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Instructions for use Title 入會權の實證的研究 Author(s) 小林, 巳智次 Citation 北海道帝國大學法經會法經會論叢, 7, 23-68 Issue Date 1939-03 Doc URL http://hdl.handle.net/2115/10664 Type bulletin (article) File Information 7_p23-68.pdf Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

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Instructions for use

Title 入會權の實證的研究

Author(s) 小林, 巳智次

Citation 北海道帝國大學法經會法經會論叢, 7, 23-68

Issue Date 1939-03

Doc URL http://hdl.handle.net/2115/10664

Type bulletin (article)

File Information 7_p23-68.pdf

Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

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(北バの一)

青森廓南津軽郡碇ケ関村大字古懸釘同郡柏木町大字涜館係争事件を中心として

ダ〈

入品目様を絞る扇町村の一

般的情勢と入念協係俄要

第一節爾町村の一般的情勢

第二節扇町村に存する入合問

係の概要

第二章係争の治掌経過及び結果

第一は

iま

i6,

L

失口同

ヨた

第三節

第四節

明治初期

明治中期より大正・昭

和時代に至るまで

第五節利解成立の経過と共の

依件

一維新の大業なるや、明治政府は念速に欧米先進闘の諸制度を移入し、土地制度の如きも在来の封建的色彩

を一慶して、資本主義を基礎とした近代的陸制の下に置換えられた。しかしながら、小作・水利・入合等、農業

入合纏O貧鐙的関究ハ骨骨の一)

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入品目縫の食設的研究ハ其の一〉

二四

法上の重要問題は、多く不完全た、表くは不充分な法規に委ねられ、樫裁よく云へば、慣習の法律的殻カを認め、

民意にそったかの如くであるが、事質は、短日月の聞に先進闘との足並を揃へるため、又との隠史的乃華民族的

特質を帯びた法律問題の解決を、農民生活の安定を犠牲として、一時的便法に依って糊塗したととが、後年の禍

根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。夫故に、爾来躍迭を.重ねた経消的法制の

唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ

る。勿論患者が掛かる重要問題を看過すわけはない。岐に法律車並びに経済鳳一上の貴重な研究が多く公表されてゐ

る。比較法的方法によるグルマン間有法の移植の如きはその設も代表的な例であり、殆んどとれに依って法律上

の難問は解決されたかの如き翻を呈してゐる。

しかしながら、足一度農山村に這入って、現賓の問題に個れ、直接利害者たる村氏と話して見ると、問題は必

やしも解決されて居るとは忠はれない節が屡々ある。法理的又は文献的には、解決された筈でも、農山村経済生

活の要求とは必やしも一致せや、従って現置の枇合問題としては尚ほ且つ迫究す可き飴地が接されてゐる。とL

に本問題を取上げた主なる理

'mと目的とがひそんでゐる。

位然らば如何なる方法で研究するか。従来行はれてゐる方法も素より必要である。しかし、現賢の問題を佃

別的に克明に吟味するととも亦震設的方法として意義がある筈だと思ふ。夫れには本邦会憾に及ぶととは差営り

事情が許さない。共底で、私は東北地方に於ける典型的の事例を封象とし、とれを縦断的に研究するととにした。

査し入合棋の枇合経済的性質から推しても、封建的性質の今尚ほ最も濃く残存してゐる同地方が、との問題の盟

庫であるととは想像できゃう。加之、兼ねて同地方の小作制度を研究した際に、林野制度と密接な閥融制あるとと

を痛感してゐた折でもある。との他、私の住地と地理的に接近してゐる事も一つの理由である。

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斯うして、第一に取上げたのが拾に趨べる青森脇南津軽郡碇ケ関村大字古懸と同郡柏木町大字岩館とを繰る入

合係争事件である。とれを選んだ一つり理由は、資料を比較的速やかに得られる便宜が有ったととにもよるが、

葎軽地方に多い他村入舎の典型的事例であるといふととが寧る重要な理由である。向ほ本簡を草するに営つては、

先づ問題の一位合経済的意義を明らかになし、次に法律的資料を史的強展過程に躍じて説明して沿いた。斯かる方

法は農業法の如き特殊分野に於ては、問題の具象性左把握するために必要であると信ゃるからである。唯、斯程

の農山村問題に就いては、閥係諸公文書に於いてさへ屡々一致な依き、或ひは不明確なととがあり、況して村民

の語るととろや、民聞に残された文書晴一すには佐々誤謬も見受けられる。之等の依陥は他自の再考にまって是正す

るととLなし、一通りの研究報告として之を公表する衣第である。兎もあれ、私は輸出めア・プリオ

Hの抽象的概

念から出費するととを避け、出来るだけ、農山村の賞相を捉へるととに努めた。且つ叉、節々白事例の描窮に軍

きを置き、入合樫の全面的批判は後に譲って綜合的に観察するととにした。

三本研究は服部報公舎の厚き援助の下に行ってゐる「本邦林野制度の研究」の一部を震すものである。別に

明治初年の判例を知る佐必要としたので、斯麗の研究に定許のある戒能組孝氏に、とれが要旨抄録を依賜すると

とも為した。然るに氏は皐に要国討を作製するに止まら十、更に幾多の研究を進め、既に績々と串界に公表せられ、

之等は何れ要旨と併せ、改めて公刊する諜定である。向ほ右研究の一部門として別に「盗伐」を取上げ、佐藤昌

彦氏が捨営して居られる。

東北地方に於ける入合制度と盗伐との閥係に就ては他の機合に譲るととLした。

経りに資料。蒐集に就いて多大の便宜を賜はった農林省山林局、札幌控訴院、青森地方裁判所、青森脇林務課、

並びに各閥係町村営局に封し、誌に深茜なる謝意を表してたき度い。

入合纏の食謹的関究(其の一

v

二五

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入品問機の貸畿的碗究〈其の一)

一一-..... ノ、

入曾棋をめヤる爾町村の一般的情勢

と入合関係の概要

一〔津艇の奮都弘前から、奥mm一線に乗って南下するとと五亙許りで、近頃スキーで名高い湯の街大鰐に建ずる。

此鹿は津軽平野の謹くる限界で、とれから市は山岳重昼として欝蒼たる林野が遥かに秋田鯨境まで及んでゐる。

とれが本問題の起った地元碇ケ関村に他ならない。柏木町は之と反封の方向、大鰐と弘前との略中央に位し、町

とは呼ばれながら一望坦々たる盟沃友田畑に蔽はれた農村である。即ち大鰐を中心として、同じく津軽地方とは

云ひながら、南北に相割峠する岡町村は、一は典型的の山村であり、他はとれ亦典型的の林野の乏しい農村であ

る。つまり、農家経怖に依く可からざる林野資源について、「持つ村」と「持たざる村」とが偶々相隣接して存在

したととるに、民法に所謂「地役的入合擁」が生れた自然的僚件が備って居るのである。ととろで、とD雨部落

は、古くは滞制時代から、との入合について相争ひ、その後時代は改って明治となっても再三争議を繰返したが、

裁判所や腕首局の斡旋が功成って漸く数年前一世紀に亙る問題も解決した。そうしてその和解の協定が成立した

のは外ならない大鰐町役場の按上である。つまり大鰐は地理的に雨者の聞に介在するのみならや、精神的にも常

に雨者の仲介入として重大な役目を演じたのである。

ロ碇ケ関村は庚表七千方塁に垂んとする大村であり司との賠では郡内では勿論、青森牒下としても有数の大

村である。とれに反し、柏木町は今一千方旦にも足らない小村であり、前者と著しい封照を示してゐる。しかし人

口では略々接近し、後者が僅かに一割五分程多い。従って人口密度に於ては前者の三九人(一方粁〉に封し後者

は六六二人に建し、飽和紙態をなしてゐる。

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積〈方粁〉

帯晶一一=一布九八

園、口占IR

岡、占星回ハ

cz・昌(〕

占・一六

木関

青森肱統計審〈昭和一

O年)第一一樹土地・戸口・其他、六

l七頁に採る。

Eコ三三

園 ' ・一

三次に、土地分布の欣況を見れば、碇ケ闘の大卒は園有林に麗し、山村の常として団地は僅少で畑地が多い。

柏木は林野は殆んど零に近く、地藷D大学は民有の田畑に届し、碇ケ闘の奥から裂する岩木川に泊ふて、瀧翫の

よく備った沃地を形成し、膝下有数の良米と林檎の露地である。従って、前者の約三分の一強白地籍を以って、

克くその四倍に近い賃借債格に建する民有々租地を擁して居る。

O

{

備考青森線上掲、二四

i二五頁に擦る。

斯くの如く、民有え租地から見れば、碇ケ閥ではその七六%を林野で占め、耕地は問畑合せて二三%弱に過ぎ

ない。之に封し、柏木の林野は僅かに一%弱、耕地は水田のみで八七%、畑をムロ吃れば九二%に建する。倫ほ民

有無租地の中、柏木には林野はなく、碇ケ闘は一四七町飴の中、保安林が一四四町飴を占め、とLにも山村の特

徴を示してゐる《青森際上稿、三四

i=王頁〉。

向ほ、碇ケ闘に於ける林野所有別形態を見れば、総面積八、四七六町の中、賓に八、

O一二町、即ち約九五%は

Eヨ ヱユノ、ノ、、 、一一一-Cコー恒ヲ旬ノ、dU 三三 イ詰 zユ

ヱユ プマ、、皇言芸員

111

入曾惜棋の貧遼的研究(其の一)

l| 霊霊|土原

野晶一六

一、八一塁五一八

二七

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入曾纏の食器的研究〈其のご

二八

国有林で蔽はれて居る。従って、その地帯内に有数D大森林が横ってゐるといふととのみから、直ちに村自胞が

林野資源に基まれてゐるとは遮断出来たい。勿論、闘有林O所在地として若干の恩典に浴してゐるが、夫れのみ

で、村の公私経済生活が著しく向上しても居ない。

備| 比貸考

1_1-1町|林 l

枇4・'v'

林=町

-z塁間J林.

車車

ノ、

石望| 積O 六町

$数

碇ケ関村要覧ハ昭和一

0年度)に採る。

畑戎に雨町村の農家戸数を見るに、碇ケ闘は昭和十年度に於いて全戸数七一一一一一に封し、農家戸数四八七三ハ

九%〉を算へ、柏木は同年度の全戸数七九九の中、六三三戸(七九d

乙であるハ夫々雨町村要覧に操る、前掲青森

脇統計書と若干の相違があるが、暫く前者に依って訟く)。自小作別を見れば、碇ケ閥が自作一八二、自小作一

二一、小作一八四、合一一七%、二五dm、一二八%)を算し、柏木に就いては要覧にとの項目役続いて居るので差常り

判明しないが、耕作反別から見れば、自作二三五町、小作二七

O町となってゐる。而して、雨者の一戸首り平均

耕作反別は、碇ケ闘が水田

0・四二町、畑

0・二八町、計0・七

O町とたり、柏木は水田

0・七六町、州

0・0五町、

計0・八一町となる。即ち、東北地方。農家平均が約了四二町、青森牒平均が約一・五三町に比較すれば可成り

O開きがある。中んも、南津軽郡の夫れも約了二

O町であるから同地方が一般に低いととは明らかである。

館東北地方及び青森脚腕の卒均耕作反別は木下彰「経管組織より瓦たる東北農業の特殊性」(農業経済研究、一一怨ニ貌)

二八

l二九頁に依づた。これは昭和七年度「農事統計表」より算出したもの。南郡の分は青森岡腕統計替第三一縦産業六|七

頁より算出した。調査年度が若干前後して居るが、大勢を知るには差文あるまい。

(五)

農耕と闘聯のある家畜教を附記して治かう。何れも昭和十年度の計算である。

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備 i柏ー r---考

=昆

二 za*-' フ句Cコ 三主主

木関

三邑ノ、-e *-'

