本家に巨大な利益を与えるものでしか

ないとして,次のように述べている。「日本の金鉱所有者は三菱,久原.等,いづ

れも巨大資本家だが,彼等l土金本位停止後しきりに『金を時価で買上げろ』とい

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我国における金政策の変遷について 浅田 125 (125)

って政府に迫ってゐた。政府は,…間もなく,金の「時価買上げ』を開始した。

時価買上げといふのは,一匁の金に対 L,七円とか八円とかの見換券を金鉱資本

家に与へるもので,その割合は大体その時々の為替相場によって定めるのだ。 fYU

へば,為替相場が,三0%下落して,三五弗ほどであれば,金一円(匁の誤り〕

に対して五円の四割三分増の七円十五銭を与へるといふが如きである。四月十九

日の『買上げ価格』は七円十一銭であった。それは言ふまでもなく金鉱資本家に

巨大な xx (利潤?)を与へるものだ。なぜなら,為替相場は三0%下落してゐ

ても,国内物価は僅かしか騰貴してゐないのだし,金の生産費の騰貴は尚更ら少

ないのだ。J(猪俣『金の経済学』中央公論証,昭和7年, 907~908頁。( )の中

は浅田〉。

6) 日銀調査局,前掲書, 302頁。原文の片仮名は平仮名に直した。なお, r金地金賀

上並輸出手続」ではその目的を第 1項に「政府ハ海外支払ニ充当スノレカ為メ金地

金ヲ時価ニ依り買上ク」と規定している。

n 日本銀行調査局「金輸出再禁止後の我国金事情」昭和10年『日本金融史資料』昭

和編,第29巻, 50~52頁。

8) 高橋是清は昭和9年3月8日,衆議院における日本銀行金買入法の提案理由の中

で次のように述べている。「政府ハ昭和七年三月以来外国為替ヲ買入レテ海外送金

ヲ為ジテ居リマシタガ,今其代リニ国庫ノ勘定ヲ以テ,内地産金ヲ買上ゲルコト

与シテ,之ヲ海外ニ現送シテ,政府ノ海外支払ニ充当シ,以テ金輸出再禁止後ニ

於ケル我国産金業者ノ函難ヲ緩和、ン、産金奨励ニ資シテ来タノデアリマス,此所

作ハ偶々政府海外払ノ;為替相場ニ及ボス影響ヲ低減スル結果トモナツタノデアリ

マス」と。「衆議院事務局『第65回帝国議会衆議院議事摘要上巻, 488頁〕。

また同日,小笠原三九郎に対する答弁の中に次のような言葉もある。「為替相場

ガ,昨年アタリハ下リ出、ンテ来ルト云フト,或ハ何処マテ、下ルカモ知レヌト云フ

ヤウナ,恐怖ノ念ガ財界ニ生ズル,不安ノ;念ヲ生ズノレ,余リ急激ニ下落シテモ困

ルノデ、アノレ,其当時幾ラカ政府ガ為替ヲ経テ公債ノ利払等←ー海外ノ支払ヲ為替

ニ依ッテスノレコトヲセズジテ,買入レタ金ヲ輸出シタト云フコトハ,急激ニ為替

相場ノ下落スノレト云フ其勢ヲ,幾ラカ挫イタダケノ利益ハアノレノデアリマスJ(小

笠原『金買入法と金の諸問題』立命館出版部,昭和9年, 183頁。また,衆議院

事務局,前掲書, 501頁)。

9) 高橋蔵相は昭和7年 1月に「政府の為替政策に就いて各方面から種々の質問を受

