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1 ZOOM 講座第 5 回 不許複製・禁無断転載 瀬織津姫(セオリツヒメ)のお話 瀬織津姫がいなければ、日本の皇室は続いていなかった。 瀬織津姫によって三種神器(ミクサタカラ)が完成した。 瀬織津姫は「ゆるしの姫(神)」であった。 瀬織津姫は、女性の心を守る神となった。 やさしいホツマツタヱ 1 巻142頁の系図を参照。 瀬織津姫様は、清らかな滝の流れる所(三島、瀧川神社)でお生まれになりました。 お父様は大山祇(オオヤマスミ)という方です。 大山祇様は、初代天皇、国常立(クニトコタチ)様がお生みになった八人の皇子(ヱヒタメ トホカミ)のお一人、トの命(ミコト)のご子孫です。 トの命はお兄様(ヱの命)の後を継いで、二代目の天皇(アマカミ)となりました。 トの命は、父、国常立の建国の精神を受け継ぎ、橘の木を富士山の麓に植えました。 橘は、勾玉と同様、国の物実(ものざね=シンボルでした)でした。 橘と勾玉は、トの教え(陰陽和合=♡の精神)を象徴していました。 大山祇がお暮しになっていた場所は、富士山周辺でした。代表的な神社として、三島大 社、大山祇神社(福島・愛媛大三島)、大山阿夫利神社があります。大山祇は、七代目天 皇、 伊邪那岐・伊邪那美(イサナギ・イサナミ)様にお仕えする重臣でした。ウヲヤ翁と 呼ばれていました。大山祇は、六代目天皇、面足・惶根(オモタル・カシコネ)様にお 世継ぎが出来ないことを大変心配していました。 2 代目大山祇、セオリツヒメの兄、海運の神でもあったようだ。東郷平八郎は大山祇神 社に必勝祈願している。 真浦神社(千葉県)、マウラは 2 代目オオヤマスミの子 溝咋神社(みぞくいじんじゃ)は、大阪府茨木市の御祭神、ミゾクイはミシマミゾクイ とも言った。ミシマの謂れ。御祭神は玉櫛媛命 (たまくしひめのみこと) - 五十鈴媛命の