=ノ、プマヨ玉三

五|

前掲扇町村要覧による。

品川以上で本問題に関聯のある雨町村の概況は大館知るととが出来ゃう。即ち、碇ケ闘は表面上大村としてそ

の中に鹿漠な林野を擁するが、震質上必しも林野資源を「持つ村」では友い。近年林檎栽培共他副業の奨励が行

はれ、幾分か向上しづL

ある。とれに封し、柏木は夫の地籍内に林野佐持たないが、後述する様に、附近の山村

に入合って盟富な用品企櫨を享有してゐる。例へばその肥料消費扶況ハ昭和十年)を見るに、自給肥料が二八、五一

五回、購入肥料が二九、四二三回、即ち金慣の約字額が、総肥・堆肥共他の自給肥料であるが、その大部分は入

食躍の恩一患によると云はれゃうと岡山ふ。備ほ岡町村の財政蹴態を見れば寧ろ後者が遥かにすぐれてゐる。弐に一不

す政府の補助交付金の多寡などもとれが推量の一資料とならう。

緑、

額ー一

円一

四回、布目一=一一

四八、占芸品一

柏碇

木関

備考

爾町村要憶による、昭和十年度分。

七最後に問題の係争事件に直接関係のある雨部落について一言して公かう。地元即ち承役地側である碇ケ関

村大字古懸は、村役場の所在地でるる中心の大字碇ケ関から約二キロ許り南西に距った、林野で固れた山峡の部

落である。最近の戸数は一主人〈昭和十年》で殆んど全部が農自然である。村役場の調奈によれば同地籍内には、

入合纏の食詮的研究(其のご

二九

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入舎纏の貸越的研究(其の一〉

O

回一三町、畑一二六町、原野二一二五町となってゐる。

入合側である柏木町大字岩館は、最近ハ昭和十三年十月)の調奈によれば、戸数七五、その中、農家は五九戸

ハ自作二、小作三二、自小作二五)である。耕地は自作二ニ町、小作二六町飴、計三

O町弱であり、との他に他

に貸付けたものが約三町ある。馬芭は全部で七顕に過ぎない。総じてとの地方は、同じく青森脇でも東部の奮南

部領地方と呉り、畜産は旺んでない。

以上で、雨部落聞に入合閥係が殻生存績する自然的並びに経済的事情は略明らかになったが、然らば、とれが

何故に多年に亙って紛争の原因となったかといふと、共鹿には特殊の歴史的事情が伏在し、昔から相互に感情の

融和を快いてゐたととが相官重大な役割を演じてゐたらしい。といふのは、古懸にはとの外に向ほ他の数部落聞

と入食闘係があるにも拘ら守、古来再三訴訟沙汰となったのは之れのみである。然らばそO歴史的事情とは何で

あるかといふに、若干の文献や、村人の語る所を綜合した結果、知り得た底によれば、同じ津軽藩に屈し・ながら、

古懸は藩主と特殊友関係にもωり、他方、岩館も古来由緒ある部落で経情的にも前者よりも有力た地位に・あるので、

雨々互に相譲らや、自然に兎角闘滑を扶いたらしい。何れにしても、斯様な歴史的反感があったにも拘らや入合

胤係は依然として存在

ω必要があったのマ、とれがため一世紀に亙り、執拙に雨部落相争ふに至る運命KKMかれ

たのである。

睦古懸には有名な凶土寺〈古懸の御不動)があり、嘗ては鎌倉時代に北俊民の献願時間であヲた。後、天正十六年ハ紀元二

二四八〉掛伴睦氏が寺放を闘土不動院と改め闘家細腕箆時間となし、伽藍を枇大にし寺領を奥へ図努有事の際の陣屋たらしめん

とした。今は見る影もないが倫ほ地方の信仰が篤い。他方、岩館は古文書の岩楯で、鎌倉時代に湾臨曾我氏の銭った所、

大光寺の曾我氏と共に相針立した。何れも元は北保氏から此地方の地頭として差遣されたものである。承久四年(紀一万一

八八一一)執鍛議時からの補任般に史貿が明らかである。(西岡源滋・青森懸誌に採る〉。

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第ニ節雨町村に存する入合閥係の概要

さて前節で明らかになった様に、碇ケ闘は共の大部分が閤有林に依って占められてゐるとは云引い・ながら、

向ほ且つ、村氏の需要に飴る林野を有し、之氏反して柏木は殆んど林野に恵まれて居ιないので、所謂「他村持入

合」若くは民法上の地役擢類似の入合開係が雨者の聞に古来結ぼれた。しかし碇ケ関村の三大字の中、碇ケ闘は

約問六

O戸、即ち全戸数の三分のこを擁する大部落としては林野が比較的乏しく、久士口は約七

O戸に過ぎない最

小部落であるが周国は主に園有林であり、且つ叉他町村とは最も離れた園境方面であるために、結局、他町村に

近接し、又部落有林野の比較的多い古懸のみが入舎の所在地とならざるを得・なかったのでるらう。

克も、との他に、地盤入合共に同村内部落に属する入合開係は次の通り三ケ所存在する。前二例は所謂「村中

入合」に麗し、第三例は現在は同一村であるが、藩制時代には別村であったから「他村持入合」即ち民法上の地

役躍的入舎である。

備1(3)但)(1) 考

大字碇ヶ・関山ナ碇ケ関六

O

O

大字碇ケ関字路悶切五五ノ一

昭和五年十月二十七日、青森勝より農林省山林局に回答せる「林野入令閥係調査の件」(普段第一八

O八〉放に援る。

1匡

JiJj-

三四五三五 O四 八 九 町

九八七~O 二四六三

一一一i一大大大字字宇久古碇吉懸ケ

外六筆

外七筆

品川三筆

之等日村内の入舎闘係に就ても調査したがその研究は別の機合に謹って沿く。

=然らば古懸に於ける入合の概要如何。元来との地方には藩制時代から入舎の慣行の-あったととは古文書に

明らかである。ととろが、明治雄新により藩霜奉還とたり、やがて地租改正や地家制度が行はれ封建制が近代的

土地制度に置換えられた結果、地穿は地元村へ下附されたが、奮来の入合開係はそのまL存摘出するととLなった。

入品目擦の賃設的研究(其の一〉

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入倉様の貧燈的研究ハ其の一〉

之等の詳細は何れ弐章に述べるが、首時古懸と入舎村全部との聞に結ぼれた協定書を・択に掲げやう。とれに依っ

て慣行や入合村及び入倉地D大小等詰知る事ができる。

今般地租御改正=付称阻智之儀ρ

地一河村江地袋御下波可相成候得共御官員御出回以之上総苅取之儀ρ

総テ別紙記誠之場所-一一於テ

慣習之渇リ双方共差心得異議等無之様可致僚深ク御設建之趣家長候随而左-一

一称揚反別ニ路シ地税地課金本村並入食材共年ノ盤凶ニ不拘可差出事

但シ地租=闘スル割賦金ハ同様ノ事

改正入費之儀ハ本村入合共現今及今後共反別相賞可差出事

野火番賃銭ノ儀ハ入曾村所ヨ

p本村へ左之割合之遁可品日出向事

但シ其年ニヨリ貸際不得止別段入曲目相掛候節ハ医務所ニテ調査シ協議ノ上相賞差出ス一時キモノ干ス

-

澄山断之節者慣行通F入合村ヨリ本村江左ノ割合ヲ以テ可差出候事

一酒八升身bm二

外こm一升身火鉢ニ抱、但シ字無四時分

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一沼二升身次回銭代

一沼ニ升身火争犯

右之、通双方共交際上信義ヲ旨ト

明治十年九月十日

シ入品間稼苅取向来酬明異論等教問政段今般地租御改正品目付銭後日東品約定銭取換由叩鐙香川川町如件

第二大医十小区石川村

村周掛工藤吉太郎代理

務エヱ

(以下各村略同様

4

一ツキ省略〉

地元第二大匿十小区

'ド

備考

後章に認す岩館封古懸入合穣係争の第一審〈明治三十二年)に於ける鐙援書類乙第九援に縁る。

-F-尚段、古懸村に存する「入曾村名寄元帳」ハ明治十一年四月調製)に依れば、攻の如く、前記協定書に示さ

れた外に蔵館が加ってゐる(呑放は便宜上私が付けたものである)。

互ζ 四=一一

閥 l!m字字字

根 根締清=地

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一 ニ湾問一

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入合搭の祭器的研究(其の一〉

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入合格の賃設的研究ハ尖の一〉

九八七六

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村村中中持持

右の如く、越石と併せれば、九ケ村二四

O町歩飴の入曾地が古懸地籍内に存在した。市して、共後多少の異動

は別として、引鰻き近年まであまり鑓化は無かった。

程前畑明、昭和五年、背森脇より農林省への報告によれば、南誇軽郡には地役縫的入舎は絶無であり、「共有の性質」を有す

る入品也被は千二百品開町歩あるが、その中、従ケ闘村に属するものは次の諮り示してゐる。然しこれは、「地役縫的性質」の

謬りである。斯様な分類上の侠謬晶γ

屡キ見受けらる主計算の不一致舵曹は、関査の粗溺に基〈ことも有ちろが、第ろ、入品目

縫が各地方により或は時代により、形式内容共に多少宛異なるめに、概念的分類の至難であることが根本的原因である。

従ヲて直ちに闘係者のみを責めるのは酷であらう。

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..e Cコp町

亘|袋/、 i

一一一一1--1

大|地

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古 IJJfr懸 1;有

柏木町大学

杉外i¥. 部落

Page 14: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

右の統計に摩げられた「外図鑑」は詳記されないので何露であるか列らないが、何れにしても、本村で所謂入品目縫の解消

が初めて行はれたのは昭和六年以後であるから右翻査営時は五筆以上の入合地が存在した筈である。

働然るに、共後我園の埜一市政策が改まり、入合制度の存績が主として林政的見地から批判の劃象となり、還

に部落有林野整理統一方針が決定され、明治問十三年十月内務農商務雨弐官の依命通牒となって、各地方長官に

割しその賓施を勧奨するととL

なった。即ち、その中入合整理に闘する事項として「公有林野中入合樺等ノ局共

同使用=供セラルルモノハ奮慣及事情ヲ調夜シ之カ解除又ハ制限若ハ使用直域割営等ノ方法ヲ取リ前各項整理ノ

目的ヲ完成スル=努ムルコト」と指示されたハ松波霧貧・明治林業史要、一二六頁〉。之れに依り各地に整理統一事業

が行はれ、青森脇としては最近に至るまでには、女の様な成績をあげてゐる。

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O一

O一

O一

使

O、

備考昭和十一年度末現在、青森麟林業要鷺による。

右白方針に基く懸賞局の斡旋により、古懸の他村入合も近年に至り漸く整理の気運動き、先づ昭和六年九月十

八日の柏木町大字原田との協定に始り、昭和十一年に至り問題の岩館との協定成立を殿りとじて全部解決した。

年女順に記すと戎の通りである。

一一原

一一一{研

崎川郷問問|舎

同間関昭 I~平日 1 -.--

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i七二一一六一杉

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i六六二七一岩

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i六六一一一

入合格の賃設的研究(其の一〉

館越掲|合

同同協 l-j和 1'-

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門地元l入信〉

放楽(但し地元より

OO闘提供〉

三二

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地形により大患

三四

l六六に分づ

Page 15: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

入合縫の質詮的研究〈其の一)

一占ハ

協定成立の保件は右の通り何れも土地所有権の分割であり、その比率は平均三二l六八%となれ

J

てゐる。同地

方の慣例として、地元二

O乃至三五%、入合八

O乃至六五%を普通とすると唱へられてゐる。但し寅測面積は必

歩しも右と一致しない。例へば岩館との閥係について見れば、全面積ハ二口合計)八九・九八一

Oの中古懸一二・

九二一五、岩館六八・

O五二五、即ち約二五l七五dmとなる。向ほ堀越は放棄の代償として、地元より謝睡余名

義で二百闘を受領してゐる。叉、蔵館の分は訴訟費用に充てるために寅却したので、右表には掲げたかった。

右協定の結果、所有躍は各部落聞に分割され、結局、一つの他村持入舎が解泊した代りに、夫々の部落に部落

有地が生じ、従来の入合村に取っては新たに自村持入合地が生れたととになる。民法上の用語例によれば、各入

金部落には所謂「地役権」的入合樺の代りに、新たに「共有」的入合地が費生しのたである。従って闘係官臓や

営事者が掛かる現象を箪に入A

管轄の解消と呼んでゐるが、質は止自の他村持入舎の解消にすぎない。

E以上地元の古懸についての説明は大臨格ったが最後に柏木町について一言してたかう。本村は十大字より

成hy、前記岩館の外、小杉、石郷、原田晴子は何れも之れに属する。之等諸部落が古懸に入合してゐたととは上述

の通りであるが、向ほ何れの部落も夫々附近の山村に入舎の慣行を有ってゐた。その所在、面積等の全貌を明ら

かにするには向ほ調奈が充分届いてゐないが、弐の表は或る程度まで概要を示してゐる。

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一一一大鰐町大字一一一ツ白内一草ウ孟口四一大字石綿外七大字=四一滋館村大字長田申一歪・0

三九一大字吹上外十四大字

一二一閃町大字居土一三-DODO

一大字石郷外七部落一五一

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碇ケ関村大宇古懸一一占0

・九一三八一大字小杉外八部落

一一二竹館村大法a

小関一一

208一大

備考前拐、青森田崩報告「林野入合関係調査の件」に依る。但し入品目側の「外何字」といふのが凡て同一町村内のみとは

限らないから、依りに本統計が正しいとしても、凡て狛木町に局するとは言一へない。加之、本統計には慨に叫地べた様に

Page 16: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

若手分類上の誤謬がある。例へばこの場合でも、前記円四)の長裟に於いて吹上、柏木、高知の一一一大字が有する入合地は

絵画積一

O四町歩品障で、最近解消の結果、入合側が七八町歩強を獲得してゐる。この他に、倫ほ岡地に大学柏木のみで

別に有する入合地があり、その中二

O町歩畿を獲得した。即ち計約一

OO町歩の地籍が協定の結果柏木町の手に隠して

ゐる。ハ柏木町役場にて昭和十三年十一月調査の給呆による)。然るに前表によれば同地に於いて僅に五三町像の入合地

のみを認してゐる。

前表。示す如く、本町諸大字の関係する入合地が約三百町歩-あるが、との中他町村を除いた本町の大字共他の

部落のみが有する入合樺の所在面積等の調奈は首該町役場でさへ未だ完成されてゐない。然し町営局の言ふ所に

撮れば、最近ハ昭和十三年十一月)までに他村

地籍内に有した入合躍の解消の結果、土地を分

割した例は既に十八回に及んで居hy、その中三

ケ所は土地を貰却したといふととでるる。何れ

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入合纏の貸鐙的研究(骨骨の一〉

関係地方蓉圏

にしても本町がその地元内に殆んど見る可き林

野を有た・ないで、隣接の山村に二三百町歩の入

合地を有し、之等の中約七割が所謂部落有林野

整理統一白波に乗って、本町諸部落の完全な所

有搭に師したととは明白である、つまり、柏木

町は今や形式貫質相並んで林野資源の享有者た

る地位を得たと云ふ可きでるる。

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入合格の食誌的研究ハ其の一〉

i¥.

