Title 居延漢簡にみえる賣買關係簡についての一考察 東洋史研...

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Title 居延漢簡にみえる賣買關係簡についての一考察 Author(s) 角谷, 常子 Citation 東洋史研究 (1994), 52(4): 545-565 Issue Date 1994-03-31 URL https://doi.org/10.14989/154471 Right Type Journal Article Textversion publisher Kyoto University

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Title 居延漢簡にみえる賣買關係簡についての一考察

Author(s) 角谷, 常子

Citation 東洋史研究 (1994), 52(4): 545-565

Issue Date 1994-03-31

URL https://doi.org/10.14989/154471

Right

Type Journal Article

Textversion publisher

Kyoto University

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全-け久局、。ル

第五十二巻

第四競

卒成六年三月設行

居延漢簡にみえる責買闘係簡についての一考察

tこ

- 1 ー

漢代漣境において卒や吏の聞で行われる経済活動については、比較的資料が豊富である。とはいってももちろん文献に

はないので、もっぱら筒膿に頼ることになる。周知の如く、居延からは新奮あわせて約三高黙の簡臆が出土しているが、

その中には吏や卒の聞で行われる個人的な買買に闘するものも少なからず含まれている。そしてそれらをみると、買買成

立から債樺取り立てまで煩噴なほどに官が開興しているように思われるのである。

一盟、どのような貰買が行われ、それ

らに劃して官はどのような方針、態度を以て劃躍していたのであろうか。本稿では主に貰買関係帳簿の作成のされ方の検

討を通して、官の開興のし方という貼について考えてみたいと思う。そこで、まずさまざまな買買開係の帳簿を整理

・分

(1

)

類し、さらに帳簿作成のされ方や作成目的を検討してゆくことにする。なお、奮簡については簡番続、出土地、園版頁数

を、新簡については筒番競を附した。樟文は蓄簡は『居延漢筒穣文合校』(謝桂葦

・李均明

・朱図畑、文物出版社、一九八七年〉

545

を、新簡は『居延新簡』

(甘粛省文物考古研究所

・甘粛省博物館・文化部古文献研究室・中園祉舎科皐院歴史研究所編、文物出版社、

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一九九O年)を参照した。固版は『居延漢簡

(努獣、中央研究院歴史語言研究所、

園版之部」

一九七七年再版)を参照した。

『居延新簡』の瞳例に従い、図は断筒、口は

一字剣讃不能、:・は

新簡の固版は刊行されていない。また記読については、

二字以上剣讃不能、亡は簡の右依け、

コは左依け、

Hは次行に接績することを一示す。出土地の地は地問(肩水候官牡〉、破

は破城子(甲渠候官枇)の略である。なお、軍政系統は都尉府|候官|部|黙となっている。

第一章

(貰〉頁買に閲してどのような文書や帳簿が作られていたのかを知るために、表題・尾題筒・褐(つけ札)・護信日簿

迭り献などから、そのタイトル名を拾い上げてみると、次の如くである。

1

-第二三部甘露二年卒行道貰買衣物名籍

-不侵侯長傘部甘露三年成卒行道貰買衣財物名籍

卒自言買・.•...

(EPT五二・一七五)

(EPT五六

・二六五)

,..".. 2ー

2

(EPT五六・二五三)

3 4

図口年成卒貰貰衣財物名籍

甘露三年二月卒貰寅名籍

(EPT五六・二六三)

(EPT五九・四七)

5 6

卒貰買名籍

図始五年二月部卒貰買衣物騎司馬令史所名籍

(EPT五一・一一一

OA〉

(四四・二三、破、圃二ニ二〉

7

第十七部甘露四年卒行道貰買名籍

甘露三年成卒行道貰賀衣財物名籍

m-卒居署貰寅官物簿

8

(EPT三・二)

9

(EPT五三・二一

八)

(二七一

・一

五、

眠、圏三

O六〉

11

成卒自言貰賀財物吏民所定

(EPT五三・二五)