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ZOOM講座第 5 回 不許複製・禁無断転載

瀬織津姫(セオリツヒメ)のお話

① 瀬織津姫がいなければ、日本の皇室は続いていなかった。

瀬織津姫によって三種神器(ミクサタカラ)が完成した。

瀬織津姫は「ゆるしの姫(神)」であった。

瀬織津姫は、女性の心を守る神となった。

② やさしいホツマツタヱ 1巻142頁の系図を参照。

③ 瀬織津姫様は、清らかな滝の流れる所(三島、瀧川神社)でお生まれになりました。

お父様は大山祇(オオヤマスミ)という方です。

大山祇様は、初代天皇、国常立(クニトコタチ)様がお生みになった八人の皇子(ヱヒタメ

トホカミ)のお一人、トの命(ミコト)のご子孫です。

④ トの命はお兄様(ヱの命)の後を継いで、二代目の天皇(アマカミ)となりました。

トの命は、父、国常立の建国の精神を受け継ぎ、橘の木を富士山の麓に植えました。

橘は、勾玉と同様、国の物実(ものざね=シンボルでした)でした。

橘と勾玉は、トの教え(陰陽和合=♡の精神)を象徴していました。

⑤ 大山祇がお暮しになっていた場所は、富士山周辺でした。代表的な神社として、三島大

社、大山祇神社(福島・愛媛大三島)、大山阿夫利神社があります。大山祇は、七代目天

皇、伊邪那岐・伊邪那美(イサナギ・イサナミ)様にお仕えする重臣でした。ウヲヤ翁と

呼ばれていました。大山祇は、六代目天皇、面足・惶根(オモタル・カシコネ)様にお

世継ぎが出来ないことを大変心配していました。

2 代目大山祇、セオリツヒメの兄、海運の神でもあったようだ。東郷平八郎は大山祇神

社に必勝祈願している。

真浦神社(千葉県)、マウラは 2 代目オオヤマスミの子

溝咋神社(みぞくいじんじゃ)は、大阪府茨木市の御祭神、ミゾクイはミシマミゾクイ

とも言った。ミシマの謂れ。御祭神は玉櫛媛命 (たまくしひめのみこと) - 五十鈴媛命の

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母と媛蹈鞴五十鈴媛命 (ひめたたらいそすずひめのみこと) - 神武天皇皇后。

大阪高槻市地図

三島は御島(みしま)が正解

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⑥ 同じように、五代目高御産巣日(タカミムスビ)であった豊受神(トヨケカミ)様も心

配していました。豊受神は、八皇子のお一方、タの命のご子孫で、東北から箱根周辺ま

でを治めていた天皇を支える有力な豪族です。高御産巣日(タカミムスビ)家を襲名し

ていました。お世継ぎのことで心を痛めていた豊受神は、富士山の頂上から国を眺め、

国の乱れを大変心配され、月山に登り、ここに世継ぎ社(やしろ)を建て、八千回の禊

をして皇子の誕生を祈りました。

⑦ また同様に豊受神の娘であった伊邪那美も、夫・伊邪那岐と伴に、富士山の山頂に登り、

一千日の皇子誕生の祈りの行をいたしました。こうした祈りが天に通じ、お生まれにな

ったのが、天照大神(アマテルカミ)様です。

⑧ 祈りの力によって、太陽から精霊が日輪(ひのわ)となって降りて来て、伊邪那美のお

腹にお籠りになりました。旧暦の一月一日が天照大神のご生誕日です。ご生誕の日に、

大山祇が祝いの歌を歌います。「むべなるや 行きのよろしも 御世継も 世々の幸い

開けりと」と三日三晩歌い続けました。この歌が、富士山一帯に響きわたりました。

⑨ 生まれた時の天照大神のお名前は「若仁(わかひと)」言います。豊受神によって授けら

れたお名前です。

⑩ やがて大山祇の后は、後に瀬織津姫となる方を身籠ります。瀬織津姫が生まれた時の名

は「秀子(ホノコ)」といいました。そして滝の近くで生まれたことから、瀬がつく名前

「瀬織津姫」と呼ばれるようになりました。ヲシテ文字でセは「清らかな水」を意味し

ます。瀬織津姫の生まれた所(瀧川神社)は、富士山からの水が湧き出るとてもすがす

がしい地(柿田川)でした。

⑪ また瀬織津姫のお名前の前に、「さくなだり」という言葉が付くことがありますが、こ

れは「早く降りる渓流」という意味です。温暖で、豊かな作物が取れ、駿河湾からは、

たくさんの魚介類が水揚げされる豊かな地で育った瀬織津姫は、両親の愛情ある教育を

受け、雅(みやび)で情けのある娘へと成長しました。

⑫ 天照大神が十六歳になった時、祖父、豊受神の命により、日高見(今の多賀城・宮城県)

より迎えの使者がやってきました。こうして天照大神は、故郷の地(富士宮・富士山本

宮浅間神社)から日髙見に、留学のために旅立っていきました。

⑬ 日高見の地で十一年間過ごした天照大神は、立派な青年となって、故郷に戻ってきまし

た。そこで両親の伊邪那岐・伊邪那美は、天照大神のお后募集の詔(みことのり)を出

されました。

⑭ 日本の各地から十二人のお后が選ばれ、それぞれ三人が、東西南北に分かれて、月ごと

にお后の役目を果たすことになりました。南の典侍(すけ)后に選ばれたのが、瀬織津

姫でした。お后の身分は、位の高い順に、典侍(すけ)、内侍(うちめ)、御下侍(おし

もめ)に分かれていました。

⑮ 八代目天皇になった天照大神は、お后より一段高いところにお暮しになっていました。

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ある時、下にお暮しになるお后を見ていたところ、とても光輝くお后に目を奪われてし