けるが自分一個の考へとしては全く人為的にどうするのでなく為替相場の成行に

任せたいと思ってゐるJ(日銀調査局『日本金融史資料』昭和編,第21巻, 404頁〕

と誇っている。かかる自由放任政策は昭和8年3月の米国の金本位制停止まで続

けられ,同年5月からは放任策転じて外国為替管理法が実施された。

10) 酒井一夫,前掲書, 149頁。

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126 (126) 経済学研究第28巻第1号、

11) 深井英五『金本位制離脱後の通貨政策』千倉書房,昭和13年, 332頁。

12) 日調銀査局「満州事変以後の財政金融史」昭和23年「日本金融史資料』昭和編,

第27巻, 33頁。傍点は浅間。

13) 津島寿一「我国の国際貸借及対外金融に就て」昭和11~三,日銀 F日本金融史資料』

昭和編,第20巻, 550頁。

回 日本銀行金買入法とその意義

日本銀行金買入法案は昭和 9 (1934)年 3月4日第65回帝国議会衆議院に

提出され,同院における討議・可決を経た後,貴族院に送付,同院において

同月24日可決奏上され 4月 7日その公布・施行ーをみた。

衆議院では 3月 8Flに高橋蔵相がこの法案の提案理由を次のように説明し

ている。すなわち前章注 8に引用した発言に続いて,r然、るに最近に於ける国

際経済の情勢は,著しく変化致しましたのみならず,我が国際収支は顕著な

る改善の跡を示して居・ります,そういう実情に鑑みまして,金は成べく之を

園内に保有し正貨準備の充実を図ることが適当と認められるに至ったのであ

ります,然、るに現行の金の買入方法に依りますれば,金は之を海外に現送す

ることを要しますので,この方法では金を園内に保有する目的は達成せられ

ないのであります,のて金の保有高の増加を図り併せて産金奨励に資する為

に,日本銀行をして金の買入を為し,之を保有せしめ,是が為め政府は日本

銀行に対し当分の間一億円を限り債務を負担する必要がありますので,主主に

本法案を提出した次第で、あります」と述べているのである。

すなわち,国際収支の改善によって金の海外現送の必要がなくなり,さら

に国際情勢からみて金の園内保有の必要性が生じていることをその提案理由

としているのである。産金奨励というのは金の園内保有という目的を果たす

ための一手段にすぎなし、。それは,昭和 7年の金地金時価買上政策における

政府の海外支払という目的に産金奨励策が従属していたことと同様である。

さて,提案理由のーっとしてあげられている国際収支の改善についてであ

るが,たしかに昭和 6年の 289百万円の赤字から昭和 7年には65百万円への

赤字へとその改善の跡を示し,昭和 8年にはわずかではあるが百万円の出超

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我国における金政策の変遷について 浅田 127 (127)