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13 12

(五六四・二五、地、園四八〉

元康二年三月乗胡照長張常業亭卒不貰買名籍

成卒真貫一衣財物愛書名籍

吏負卒賀自詮巳畢愛書

卒不貰買愛書

責籍

図責努簿

緩和一万年正月渠卒責巻

貰券課

ーと

2は卒の一年聞の、行道貰買を部ごとにまとめた名籍、

3はおそらく卒が買ったと自言したことを部でまとめた帳簿

(2〉

であろう。

41Hは貰買に闘するものだが、年や月ごとにまとめたり(4・5

・8

・9〉、買った相手ごとにまとめたり(7〉

していることがわかる。また、同じ貰買でも行道、居署という語がつく場合とつかない場合がある。居署とは勤務の部署

に居ることをいい、これに劃して行道とはその部署を離れて他所に行くことをさすと考えられる。何もつかない貰賓と、

行道貰買・居署貰買が具憧的にどう遣うのかよくわからないが、どこで買ったかということが帳簿作成上の一つの基準と

なっていたことが窺えよう。ロは不貰買の、日

1日は委書及び愛書の名籍である。日以下の多くはその内容が測り難い。

では次に、(貰〉貰買関係帳簿の本文をみることにしたい。以下に掲げる簡はいずれも名籍の形式即ち上段に人名及び

その人物の身元に闘する事柄(肩書き・出身地・爵・年齢など〉が書かれ、空格をおいて下段に内容がくる、という形式をと

るもので、ここでは便宜上空格の下にくる文の冒頭の語を以て偲題とした。

(一

0・三四A、地、圃六七〉

14

(EPT五六・二七五〉

15

(EPT五六・八二)

16

(EPT五六・一三四)

(二七四・コ二一、地、国三一)

17 18

(EPT五0・↓九八AB〉

19

(EPT五一・三三八)

- 3一

I

貰買口

口口口口股昌里大夫口未央年品川口

(EPT五六・四

O二)

20

貰買口図

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自言貰貰糸一斤直三百五十叉麹四斗直品川入驚虜黙長李故所

自言五月中行道貰貰阜復袖

一領

線長抱一領直二千

・凡直六千四百

阜精一雨直千

一百

(二

O六・二八、破、園二二四)

己入二図

(EPT五

一・二四九)

ハEPT五一

・三O二〉

21

貸貰貰黙買買成熟驚卒成虜貌卒険郡貌成口郡卒陽口説{向陽郡長中口里里陽

李首図

II

自言責

22

図阿卒富里張赦

自言買図

貰襲一領図

23

図自言五月中富昌照卒高青震富買阜袖一領直千九百甲渠

図令史車子巽所

IV III 26 25 24

頁第品川卒郵耐

寅阜復精一雨直七百第汁珠山長淳子図

自言(行道〉貰貰

図図口既

図口買

28 27

第品川二陵卒却ロ巴緊里越誼

第廿五照卒唐葱

自言十月中貰貰糸繁二枚直三百居延昌里徐子放所

自言貰買白紬嬬一領直千五百交錯五百・九井直二千図

V

貰買

Qd

qL

nu

七月中貰買標復砲一領直鏡千一百故候史鄭武所

成卒貌郡内黄口居里杜牧

貰貰鶏纏

一匹直千贋地高年照長孫中前所卒六口図

察微熟成卒陳留郡僑賓成里察口子

31

第八照卒貌郡内黄右部里王康

貰貰莞阜締嚢紫装一南直二百七十己得二百少七十遮虜辞衣功所

(EPT五一

・一

一一五)

(EPT五六・二二四)

(一二三・四九、地、園二ハ)

(EPT五一・一ニ一四)

(EPT五七・五七)

(二

O六・三、破、園二二五)

- 4 ー

(一一二

・二七、破、園二

O三)

(EPT五

一・一二二)

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549

34 33 32

決呑卒王安世

第十二卒成銭

貰買布復図

(EPT五一・五四

O)

(EPT五三・二二一)

貰貰阜復図

図貰貰官復袖若干領直若干某所時間長王乙所図

官財

(EPT五六・二三

O〉

36

任者同里徐慶君

成卒東郡柳成昌園里嬬何贋

張公子所会在里中二門東入日

(二八二・五、破、園二六三)

貰貰七稜布三匹直千五十屋蘭定里石卒所舎在郭東道南任者屋蘭力団親功臨HH

35

終古黙卒東郡臨巴高卒里召勝字瀞翁

貰買九稜曲布三匹ヒ三百品川三凡直千傑得富里

木黙

37

(EPT五六・一

O〉

貰買口阜復袖牒繋緒一領直若干千居延某里王乙図

居延某里王丙舎在某辞・官衣財図

成卒親郡貝丘某里王甲

(

3

)