まいました。

⑯ そのあまりにも雅(みやび)なお振舞いに、天照大神は思わず階段(きざはし)を踏み

降りて、そのお后を、ご自身のお住まいに迎え入れてしまいました。そのお后こそが、

瀬織津姫様であったのです。こうして瀬織津姫は、日々天照大神のお振舞いに触れるに

つれ、国を思う指導者がどのような方なのかを、学ぶことが出来たのです。

⑰ さて天照大神のお后で、北の典侍であった持子様に初の皇子が誕生した時のことです。

皇子のお名前は、穂日命(ホヒノミコト)といいました。ホヒノミコトの子孫が千家・

北島家です。また土師氏の祖ノミノスクネもホヒノミコトの子孫です。

⑱ 持子は、自分の子が次の天皇になると信じていました。ところがその後に、瀬織津姫が

皇子、忍穂耳(オシホミミ)をお生みになり、その皇子がお世継ぎになることになって

しまいました。

⑲ 持子は大変悲しみ、同時に瀬織津姫を心底恨むようになって行きました。そんなある日、

持子の妹で天照大神のお后、北の内侍であった早子様が、天照大神の弟君、素佐之男(ソ

サノヲ)様の御心が荒れていることに同情したことから、いつの間にか、素佐之男に愛

情を抱くようになっていました。素佐之男は、自分が一目ぼれした女性、速吸姫(ハヤ

スフヒメ)との結婚を、天照大神に許してもらえず、大変怒っていたのです。モチコ・

ハヤコの父はクラキネです。イサナギの弟で、自由奔放な方でした。サシミメとも結婚

します。

⑳ ある日のこと、素佐之男が剣を持って天照大神を切り殺そうと思っていた時に、早子は

それを押しとどめ、「もしあなた様が天照大神を斬って、天皇になろうとするならば、

まだ時期が早いと思います。ここは待って時期をみましょう」と言い聞かせ、押し止め

ました。

21 このお二方の会話を、瀬織津姫の妹で天照大神の南の内侍であった花子(ハナコ)様が、

偶然聞いてしまったのです。花子は見て見ぬふりをしてその場を立ち去り、そのことを

姉、瀬織津姫に告げました。

22 これをお聞きになった瀬織津姫は、天照大神が御幸(みゆき=行幸)に出て留守の時に、

持子、早子の姉妹を呼び、このように伝えました。「天照大神様のお二方へのお気持ち

は、いまやすっかり冷え切っておられます。もはやここに居ることはできません。宇佐

の赤土(アカツチ)様を頼ってそこで、しばらくの間お暮しになって下さい。また持子

様の長男、穂日命はこちらで預かります。早子様の三人の娘は、一緒に連れて行かれる

が良いと思います」。

23 このお言葉に従い、お二方と三娘は、宇佐に旅立っていきました。赤土様が用意した、

五人がお住まいになる地は、それはそれは寂しい所(御許山おもとやま

・宇佐神宮奥宮)でした。

24 一方自分の理解者である早子がいなくなり、素佐之男は荒れ狂いました。水田や畑を荒

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らし、岩を蹴散らし、民を大変苦しめました。そればかりでなく、密告した花子への恨