係事の活草経過及び結呆

O五年》の紛争から数へれば、協定の成立した昭和十一年までに九十二年間を経てゐる。

先づ係争の沿革を年決的に記してたかう。之れに依ると、藩制時代の記録に現はれた弘化二年〈紀元二五

明治九・二一

0・

0・

同一六・一一一

同一一一二・七

問問問同問問問問

一一一五・二

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一一二ハ・一一一

一一一六・一二

一一一七・一一

三八・一一一

古懸偽の岩品開称揚に闘する係舎に針する津経藩の裁決

岩館村主り青森耐腕令に称相場地券下波方を問願

青森麟令より岩館村に稔逮

古懸・法館関の協定成立

古臨拙謝岩館の「称相場印刷立木伐採差止訴訟」に劃する弘前始審裁脚内印刷の言渡(古懸の敗訴〉

岩館より古懸に鈴し「入品開槌確認及ヒ草木採取禁止並登詔請求ノ訴」を青森地方裁列所拡前文部に問訴

岩館より古懸の依々木依太郎品川一名に謝する「入合搭確認及ヒ草木採取禁止請求ノ訴」を同じ〈弘前文

部に向訴

原告より「訴絞訂正ノ申立」

原告側より「併合審理ノ申立」提出

鐙人成同九左衛門に鈎ずるm同議事件判決〈青森地裁刑事部)

岩館針古懸及び岩館釣佐々木佐太郎外一名爾事件の併合列決(前者は原告勝訴、後者は原告敗訴〉

古懸より岩館に蜘叫する控訴倣提出(函館控訴院)〈叩〉

岩館より依々木佐太郎外一名に謝する控訴〈同右〉〈乙〉

弘前区裁州防に喝託の上、貿地検詮〈甲)

中間列決|岩館に本件訴訟の特同事者たる能カなしとする古懸及び佐身木茶等の潟立抗措耐の却下(甲、乙)

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同一一一八・一

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同四四・一二

大豆元・一一

閃七・一一

同一一・一

O

0・一

O

0・一一

弘前区毅に喝託、食地検設〈乙M

裁列所初めて和解を勤めるハ甲、乙〉

食事者和解の意あるζ

とを灰めかす

併合審理ハ甲、る)

札幌控訴院に移るハ甲、乙〉

双方よ

P和解保件を一本す(甲、乙〉

和解促進のため貨地検登(甲)

弘前直毅刻時間に和解裁列を魁託(甲)

弘前区裁列時間より和解不調認知《甲〉

最後の口頭熱論門休止)ハ甲、乙)

材木町長より和解慈行中に閲する願書録的

和解成立(甲、乙〉

訴の取下(甲、乙)

ロ前項の年次的措型選を見るに、本問題は、藩制時代・明治初期、及び明治中期以後大正昭和に至る三時代に医

分するととができる。之等の一一一段階に於ける係争は、患に時代の相違のみならや、その形式内容等に於ても夫々

特徴左示してゐる。以下紙教の許す限り閥係文書に依つてなる可く詳細に事震を明らかにするととを努めゃう。

意。

「山川薮津之利公私共之」といふ思想が制度化されて居たととろを見ると、林野の豊富な東北地方であっても、住

民が漸戎一に増し、政治的勢力闘も安定して来ると、従来自由に採って居た山の幸も、白から一定。制約が行はれ

て、そとに不文の慣行が生れて来たととであらう。竪臣時代以来との地を領した津額藩は、林政には殊にカを注

さて、此の地方に何時頃から入舎制度が費生したかといふととは素より判然しないが、我商には往古から

入合搭の貸設的研究(其の一)

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入合挺の賃設的研究へ其の一〉

四O

雪、直接替林事業を行ったが、(白河太郎・帝闘林制史、四八頁以下)その他の林野に於ては依然として入舎が行は

れ、問題の林野もその一つとしく永く慣行が存続してゐたものであらう。地籍は字閥根津に約七十二町、山元無

揮に約十五町、合計八十七町ほどである。ととろで既越〈第一章第一節士演〉した様に、古懸と岩館とは古来兎角融

和を快いてゐた。左様した事情から入舎に就いても紛争が起り易かったのであらう。かLる紛争に艶し藩の代宵

が調停し、賞事者聞に和解協定書左作製交替せしめたととを衣の文書が示して居る。〈霞甲十八銭ノ一、二及一ニ〉。

古臨制村領御山荻出滞拳渇

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一、称揚登ケ所但ニタ股ノドェ迄無得付卒沼リ一問、

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右称場之儀者段キ御取扱三和成来恐入侠然ル品晶此皮御頭様御一勝キ被仰付難有仕合ユ家存候此上へ御取扱-一相成候儀策車中恐入

候蕗ヨ

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P綜マテ此末岩鈴村へ苅取世可申候尤年4H同登山断ト沼笠斗鯨武抱年々紫館村ヨリ持参イ

タシ候へハ於右山所品川地未決阿トヤ角採合住守録御座候若約定趨

P三和反シ孫一此米右稼場所探合格段ノ儀出来候節者如何飽

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古懸村エ差遣鐙文下番

但古懸領御山議向ノ四時峯渇リヨり

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z相成尤年・キ峰崎登山崎ト活安斗緋或抱宛古懸村エ差選候

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節者右山問問御攻上被仰付候而茂一言之予約出巾間数倍杭尤年エ寄凶作等之節ハ卒年沼産段デ以代料=一向差遣候定銭後日如件

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聡旨村方へ毛可被由叩付候以上

=右の様な争ひは寧にとれ許りでなく、常ほ他虚にもあったととは古文書に見られるが、入舎の瞳様は何れ

も類似してゐる。即ち一定の用益料として登山翫(若くは入山断〉を地元村へ支掛ってゐる。これには一般に多

く酒肴を充てLゐるが一部は金銭佐以ってする例も見交けられた。

'A '悶

(一)

明治一五年太政官布第一

O九鏡、問問年布告第五二間競を初めとして、明治五年布告第五

O践の地所永代資

入合鍵の安設的研究門其の一

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入合間終の食澄的研究ハ英の一〉

買解禁等によりスグlトを切った土地解放は、やがて地採制度の公布とたり、地租改正事業の蛮展となった。と

れにより土地は凡て官有公有私有の三種に大別され、官有を除き夫々地採が下附された。後に、地所名稿直別の

改正が行はれ、官有地と民有地とに三大別され、入合地は元の藩有を除き民有第二種とたり、地租改疋事務局は

入倉林野の所有閥係の確定について詳細た規定を設けたのである(石関博士土地総有様史論、五一一一八頁以下参照〉。

二期くして問題の土地は古懸村に地器が下問された。之れに封し、入合村たる岩館では早速反封を唱へ、首

局に向って費更を申請したが、共の理由は、従来の抹場にての用益は他物櫨の殻果としてどはたく、所有権の作

用でるると主張するかに見える(甲第十七披露)。との賠は頗る興味るる問題でるる。後年協定の進行中の主張に

も、古来、問題の土地を「岩館山」と唱へたといふ一一鮪が・あるととL相関聯して注意を惹くに足る。ととろで、

鯨令は今夏麗更出来ないが、入舎の慣行は従前通り差支ないと論示したハ甲第十六銃霞〉。

との底分にも結果はい

L

として論議の飴地がある。

O

蛍村称揚之儀従来二犬区十小区古懸材ニ所有鑓有候庭今般原野山林御改正ユ一付林組弱地努御下渡御布達ニ日付常村八一地券御下渡

之儀先般悲願候出品官簿記載盤…之分ハ共村所有ニ難相立旨被仰付ニ御座候符尖金宮簿御認敬之儀ハ古懸村地内之儀=テ所有之

儀ユハ有之問敷ト奉存侠既--入合綜揚之儀ハ庸商務之時所々争論等モ有之候得共入食称山之儀ハ地内村方之所宥-一致候偽無之

勿論称苅取之儀ユ付故障由叩懸候様ハ決而無之事ユ一御座候且滋村称揚之銭円高原岡村称揚西小杉村称場ト比隣往昔ヨリ称自由

-一苅取候儀ハ比隣及近傍村h-一テ礎知之官智ユ御座候然ルヲ官踏御記載有無之儀ア以是迄所有之搭利一時相失ヒ候河川後来農

業級相成務歎叢極仕候防テ従官用機利之有無現今所有ノ事情御汲取地券営村へ御下波被仰付度憲懇願候以上

青森田腕令

1

1

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⑫⑮

殿

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前願之趣相選無之-一品川奥印此段上申仕候

請長

甲第千一一一百五貌

書面願之趣祭紙記載方ハ成規モ有之難問属候保地租改正掛ヨリ申達候沼港テ地元へ券紋下ケ渡侠得共従前入合称揚苅琢儀相

違無之上ハ鵬首ヒ記載無之共仕・来之語録差支苅取候儀者勿論ニ

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付叫畑地元へ途一示談不都合無之晶体入合苅取候儀ト可相心得事

恒右の論建に従って、間もなく雨村では協定書を作成した。との際、車に岩館と京猫に協定した許りでなく、

全入金村と組括的に文書の交換を行ったものと見える(第一章第二節第二項参照〉。とれに依り、慣行の内容も明白

となり、新しい地租制度に臆じ、入合村が地元村に納税の義務が定められ、形式上は地元の所有権が確認された

形である。との襲革はやがて・次に新たな紛争を生タる種ともたつた。要するに此の協定書は本件の始絡を通じて

最も重要な詮蟻書類でるる(甲第一貌謹)。

今般地秘御改正ユ一付稼場之儀者地元村江地袋御下渡可相成候符共御官民御尚張ノ土利仲苅取之儀者総テ別様記載之場所-二於テ

慣習之渇双方共差心得異論等無之様候可致篠深ク御詠蓮之趣奉長候依テ左-一

一、称場反別ニ隠シ地租地課金本村並ニ入合村共年キ豊凶ユ不拘可差出事

但地租ニ閥ス凡割賦金者同様之官申

一、改正入賓之儀者本村入食材共現今及今後共反別相骨問可差出候事

一、野火呑賃銭之儀者入合村所ヨ

P本村江左之割合之遜可申受候事

但其年々ユ寄実際不得止別段之入費相係

P候節ハ医務所二テ調査シ協議ノ上相蛍可申受モノトス

一、登山街之節者慣行之遁入舎村所

S本村江左之割合ヲ以可申受候事

入合機の賃設的研究(其のご

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入舎捕鯨の賃設的研究ハ其の一〉

四四

一、酒受斗八升、身次鯨四抱

右之泡双方共交際上信儀ヲ回日トシ入倉林苅取向衆酬明カ異論等教関殿候段今般地租御改正=付後日之銭夏品約定震双換巾遊詩

依テ知件

第二大医十小区古懸村

湖水

七吉

R!i ~.鋪

⑮⑫

前書之認約定設寄居凪取換候保相慈無之候也

第二大医十小区戸長

四本村並-一入合村共」負携するとあるが、営時との地方に行はれた類似の協定書によれば、本例の如く地元入舎雨

村負捨としたものと(訳語壁誤藷遇、王子、「共村ヨリ地元村エ・::可差出雲」となすも

の(烈料招腕叡唱牡鮒刊誌一蜘制)とのこ種ある。之等一は夫々別箇の内容を持つものか、夫れ共、後者が正しい

ものか、何れにしても共の解躍に依って、入合樺の本質に相遣を来す根本問題に慣れて来る。・択に、第二項の「改

正入費之儀者本村入合村共」云々の文例も、前項同様、二種るって、雨村となすものと、入舎村のみとなすもの

とある。とれは岩館村の公錦、明治十年「株場地租地課金及改亙入費割合帳」(甲詮第五放ノこに撮れば入合村

のみの様である。何れにしてもとの二賠は向ほ研究の飴地があり、共の結果如何に本問題解轄の鍵となるととは

明白である。呆然とれを繕って後の紛争は費生して居る。

唯、右協定書の中で解樫上注意す可き賄は、第一項及び第二項の意義である。即ち第一項に「地租地課金

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直右の明治十年に於ける協定書に依り、従来の慣行が誌に文書化され、轄換期に於ける入合制度の内容が明

らかにされたととろに意義がある。しかるに共後間もなく、用益の範固について争が生じた。とれは寧友る用益

の争といふよりは、新たに形式上所有権を認められた地元民が、その法律的優位に乗じて慣行を改鑓せんといふ

意識が潜在して居たやうにも考へられる。とれが古懸より弘前始審裁判所に提訴され、結局原告の敗北とたった。

その経過は衣

κ示す通りであるハ鐙甲凶貌ノニ及び一〉。

称揚時間立木伐採差止メノ訴

但シ商法上=非ス

一、松木並雑木二百七拾本但目週一尺回

P以下十五年八月九日被告村民共称刈取リトシテ原告村ノ所有地ナル古懸地内無浮堰

根津へ登山致シ該稼揚所立木ノ内ヨリ前文ノ木種被告村民共品於テ伐採有之侯ニ付其他伐採スル毛有会差止メ可銭致候AU

護団出寝左ノ遜リ

明治十五年始第百十九勝一

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扶設

へ略〉

入金冒纏の賃設的研究ハ共の一〉

被代原

告入信

青森際陸奥図南海騒郡古懸村平氏

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同脚腕同図岡郡小杉村平民

岩主幹古

山鈴掛

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入金憾の貿謹的研究ハ其の一)