を示している。しかし,それは貿易収支の赤字を貿易外収支の黒字が埋める

という形においてであって,貿易収支の赤字基調においては変化がない。昭

和 9年においては,もはやそのパターンは崩壊し,大量の貿易収支の赤字と

ともに貿易外収支も赤字に転化し之総合収支は昭和 7年以上の赤字を示し

ている。そして,この国際収支の支払超過は以後永年に渡って継続されるの

である(前掲表 II-3参照)。結局,国際収支の改善と言い得るのは昭和 7,

8年のみで、あって,その傾向から以後の改善を予想Lて提案理由としたので

あれば,すでにその見通しにおいて誤っていたと言わざるをえないであろう。

提案理由の第二は「国際経済情勢の変化」ということである。それが具体

的にいかなる事態を指すのか,その明確な説明は見られないが,アメリカに

おける1933(昭和 8)年 3月の信用恐慌に帰因する一連の諸対策の一環とし

ての同年秋以降の金買上政策ならびに翌年 1月末の平価切下げ、等,米国通貨

制度の改善に強く影響されたことは確かであろう。

この点に関しては,本法案に対する衆議院における質問者であり,かっ理

事でもある小笠原三九郎(政友会〉が「海外事情から云ふならば,昨年六,

七月の倫敦会議以来各国とも一層金吸収に大童になって居り,北米合衆国等

の如く勿論他の意味も含まれては居るが,可なり大規模に金の買上蒐集をや

って居る国もあることだから,我国としても将来の国内産金を国内に保有す

るの必要が緊切となって来たのである」と述べているO ここにいうロンドン

会議とは,世界大恐慌からの脱出をはかるための国際協調を意図してアメリ

カの提唱により, 1933年 6~7 月の期間,ロンドンで開催された通貨経済会

議 Monetaryand Economic Conferenceのことである。会議は経済委員会と

通貨財政委員会とに分かれたが,とくに通貨財政委員会の第2分科会におい

てはアメリカの原案となる「修正金本位案」を中心に論議された。すなわち,

金は対外決済用のみに用い,その管理は中央銀行がおこなう,また中央銀行

の金準備率を引下げ,その通貨発行力を増大させるといういわば管理通貨制

の原型を含んだともいえる原案に沿って会議がもたれたので、ある。しかし,

「世界の多数の国が金本位制を離脱し,他方ではまた金ブロ y ク諸国が金本

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128 (128) 経済学研究第28巻第手

位制を維持している現実において,貨幣制度にかんして世界的な合意の成立

は困難」であり,しかもアメリカ側の態度変更もあって会議は不調に終わっ

たので、あるが,結局,この管理通貨制への方向は1936年 9月の三国協定を経

て結実していくように,その採用がし、ずれ資本主義各国に波及ー必然、化して

ゆくものだったので、ある。当時の,このような「金節約」の方向の具体的に

あらわれたのが各国における金の「吸収」一国内保有の動きであった。そし

て,その目的の 1つに,漠然としたものではあったが,将来における金本位

制の復帰のための準備ということが措かれていたので、あった。この点は,小

笠原の「政府は本法制定に依って,我国の金本位の復帰を促進する所の,一

準備工程とする所の御考を持って居られるか」とし、う質疑に対して,高橋蔵

相が「理想、としては,早く世界中皆金本位に復帰して,為替相場が安定して,

そうして互に此貿易,有無相通ずる途の自由を聞けることを望む」と述べて

いる所からも明らかである。

しかしながら,このような通貨制度の改革の側面からのみ金の圏内保有を

動因づけることは出来ないであろう。当時の世界的政治関係にも限を転ずる

必要がある。すなわち,日本が満州事変を契機として,昭和 8年 3月に国際

連盟から脱退するとともに,また同年ドイツではナチスが政権を獲得し,日

本同様国際連盟を脱退している。このような戦争気運の醸成・進展が対外決

済用=世界貨幣としての金の圏内保有を必要ならしめたことは想像に難くな

いのである。

たとえば,この法案について小笠原三九郎が「目下日本の金保有額は,之

を主要各国に比較すれば,御話にならぬほど貧弱至極でありまして,金本位

制復活の容易ならざるものあるを思わしめるばかりでなく,一朝有事の日あ

ることを考えますよ,真に寒心禁じ得ざるものがある」とする立場から質問

したのに対して,高橋蔵相は「国家有事の時に於て,いま日本銀行が所有し

でいるような金の数量では,如何にも憂慮、に堪えぬということは,成程其通

り御考になるのも無理はない,国家有事の時に,僅に四億足らずの金保有し

か我国にないと云ふことになれば泊に心細い」と答えている。それゆえ,こ

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我国における金政策の変遷について 浅田 129 (129)