み、怒りが爆発して、馬を機織り小屋に投げ込みました。驚いた花子は逃げようとして、

あわてて立ち上がる時に、機織りの杼(ひ)がお腹に刺さり、そのまま息が絶えてしま

いました。

25 これを知った天照大神は、素佐之男の心を直すために、歌を詠み聴かせます。

「天が下 やわして巡る 日月こそ 晴れて明るき 民の親(たら)なり」。素佐之男よ、

あなたは民の指導者となるべき皇室の人間であります。皇族は、お日様やお月様のように、

民にやわらぎの心を伝え、いつも明るく照らす親のような人でなくてはなりません。そのあ

なたが、民を困らせ、怒りをぶつけているというのは、とても残念なことです。

26 この様に伝えましたが、素佐之男の怒りは一向に収まらなかった為に、天照大神は、岩

戸の中にお隠れになってしまいました。

瀬織津姫は、天照大神が岩戸にお隠れになったことを知り、とても心を痛めていました。妹

の花子が死んだこともあり、世の中が真っ暗になってしまうことを心配していたのです。

27また琵琶湖の東岸、野洲(牧町の五所神社)に住まわれていた天照大神の姉、和歌姫(ワ

カヒメ)と夫の思兼(オモイカネ)も、そのことを感じとり、思兼はすぐに岩戸(鸚鵡磐)

に飛んでいったのです。

阿賀神社、高宮神社(オシホミミ)

観音正寺繖山(きぬがさざん)もオシホミミか?

29 そこで思兼は、死んだ花子のために俳優(わざおぎ)を歌い語りかけます。俳優とは死

者に語りかける歌です。「香か

久ぐ

の木 枯れても匂にほ

ゆ しをれても良よ

や 吾が妻あわ

吾が妻あわや しをれても良や 吾が妻 あわ」

この歌によって死んだ花子の御霊(みたま)は、星となって天元(あもと)に還ることが出

来ました。

30 岩戸の前では、鈿女(うずめ)が神聖な装束に身を包み、赤い玉、鏡、幣帛を付けた木

の枝を持って踊ります。また大勢の人々が、天照大神の岩戸に向かって長幸(ながさき)や、

と声を張り上げます。

31 岩戸の中にいた天照大神が、岩戸を少し開けて外の様子を伺おうとした、その時に、思

兼の息子、手力男(タチカラヲ)が怪力で、その岩戸を投げ飛ばします。

岩戸が開かれたことで、あたりに光があふれ出て、人々は歓喜に包まれたのです。

32一方、素佐之男は捕らえられ、朝廷(たかま)より死刑が宣告されることになりました。

これを知った瀬織津姫は、使者を送り、この様に伝えたのです。

「死んだ我が妹、花子の御霊(みたま)は、思兼さまの俳優(わざおぎ)によって、無事、

天元に還ることが出来ました。よって花子は再び転生し、この地上に戻ってくることでしょ

奥津嶋神社

天之御中主尊神社

奥津嶋神社

沙沙貴神社

北之庄神社

大笹原神社

伊崎不動

八王子社

加茂神社 戸津神社

五社神社

兵主神社

長澤神社

篠原神社

勝部神社

奥石神社

阿賀神社

(太郎坊宮)

新宮神社 活津彦根神社

日牟礼八幡宮

御上神社

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28 そこで思兼は、死んだ花子のために俳優(わざおぎ)を歌い語りかけます。俳優とは死