(EPT五六・一一一一一)

VI

自言責

VII 43 42

責同臨照之卒照説卒郡説内郡責内城黄南宜里民呉里故予

万て

39 38

照長徐宗

樵照長徐宗

40

司馬令史騰語

41

呑遠隊小卒夏牧

都卒弔ア賞

- 5 ー

自言責故三泉亭長石延需要銭少二百八十数責不可得

自言故一覇胡亭長寧就舎銭二千三百品川敷責不可得

自言責甲渠照長飽小叔負語食莱三石今見震甲渠

照長

会一・六、破、圃五六九)

(三・四、破、園五二七)

ハEPT五一・七

O)

白言責代胡照長張赦ミ之と買牧鎌一丈直銭三百六十

。二七・一五+一一一七・一九、破、圃五二ニ+五一九)

-自言責第廿一隆徐勝之長橋銭少二千

ハEPT五一・八〉

責故臨之黙長辞忘得鎖斗一直九十尺二寸万一直直品川提績一直措五九直百世五

責故臨之黙長醇忘三石布嚢一憂索一具皆議忘得不可得忘得見ハ復作

(EPT五九・七)

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44

伐胡卒口意

伐胡卒口口

責口口布口一領直千八十:;:己得銭二百少八百八十

責康地衣口時間長陶子賜練嬬一領直八百三十今矯居延市吏

主民・::

(EPT五九・六四五)

VsI 45

負呑遠侯史季赦之

負不侵卒解高年剣一直六百五十

負止北卒趨忠襲委一直三百八十

-凡千品川口

(二五八

・七、

破、園二三五〉

46

負令史王卿交銭六百

(EPT五

0・九六)

IX 47

不貰貰〈買)

乗胡黙卒王羊子

不貰買

(五六四・二六、地、圃四八)

物品買買闘係で作成された帳簿は以上であるが、ここでこれらの帳簿で使われている用語の意味を確認しておきたい。

- 6 ー

いうまでもなく、貰頁・貰買とは掛け頁り・掛け買いのことであるが、これに劃して貰のつかない皐なる買・買の例も少

敢ながら存在する。これは単に貰の字をつけ忘れたのか、或いはっけなくても嘗然貰の一意と理解されていたのだろうか。

買は、明らかに掛け買いであるにもかかわらず車に買と書いた例がある。

48

建昭二年間月丙戊甲渠令史董子放買部卒口威装一領直七百五十約至春銭畢己努人杜君筒(二六

・一、破、園一四

O)

がそれである。これは簡の左側上部に刻歯をもっ契約文書で、建昭二年の閏月は庚寅朔なので丙戊では干支があわないと

いう、漢衡にはしばしばみられる疑問があるものの、明らかに貰買と書くべきところを皐に買となっている。しかし、こ

れは日附と約束期限が明記されていることから、貰字の有無はさして大きな問題とはならないであろう。それに封して帳

簿の文-章における貰字の有無を、どちらでもよかった、と解揮するのはいささか蹴暴である。おそらく貰字を冠しない

・買は掛でない、即ち現金決済の取り引きを一示すものと思われる。

次に責。これは債のことで、負の封昔話語である。従って刊は債権者の名籍、

官且刊は債務者の名籍ということになる。

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最後に自言。これに閲しては籾山明氏が「私人が官に劃して申立て・申請をする行潟」であるという解揮を示しておら

(

4

)