れらの言葉から察すれば,国際経済情勢の変化とは国際政治関係の悪化にほ

かならず,一朝有事すなわち戦争の勃発というよりむしろその飛躍的拡張を

予想して金の園内保有が規定づけられてドたと言っても決して過言ではない

と思われるのである。

さて,上に述べたことから次のことが明らかである。すなわち,日銀金買

人法の「国際収支の改善」と「国際経済情勢の変化」という表面上の二つの

提案理由については,国際政治関係の進展・悪化をも含めて後者が真の理由

であって,前者はその目的遂行上の単なる切掛けにすぎないということであ

石。

こめようにして金政策は海外現送のための金確保から将来における金本位

復帰と戦争準備のための国内金保有の強化(正貨準備拡充〉へとその目的を

転換するのである。いま,その目的の達成度を日本銀行の金準備量とその率

でみるならば表皿-1の如くであるρ まず金準備についてみれば,金買入法

施行以来,金現送が再開される直前の昭和12年 2月まで,それが順調に増大

していることがわかる。すなわち,昭和 9年 3月の約4億2500万円よりコン

スタントに増え続け,昭和12年 2月の約5億5600万円へと約 1億3100万円の

増加をみているのである。この間,買上価格は 1匁11円6銭(19 2円95銭〉

から13円12銭 5厘(18 3円50銭)に引上げられているが(表III-2参照〉

金準備としては,貨幣法の規定どおり 1匁 5円 (750mg=1円〉の価格で

評価,繰入れられている。それゆえ,量としては 1億3100万円を 1匁 5円で

換算して得られる98.3tが新たに増加しているわけである。この聞の金輸出

入についてみれば,わずか14万 9千円の輸入が存するのみであり(表皿-3

参照)したがってよ述のような金準備の増加はほとんどもつばら金買人法に

もとづく買入額の増大によるものである。すなわち,本法における正貨準備

拡充の一応の目的は果たしえたといえるわけである。

さらに金準備率についてみる!ならば,買人法施行直前の昭和 9年 3月の

33.4%から昭和 9年平均の34.5%,昭和10年平均の34.9%,昭和11年平均の

35.1%を経て金現送が再開される直前の昭和12年 2月の36.4%へと着実な増

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130 (130) 経済学研究第28巻第 1号

進をみている O すなわち,本法がたんに金保有高の増大ばかりでなく,準備

率の増大をもたらしたという点を指摘しなければならないので、ある。この点

に関して, u満州事変以後の財政金融史』は,日銀の買入価格と貨幣法に定め

られた価格との差が後者よりも大であり(すなわち,この差はすで、に当初に

おいて 6円 6銭であり,買入価格の引上げに従ってさらに聞いてゆく),その

差額を政府が負担して無利子の借入金証書を発行し,これを日銀がその保証

表直一 1 日銀券発行高,準備および金準備率

一年 月 年E~月d of 末 内 訳 Coveied by

準備| |保Securities証Year & Month Year & Month Gold 率

H 千円 千円 宇多898,千89同4 9, (1934) 1・ 1,323,963 425;069 -32.1

2…… 1,280,169 425,069 33.2 855,099

3-…・ 1,270,600 425,069 33.5 845,530

4…・・ 1,290,709 428,675 33.2 862,034

5…… 1,221,296 452,975 37.1 768,321

6・・・ 1,294,504 455,504 35.2 839,000

7・・・ 1,241,429 456,933 36.8 784,496 8….. 1,232,996 458,516 37.2 774,480

9…… 1,223,466 460,028 37.6 763,438

10・・・・・・ 1,289,502 462,246 35.9 827,256

11・・・ 1,318,665 464,335 35.2 854,330

12・・ 1,627,349 466,338 28.7 1,161,010

(年平均〕 (1,301,221) (448,396) (34.5)

10,(1935) 1・ 1,449,147 468,413 32.3 980,734 2・ u 1,327,417 470,606 33.5 856,811 3..…・ 1,334,07.1 472,021 35.4 862,049

4…… 1,354,970 474,187 35.0 880,783

5…… 1,280,854 477 ,881 37.3 8(12,972

;6…… 1,376,245 482,016 35.0 894,228

7…… 1,305,692 485,840 37.2 819,852 8 ・・・ 1,296,296 489,670 37.8 806,625

9…- 1,322,003 492,620 37,3 .- 829,383

10・・・ 1,390,428 495,773 35.7 894,654

11…… 1,442,778 499,737 34.6 943,040 12...... 1,766,555 504,065 28.5 1,262,490

(年平均〕 (1 ,387,205) (484,402) (34.9)

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我国における金政策の変遷について 浅間 131 (131)

年 月年En月dof 末

/1'1 訳 Coveh:d bv--

Year & Month Year & Month 準 備 |Gold 率 |保Securities証

月 千円 千円 % 11. (1936) 1…ー 1.480,977 506,994 34.2

2…… 1,657,008 510,533 30.8 3ハ ・・・ ・・ 1,428,037 512,595 35.9

4…… 1,437,642 515,502 35.9 5・・ ・ 1,371,255 519,934 37.9 6・・・・ 1,490,781 524,103 35..2

7…… 1,400,677 529,182 37.8

8…… 1,474,770 533,161 36,2

9・・ ・ 1,423,325 536,607 37.7 10 ….、 1,452,967 540,195 37.2

11…… 1,503,986 544,326 36.2

12…・・ 1,8&5,703 548,342、 29'¥,4

〔年平均〉 (1, 498,927) 526,790) ~35. 1)