阿蘇関岡同郡岩館村卒民

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代被

問問腕同国間郡岡村平氏

代被

税目

林相場所立木伐保養止メノ訴訟ヲ器棚出列決スルコト左ノ如シ

原告品一於テハ甲第一一説殻ノ林揚ハ往古ヨリ被告村入合-一シテ其刈取ノ様アルモ宿場内エ生立スル樹木伐探ノ終ナキモノヲ被

告村ユ於テ自佳品伐採巳-一駄怠等致シタルヨリ将来之レカ伐採7差止メン事ヲ訟求スト一区ヒ被告ハ往古ヨ

9場所フ定メ入合

致シ来

F旦其揚昨m-一生立スル樹木ρ

被告村-一テ奮衆生古田致シ置キタル事ナレハ是迄刈取ノ際小屋掛或ハ山路諸行ノ橋キ等へ

周フルガ銭メ年々右伐採シ旅P9ル事ニ日付今日=歪

P原告村ノ差止ヲ受クベキ理ナシト一民ア悶ツテ原被告ノ詮捺ヲ関スル-一

甲第一一獄鐙文中(深ク御論議ノ趣奉長候隠テ左-一〉ト記載シ河シテ契約ノ依目ヲ列認セシモノナレハ該称揚ハ往古ヨ

P被告

村ノ入合ナ

Pシ故乙第一一説諮ノ如ク青森際令ノ訟達同一基キ従来ノ慣習7永ク保鐙セシカ鎚メ契約設ヲ交換セシモノエシテ其

砕同時原告村所有ノ稼揚ヲ新タ=一被告へ貸付ケ入合致サセタルモノユ非サルヤ切カナ

P而シテ甲第二観蜜ノ如ク原告一一於テ沓

弘前議ノ食品時-一ア

94アハ原告村-込町テノミ伐採ノ許可ヲ管二一芝陳隷スルモ其第二銃器中ハ古品舵一伊村/者意同助油田前替

称場ヨ

p伐採ノ上鍛冶炭焼肉シ願ノ詔

P被仰付云キ)ト認載アルヲ見レハ翠リ原告村-一限

H伐採ノ許可ヲ受ケタルモノニア

ラサルヤ謹スル=足ル而シテ明治九年地税改正ノ際該称揚内一三生立セシ樹木多少ア

Pタルモ官之ヲ民布ノ稼揚トナシ地努下

付セラレタル上ハ右樹木ノ伐採縫ハ郎テ従来ノ牧獲縫-一日付属シnT

ルモノ品シテ元ヨ

F被告村-コ於テ甲第一貌鐙ノ如ク入合場

所反別一一際シ地租地課金其他迄差出来FFル事ナレハ凋

P地元村即チ原告村方-一ノミ付奥セラレタリト一民

7

7符ス然レハ被

告村カ右樹木伐採柵惜フ有スルハ勿論ナ

Pトス故-一被告村ユ一於テ該入舎抹場内ノ樹木ヲ伐採セントシテ原告村-一一於テ之ヲ差止

ム可キ縫利無之モノトス悶ツテ原告白一於テハ本訴被告へ劉スル訟求ハ不精立義ト心得可シ但訴訟入明日ハ成規二以シ原告ヨリ

被告へ償却スへシ

明治十六年三月十七日

(中略)