者に語りかける歌です。「香か

久ぐ

の木 枯れても匂にほ

ゆ しをれても良よ

や 吾が妻あわ

吾が妻あわや しをれても良や 吾が妻 あわ」

この歌によって死んだ花子の御霊(みたま)は、星となって天元(あもと)に還ることが出

来ました。

岩戸の前では、鈿女(うずめ)が神聖な装束に身を包み、赤い玉、鏡、幣帛を付けた木の枝

を持って踊ります。また大勢の人々が、天照大神の岩戸に向かって長幸(ながさき)や、と

声を張り上げます。

岩戸の中にいた天照大神が、岩戸を少し開けて外の様子を伺おうとした、その時に、思兼の

息子、手力男(タチカラヲ)が怪力で、その岩戸を投げ飛ばします。

岩戸が開かれたことで、あたりに光があふれ出て、人々は歓喜に包まれたのです。

29一方、素佐之男は捕らえられ、朝廷(たかま)より死刑が宣告されることになりました。

これを知った瀬織津姫は、使者を送り、この様に伝えたのです。

「死んだ我が妹、花子の御霊(みたま)は、思兼さまの俳優(わざおぎ)によって、無事、

天元に還ることが出来ました。よって花子は再び転生し、この地上に戻ってくることでしょ

う。ですから、素佐之男様の罪を減刑してあげてください。素佐之男様は、祖先や親族にあ

った膿が、たまたま素佐之男様の心身にあらわれただけのことで、本当は、素佐之男様お一

人の罪ではないのです。私には、素佐之男様を恨む気持ちなどさらさら御座いません。」

こうして素佐之男は死刑をまぬがれたものの、皇族の地位がはく奪され、下民(したたみ)

となり、罪人として青い衣を着せられ放浪することになりました。

30このような様子を知り、天照大神は、満み

ち清す

けの歌を歌い舞いました。「天晴あ は

れ あな面おも

白しろ

あな楽し あなさやけ おけ さやけおけ あわれ おもしろ さやけおけ あなた

のし」

これに合わせて皆も踊り舞ったのです。これが神楽のはじめ、と言われています。

31破垂(ハタレ)の乱

素佐之男が荒ぶれた原因は、結婚が許されなかったことにあったのですが、一方で、天照大

神の父、伊邪那岐(イサナギ)様の弟君、椋杵(クラキネ)様のご結婚にも問題があったの

です。

椋杵様は、天皇(アマカミ)になれないことから、皇族の規範を破り、素性の分からない差

美女(サシミメ)と結婚し、椋子姫(クラコヒメ)を儲けました。

32 差美女は、日本海側にいた、とても美しい女性でした。椋杵は、この方に一目ぼれし、

そのために差美女の親族と名乗って近づいてきた胡久美(コクミ)、白人(シラヒト)とい

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う悪党を重用し、益人(マスヒト)という高い身分に付けてしまったのです。益人は、今で

いう県知事のような役職であったと思われます。

33胡久美、白人は、賄賂(まいない)をとって、政治を行ったため、日本海側の国の乱れ

が起きてしまいました。このため、この乱れを治めるために、天照大神の依頼により、豊受

神が日高見(東北)から天橋立(知恩寺・真名井神社)にやってきました。

ここを拠点として、豊受神が善政を行ったことから、ようやく乱れは収まってきました。し

かし高齢であった豊受神は、この地でお亡くなりになりました。

34豊受神が亡くなる前に、天照大神が呼ばれ、最後の皇道教育が授けられました。「天照大

神とここに居る皇族の皆さん、しかと聞いて欲しい。君という存在は、幾世にもわたる御親

(みおや)という存在であります。民を常に愛し、民の親として振舞って下さい。それはこ

の国を建国した国常立様の詔(みことのり)であります」。

35 この様にお話された後、豊受神は、真名井山の磐座(いわくら)に生きたままお入りに

なり、そのままお亡くなりになりました。このような死に方を豊受法(とよけのり)といい

ます。豊受法をすることで、御霊はいつまでもこの地上界に居続け、民を見守っていくこと

が出来るのです。死後、豊受神は朝日神(京都・比沼麻奈為神社)として祀られます。

36豊受神の御霊を守るために、天照大神の后、持子、早子姉妹が富士山の宮から丹後(大

宮売神社)に行くことになりました。これは持子、早子姉妹が宇佐に流される前のことです。

また天照大神は、十年間この地(与謝・天橋立)に留まり、政治を取ることになりました。

一方、瀬織津姫は、舟で気仙沼に行き、豊受神を祀る神社(大宮神社・岩手県)をお建てに

なりました。また瀬織津姫のご神体山を早池峰山と定め、そこから大宮神社を守ることにし

ました。

37 しかし胡久美・白人の犯した罪のエネルギー(悪の波動)は、全国の悪党に伝播し、大

きな破垂の集団を生み出していました。彼らは、稲作の恩恵にあずかれず、里山の人々に強

い嫉妬心を抱いていました。

やがて六つの破垂の集団となって朝廷に襲い掛かってきました。

38このころ天照大神は、天橋立から富士山の宮に還った後、伊雑(いさわ・三重県志摩市)