12.(1937) 1 ・・ ••• 1,586,001 552,575 34.8

2 …・・ 1,528,617 556,054 36.4

3…… 1, 569,296 540,282 34.4

〈備考〕 日銀調査局『本邦経済統計」昭和10年, 11年版より作成。

表 ill-2 金価格(1匁ニ付円〉

日本銀行 東京金市場価格

金買上価格 最 高[最 低

昭和 9. 3. 9.94 13.00 12.60

4 11.06 13.00 12.70

10. 1. 11.58 11.90 11.70

11. 5. 13.125 13.50 12.50

12. 5. 14.137 14.20 13.50

(備考) 1. 日銀金買上価絡の昭和9年4月6日以前は,

政府買上価格である。

2. 日本勧業銀行調査課「金融経済統計」昭和12年11月, 102頁より作成。

千円

973,983

1,146,474

915,441

922,139

851,320

966,678

871,494

941 ,百O~

886,717

912,771 959,660

1,.317,360

1,033,426

972,563

1,029,013

準備に充てるとし、うことを根拠に,日銀が金を買入れれば買入れるほど「政

府の借金による準備が多くなって」日銀券の金準備率が低下することを主張

し,その歴史的事実と Lて昭和 9年 3月末と昭和10年末の金準備高とその準

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132 (132) 経済学研究第28巻 第1号

備率を見,前者が 4億2500万円か

ら5億 400万円へと約19%増大し

たのに対し後者は ¥34%から29%

へと逆に低落した」と述べること

によって,あたかも自らの理論の

正当性を実証しているかのようで

ある。なるほど日銀の買入価格と

準備繰入時の評価価格との差が後

者より:込大なのであるから,その

表1ll-3 金貨・金地金輸出入(千円)

昭和平月|輸 :u 1 輸 入

5 308,634

6 419,856

7 112,700

8 20,925

9

10. 7

12

11. 11

12. 3 I 48,751

21,884

31,661

642

6

67

72 10

(備考〉 日銀調査局『昭和11年本邦経済

ことだけで理論を構築するのであ 統計Jln頁より作成。

れば,日銀が金を買入れれば買入れるほど準備率が悪化するというのは全く

の道理であろう。しかし,その際の借入金証書だけが日銀券発行の保証準備

となるのではないのである。もしそのことに対して幾許かの注意を怠らなか

ったならば,上のようなかくも単純な「理論」は出てこなかったで、あろうと

思われる O さらに,その「理論」を実証しようとして,昭和 9年 3月末と昭

和10年末とを取上げているのは甚だ強引で恋意的なものと言わざるをえない。

年末には手形の再割引が増えるために,特別に保証発行が急増すiるのは当然

のことであり,そのような特殊的時期と一般的な時期とを比較することがし、

かに無意味で虚しいものであるかはもはや明瞭なことであろう O 実際に金準

備率が悪化してゆくのは金現送が始まる昭和12年 3月以降であり,実質上の

決定的な低落をみるのは同年 8月の金準備再評価法以後のことである。

日銀金買入法の目的達成度あるいは成果に関しては以上に述べたものの如

くである。次いで,買人法が客観的に有するその意義について考察を進める

ことにしよう。

大内兵衛教授は「日本銀行金買人法の意義について」と題する論文の中で,

法律条文の解説をした後,この法律についての注意すべき点として次の三点

をあげている。すなわち,その第一点は「日本銀行の銀行券及びその準備に

ついて,この法律により政府の権力的な要素が非常に強大となった」という

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我国における金政策の変遷について 浅田 133 (133)