Page 26: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

制前項の訴献では原告の主張が充分判明したいが、判決中に引用された所から見ると、被告の入合は認める

が、その範国は株刈取のみで樹木には及ばないといふにある。之れに劃して被告は、株刈取りのために要する小

屋掛山路通行の架橋材料として古来白から生育し且つ伐採したものであると抗回附した。裁判所は被告の抗揮を認

めて、夫れは本来の用益行錯に附属するものであるとした。倫ほ原告が奮藩時代より樹木伐採は原告にのみ認め

られたととを立詮するための第二競詮は見営らないのでよく判明しないが、前記の様に稼刈取並にその附属的行

詩として一部樹木の伐採が是認されるとしても、他の樹木の用益が地元村に全然ないといふととが来して断言出

来るか否かは疑問の飴地が有すると思はれる。克も被告は蓄藩時代から原告に於て論地より・樹木伐採を行ったと

とは無いと主張してゐる〈甲第四披詮ノ一一〉。

七要するに、明治初年の入舎制度は新吾制度の温波期に際合して、本来、多少内容の明白でなかった慣行が、

仮令文書化されたにしても、向ほ

Eつ若干の疑賄左抽出し、更に過渡期の立法並に行政の常として種々の動指もあ

ったので、可成混沌たる欣態を呈した。従って、とれに闘する従来の墜詑民も解鰐の相違があるやうだから、本

件の場合もその断案はとの上省察を重ねる必要を認める。

第四節明治中期より大正・昭和時代に至る迄

立バの

刊さて明治政府の施政も漸次に整備され、との問題に関係ある主なる事項としては、市町村制の貫施ハ明治

二十三年〉に依り部落有林野統一の端緒をなしたとと、固有林野下民法ハ明治三十二年)に依って地租改正事業

の快陥について一部修正を闘ったとと並びに奮森林法ハ明治三十年)の殻布により盗伐の特殊規定が設けられた

とと及び民法ハ明治二十九年)制定により入合構に封ずる法律的解躍。暫定的基準が明らかとなったととたどを

あげるととが出来ゃう。かLる問に、営面の問題である入舎については、前述の訴訟事件によって一先づ解決さ

入合躍の貿鐙的研究〈共の一〉

四七

Page 27: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

入品目構の賃設的腕究〈其の〕V

^

れてから一時千億に返ったゃうであったが、明治三十二年七月十五日に至り問題は再び紛争を惹起した。即ち、

新たに地穿が地元に下附されてから、地元民は論地に立入り草木な採取するが、とれ欝慣に反し、濁り入合村に

のみ採取櫨は存するとなして、岩館が「入合樺確認及草木採取禁止並登記請求J

訴」を提出したハ青森地裁弘前文

部、明治コ一十二年け第一

O九税〉。

Z是

右代表人

入合纏確認及ヒ草木採取禁止並登抱一請求ノ訴

右代表人

青森際商常軽郡楠木町村大字岩館

三十四年十ニ月一一十三日承緩日間出

青森岡腕青森市大字柳町三番戸卒民

士口μ

右訴訟代混入

良E

hr

青森師腕商樟軽郡碇ケ関村大学古懸

吉三十二年十月サ日承継=依ル

背森際商品仲騒郡碇ケ関村大字古懸字堰根調停二番ノ内

一、原野反別七拾武町八畝萱歩

同勝同郡岡村大学山元無碍一ニ十九番ノ内

一、原野反別拾五町六反歩

布地所ユ於ケル草木会部採取ノ入舎擁確認及ヒ草木採取ノ禁止並=阿入合様ノ登記ヲ求A

ユアヲ

此償格金四百九拾闘

Page 28: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

被告ρ原告カ脅森耐腕南枠制相郡碇ケ関村大字古懸字堰根鐸ニ呑ノ内原野反別七扮武町八畝萱歩、阿蘇同郡岡村大字問字山元無

海一ニ十九番ノ内原野反別拾五町六反歩ノ背中木金部採取ノ入曾情聴アルヲ権認シ及ヒ問所?立入リ草木ノ採取ヲ鎚スヘカラス又

被告ハ右入曾様ノ登記7銭見へシ訴訟愛用ハ被告之ユ負強スへシト列決相成度候

青森蘇溺滞軽郡碇ケ関村大字古懸字堰根回開ハ古来柏木町村大字有錦、同村大学原岡同村大字是品開、同所宇山元無捧ハ碇ケ関

村大字古懸、柏木町村大字岩館ニ於テ入合医謹ヲ完メ英直登肉ニ一於テ各草木ヲ採琢シ旅

ppル虞明治九年山林原野地税改正

ノ際共所有名義ヲ地元村タル被告古懸ト銭シタルモ車問曲解/償脅エ基キ各区軍内三於テ草木ヲ採取シ英直室内ノ地租共他ノ公

諜金ρ

各入命官村昌於テ負携出金瓦へキ事-一定メ踏テ原告祭館三於テ草木採取スへキ区登反別七捻戎町八畝受歩及ヒ捻五町六

反歩ノ地租金六回九拾七銭八麗及ヒ其他ノ公課金ハ原告之7負鎗出金シ開場所ノ草木ハ濁リ原告之7採取シ以テ筈慣7持続

シ来リタ

P然ルニ被.皆同場所-一立入日怒-一草木ヲ採取シ原告之ヲ禁止スルモ麟セス本訴提起仕候

明治三十二年七月十五日

原告訴訟代理人

ヨた

民自

青森地方裁判門腕弘前支部

殿

(=> 後に明治三十五年二月十七日、原告は許航訂正の申立をなし弐の如く一部の更正を求めた。

/

被告ρ

原告カ青森燦南津騒郡波ケ鏑村大学古懸字堰根穆或呑受貌反別九拾四町笠反或畝或拾八歩ノ内高持経郡柏木町村大字

石郷岡村大字原岡ノ入品胃武拾六町四畝或拾七歩司ノ除キ時間反別六捻八町八畝査歩岡部問問宇武呑武狭反別武町歩問所同字武容参

貌反別式町歩合反別七拾武町八畝萱歩及ヒ同郡岡村岡大字宇山元無淳三拾九番ノ内原野反別拾五町六反歩ノ草木金部採取ノ

入合様アルア確認シ被告ハ同所--立入

F草木採取ヲ銘スへカラス訴訟費用ハ被告之ヲ負強スヘシト列決相成度候也

入合綴の賃設的研究(其のプ〉

凶九

Page 29: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

入b

官級の貸鐙的研究(共の一〉

:Ei. O

直岩館では更に古懸の佐々木佐太郎外一名を相手取ワて、同じやうな「入合擢確認及ヒ草木採取禁止請求ノ

訴」ハ弘前文部、明治品川五年川第一間続)を提出した。共の主張によれば該地は前訴の問題となった土地に含まる可

きもので、同一の目的物に劃する一筒の訴と-なすととが可能であるとなし、同時に「併合審理ノ申立」を申出し

た。とれなどは面積僅かに同町歩、債格は二百四十園で、前訴が、八十七町歩飴にして同百九十闘なるに比較す

れば、比較的高く見積ってるるが、夫れにしても、斯んな小額の目的物のために提訴してしかも砂・なからぬ費用

を投じて争ふ鹿に感情的釘立の苛烈さを示してゐる。

。訴

右史館代表人

青森脚腕南津騒郡楠木町村大字岩館

青森地方裁列所キ扇隷護士

ヨた

入合機確認及ヒ草木採取禁止請求/訴

青森際南搾酬明郡碇ケ関村大学古懸

三十一番戸卒民農

宥問所阿大字拾室呑戸卒民農

民[1

関3

青森燦南津経郡碇ケ関大学古懸字閲根棚陣式骨骨ノ成銃

一、株揚反別式町歩

右問所同番ノ参貌

Page 30: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

一、称揚反別武町歩

原告ハ被告佐太郎ユおシ右字関線深武番武援綜揚反別式町歩ニ付被告金次郎ニ封シ右問所同呑参放称揚反別式町歩ニ付草木

採取入品切縫確認及ヒ草木採取ノ禁止ヲ求ムルユア官

此見積債格金武百四拾悶

被告佐太郎ハ青森際商持経郡碇ケ関村大字関根津武番式総称揚反別式町歩ユ付被告金次郎ρ

右問所同番参務稼揚反別式町AO

--付回開品目則前館ニ草木全部採荻/入合搭アルヲ確認シ被告人共ハ問所-7立入リ草木深夜ヲ銘スヘカラス訴訟費用ハ被告人共之

ヲ負搭スペシト列決相成度候

前一京商品伴睦郡碇ケ関村大宇古懸字関根深威容ノ式競及ヒ問呑参柚品川原告岩品開ユ一於テ草木全部採取ノ入合穣ヲ宥スル字関根深

或番ノ内反別七拾武町八畝受歩ノ一部-一シテ原告ハ古来問所エ一於テ草木ヲ採取シ冬期間ノ馬糧等三供用スルモノ二伺之隠テ

伺所ノ地租及共他ノ公認金ハ原告之レヲ負強シ来リタル皮切治或拾年式月五日地元村碇ケ関村大学古懸-一テ問所ノ分筆7銭

シ前記二銭7給局被告人共へ所有縫ノ移付ヲ銭シタリト蜂モ原告ハ奮来ノ慣例-一依リ爾来命ホ入令縫ヲ賀行シ背中木採取ヲ銭

シ来タレ凡モノナルニ被告人等ハ近来他古懸村氏ト共一一同所品立入HY

草木ノ採取ヲ銭サント相謀P原告/纏利貸行ノ妨害ヲ

銭スモノニ付本訴提起スルモノニ扶

明治三十五年二月二十日

宕原告代理人

i

' 藤

良匹

O

原告大字表舘代表人同村長務藤直被告佐々木佐太郎同佐#木金次郎関ノ入合挺確認及草木採取禁止請求挙件ト明治三十二年

内第百

O九銃原告大字岩館代表人岡村長賛藤正被告犬山子古懸代表人岡村長北川常吉開ノ入曾綴確認及草木採取禁止請求事件

トハ訴訟目的物ρ

悶一-一テ闘ト一筒ノ訴ニテ請求スル事7符へキ事件-一一付民事訴訟法第百二十僚-一依

F・併合饗理相成度比段

申請仕候也入

合縫の貸鐙的研究ハ其の一〉

Page 31: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

入合縫の究鐙的研究〈共の一〉

国共の性質も津粧藩特有の制度上「見縫山」と稿せられたものである。見櫨山とは、藩制時代に官山の一部を地一花

村民の一人若くは数人或は金村又は数ケ村に封し保育を命じ、之に臆じ或程度の利用を認容したもので(柏剛一ト

棚一諮問一日

r知鳴噌紘一刈"弘一渡辺一↓一一一都鵬)、論地は元来官有地となる可き所を、明治初年に地元の民有地に編

入されたものであって、古懸村中が「仕立見櫨之島今般村中--而不得止事入用出来」ハ乙鐙第一一一披)につき資却し

たものである。との問題も興味あるが、大樫判決にも見えてゐるから詳設は割愛する。

年斯くして併合審理の結果、明治三十六年十一月九日、判決は下された。共開設人の鵠設事件を生じ、第一

審は無罪でるったが検事控訴の結果、青森地裁刑事部で有罪の宣告を受けてゐる〈乙第十一一獄ノ四%とれは附近の

硫館村大字長峰にるる入合地で地元長峰の村民が、稼とは別の俗稿カツツキ及び小柴等の採取を行った慣行の存

在につき虚慌の謹言をなしたといふにある。而して、此地方の入合慣行の内容を定めるに重要であるが、判決は

古懸にはとの慣行なきものと‘なした。との賭は品問ほ多少の疑問を持み得られる。又、詮人の中には「同植最中=

付」出頭出来ないと不参屈を出したものは何れも民訴二九四傑第一項により庭罰せられ、「病名心臓」で歩行に堪

へぬといと怪しげな診断書を添えた者は琵れてゐる。とれなど潰事に見えるが農村民としては考へさせられると

ととろ勺佐々木某外一名に劃する訴の封象となった土地は、原告の主張と異り、元来別個のものでるり、

とである。

次に一不す通り、判決では古懸に謝する原告の主張は認められ、佐々木某等に封ずる分は棄却された。之に依れ

ば前者につき、地元が入合地では全然用谷躍なく単に地租割その他の附加税を牧得し得るととになるが、果して

安嘗か私は若干の疑問を有ってゐる。判決金文を弐に一不す。

O

明治世「式年(ワ)第

O 九披

明治品川五年ワ第二阿波

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青森際商常瞭郡柏木町村

右代表人柏木町村長

中ぬ訴訟代理人援護士

青森蘇南滞騒郡碇ケ関村

治代表人碇ケ関村村長

イd可

間際問郡岡村大字古懸卒民農

阿蘇同郡阿村悶大字卒民由民

右被告一一工各訴訟代理人紫護士

右官事者間同/明治三十二年例第一

O九焼、里子五年一川第一四銃入合搭確認並草木採取禁止請求事件併合容認判決スル事左

ノ如シ

例j

豊藤

古常佐

ll~

Jl~ 懸吉長I~

員11

RF> 主E

被告大字古懸ρ原告カ青森師腕南洋経郡碇ケ関村大字古懸字堰根浮二番一一説原野反別九拾四町受反或畝二十八歩ノ肉、南津閥幹

柏郡木町村大字石郷、向原岡ノ入合反別式扮六町四畝二十七歩ヲ除キ残反別六拾八町八畝一歩及ヒ同郡同村同大字字山元無

閣時三十九番ノ内原野反別拾五町六反歩ノ草木全部採取ノ入合纏アル事7確認シ被告ハ同所=立入

P草木採取ヲ岱スへカラス

原告カ被告佐'々木佐太郎及ヒ佐弁木金次郎品川到スル請求ハ之ヲ棄却ス

入合格の貿謹的研究ハ其の一)

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入合総の筑設的研究〈共の一)