に宮(伊雑宮)を遷し、ここで日本各地に起きる出来事を聴取し、祭り(政治)を摂ってい

ました。伊雑宮移転の理由は母の墓所に近いから。花窟神社(熊野)がイサナミの墓所

瀬織津姫も常に天照大神のおそばにいて、その様子を把握していました。

39天照大神は、破垂という悪党になったとは云え、彼らも人であることから、殺さずに、

改心させることで、いつか国に貢献するであろうという考えのもとで、皇軍の司令官に死者

を出さない為の指示を出していました。

天照大神は、破垂が、好物に弱いということを見抜き、好物を投げ入れ、破垂が貪っている

その隙に、蕨縄で彼らを捕えました。

カナサキ(住吉神)翁の御言。

われもなし いつくしをもて かんかたち なかこすなおに かんかたち よくものしる

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は かんとほり ことなふたもつ くしひるそ たたやわらきを てだてなり

さつさつづうた

さすらても はたれもはなけ みつたらす かかんなすがも てだてつき かれのんてん

も あにきかず ひつきとわれは あわもてらすさ

40ある時、榛名(ハルナ)を大親分とする破垂の集団が、天照大神のお膝元までやってきまし

た。そこで瀬織津姫が持っていた真写(マフツ)の八咫鏡(ヤタカガミ)で、彼らを映してみる

とそこには鵺脚持(ヌエアシモチ)という、災いをもたらす怪鳥が映っていました。

この八咫鏡のお蔭で、怪鳥(=人々の闇)を祓うことができ、破垂という悪党を善人に変え

ることができました。鵺脚持は、人々の心の闇が生み出した怪鳥でした。

41後にこの八咫鏡は、二見ヶ浦の夫婦岩に据え付けられ、見る人の心の闇(が)を光に変

えたのでした。こうして瀬織津姫の八咫鏡のお蔭で、多くの破垂を殺さずにすんだのです。

さて、宇佐の御許山に着いた持子、早子姉妹は、瀬織津姫の策謀によってこの地に捨て置か

れたと思い怒りが込み上げてきました。そもそもの瀬織津姫のお考えは、このお二方に反省

を促すものだったのですが・・・。

42怒りが極まったお二方は、早子の三娘を置いて、この地を去っていきました。さすらい

ながらたどり着いた地が出雲の地でした。ここに胡久美と白人が合流すると、たちまち叢雲

(むらくも)が現われ、やがて大蛇(ヲロチ)が叢雲から生まれてきました。この大蛇は頭

が八つあることから、八岐大蛇(ヤマタオロチ)と呼ばれていました。この八岐大蛇は、早

子の化身でした。この八岐大蛇が、素佐之男の初恋の姫、早吸姫(ハヤスフヒメ)をかみ殺

してしまいました(28-74)。早吸姫は赤土の娘でした。早子は、赤土が御許山に住むよう

命じたことにも恨みを持っていたのです。

43 このような時に、罪人となった素佐之男が出雲にやってきました。たまたま赤土の弟、

足撫槌(アシナツチ)の家に行きますと、彼は八姫の内、早吸姫を含む七姫が八岐大蛇に食

べられたことを訴えました。最後に残った姫、奇稲田姫(クシイナダヒメ)を見た素佐之男

は、この姫が、初恋の姫、早吸姫にそっくりであったことに驚きます。素佐之男が早吸姫の

御霊(みたま)を弔いますと、それを見届けていた奇稲田姫は、素佐之男の寂しい心を受け

入れ、お二方は結ばれます。

44 その後、素佐之男は、八岐大蛇(早子の化身)を切り殺し、胡久美、白人らの破垂も、

伊吹戸主とともにうち滅ぼしました。こうして出雲の地は平穏となり、素佐之男は奇稲田姫