こと換言すれば「銀行券の国家紙幣化の著しい過程」で、あるということであ

る。第二点は,この法律が将来における平価切下げを予想しており「すでに

始まっているインプレーションはこのままに進行させるということを是認し」

ているということである。第三点は,金の生産費の上弁とともにやがて買上

価格も引上げられざるをえず,そのことによって「インフレーションの一層

の発展の possibilityJが暗示されているということである。そして,これら

の点を総合,要約し,本法の意義として次のように述べている。すなわち,

「この法律の意義をもう一度かんたんに言って見るならば,この法律はイン

フレーションの進行が生み出したところの貨幣制度上の補擁工作であるが,

それ自身と Lてインフレーショ γをチェ y クする作用はなiいのは勿論,むし

ろそれを促進する possibilityをもった一つの過渡的な権力的な仮工作で、ある

と言えるのである」と。

この要約からも窺われるが,注意すべき点としてあげている三点は,実は

次のようなこつの意義として把握して差支えないように思われる。すなわち,

その第一の意義は日銀券の中に国家紙幣的要素がさらに強化されたというこ

とである。昭和7年末の日銀の赤字国債引受けによって日銀券はその信用貨

幣性を未だ保ちつつも不換紙幣性を増してくるが,日銀金買入法における政

府の借入金証書を保証準備としての日銀券発行は,その紙幣性の強化という

意味において赤字国管引受けによる日銀券発行と異なるところはないのであ

る。むしろ,赤字国債引受けに加えて借入金証書保証が付加されたというこ

とは,日銀券における国家紙幣性がさらに濃厚になったものと規定できょう。

大内教授が述べるところの,1政府の権力的な要素」の非常な強大化というの

は以上のように理解すべきであろう O

また上述の意義と関連するが,上述のような銀行券に対する視角と同時に,

中央銀行としての日本銀行自体が国家機構の中に組み込まれ,独占体の運動

に規定されつつ政府の意のままにされる可能性をもつものとして,すなわち

国家独占資本主義一「管理通貨制」の一過程と Lて本法の意義を把える乙と

も可能と思われる。たとえば,1日銀はこの法律の実施によってその業務の核

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134 (134) 経済学研究第28巻 第 1.~J

心ともいうべき日銀券の発行において,政府の権力に依存する度を強く L,

それだげ政府は日銀をその核心において自分の方に引寄せたわけで、あった」

といわれているが,これはすなわち政府の日銀管理あるいは「管理通貨制」

の一道程として把握すべき陸格のものと思われるのである。

、次にその第二の意義は金の買上価格の引上げ、が価格標準の切下げを意味す

るところに由来している。すなわち,政府の金の国内保有というその条文上

の目的を達成するため産金業への刺激策としての意義を兼ねつつ買上価格を

引上げ、るのであるが,金が貨幣として価格標準機能を営む以上,買上価格の

引上げは客観的に価格標準の切下げを意味せざるをえない。実際の金の買上

価格引上げの経過は前掲表ill-2の如くであるが,それは価格標準切下げの

具体的な現象過程あるいは「事実上の平価切下」として把握L直すことがで

きるであろう。大内教援が金の生産費上昇→金の買上価格の引上げ、によって

「インフレーションの一層の発展の possibility Jが生じていると言われる時,

それは貨幣論的にはかかる価格標準の問題として押さえられていたことの一

証左である。しかしながら,教援の場合,金買上価格引上げ(価格標準切下

げ〉→物価騰貴〈金生産費上昇〉→金買上価格引上げというある種の循環論

に陥っているようである。金の買上価格の引上げは価格標準の切下げであり,

その切下げ程度に応じて名目、的な物価騰貴=インフレが生ずるけれども,そ

こで一つの安定を得るのであり,そこから更に買上価格の引上げ、としづ論理

は内在必然的に出てこないのである。すなわち,名目的物価騰貴→金買上価

格引上げ、→更なるインフレと行くためには価格標準の「たえまない変動J=

切下げをもたらしでいるところの日銀の国債引受発行とし、う要因の導入がど

うしても必要であったと思われる。とはいえ教援の場合,r国家関係やその他

いろいろの関係を抽象してただ地金買入の一つの点からのみの予想である J

とし、う限定を付されており, しかもこの金生産費上昇の原因がすでに始まっ

ているインフレにおかれているとすれば,日銀の国債引受発行に関して等閑

視していたとする評価は速断の諒りを免れ得なし、かも知れない。

以上のように,日銀金買入法の意義が確定されるであろう。そして,以上

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我国における金政策の変遷について 浅田 135 (135)