五回

訴訟繁用ρ

被告大字古懸ヱ釣スル部分ハ被告大字古懸ノ負強トシ被告佐キ木佐太郎、佐キ木金次郎二割スル部分ハ原告ノ負

強トス

原告訴訟代理人一定ノ申立ハ被告大字古懸ユ釣シテハ主丈記載ト同趣旨ノ列決ヲ求メ被告佐々木佐太郎、佐々木金次郎ニ針

シテハ被告佐キ木佐太郎ρ

青森際南常騒郡碇ケ関村大学古懸字堰根海二番二競特休場反別二町歩ニ付被告金次郎ハ同所同容一一一

銭林揚反別ニ町歩エ付原告=草木全部採取ノ入令権アルヲ確認シ被告人共ハ問所-一立入リ草木採取ヲ岱スへカラス訴訟費用

ハ被告等ノ負鑓タルへシトノ列決7求ムト一氏ヒ其原因タル事貿ハ被告大学古懸品川到シテハ原告ハ青森燦南津抑制郡碇ケ関村大

学古懸字堰根津エ一付テハ同郡柏木町村大字石郷向原田ト又問所宇山一万無潔=日付テハ被告大学古懸ト古来ヨり入品世直賃ヲ定メ

其区盤内ユ一於テ草木ヲ探取シ来リタル慮明治八年山林際野地租改一比ノ際共所有名義ヲ地元村タル被告古懸ト錫シ9ルモ奮来

ノ慣脅ユ基ツキ各直室内-ご於テ草木ヲ採取シ其区議内ノ地租共他ノ公課金ハ各入合村-一於テ負捻出金スへキ事二A

メ随テ原

告岩館=一於テ草木採取ノ医費反別堰根津ノ分七十二町八畝一歩及ヒ山一鬼無理ノ分十五町六反歩ノ地租金六周九十七銭八底及

ヒ共他ノ公採金ρ

原告之ヲ負強出金シ同場所/草木ハ狗

F原告之ヲ採取シ以テ奮憤ヲ持続シ来リ夕刊ツ然ルユ一被告ハ岡場所-一

立入P怒ニ草木ヲ採取シ原告之ヲ禁止スルモ熔セス又被告佐キ木佐太郎、佐キ木金次郎エ劉シテハ青森師腕南津軽郡碇ケ関村

大字古懸字堰紋潔二番ノニ波及ヒ同番ノ一一ロ抗ρ

原告大字岩健一一於テ草木全部採取ノ入合鰹ア有スル字堰線湾二番反別七十二

町八畝一歩ノ内ユシテ同陣営ハ古来岡田m-一於テ草木採取シ来リタル彪明治二十年二月五日地元村却チ碇ケ関村大字古懸ユ於テ

同所ノ分筆ヲ銭シ前記二筆ノ所有艇ヲ被告等ユ移縛シタリト路モ原告ハ奮来ノ慣例-一一国リ爾来倫入合纏ヲ食行シ草木採取ヲ

銭シ来リ

9

ルモノナルユ被告人等ハ近来他ノ古懸村民ト共ュ同mmz立入リ草木ノ採取ヲ岱サント相謀習原告ノ纏利食行ノ妨

害ヲ銘スエ付本訴提起-一及ヒタ

pト一式7-7在リ共立詮トシテ甲第一波乃至第十九時抗謹ヲ提出シ人詮並検設問委ヲ援用セ

P

被告訴訟代理人一定ノ申立ハ原告請求ノ棄却7求メ其抗疑事貿ハ被告大字古懸ニ付テハ原告カ被告所有ノ堰根深二番ノ一波

反別七十二町八畝一歩及ヒ字山元畑地…探コヱ'九番ノ内反別十五町六反歩ニ付キ原告カ入合様7有スル事ハ之ハ争ハレザルモ本

訴原告カ入品官穣ヲ主間以スル場所カ不明-一シテ訴カ不適法ナルノミナラス検鐙ノ際原告カム申立タル境界線ユハ不賞ノ鈷ア

Pテ

之7認ムル事ヲ得ス且原告ノ布スル入合格ρ翠エ一林立・7採取スル事ヲ符ルノミユテ樹木ユ付テハ一切原告品川於テ伐採ノ様ナ

ク又称茸・-一日付テモ入品開鰹ノ性質トシテ原告ニ全部採取ノ様ナク被告モ亦共エ之ヲ採取スルノ権利ヲ有スルモノナレハ原告諦

求ユ隠スル事ヲ符ス次ユ被告佐キ木佐太郎、佐々木金次郎ニ付テハ原告ノ請求スル例所即チ字堰根滞二番ノニ税及ヒ三波地

Page 34: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

ハ同字二番ノ一一放地トハ一五ヨ

p別種ノ地所-一シテ大字古懸ニ於テ曾テ原告ノ箆メユ入合穏ヲ設ケタル事ナキモノナレハ其請

求ニ際シ難シト一氏7

ユ在リ立目立諮トシテ乙第一一蹴乃至第十一二一旗設ヲ提出シ人霞並検霞調香7援用セ

P

第一、本訴原告カ被告大字古懸ニ針エル請求

4

日付キ恭按旦ルニ先ツ被告ρ

本訴請求ノ揚時間不明-一シテ不適法ナル回日抗野スル

所アリト雄モ原告ハ一定/申立トシテ其場所ノ字呑反別等ヲ表示シ該場所-一一於ケル入合纏ヲ被告-一様認セシメ併セテ被告ノ

不行鈴ヲ請求スルユ在リテ共揚所ノ区域内字呑等-一依リテ白ラ定マルヘキモノナレハ之7以テ不適法ノ訴ナリト謂7

事ヲ得

ザルノミナラス受命列車-/検設調書ヲ蔵ルユ原告カ主援スル場所及ヒ区域ハ貿地上明確-一シテ共大鐙-一付-アハ被告ユ於テ之

7争ハス唯犠根津二番ノ一一獄図方ノ境界線ノ幾部及ヒ山元無津ノ内南方一部ノ境界線却ナ検鐙調書見取箇中資色ノ部分-三付

キ被告カ之7争フニ一過キ見即チ堰線路二番ノ一一獄図方ノ境界線一一日付テハ原告ρ

検霞調書第一図利ノ小津7境トシテ其ヨリ引

ノ小犠7捌リ堰根深渓流ユ出テ同渓流--従ヒ山元保…探ノ渓流ト落合7蕗即川鈷-一受ルユ在

pト主張シ被告ハ小川ノ小深ヲ以テ

境トスルハ山道

υ-一歪ルマテユシテ共ヨリ右-山道7界トシ堰一般市博警部-一同テ更二,亨下リテ川結-一室ル-一在

P而シテ右山道

ト小堰トノ問ニ位スル黄色ノ地域ハ根根津二番ノ一一抗地-一アラλ

シテ山一万無四時三十九番ノ内品目高

p被告ノ翠溺稼場ナ

pト一区

7

ユ在り然レトモ検鐙調書-一依レ

ρ

山川ノ小調印ハ古来ヨ

p存在セルモノユシテ又一同ノ小堰モ輝久ノモノト認ムル旨ノ認識アリ

テ地勢上原告主援ノ如ク右小津ヨリ小堰-二縛ハリ境界線トスル

7相賞ト認メラルルノミナラス被告主振ノ如クセハ山元無調停

ノ一端而モ極メテ小荷積ノ部分カ山元然海ノ渓流ヲ超越シテ存在スル事トナ

F自然境界ト認メ難シ又山元無湾ノ部分ノ係争

地-一付テハ原告ハ検鐙調書見取問問ノ松樹ヨ

p山ヤ一建スル筒所即チ資色ノ区域モ山一万無淳三十九呑ノ内品シテ原告ノ入合地

内ナ

9ト云ヒ被告ハ山元無津三十九番ノ内ユアラスシテ宇一一一ツ森二容ノ二放地ナレ川原告ノ入品開地外ナヲト主張スル=ア

P

然レトモ検澄調書-一依レハ右黄色ノ部分ハ字山一韮議三十九番ノ内原告入舎紘一相場(市一抑)-一績ケル箆一凱以降ノ傾斜地ユシテ

共倒山町一ハ雑小柴ノ疎金問-一古代根ノ存在セルモノアリト雄モ劉岸(ぽ芳一一岬)傾斜地ノ雑木繁戎セル林相よ全然別奥ナ

ルカ故ユ此ノ渓流爾岸ノ傾斜地ハ一一種ア銭セル箇所ナリト認ムルヲ符ストアルノミナラス甲第四披露附属悶ユ依ルモ字山一五

無浮ハ渓流ヲ界トシテ一一一森-一接シア

Pテ原告主張ト符合セザ彼ι

品目ハ該闘ハ誤謬ナヲト一試アモ曾テ古懸村民カ原告ト銘

9提起

シタル訴絞=添付シタル図面ナレハ其認識ハ寧ロ良質ナリト認ムルヲ得へシ倫被告ρ

乙第十競ノ一、一一、三一説讃ア以テ之カ

反髭ト銭スト縫毛該貌設宇山元無深ノ区域カ泉シテ被告主張ノ沼ロナルヤ否貸測闘ナルヲ以テ貿地-一就キ更=測定スルェア

ラサレハ之ア朗ニシ難ク殊ユ之カ銅製者タル設人羽原戎助二一於テモ乙第十鋭設ノ一ア闘商ノ西端ノ或幾分ハ検詮見取調ノ筒

入合糠の賃設的研究ハ共の一〉

五五

Page 35: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

入曾艇の貸霞的研究ハ其の一〉

五六

出品ニ談ルヤ質地品就カサレ川列明セサル回日ノ陳述ヲ銭スノミナラ該銃霞カ原告ノ承認=出テnタルモノト認ム《キ確認ナキヲ

以テ到底被告ノ主間際ヲ設明スルニ足ラサルモノトス之ヲ要見ルューネ摂根深二番ノ一一貌及山一万無津一一一十九番ノ内ノ原告入合纏

ノ区域三付テハ原告ノ主張スル所ヲ蚤食ト認メサルア符ス、次ニ商事者間/守駄タル入品胃鍵ノ範簡如何即チ原告ノ有スル入

合縫ハ皐ユ一抹草刈取ノ縫アル=止

F樹木品日付テ

ρ

一一切之ア伐採スルノ縫ナキモノナルヤ殊=称草-一日付テモ原告カ専ラ-で之フ

刈取ル事ヲ得スシテ被告モ亦之ヲ刈取ルノ糖ヲ有スルモノナルヤ否ヤ是レ本祭ユ付主要ノ争鮎-一鳳ス、抑モ入合纏ノ性質

司一付テハ主トシテ各地方ノ憤脅品依ルヘキモノユシテ一様ナラス或ハ他人ノ所有地a

於テ草木等7探取スル地役縫ノ如キモ

ノアリ又或ρ

共同シテ或地上ノ草木ヲ採取スル共有権ノ性質ヲ有スルモノアリ故-一民法-一於テモ第二百六十一一一線ユ共布/性

質ア有スル入合縫ヲ認メ叉第二百九十四位部品於テ共有ノ性質ヲ有セサル入合鍵ヲ認メタリ然レハ被告抗野スルカ如ク入食様

ハ必スシモ地元村--共同シテ草木等ノ採取ヲ行ハサルヘカラチル性質ノモノユアラサルハ選モ疑ヲ容レス然PR叫シテ明治十

年ノ作成-二除ル甲第一一披露ニ依レハ「今般地租御改正=付キ称場ノ儀者地一河村へ地袋御渡可相成候へ共御官民絢出制限ノ上称

刈取ノ儀者総テ別妖記載ノ場所

4

一一於テ慣習之遁

p相方共義心得異議等無之様可致一氏#」称揚反別ニ隠シ地租地課金並=一地租

ユ闘スル割賦金等本村並入合村共年キ捜凶品不拘差出スヘク又野火容賃並登山断料トシテ沼一斗八升身火鯨四抱入合村富リ

本村へ可申受回日記載ア

Pテ共附属図商品ハ字堰根深七十七番ノ内反別七十二町八畝一歩及字山元無津二番反別十五町六反歩

岩館村称刈揚概略絵図面トア

PR記ニ依テ之ヲ翻レρ

地元村ト入合村ト各別ニ一杯刈取ノ個所ヲ限定シ地元村ハ地元村ノ刈取磁

域--於テ入合村ハ入品世村ノ刈取区域--於テ之ヲ刈取

P互-{棉侵ス事ナク而シテ之ヱ封スル地税実他ノ会採等ハ各其刈取震域

ノ反別ニ際シテ之司ノ負携シ唯入品目村ハ刈取登山ノ場合-一一地元村-一封シ一定ノ給付ア居跡スへキ義務アル事ヲ定メタルモノト解

緯セラル、四一国

P右堰根路反別七十二町人畝一歩及ヒ山元無浮反別十五町六反歩ユ日付テハ寝間岩館村即ナ現今大字岩館ナル原

告二一於テ幕-7=入会槌ヲ官官シ地元村即チ大字古懸ナル被告--於テハ之-一立入リ除草刈取ノ模ヲ有セサルモノト認メザルア得

ス然ル=一被告ハ該諮中林揚反別品膝シ地税等本村並入合村共年キ豊凶三小拘可差出又改正入賓ノ義ハ本村入品開村共反別相官

可差何事トアルヲ以テ被告モ亦該ケ所=付共負携ヲ分チ従テ該ケ所ユ立入

F株草刈取ノ纏アルモノナル旨抗措耐スト錐モ泉シ

テ然レハ該什島岡山T

『『地一冗村ノ刈取反別ヲ区分シテ記載アルへキ磐ナルZ

四単品岩館村称刈揚略闘トシテ其反別7明記シアル

-一依レハ該ケ所ハ全部岩館村却チ原告大字ノ事ラュ刈取仰向へキ区域ヲ表示シタルモナル事醤ダ明司一シテ該銃鐙中国一本村モ反

別相官地秘等7負携スへキ回日ノ文詞アルハ他ナシ地元村ユ一於テハ別ニ一抹刈揚アリテ之二到スル地租傍ノ負揚ヲ地一万村-一一於テ

銭スへシトノ意味『一一外ナ-フス現品山一苅無滞ノ一部現今大字替水品質波シ担ルケ印刷ユ於テ被告カ株卒7刈取リタル事ハ被告ノ

Page 36: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

手ρ

サル所ナ

νハ此等ノケ所ユ聞脚スルモノト認ムルヲ符へシ若シ傍P品被告ノ云7如クセ

ρ同T

第一一貌付属闘ノケ所-一封シ被

告カ共負携タ分ナタルノ事貸アル円キ段目ナル二培モ其立設アル事ナク却テ原告-一於テ地租其他ノ支出ヲ銭シタル事ハ甲第五

毅乃至第九鋭設品目依りテ明ナuy知之謹人忠商藤七内=於テρ

自分ノ日抽村大学石川三於テ古懸地内-一入合綜揚ヲ有シ称墨付テハ

地元村ニ一於テ一一切刈取ラス石川ノ村民ノミ恭皆刈取リ入合山ノ租続等ρ総テ入合村ノミユテ負綴シ刺叶刑制-一付テモ地元村

ρ刈取ラス而シテ右綜場一一付テハ明治十年早川地元村即古懸ト設委ヲ取換ρ

セアル旨ノ陳述ヲ銭シ麓人木村奥市内居村大字小

杉ニ一於テハ古懸地内ニ入舎纏ヲ有スル山地ア

F明治十年=約定謹ヲ取換ρセ地元村ハ草刈エ暗混入ル事出来ズ地租金融守ハ総テ

入合村-一テ負強スル旨ノ陳述ヲ銘シ又詮人岩間世田兵衛品於テモ居村大字堀越ユ於テ古懸地内ニ称揚入合様ヲ宥スル所アリ稼

刈ヤ小柴刈ユハ地元村二一於テ這入ラスカツチキモ地元村ニ一於テ入合山-一入

p刈

ppFル事ナシ入合村2

5

ア地租金等出金シアル

-一一凶リ地元村ト雄モ入合山ユ立入F草ヤ小柴ヲ刈取ル事能ハサル国民ノ限強ア怨セロ此等ノ澄言ハ何レモ信ヲ措夕刊一足ルヲ以

テ各設人等ノ居村ノ有スル入舎称揚エ一地元村タル被告カ立入

P称草刈蕊ヲ致ザザル事明ナ

F呆シテ然レハ原告ノ有スル入品胃

称揚二封シテモ亦之ト同一ナリト認ムル事ヲ得へキ筋合ナルエ因P被告が本訴入舎場印刷-一立入

p稼草刈取縫ア

Fト抗弊ハ之

ヲ採用スル事ヲ得ス

次ニ原告ノ有スル入合穏ハ翠-一称草刈取ノ擦アルノミナルヤ勝ダ樹木モ亦之ヲ伐採スルノ纏アルモノナルヤユ付キ之ヲ設明

センエ一中第一一説鐙ユ於テハ称刈取ノ儀ハ一五#トアロテ樹木-一日付テハ何等記載スル所ナキユ因日一見スレハ原告ノ有スル入合

格ハ稼草刈取ニ限ラレ樹木=及ハサルモノノ如シト雄モ前文ユ今般地租改正ユハ付称揚ノ儀ρ

一再々トアリテ其場所タルヤ元来

原野ユシテ山林ユアラス之ヲ桧器調書品目撚ス三権根津ノ隠盤面即諮問n雑木小柴等生立シ林相ヲ矯セトモ他ハ全部草原-一シ

テ勤々小松小院本主主シ居ルモ笹稀・9ナリ(耕一町議U献一糊丸山内一九紛い'野一一昨湖北一行詰…訪問

V皆川合)又山一苅

無淳ニ付テモ殆ント堰根四時二番一一蹴地ト悶様草山エシテ続二機小拍車ノ必一立スルノミナル旨/記載ア

Pテ現今-一於テモ地白川

勿論質地毛原野ユシテ索ヨリ樹木ヲ限中=髭ク内キ場所-一アラサルヤ明ナ

p故三中第一一統鐙-一一於テ《主トシテ称草刈取/察

局{日付記載シグルモノ品川V

テ之ユ依Pテ原告ノ有スル入合終ハ樹木-一及内サルモノト速断スル事ヲ得ス却テ該磁詮三於テ入合

村カ入舎反別-ニ路シ地租其他一一切ノ負携7層的見へキ旨記載アルニ図り若シ特ユ入曾反別内ナル樹木-一付穏利ナキ趣旨ナリト

セρ共旨7附記スヘキヲ蛍然トスルエ共/記載ナキニ徴スル毛何等制限ナキモノト解穆見ルヲ相管トス殊二談披露ユハ慣習

/渇9差心得一球々ト認識アリテ澄香-一明記ナキ事項Z

H

付テハ憤捌百三従7ノ意思ト認メラルル品目凶

p其償脅如何7考査スルニ

甲第二披露品依レハ明治十六年三於テ被告村民ヨ

P原告村ニ釣ジ樹木伐採差止ノ訴訟ヲ起シ敗訴ノ舛決ヲ受ケタル事明司一シ

入合擦の賃設的研究〈其の一)