れるが、確かに漢簡に見える自言の用例をみてみると、不嘗な給料差し止め慮分の撤回を求めたり、未支給の盟の支給を

求めるといった、自己の不利盆の解消を求める申立て、あるいは蔵券の護行、秋射の受験、休暇取得などの申請のいずれ

かに属するものである。従って、買買関係簡における自言も、申立て・申請と解揮すべきであろう。さて、

語義を確認

し、今一度帳簿をながめてみると、いくつかの疑問がおこる。

Hと皿、

WとV、刊と四の三組の帳簿には、自言という語以外は内容、書式とも大きな遣いがみられないが、自言

の有無で帳簿の性格がどうかわるのだろうか。これについては今のところ明確な解答をすることができないが、

一つの可

能性を示すこととしたい。自言のついた帳簿は申立て・申請を受理した段階で作成されたものと思われる。そしてこのよ

5〉

うに申立て

・申請が受け付けられた人の名簿を、部は候官に報告したのであろう

(3・uyつまり、自言を冠したものが

申立て人、申請人名簿という、いわば第一段階の名簿であるのに射して、自言を冠しないものは、第一段階の名簿あるい

は他の情報に基づいて作成された、第二段階の帳簿ではないだろうか。従って行道・居署の別、あるいは官物

・私物の

別、さらに買った相手別といったようにさまざまな基準でまとめられたと思われる。自言なる語はあってもなくてもよい

というものではなく、やはり作成の段階や目的を異にする帳簿として匿別すべきである。

τ・且

二、貰責、責のように、買手側を主語にした帳簿が匪倒的に多い。確かに

Hの債務者名簿のように、買手側を主語にし

V

たものもないではない。しかし、貰買、買については自言のついたものは今のところ例がなく、

- 7ー

つかないものも断簡が

例とタイトル

(1・2)

によってその存在を知るのみである。これはどう解揮すべきであろうか。

三、自言が申立て・申請の意であるならば、具瞳的に何を申立てているのか。理解しやすいのは自言責で、

551

したものと考えられる。

では、

自言貰買はどうだろうか。

「某に劉し

つまり、期限を、過ぎても掛ってもらえず、債権が生じたので取り立てを要求

これもやはり取り立てを求めているのだろうか。

-今みたよ伝ノ

て債権をもっている」という申立てである。

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552

に、取り立て要求は自言責なのだから、この解穫は無理である。そこで、他の可能性を考えてみると、踏み倒しその他の

トラブルが起

った際、取り引きの内容を官に保誼してもらい、取り立てがスムースに行われるようにするため、というこ

とが考えられる。しかし、これにも疑問が残る。

まず、掛け寅りの内容として官に保誼してもらいたい事柄とは、嘗然取

り立てに必要な事、即ち支排い期限が切れたという事質と品物の代金であろう。なぜなら、

それがなければいつ、どれだ

けの債権が生じたのかが説明されないからである。ところが、自言以下の文中には何をどれだけいくらで誰に買ったかは

書かれているが、肝心の支梯い期限は書かれていない。これで果して取り立てる際の内容謹明として十分といえるだろう

か。さらに、なぜ現金決済のもの

(H

)

まで自言するのか。

この場合、代金はすでに得てい

るはずなのに、何を申立て、

申請することがあるのだろうか。

以上、三つの疑問貼をあげたが、二以下についての考察に進む前に、帳簿以外の簡も利用して、

吏、卒、民間人の聞で

- 8 ー

行われている賀買の質態をみておくことにしたい。

第二章

末尾の表は、

賀手・買手

・取り引き品目及び債格を示したものである。

表の11臼(以下表1、表白と表記)は明らかに

る。品目不明のうち

品目は不明だが何らかの取り引きがあったことがわかるものであ

表沌までは品目だけでなく銭額もわからないもの、

表回以下は

物品質買が行われたと判断できるもの。

表mm以下は銭額のみで表されているものであ

まずはじめに表乃以下のデー

タについて若干鯛れておきたい。このグループの内容を具睦的に示すと次のようなものが

ある。表∞

m

望虜陵長房良

負故候長周卿銭千二百品川

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表93

察微照長卑赦之

YEA

これは先の四負と同じ形式で、 負

夏幸銭五百品川・負呑北卒口口口口

負呂昌銭二百五百五十皆口口

皆己入畢前所移籍嘗去

やはり債務者と債務の内容を記録したものである。

表82

自言責甲渠令史張子思銭三百

表山

自言責却虜黙長徐意居銭百口

これは先の刊自言責と同じ形式であるが、取り引き内容としては銭額のみが書かれている。このほかには、

表的

初元四年正月壬子箕山

越子回銭三百唯官

以付郷男子莫以印震

表95

十二月辛巳第十侯

拒卿鏡千二百願以十

(筒右過側中部有刻歯)

のように、借金を俸給で支掛ってほしいという内容の文書がある。さらに、

表94

図徐充園

奉十銭二千月J~ :

百積

照長明敢言之

以二月奉銭三図

(以上表〉

信敢言之

(以上裏)