に掲げた二つの意義はそれぞれ互いに密接な関連を有しているー!すなわち,

日銀券における紙幣性の強化および金の買上価格の引上げ=価格標準の切下

げは両々あいまってインフレーションの促進 possibili ty というよりもむし

ろその進展の強力な moment となっているのである。本稿ではその詳細な

実証をする余裕はないが,少なくともそのー準備作業としての以上のような

理論的把握の意義を主張することは出来るであろう。

1) 衆議院事務局,前掲書, 488-489頁。

2) 但,i満州事変以後の財政金融史」も採用している表によれば,昭和9年の貿易外

収支は受取1100に支払1091で9百万円の黒字になっている。『昭和12年本邦経済統

計JI(90頁〉の数字も同様である。

3) 小笠原三九郎,前掲書 7頁。

4) 深井英五,前掲書,第 9~12節。

5) 酒井一夫,前掲書, 156頁。

6) 衆議院事務局,前掲書, 491頁, 501頁。他, 513頁に野中徹也議員に対する答弁

の中に同様の表現がみられる。

7) この点に関して,森七郎教授は「国際経済の情勢変化,より具体的にみれば日本

軍の満州占領と華北への侵入,ヒトラー内閣の成立,日本の国際連盟脱退という

一連の戦争危機の醸成気運こそ,金の園内保有を必要とした真の原因であった」

(i為替管理と金管理JIr商経法論叢』第15巻第3号, 29頁〉と述べてし、る。また,

?でに昭和9年4月段階で大内兵衛教授の次のような注目すべき指摘もある。「政

府が法案を作った円的は金を国内に保有するにあって,その金は,一方政府の必

要一一一朝事あるときに応じ叉は海外へ輸出するためであります。また他方,日

本銀行の準備のためもあります。J(f日本銀行買入法の意義についてJIr月刊大原

社会問題研究所雑誌』第 1巻第 1号, Ir大内兵衛著作集』第4巻,岩波書広, 1975

年, 151頁。傍点浅田、

8) 衆議院事務局,前掲書, 495頁, 504頁。他, 511頁参照。

の この間,産金業は金価格引上げ等産金奨励策によって刺激され次表のような増産

をみている。ここからはまた,植民地朝鮮,台湾における産金の占める重要性と

その収奪の上に立つ日本における金準備の増大とし、う構図がうかがわれる。

備考 9

(備考)

10

11

金;生 皮(単位 kg)

|内地|朝鮮|台 湾|合計

28,577

34,189

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136 (136) 経済学研究第28巻 第 1号

10) 下表参照。昭和12年8月は金準備虫率ともに増太しているが,これは金準備評価

法によるものである。実際の金量は減少しており,それを 750mg= 1円で再評価

して率を出せば,率において激減している実態が明らかとなる(右端の項〉。

日銀券発行高と金準備率

発日銀(千券行円平〕均高平均金準備 平均準備 金量 750 mg1備〉円 左項での

昭和年月 での(金千準円高(千円〉 率(%) (kg) 準備率

12. 7 1,579,961 488,436 30.9 366,327 488,436 30.9

8 1,660,103 8J1,000 48.3 232,290 309,720 18.7

13. 2,114,218 651,187 30.8 188,844 251,792 11.9

14. 2,626,522 501,287 19.1 145,373 193,831 7.4

15 3,604,014 501,287 13.9 145,373 193,831 5.4

(備考〉 日銀調査局「本邦経済統計』昭和13,14, 15・16年版より作成。

11} 大内兵衛,前掲書, 153~159頁。

12) このように銀行券に「二重1"Uをみる視角は,松井安信『信用貨幣論研究J(日本

評論争!:,昭和45年〉に依っている。

13) 日銀調査局日崎州事変以後の財政金融史J~日本金融史資料』昭和編,第27巻, 33

頁。

14) Karl Marx, "Z山 Kritikd,,! politischen Okonomie“武田隆夫他訳「経済学批判』

岩波文庫, 140頁っ

W むすびに代えて

前章においてみた如く,日銀金買入法はその条文上の目的を一定程度果た

し得,昭和 9年 3月から昭和12年 2月末までに約 1億3100万円の正貨の増加

をみたのであった。しかし,昭和11年の 2・26事件以降,巨額の軍事支出や

生産刀拡充計画の推進を基因として国際収支が悪化L,それが為替相場の安

定を脅かす懸念を生ずるに至って,ついに昭和12年 3月金現送が再開された。

当時の蔵相結城豊太郎はこの第一次金現送に際して,次のような談話を発表

している。

「政府ハ我国現在ノ為替水準ヲ維持スルヲ必要ナリト認メ之ガ為メ適当

ナノレ措置ヲ採リ来ツタノデアノレガ,昨年末以来見越輸入ニ依ノレ輸入為替ノ

取組ガ一時激増シタ等ノ関係モアノレノデ,今回在外資金ヲ充実スノレヲ適当

ト認メ差当リ時価約五千万円ノ金ヲ今月以降適宜分割シテ米国ニ向ヶ現送

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我国における金政策の変遷について 浅間 137 (137)