五七

Page 37: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

入品目縫の質鐙的研究〈共の一U

五八

テ之-一一依テ麟レハ原告村=一於テρ

其以前ヨ

P樹木7伐採シ旅リタルノ世帯貿ヲ認ムルユ足

P倫澄人外川藤次郎ノ隙漣-一依ルモ

其居村南津経郡竹館村大学院似=於テ問村大字切明宇山下品料相場品一従古ヨリ入品目ヲ震シ来リ明治十年二中第十一一概霞ノ一銭取

換殻ト題スル入品宵称揚=関スル契約ヲ銘シ居リテ居村-一一於テ抹7刈F旦同所

4

一立居ル小柴若クハ立木ヲ採取シ来-H地元村ρ

一一切之ヲ立入ラス又阿波霞ノニノ如ク居村-一於テ入品目称揚ノ樹木ヲ他人へ箆勾シタル事アり又岡放ノ一一一ノ如ク小飼村民カ雑

木ヲ伐採シタルトキ諮問匝ヲ取リタル事アリ是古来ノ慣習二丞ヲクモノナル臼ノ霞言ヲ銭シ該髭ι

一一員ハ信7措ク=足ルモノト認

ム而シテ叩第十一一獄鐙ノ一ナル録取換設ハ共文調会ク甲第一抜殻ト同様ナレハ地方慣習上入舎場所ノ樹木モ亦入合村-一一於テ

之ヲ伐採スルノ綾アルモノト認メザルヲ符ス況ンヤ被告ノ申立タル詮人佐舟木古掬ノ陳述中其居村即チ被告大字古懸-一一於テ

ハ是迄草木ヲ採取セスユ居FDFル回目ノ陳述ア

Pテ被告カ原皆入曾抹場?立入

P樹木ヲ伐採セル事笈ナカりシ事蔽アへカラサ

ルニ一於テオヤ阿シテ被告ノ援用セル詮人中成同盤次、一二滞米吉等ノ之三民スル陳述ア

Fト縫モ信用シ総キユ付之ヲ採用セス

叉被ι

品目ハ乙第一銃設品川依

p樹木内地一万村力伐採縫7有スルノ立鐙-一供スト錐モ右山被告ト石郷原阿南大字トノ悶ユ一於ケル特

別ノ契約ナレハ之7以テ一般『一一地元村カ樹木伐採ノ機アルモノト謂

7事ヲ得ス却テ斯カル特別ノ契約-一因P初メテ地元村-一

於テ共融構ヲ有スルモノト推測スルヲ得ヘシ何トナレ

ρ務シ慣習上地元村ユ於テ共纏アリトセハ殊英一一此等ノ設委ヲ取換ρ

ルノ必要ナカルヘキ筋合ナレパナリ又乙第二銃讃二怠

Pテハ被告カ菅木村ニ称揚ヲ裂地震波スニ官P特=共地上ノ立木小柴

ヲ伐採スルノ鍛ヲ留保シタルモノナレハ之ヲ以テ入合称揚-一一於ケル樹木ヲ地元村-一一於テ伐採スルヲ符ルノ立鐙ト銭λ

ニ足ラ

ザルハ務7侠タサルナリ

之ヲ要スルニ原告カ被告大字古懸ニ一樹スル請求ρ

正賞品シテ被告ノ抗隷ρ

一モ理由アリトスル事ヲ符ス

第二、被告佐舟木佐太郎、依存木金次郎工針スル請求ユ付表按スルユ一原告主援ノ根援トスル問問ρ

被告一陶名カ所布スル字堰根

深二番ノ内ニ披及ヒ一二一枕地ρ

甲第十鋭及ヒ甲係十四銃諮ヲ以テ立建スル如ク明治二十年二月五日二番原野ヨリ分鐙・シタル元

一倒ノ原野田一シテ邸ナ甲第一一抗鐙付属悶字堰根津七十七番ノ内反別七十二町八畝受歩ノ一部分三升ナラサレハ原告カ入合様

ヲ宥スル地域内ニ一関スル毛ノナ

pト一式ブニ・寝泊y

然レトモ該悶字堰恨海地域ノ一方ハ明二附股-二郎載アリテ之ヲ検諮調書第一

回二旅スニ一被告爾名/所有地ハ乙丙繭地-一シテ恰モ甲第一一筑附風岡商爾股間ユ介在セルモノト見ユルノミナラス同調書中乙

内観地ρ

渓流7狭ミダル雨盤面ナル峻急傾斜地ノ部分却チ脱却問ユシテ雑木小脇市議生シテ一ノ林相ヲ鴛シ山民上草原ト円若ク林

籾ヲ呉昌セル回日ノ飽載アリテ貿地上ヨ

F推スモ堰根深二番一一旗地ト同種ノ山地ト認メ簸P加之認人北川常吉ノ霞言=依ルモ

乙第七獄設ノ番繰紛悶エ在ル二十=一番ニ介在セル部分ハ乙第八披謹ノ呑繰野校ニ紹裁アル二十二番ノケ臨間二百リ二十二番ハ

Page 38: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

滋今堰根深ノ二番ニ続三猿ト明7

ルモノナリ其呑焼ノ興夏セル次第ハ時前時差帳品ナカリシニヨ

F名義ヲ持タセルユ困リ字堰

絞謬二番ヨ

P分毎セル捺-三銭シタルユ過キス元ヨ

p別側ノ山=シテ古来樹木カ調印山生立シア

Fテ稼揚-一道入ルへキ毛ノュア

ラサル趣旨ノ陳述ア可ニア信用スルユ足レリ然レハ被告佐々木佐太郎、佐々木金次郎繭名所宥ノ字堰根津ニ呑ノニ銃一ニ一貌地ハ

唯名義上向字二番ノ一一獄ヨ

P分筆シ

9ん昌一週キスシテ元別個ノ山地ナルコト盆h明白ナレハ原告カ入曾様ヲ有丸ル地内-一ア

ラス従テ甲第一聞紙付属岡商字堰線路七十七番ノ内反別七十二町八畝登歩ノ地所戸会ク被告大字古懸二割ジ請求見ルケ間間二百

ルモノユシテ原告カ被告佐・々木佐太郎、佐キ木金次郎ニ封シテノ請求ハ許容スへカラサルモノトス

以上ノ理由ナルユ悶F主文ノ如ク列決セ

F

西

郎蔵敏

⑮⑮⑫

一第一審判決に劃しては、明治三十六年十二月二十二日古懸より岩館に暫し、同年同月二十八日、岩館より

佐々木某外一名に劃して、函館控訴院に控訴し、何れも前の主張を貫徹せんとした。即ち、古懸は岩館の入合樫

は認めるが、依然としてその範固につき争弘、自村も亦一部の利用擢あるととを主張した。岩館の佐々木某等に

封する主援は飽く迄論地の分筆移轄を否定するとと前審の場合と同様である。大に二つの訴献(磁桧明治三六八件一

;

/

O

コ一一獄及び、明治

三七ネJ

(}を一示さう。

一一扱

¥

2

O

ハ古

懸||岩

館、J

入品習纏確認並草木採取禁止請求之控訴

右食事者向ノ青森地方裁列所弘前文部明治一ニ十ニ年作第一

O九鱗入品目鱗確認並草木採取禁止請求事件エ付明治一一一十六年十一

月九日同支部ハ左ノ列決ヲ4

一日渡サレタリ

入品官織の笈設的研究ハ其の一〉

五九

Page 39: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

入合織の貨麓的研究門其のご

ノ、

O

被告大字古懸ρ

原告カ青森際南津腿郡碇ケ関村大字古懸字堰根探二番一一蹴原野反別九拾岡町登反武畝二十八AFノ内南添削松郡

拍倒木町村大学石郷同僚悶ノ入合反別式拾六町四畝二十七歩ヲ除キ残反別六捻八町八畝一歩及ヒ悶郡岡村岡大字字山元無調停三

十九番ノ内原野反別拾五町六反歩ノ草木全部採取ノ入合纏アル事7確認シ被告ρ

問所=・立入リ草木採取ヲ銭スベカラス

訴訟費用ρ

被告大字古懸二部スル郊分川被告大字古懸ノ負強トシ此列決五本ハ明治一一一十六年十一月サ日之カ怠蓬ア受ケタリ

宿列決山全部不服=付金部控訴申立候

本件係争物償絡ハ金四百九十関ナ

P

控訴ノ事食迎肉

本件係争地ナル碇ケ関村大学古懸字堰根津二番一一扱ノ内反別七十二町八畝一歩並岡大字学山元無深三十九番ノ内反別十五町

六反歩ユ封シテ被控訴大学ハ千本ト時制見ル稼苅取ノミノ入合纏7有スルコトハ之ヲ争ハサルモ樹木並問地ノ肥料品供スル刻

ツツキ並英他カツポシ鎗ユ付テハ地所ノ所有者"タル控訴大学エ採取ノ鍵アルモノナルヲ以テ被控訴大字カ右稔苅取入品開地全

部ニ鈎シ草木会部ノ入品目儲7主張スルハ弱

νナキコトニ胸ス然ルユ一掠裁列所ハ控訴大字-一一於テ彼控訴大字ノ前記地所二釘ス

ル卒木全部ノ入曾鍵ヲ確認ジ且ツ問所-一立入リ草木採取ヲ銭スヘカラスト判定シタルハ不蛍ノ裁判刈ナリト思料候=付覆審ヲ

仰キ候

/

原列決ノ会務ヲ駿楽セラレ吏昌一被控訴大字ノ箭求ヲ棄却スルノ御舟決ヲ受ケ度候

明治=一十六年十ニ月廿二日

O

(

llB佐身木佐太郎外一名)

入合纏確認並草木採取禁止請求ノ控訴

右質事者間ノ背縁地方裁列所弘前支部明治三拾五年川第一四一獄入合問機確認並草木採取禁止誘求事件ユ日付同裁列所ハ明治三拾

六年十一月九日左ノ如夕刻決セリ

Page 40: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

間出品目カ被告佐キ木佐太郎及ヒ佐キ木金次郎工部スル請求ヲ棄却ス訴訟愛用ハ被告佐々木佐太郎、佐・々木金次郎二封スん部分

ハ原告ノ負捻トス

右側内決-一針スル列決五本ρ

明治一二拾六年十二月二十日控訴人=於テ怠達ア受ケタルモ金鉱不服エ日付金部品製シ控訴申立候

必訴訟僚持金或百四拾岡

脳陣列決金総ア殴楽セラレ東二一被控訴人佐々木佐太郎ハ青森藤南洋騒郡碇ケ関村大宇古懸字程根海武番或貌称揚反別武町AF-一

付被絵訴人佐々木金次郎問所同番参観稼場反別或町歩三竹控訴人二草木全部糊略取ノ入品目搭アルヲ確認シ被控訴人共ハ問所-一

立入

P草木採取ヲ忽スペカラズ訴訟費用ハ第一、二審トモ被控訴人ノ負強タル可シトノ剣決相成度候

事交及捜山開

事賞理由ハ第一審裁剣所-一一於テ申立芦ルト同一=シテ背森脚腕占陶器伊騒郡碇ケ関村大学古懸字堰根深二番ノニ波及ヒ同番ノ一一一貌

ハ絵訴人大字岩館ニ於テ草木全部採取/入合様ア有スル字堰根津二番ノ反別七拾ニ町八畝登歩ノ内四一シテ控訴人ρ

古来問所

-一於テ草木採取シ来

ppル出品明治二十年二月五日地元村知チ碇ケ関村大字士口懸エ一於テ問所ノ分筆ヲ岱シ前飽二筆ノ所宥縫ヲ

役控訴人等二移轄シタリト路モ控訴人ハ積回来ノ慣例-一因H爾来倫入合様7賀行シ草木採取ヲ銭シ来P9ルモ/ナル品被控訴

人等ハ延帝都他ノ古懸村民ト共ユ問所--立入百草木ノ採取ヲ銭サント相謀P控訴人ノ纏利賀行ノ妨害ヲ銭スユ付本訴ヲ提起シ

T第一一抵乃至第十九放及人諮並検語調書ヲ援用シ立設シタルユ一旅裁列所ハ事賞ヲ朝間認シ控訴人ノ請求7排斥シタルハ失営ナ

リト思料仕候

明治三一拾六年十二月サ八日

-一裁判所に踊託の上、貴地検誼及鑑定を行はしめた。然るに数年の後に至り、控訴人大字古懸より大字岩館が「本

件訴訟ノ賞事者グル樺能ナク、且被控訴人ノ本訴請求=於テノ判決ヲ受ク可キ事項ノ申立ハ不諸法ナリ」と潤立

の抗掃を提出した。後述する如く、佐々木某外一名側よりも同様の抗措州が提出したが、之れに割し、併合の上却

右白中前者に闘し明治三十七年五月二十四日に第一回口頭掛川論を始ゐ、更に同年十一月十二日に、弘前直

入合携の寅鐙的研究(骨骨の一)

-~ ノ、

Page 41: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

入品皆様の賃設的研究(共の一)

_.-ノ、

下の中間判決がなされた(別攻参照〉。斯くして爾来再び口頭蹄論は公開されたが、多くは営募者不出頭に了り大

正七年以後は後者と併合審理をなすととLした。共聞大正十一年、控訴院が函館より札幌に移り昭和二年五月改

めて貴地検設が行はれた。とれ主として現地に於いて和解を促進せんがためであったが、師に大Eの中年に及ん

では、賞事者側に於ても和解の気運が生じ、双方より保件を提示したが未だ完全に一致するに至ら歩、昭和十年

十月二十四日の第四十一回日の口頭掃論も空しく態。た。期かる裡に青森鯨営局が別個の行政的立場より潟され

た斡旋が功を諜し、途に昭和十一年四月十日和解が成立し、周年五月十六日、訴の取下がなされた。

=一弐に佐々木某外一名に封ずる岩F

館よりの控訴は、明治三十七年六月三十日の第一回口頭婦論に始り、やが

て被控訴人よりの濁立の抗蹄に劃しては、前越の如く却下の中間判決が下され、爾後論争の中心は、主として論

地が果して所謂「見稽山」として前訴論地と別個のものであり、且つ又夫れが地元有となり現所有者に移ったと

とが正賞であるか否かに集中された。之れがため関係官躍たる青森腕属、青森大林直署其他の責任者が線動員さ

れて多数の詮人申請となり、或ひは貫地検設を行ったが、結局明治初年、地租改正賞時の調査不充分に素因を有

するととは明らかであるが、共後の手績は地元に有利な乙とが公文書に依って略明白とたった。との問題は見種

山が多い同地方として重要であるが誌には省略する。立パ後裁判所に於ても和解を勤めたが成立の見込なく、大正

七年以後前訴と併合審理に移され、との閉口頭時間論のため間延するとと二十回に近く、その過牛は休止に能った

とと前例と同様である。斯くして昭和十一年春前者と併合和解の成立を見たのである。

酒墨の中間判決の前ATは所謂営事者趨格密口巴品EBP位。

ppcNSH品目色

gp民自の問題情」あり、入合棋の訴訟

にまつはる重大友意義を持ってゐる。誌には判文を掲げて営時の法律解轄の相刻を見る可き参考資料としたい。

論旨同一であるから前者のみをかLげる。

O

Page 42: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

-U1 2

手司

青森際商品仲樫郡碇ケ関村

省代表者碇ケ関村h長

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4司

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青森際南津駆郡柏木町村

右代表者柏木町村身長

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疎開設土

右訴訟代理人

槌豊

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右事事者間ノ明治=??六年同第一o=議入室催権問時並-云木採取禁止請求ノ控訴事件-一日付一控訴人ヨり狽立ノ抗鋒ヲ提出シタ

ルデ商担蛍院ハ民事訴訟法第二百二十七俊二則

F該争駄-ニ封シ中関列決ヲ峰崎ス事如左

被控訴人二本件訴訟ノ岱事者タル纏能ナク旦被控訴人ノ本訴請求=於テノ列決ヲ受ク可キ事情明ノ申立ハ不遜法デリトノ控訴

人/抗採ハ之7却下見

控訴人ノ濁立抗捻トシテ演遮ノ要領ハ第一、本件係争ノ入合鍵川被控訴人部落ノ住民委絡ヲ保有スル共住民各個ニ跡周ス

ル財産繕一一シテ被控訴人ナル法人品一嵐スルモノェ非ラス故ニ説入合纏ノ主燈ユ非ラサル被控訴人ハ控訴人ユ針シ本件ノ如ク

該縫刻ノ線認ヲ諮求スル機能ナク従テ本件訴訟質事者タルコトヲ得サルモノナヲ第一一、本件被控訴人カ第一容以来判決ア

入合椴の貸霞的研究ハ其の一)