長輔敢言之負令史

二月奉償以印篤信敢言之

-9-

出出出銭銭銭八千三就一百十十一月償十壷第償十舟第二三升十月黙黙月卒卒銭陳王七第弘分宗

-九出銭千三百廿八

今徐銭四百七十二

これは十二月から二月までの三か月間の奉銭千八百銭のうち、使途の内需とそのトータル、そして現在の残金を記したも

のである。徐充固なる人物の俸銭はひと月六百銭であるから、照長か尉史であるが、

49

第品川一一燃長徐充園

にみえる徐充園と同一人物であるならば、黙長ということになる。彼は卒の王弘と陳第宗に合計千三百二十鎮の借金を返

済している。

553

九月奉図

(EPT五

0・一四八〉

以上いくつか具瞳例をみてきたが、問題はここで銭いくらと表現された取り引き内容を文字通り現金の貸借を意味する

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554

即ち、

物品の代金(あるいは土木排い金)である可能性はないかということである。これは、帳簿の性

格や作成された目的とも関連する問題であると思われる。例えば、

表例のような、個人別奉銭出納記録の如きものでは、

物品名やその量よりも何にいくら使丹たかが重視されるであろうから、卒への借金返済にいくら、とだけあればよかった

ものと考えてよいか

のかもしれない。

したがっ

て物品名がないからといっていちが

いに現金貸借だと断定することはできない。しかし逆に表

位や表山のような取り立て要求の場合は、物品取り引きがあっ

たのならば、少なくとも品名は書くべきであろうから、

何らかの理由で省略されたのでなければ現金貸借と考える方が安蛍ではない

かと思われる。

れがないということは、

Tこ

だ、いずれにしても現段階では現金か物品代金かを決定する決め手を歓くので、銭額のみが記されているグループの中に

は表白以前に入るものもある可能性は残しつつも、ここでは考察の封象としないことにする。最後に物品名も銭額も不明

な表白1沌であるが、不明とい

っても首尾完結した簡であるにもかかわらず何も記されていないのではなく、断簡のため

(

6

)

に不明なものである。したがって、表日以前にも表乃以下にも入る可能性があるのだが、判断不可能なため、これも原則

として考察針象外としておく。

一 10ー

さて以上述べたように、明確に物品買買だと判断しかねるデータを除外すると、

わずかに六九例しかなく、しかも全て

の項目が判明するものとなるとさらに少なくなってしまう。が、とりあえずこの六九例を封象に考察をすすめることにし

h

-

、。

手h'uwま

ず、買手と買手についてであるが、買手が更であるのは

一O例(一四・五%〉、

卒は四二例(六0・九%〉、

民間人は

例つ一

・九%)、

不明が一五例つ二・七%〉である。

一方買手が吏であるのは三四例(四九・三%〉、卒は七例(一

0・一%)、

不明が一八例(一二ハ・一

%)である。

ちなみに整方が判明するもの三八例のうち、卒から吏

民間人は一

O例(一四・五%)、

に買っているものは

二二例である。

これでみるかぎり卒から吏に買るという大きな流れがあったことがわかる。

次に取り引き品目をみると、衣類の多いのがまず目につく。そしてその債格は、

例えば阜締〈黒色のズボン紋下衣)は九

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百銭(表臼)、あるいは千百鏡〈表日〉。砲は千百銭(表臼)、官抱(官は官物)が千五百銭(表ロ〉、阜複袖〈複はあわせ〉が千

練複砲が千百銭(表担)となっている。これらの簡の年代を各々特定することができない現在、巌密な議

八百銭(表時〉、

論はできないが、漢代の穀物債格を

一石あたり百j百五十銭程度、卒に支給される一か月の穀物が三石蝕であること、さ

らに照長の俸給が月に六百

i九百銭であること、などから考えると、毎月購入するものではないにしろ、決して安いとは

言えない。

50

二月戊寅張披大守一踊庫丞承烹品旅行丞事敢告張披農都尉護団校尉府卒人謂牒律日賦官物非

銭者以十月卒買計案成田卒受官袖衣物責利貴買貰興貧困民吏不禁止浸盆多又不以時験問(四・

一、破、国三八

O)