と共に、国造りに励んだのでした。

お二方の間に生まれた皇子で、大国主(オホナムチ)という方は、父の後を継いで、出雲を

大発展させると同時に、国を守る大人物となりました。彼は、大物主(オオモノヌシ)とい

う役(今の警察庁長官)を与えられ、国を守りました。

45 また大国主の皇子、恵比寿(クシヒコ)も二代目大物主となり、三輪山・大神神社に祀

られています。

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もし、瀬織津姫が素佐之男の命を救わなければ、こうした偉人は現れなかった訳です。

一方、持子は九頭大蛇(コカシラノオロチ)となって、蝦夷の山に隠れ潜んでいました。そし

ていつか瀬織津姫をかみ殺そうと狙っていたのです。

46 ところが瀬織津姫が先に死んでしまったために、その思いは果たすことができませんで

した。後に、持子は、戸隠山にて手力男によって改心し、九頭龍となって人々を救うように

なりました。ハヤコが八の八岐大蛇、モチコが九の九頭大蛇。オモイカネの御子タチカラヲ

が御食(ミケ)で、人に戻した。食事がいかに大事か。

47瀬織津姫は晩年に、天照大神から、このようなお言葉をいただきます。「瀬織津姫よ、あ

なたは、これまでの后たちの恨み心で、様々な災難に巻き込まれ、国に大乱が起きてしまい

ましたが、これからは、我が姉、和歌姫と共に、女性の心が荒れぬよう、広田(広田神社・

神戸市)にて女性の心を守って欲しい。」

瀬織津姫は六甲山(むかつやま)の祠(六甲大伸)で、和歌姫は越木岩の祠(越木岩神社)

でお亡くなりになりました。

古代史ホツマツタヱの旅1巻 175,176頁の写真を参照。

48 古事記、日本書記では、まったく触れられていない瀬織津姫様は、天照大神様の御心を

よく理解し、天照大神を支え、またご自身で詔を出されるほどの方でした。瀬織津姫様が居

られなければ、三種神器(ミクサタカラ)も生まれておらず、その後の天皇家の存続も危う

くなっていたかもしれません。

49以上のお話を知ることで、大祓詞(おほはらへのことば)の深層が理解できます。

大祓詞にあります速開都比賣(ハヤアキツヒメ)とは、住吉神(カナサキ)の娘で、瀬織津姫

と同様、天照大神の后となった方のことです。速開都比賣も瀬織津姫と共に、破垂の乱にお

いて活躍され、後にお世継ぎの皇子に魔が入らぬよう天児(あまがつ)という人形を作り、

天皇家を守りました。

50大祓詞(おほはらへのことば) 神拝詞(神社本庁蔵版より)

高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以て 八百萬神等を神集へに集へ賜ひ 神

議りに議り賜ひ

たかまのはらにかむづまります すめらがむつかむろぎ かむろぎのみこともちて やほよろ

づのかみたちをかむつどへにつどへたまひ かむはかりにはかりたまひ

て 我が皇御孫命は 豊葦原瑞穂國を 安國と平らけく知ろし食せと 事依さし奉りき

此く依さし奉り

て あがすめみまのみことは とよあしはらみづほのくにを やすくにとたいらけくしろしめ

せと ことよさしまつりき かくよさしまつり

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し國中に 荒振る神等をば 神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 語問ひし 磐