スノレコトトシタノデアノレ。尚政府ノ、今後ニ於テモ必要ト認ムノレ場合主ハ更

ニ或ノレ程度ノ金ノ現送ヲ行フ考デアノレ。」

この結城談話に関わらしめながら,高橋亀吉は,rそれは在外正貨の澗渇の

ため,所要の軍需品関係の輸入為替さえも,その調達に差支えるセ y バ詰っ

た状態に陥るに至ったことが,恐らく,ヨリ重大な原因であったであろう」

と推測している。前にみたところから我々もこの推測に賛同したし、。すなわ

ち,この金現送に至って,金買入法が本来もっていた対外決済手段一戦略物

資輸入のための金保有という真の目的が,いまや何の覆いもなく露呈したの

である。金現送額について言えば,r差当り時価五千万円」ということであっ

たが,それはたちまちの内に超過してしまい同年 7月までの輸出は実に計3

億7956万円にものぼったのである。このような金流出は,当然のことながら

金準備の減少を招かざるをえない。すなわち,その反映として日銀の正貨準

備は昭和12年 2月の556,054千円から周年7月の488急436千円へと減少をみて

いる。かかる事態は対外決済用としての金の重要性が一層増していることの

あらわれに他ならなかった。さらに, 日華事変勃発(昭和12年 7月7日〉後

は,r送金による海外支出戦費,陸海軍部の収支および逓信関係の収支等」の

巨額な政府支払の増大に規定きれつつ,その一層の重要性が認識されるので

ある O 他方,日銀券の保証準備との兼合いで一概には言えぬが,少なくとも

日銀券の増加傾向下においては正貨準備の減少は準備率の低下を招くことか

ら,かかる事態は通貨制度に対する危倶感を抱かせるものであった。かかる

矛盾を陰蔽という形で解決しようとしたのが昭和12年 8月の金準備評価法で

あろう。これと同時に,金資金特別会計が設置され,日銀金買人法が廃止さ

れるとともに産金法が制定された。さらに,蔵相や総理また産業界は勿論,

社会大衆党の安部磯雄等も「双手をあげて賛成」し,讃辞を惜しまなかった

ところの「愛国金献運動〉」を経つつ,政府への金集中が強化されてゆく。

かくて,戦争の進展とともに金政策はその変遷をみるわけである。しかし,

昭和12年 8月以降の諸政策すなわち金準備評価法,金資金特別会計法,産金

法等あるいは「金献運動」等の経過,目的,意義等の吟味・検討については,

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138 (138) 経済学研究第28巻 第 1号

稿を改めて述べる機会を持ちたいと考えセいる。

1) なお,本法実施期間中の金の日銀への買上集中は,政府からの移管分(1万3935

k$})を含めて,計11万7711kg,3億7680万7千円であっf.::.o ;森七郎,前掲論文,

32頁。

2) 日銀調査局『日本金融史資料』昭和編,第34巻, 50頁。

3) 高橋亀吉「大正昭和財界変動史」下,東洋経済新報社,昭和30年, 1777頁。

4) 東洋経済新報社『日本経済年報』第29巻, 151頁。

5) 日銀調査局『本邦主要経済統計JJ 309頁。これらは貿易外収支中「他項に掲記さ

れない政府収支」という項目の主な内容である。昭和12年からの国際収支の赤字

は主として貿易外収支の赤字に依っており,その貿易収支の赤字はこれらの政府

海外支払の著増に依存しているのである。

6) 大阪毎日新開,昭和13年5月3日夕刊,全産連会長藤原銀次郎の見解に関する小

見出し。

7) この運動は大阪毎日,東京日日新聞社が昭和13年5月1日の紙面より提唱したも

のである。いま,その事由をみれば以下の如くである。但,長女なので,転載は

冒頭部分にとどめる。「愛国金献運動提唱 金を国家へ 支那事変が長期戦に入

っても,わが国力は微動だにしませぬ,これはわが国家国民の精神力と経済力と

が無限に強大なるを意味し,われわれは安心して信頼出来るのでありますが,同

時に長期戦には長期戦に即応する国民の覚悟がなければならないはずです, T!IJち

『金」の国家への献納または政府へ『金」を売却すること自体が長期応戦を目標と

する時局に対処し,銃後国民がその愛国の熱誠を捧け、て国家に奉仕するァ方法で、

あり,同時に国民精神作興に資する道徳的意義を有するものと信じますJ~大阪毎

日新聞,昭和13年 5月1日〉。

以 上