これは張披太守府から下された文書の一部であるが、

その中で卒が官から支給された衣物を高い値段で民吏に貰りつける

という事貫を指摘している。正嘗な債格か否かは別としても、衣料品は高かったといえるであろう。

以上の結果をふまえて、先に示した疑問について一章を改めて考えてみたい。

-11ー

第三牽

前一章において、卒から吏に頁る場合が多かったことをみたが、このことを、帳簿及びそのタイトルともあわせてもう少

し詳しく検討し、第一章で示した疑問の二、一二について考察したい。

まずは疑問二、

買手主語の帳簿が多いことについ

て。

m買、町自言(行道)貰貰、

V貰買、羽自言責、

四責につ

HiVについていえば、剣明する限りにおいて買手はすべて卒であっ

て、今のところ吏が買手となっているものはない。費は表において吏が買手になっている例が少なか司た原因はここにあ

る。では、これらの帳簿においてなぜ買手として吏がでてこないのだろうか。今この問題を考えるにあたって、

帳簿の中で買手が主語になっているもの、即ち、

H自言買、

いてみてみると、これらは敷が多いばかりでなく、

555

レったん

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556

卒の方に注目することにしたい。卒は買手側帳簿の主語として登場するだけでなく、質は買手側帳簿の主語としても登場

しているからである。

一章でもすでに述べたように、買手側帳簿としては、-貰買が二例のみで、しかもそれらは

いずれも肝心な買手の部

分が不明であった。さらに、買手側帳簿にみられたような自言を冠したものは一例もみつかっ

ていない。要するに、買手

側帳簿が非常に少ない

のである。しかし、確かに帳簿そのものは非常に少ないものの、卒については行道貰買名籍なるも

のが作成されていたことは

タイトルから明らかである。とすると、卒に閲してき口えば、買っても買っても帳簿が作成され

ていたことになる。

このような買手主語の名籍は何をもとにして作られたのだろうか。材料として考えられるの

は、卒が〈貰)買したと自言すること、もう一つは、恒に自言しなかったとすると、

では、

(貰)寅名籍その他の資料に基づい

て官の方で作成したと考えざるを得ない。つまり、貰買名籍が作成されているということは、卒が貰買の事寅を自言する

- 12ー

必要があったか、もしそうでないなら、卒については買手側を主語とする名籍も作成する必要が官にはあった、というこ

とになる。

これに封して吏の場合はどうだろうか。吏は買手帳簿に主語としてあらわれないだけでなく、今のところ買手帳簿もそ

のタイト

ルすらみつかっていない。

買手帳簿の方は、吏が買手になることが少なかったという事賓の反映として説明した

としても、表の結果からすれば、吏が買手になる例が座倒的に多いにもかかわらず買手帳簿がないことを、

「まだ護見さ

れていないだけ」と単純に片付けてしまうわけにはいかない。買手帳簿がないということは、先程の卒の場合とは逆、部

ち、吏は卒のように

(貰)買の事買を自言する必要がなか

アたか、

あるいは官の方も帳簿を作成する必要がなかったとい

うことになる。

つまり、買買行痛に射する慮理

・取扱において、卒と吏では遣いがあったと考えられるのである。

では、この遣いとは何なのか。この答えを帳簿だけから引出すことは難しいので、自言についての考察から探

ってみよ

うと思う。

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自言とは、すでにみた如く「申立て・申請」ということであるが、自言責のように取り立て要求の場合は理解できると

しても、貰買をした事賞さらには現金決済の場合まで自言しているのはなぜか。この、第一章の疑問三を考えてみたい。

既述のように、掛け頁りの場合は、踏み倒しその他のトラブルの際、官に取り引き内容を誼明してもらい、固滑に取り立

てができるようにするためのものとも考えられるが、その場合、日附がないのが大いに疑問となる。とすると、官に届け

出ておかねばならない、それを怠ると何か不利盆を被ることになるとい?たことを想定しなければならない。そこで卒が

物を買った場合についてもう少し検討してみることにしよう。

きて、卒は衣類を買って現金を得ることが多か司たが、貰買が行われると、嘗然のことながら卒の持ち物に出入りがお

こる。官は卒の持ち物をどのように管理していたのだろうか。これを手がかりに貰買に劃する官の閥輿のありかたをみて

えこ、。

可Jpa

ゆれ、uw

卒の牧入としては、粟・盟・衣類・武器などの官給口問と、内地から迭られてくる銭や衣類などの私物がある。そして、

- 13-

これら卒の持ち物は倉庫に保管されていたようである。

八月丁丑郭卒十人

一一一其人人人一治取守人計狗邸守湛閣

二人馬下

一人吏養

一人使

一人守園

一人助

(二六七・一七、破、園二七一)