...... "、

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入合纏の貸鐙的研究ハ其のご

ノ、

受ク可キ事項ノ申立トシテ蹴述セル所ρ

「被告大字古懸川原告カ青森脚腕溺待駿郡碇ケ関村大学古懸字堰根路二番一日抗原野反

別九拾四町受反式畝サ八歩ノ内問際問郡柏木町村大字石郷岡原田ノ入合反別二十六町四畝二十七歩ヲ除キ時間反別六十八町八

畝一歩及悶燦同郡岡村大字古懸字山元無棚時三十九番ノ内原野反別十五町六反歩ノ草木全部採取ノ入合格アルコトヲ確認シ旦

阿印刷ニ立入F草木採取ヲナス可ラス」ト一五アユ在Fテ一筆ノ地所中幾部分ノ上-一入合様存在ノ確認ヲ請求シ

9ルモノナルコ

ト明確ナルニ右ノ如ク目的物三割シテハ皐司一反別ヲ表示シタル-一過キスシテ地盤ノ区域7酷略的ニ表示セス斯ノ如ク地盤ノ磁

域ア表示セスシテ一筆地/幾部分ノ地上ノ入品目搭存在ノ確認ヲ請求スルハ即朔決ヲ受ク可キ事情剖ノ申立トシテ不適法タルヲ

兎レス以上ニ駄ニ於テ原列決ヲ殴楽シ被控訴人ノ訴7却下セラレジコトヲ求ムト一民

7ニ在

p、被控訴人波述ノ要領ρ

被控訴

人ハ古来ヨ

p本訴表示ノ地所目一野シ係争ノ入食纏ヲ有スルモノニシテ之ノ搭利ハ被控訴人部落一一騎シ住民資格ヲ有スル部溶

ノ人民各側二胸スルモノニアラス古来本訴入曾縫ノ取扱ユ付テ村川係或ハ惣代名義ユ於テ之ヲ執行シタル事蹟ナキニ非ラサ

ルモ右ハ其蛍時一般二部落ト其住民トノ法律上ノ位地珂明セザリシ-一基クモノニシテ特ニ係争入合格カ部落ノ住民二胤スル

コトヲ表彰シタルモノエアラス嬰スルニ係争入品目擁ハ被控訴入品目胸スル搭利ナルヲ以テ被控訴人=ー本訴質事者タル機能ナシ

トノ抗隷ハ共趣向ナシ次二一被控訴人ノ本訴箭求ハ一定ノ中立晶表一不セル土地ノ境界確定ヲ目的トシタルモノユアラスシテ該

土地エ付キ一定ノ申立-一表示ノ反別=一被控訴人ノ入品開縫ノ存在スルコトノ線認7得併テ控訴人ハ草木ノ採取ヲナスコトヲ符

サル旨ノ時的事者問ノ関係ヲ決定スルコトヲ唯一ノ目的トナシタルモノユシテ之ノ趣旨品符合スル列決ア符ル以上ハ被控訴人

ハ完全ニ其訴回日7建シ且濠期スル利益ヲ枚メ得ルモノナルユ肉リ俵Pユ併セテ境界確定ノ列決ヲ得サルカ銭メ品川刊決ノ執行

三多少ノ際擬ヲ来スコトアリトスルモ銘メユ不遜法ノ請求ト務スルヲ符ス故-一剣決ヲ受ク可キ事項ノ巾申立-一一於テ不適法ナリ

トノ控訴人ノ抗縫ハ理由ナシト一試アユ在ヲ

山林又山一燥野晶於ケル草木採取ノ入合縫ハ其性質完ク一ノ牧盆終ナルヲ以テ此権利ハ部落ナル法人二胤スルコトアリ或ハ部

落ノ住民資椛ヲ保有スル人民各個二腕スルコトアリ必ラスシモ一銭ナラス故-一一一者其勃レカ主陸9ル場合ユ於テモ入合格ノ

性質-ニ民スルモノアラス我闘古来ノ償例ニ一於テ亦之レニ呉ナル事蹟ノ存在ヲ認ムル能ハサルユ

-mリ原野ユ於ケル草木採取ノ

入合綴ハ共性質住民各側二胸スルモノナリト云アカ如キ若クρ

従来一般ニ住民委絡一一従属セシモノナリト一氏7

カ如キ控訴人

ノ.主張ハ採用スルユ尚ナク而シテ甲第一一蹴説明治十年中骨同事者問-一於テ本訴入合様ヲ償脅詔

p維持スルコトニ付録取換nT

契約設欝7検スル=其宛名ハ入合岩館村御中ト記載アリテ却被控訴人部落ユ封シテ該契約ア締結シ

Rルモノナルコトヲ察知

Page 44: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

スルヲ得可ク更三中第四磁明治十年中ノ係争入。開地ノ入費金受取諮ヲ検兄ルユ一総テ其宛名ρ

岩館村村周係御中ト記載アりテ

其蛍時ニ於テハ一村ノ代表資椅フ有スル村用係ニ宛テタルモノナルヲ以テ被控訴人部務品宛テタルモノト解スルヲ得可シ此

等ノ各議書ヲ絞茸スルトキハ係争入合様ハ・古来ヨ

P被控訴人部務品開削セシモノト推定スルヲ相賞トス可ク此推定ヲ覆スニ足

ル一円キ適切ノ詮明ナクシテ住民ユ園周スル纏剥ナリト主張司ハル控訴人ノ陳惑ハ信用スル-一足ラス従テ被控訴人ユ本訴官事者タ

ル縫能ナシトノ控訴人ノ傍一抗隷ρ

共叩脱出ナシ

次回一入合纏確認請求ト入合地ノ境界確認誘求トハ各其目一的ヲ契ユスルヲ以テ同一土地-ニ封見ル揚合ト錐トモ互-一共確定ノ範

国7侵サスシテ判決スルコトヲ得可キ法律上ノ閥係ヲ有スルノミナラス各請求共-一英レユ附随スル特種ノ利盆存在スルコト

ヲ理解シ符可キユ向

p-亦必スシモ同時ノ確定ア必要トナスモノ-一アラサルヲ以テ各其請求ノ範閤内ユ一於テ列決ヲ受ク可キ事

項ノ申立ヲナス以上ハ此駄=於テ申立ρ

泡法ナ

Pト解スルア符可ク而シテ時-一或ハ右二個ノ請求カ何時-一確定セサル結果列

決ノ執行ヲ図滞ナラシムル能川サル場合ナキユアラスト畿モ之7以テ不適法ノ申立ト断スル能ハス本件被控訴人請求ノ趣旨

ハ或ル土地ノ争ナキ反別ノ上=入合様存在ノ確認ヲ得旦控訴人-一於テ草木ノ探取ヲナスコトヲ得サルコト-一食事者間ノ関係

ヲ決定スルヨトァ目的トナλ

モノユシテ其列決ヲ受ク可キ事項ノ申立中二談土地及其入合反別ヲ表示セルユ肉

pm英語求ノ

目的物ハ完全-一表示シタル毛ノト解スルヲ得可タ叉特二一被控訴人ハ箭求/趣旨ニ符合スル列決-一依テ特種ノ法盆ヲ享有シ符

ル毛ノナルコトヲ推定シ符可キユ自習要之被鈴訴人ノ一一定ノ申立戸其錆求ノ趣旨ニ封限シテ形式上適法ナルコトヲ断スルア

得可ク同時-一入舎地盤ノ抽出界ヲ確定スルノ申立ヲ附加セサルモ之ヲ不遜法ノ申立ト論スルヲ得ス故ニ此慰-工作テノ控訴人ノ

抗隷亦其理由ナジ

以上ノ理由ヲ以テ主文ノ如ク剣決ス

西

次永

喜 祭

入合格の貸設約研究〈其の一〉

六五

郎郎文郎郎

Page 45: Instructions for use - HUSCAP入品目縫の食設的研究ハ其の一〉 二四 る。唯中にあって、全く取抽出されたとの部門には、深刻な紛守が相,次いで殻生し、農村に一抹の暗問視をもたらしてゐ根となったのである。就中、入合制度についてこの憾みが最も茜しい。

入金憾の賃設的研究(其の一)

六六

五過渡期に於ける錯綜した法制の時代に麗し、営時者の農山村特中旬の心理も加はり、まととに複雑な内容をもって

ゐる。即ち一面に於いて封建的慣行と近代的法制との矛盾相到の縮闘であり、他面農山村の経済生活が過渡期に

受ける不安動揺を反映してゐる。而して町村長の交替、裁判官の移動等も手停って訴の進行意の如くなら歩、両

者を併せれば質に約六十回の閉廷が行はれたが、その過牛は「官事者不出頭」のため中止に了ってゐる。

第五節和解成立の経過と其の保件

本件については官事者聞に於ても明治末期より和解の意思はほのめいて居たが、裁判所でも屡々勧併を試

以上に示した様に、此の岡件は其の封象が歴史的に混沌たる封建時代の慣行に渡し、更に近代的制度への

みた。かL

る聞に、政府に於いては明治四十三年部落有林野の統一整理の方針を決定し、之れに基いて青森鵬首

局が鋭意その事業の進捗をはかり、拾に裁判所側の努力と相候って漸く機運は熟し、所有樺分配の比率が争貼と

なるに過ぎなくなったのである。しかしながら、附近の同種問題と異り、本件は感情の封立も多少手停ってその

解決が遅れ、鵬首局者が詮艇の結果、前後三固に亙る協議合(藷湖畔L

剛一一一hfnp想同月)の結果漸く解決の

時党を見出し、遂に昭和十一年四月十一日、第四回目に至り完全に一致を見るに至った。而して之等は何れも雨

町村の中間に介在する大鰐町樟上で行はれた。

に協定書は次の題りでるる。既に前章に詳述した如く、営該地方の慣例に従ひ、論地の所有権を分ったので

るるが、その比較は、法律上の所有者に少く、用益擢者に遥かに多いととが注目に値する。即ち、面積合計約九

十町歩を、との地方の慣例|約三

O!七OMに分けたのであるが、震測上では地元約二十二町、入合六十八町飴、

即ち二五l七五%とたってゐる。従来一般に是認された概念的の所有権優越性から見て、遥かに遠い何物かどひ

そむととろに、入舎櫨||少く共との地方の111の慣行のもつ特殊性を示してゐる。

O

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南津軽郡碇ケ関村大字古懸裁岡郡柏木町大字岩館入合格解消協定書

一、商品伸極郡碇ケ関村大字古懸字山一万無涼一一一九

000歩

一、河郡同村大字古懸字堰根深ハ土地護般には鰯根深とあり

l筆者〉

O八

O一歩

右-一針スル入合繕解消ノ上地元大字古懸ニ一於テρ

左記ユヨ

p大字岩館へ無償譲奥スルモノトス

門口愚両院

一、堰根四時二番目ノ接7境界トシ上流ニ肉ツテ右側ハ大字古懸左側ハ大字岩館エ一於テ取得シ最後ノ境界線ハ終駄依リ川/

流ユ直角ユ降ルモノトス

但シ異論地四町歩ハ双方ユ一於テ折宇ノ上左側ハ大字紫館右側ハ大字古懸ユ於テ取得ノ事

昭和十一年四月十一日

右協定二参奥セル官公吏

中間津駿郡碇ケ関村大中山a

古懸

南海極郡材木町大字岩館

盛 直俊卒卒 五 太

商品作経郡碇ケ関村

長官日長

『溺溜

南常的腿郡柏木町

背察耐腕食林技師

JIl

入晶胃柵棋の質語的研究(其の一

v

六七

JifS .ars 手目陵治郎 古 - 吉 郎

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入合格の究設的研究内其のご

六八

~,

本件は質に津軽地方に多い他村入舎の特般をよく示すのみならや、本邦に於ける入合躍の主艦内容殻力等に閲

する主なる問題をふくみ、この制度に謝する立法行政及び司法の三営局夫々異づた立場からの方針態度等を究む

るためにも貴重の資料と信守る。特に私が興味を畳えるのは、その訴訟記録に現はれた論争よりも、寧ろ、所謂

解消保件に示された所有樺分割の比率に就いてである。即ち、財産法上最も重要の地位を占むる所有権者と用盆

擁者たる入命権者とが、夫A

二割八乃至三割七といふが如き、後者が遥かに優越せる比率を以って分割してゐる。

とれ現代法律制度の所有権中心思想から凡そ想像だも及ばないととろでるる。勿論、ローマ法流の所有樺偏重論

に封し、リグルマン法の研究、社合法臨一白勃興等に刺戟され、近時用益躍の隼重設が撞頭しつつあり、就中、農業

法に於てその必要が痛感せられ、立法上にも漸決に共の傾向が示されて来つつあるが、部落有林野統一政策を契

機として、入合確につき、如上の如き行政施設が行はれつつあるととは注目に値する。向段、との意味に於いて

入合躍と封建的慣習法たる鮪に於いて一服相通やる永小作権に謝する政府の立法政策が、飽くまで名義上の所有

躍者に厚くして、用盆樺者たる永小作人に薄き貼と相封比すれば、何れが正しいか、夫の批判に役立つ可き一一闘

をも有してゐると考へる。唯問題が複雑してゐるために説明の不充分の賠もあり、頁数が意外に超過した矯め省

略した資料も向ほ相営にある。而して之等に就ては今後更に研究を重ねた上再論するととL

なし、故に一先づ筆

を捌きたい。

へ昭和十四年二月稲)