根 樹根立 草

しくぬちに あらぶるかみたちをば かむとはしにとはしたまひ かむはらひにはらひたまひ

て こととひし いはね きねたち くさ

の片葉をも語止めて 天の磐座放ち 天の八重雲を 伊頭の千別きに千別きて 天降し依

さし奉りき

のかきはをもことやめて あめのいはくらはなち あめのやへぐもを いつのちわきにちわき

て あまくだしよさしまつりき

此く依さし奉りし四方の國中と 大倭日高見國を安國と定め奉りて 下つ磐根に宮柱太敷

き立て

かくよさしまつりしよものくになかと おほやまとひだかみのくにをやすくにとさだめまつり

て したついはねにみやばしらふとしきたて

高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて 天の御蔭 日の御蔭と隠り坐し

て 安國と平けく

たかまのはらにちぎたかしりて すめみまのみことのみづのみあらかつかへまつりて あめの

みかげ ひのみかげとかくりまして やすくにとたいらけく

知ろし食さむ國中に成り出でむ天の益人等が 過ち犯しけむ種種の罪事は 天つ罪 國つ

罪 許許太久の

しろしめさむくぬちになりいでむあめのますびとらが あやまちをかしけむくさぐさのつみご

とは あまつつみ くにつつみ ここだくの

罪出でむ 此く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打ち切り 末打ち断ちて 千座の

置座に置き足

つみいでむ かくいでば あまつみやごともちて あまつかなぎをもとうちきり すゑうちた

ちて ちくらのおきくらにおきた

らはして 天つ菅麻を 本刈り断ち 末刈り切りて 八針に取り辟きて 天つ祝詞の太祝

詞を宣れ

らはして あまつすがそをもとかりたち すゑかりきりて やはりにとりさきて あまつのり

とのふとのりとごとをのれ

此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披きて 天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞

こし食さむ

かくのらば あまつかみはあめのいはとをおしひらきて あめのやへぐもをいつのちわきにち

わきて きこしめさむ

國つ神は高山の末 短山の末に上り坐して 高山の伊褒理 短山の伊褒理を掻き別けて聞

こし食さむ

くにつかみはたかやまのすゑ ひきやまのすゑにのぼりまして たかやまのいぼり ひきやま

のいぼりをかきわめてきこしめさむ

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此く聞こし食してば 罪と言ふ罪は在らじと 科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く

朝の御霧

かくきこしめしてば つみといふつみはあらじと しなどのかぜのあめのやへぐもをふきはな

つことのごとく あしたのみぎり

夕の御霧を 朝風 夕風の吹き払ふ事の如く 大津辺に居る大船を 舳解き放ち 艫解き

放ちて 大海原

ゆふべのみぎりをあさかぜ ゆふかぜのふきはらふことのごとく おほつべにをるおほふねを

へときはなち ともときはなちて おほうなばら

に押し放つ事の如く 彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて 打ち掃ふ事の如く 遺る罪

は在らじと 祓

におしはなつことのごとく をちかたのしげきがもとを やきがまのとがまもちて うちはら

ふことのごとく のこるつみはあらじと はら

へ給ひ清め給ふ事を 高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ 速川の瀬に坐

す瀬織津比賣

へたまひきよめたまふことを たかやまのすゑ ひきやまのすゑより さくなだりにおちたぎ

つ はやかわのせにますせおりつひめと

と言ふ神 大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮

の八百會に坐

いふかみ おほうなばらにもちいでなむ かくもちいでいなば あらしほのしほのやほぢのや

しほぢのしほのやほあひにます

す速開都比賣と言ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば 気吹戸に坐す気吹戸主と

言ふ神 根

はやあきつひめといふかみ もちかかのみてむ かくかかのみてば いぶきどにますいぶきど

ぬしといふかみ ねのくに そこの

底國に気吹き放ちてむ 此く気吹き放ちてば 根國 底國に坐す速佐須良比賣と言ふ神

持ち佐須良ひ失

くににいぶきはなちてむ かくいぶきはなちてば ねのくに そこのくににますはやさすらひ

めといふかみ もちさすらひうしな

ひてむ 此く佐須良ひ失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 天つ神

國つ神 八百

ひてむ かくさすらひうしなひてば つみといふつみはあらじと はらへたまひきよめたまふ

ことを あまつかみ くにつかみ やほ

萬神等共に 聞こし食せと白す

よろづのかみたちともに きこしめせとまをす