51 ここに守閣とみえるのは倉庫番であるが、この閣について妥錫圭氏は、候官において卒の私銭や衣類を保管していたとこ

(7〉

ろであるといわれる。閣が卒の持ち物保管専用の倉庫なのかどうかはわからないが、確かに閣の字は、倉・庫・識などの

他の「そうこ」とは遣って、卒の持ち物について記した簡に特徴的にあらわれる。ともあれ、候官には卒の持ち物の保管

っていたことは確かである。このような倉庫に保管された卒の持ち物の管理を窺わせるも

場所があり、そこを卒が「守」

557

のとして、倉庫からの出入に関する記録がいくつか出土している。

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558

52

第品川二卒宋善

臨桐卒王博士

「五月辛酉白取

p」

「畢」

銭二千

九月戊辰閣(ニ

O六

・八、破、圃二九八)

九月己巳閣図

(三二六

・二

一、破、園三三七)

p

53

「畢」

銭千

「五月丙寅白取

p口」

」は別筆であることを示す。これらの簡について、氷田氏は、閣に関する妥氏の見解に基づき、衣のように説明されて

いる。宋善が私銭二千を九月戊辰の日に倉庫に預け、

その時にまず記録がとられた。それを後に引出したのが「五月辛酉

(8)

銭二千を渡したという確認が「

p」である、と。

このような銭の出

ー寸自取

p」で、

候官で預金なしと確認したのが「畢」、

入記録の他に、同類のものとみられる衣のような簡がある。

54

出島二丈三尺口

(EPT六五・六一ニ)

ゴ部卒張覇

受閣南一匹

55

出吊丈二尺口口禦口口口南口口口雨

(EPT四三

・二八三〉

今母除用

都卒張覇

56

出島一匹従民呉口買貸檎嬬

一領口締

- 14ー

図吊一匹

(EPT六五・六五〉

57

口口一領

出由m一丈矯母治嬬

口口口口口

今母絵吊

亡部卒王口

(EPT六五

・一O六)

58

出用一丈買意絡

出自巾一丈買青八斤

ヒ都卒王口

今母品開吊

(EPT六五・一

O七〉

59

コ都卒田惇受閣吊

一匹

出南一匹従客民李子春買口図

(EPT六五・二ニ

O)

60

止害隊小卒張駿受閣吊一匹図

甲渠尉取直穀

(EPT六五

・二ハ

O〉

61

臨木険卒程賞

甲受渠閣尉鳥取ー直匹穀升卜

今・喜余九穀出九穀石廿ノ、二二

斗石五三升斗

(五E 升P T主嘗六日五 給

O A

出穀十六石五斗五升布買締

出穀三石三斗買口三斤荘締

出穀三石五斗買履一雨

これらは卒が預けておいた私銭を引出して買物をした記録であろう。

ちなみにこの名籍の

タイトルは、

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臼受閣卒市買衣物名籍一編敢言之

,(EPT六五・五六)

にみえる「受閣卒市買衣物名籍」かもしれない。きて、ここにみられる買物、が私的なものであって、公務としての買物で

そのうちいくら掛って何を買ったかが記され、その

ないことは訂からも明らかである。倉庫から吊をどれだけ引出して、

結果、預吊残高がゼロとなった場合には、その旨注記されている。要するにこれらの名籍は卒個人別の倉庫出納記録のよ

うなものであろうが、出納記録といっても先にみた臼、臼とは明らかに作成目的が遣っている。

金額がわかればよいといった性格のものではなく、誰から買った、何にいくら使ったなど、使途の内容が詳しく記されて

いることからみると、卒の持ち物の管理という側面が強く感じ取れるであろう。このような使途の内容を記錯するには嘗

然本人からの申し出でが必要不可飲となろうが、官の側としてはこれによって卒の銭(この場合は烏〉がいくら、なぜ減っ

たのかを把握することができる。そしてもちろん支出のみならず、牧入の方でも、どのようにしていくら得たのかは把握

していたはずであるし、銭ばかりでなく、物資の出入りに闘しても同様であったと推測される。

つまり、畢に受け渡しの

このように卒の場合、官給品のみならず私物をも官によって把握されていたということになる。とすれば、卒が貰買を

自言する、あるいは現金決済の場合でさえも自言しているのは、未排いの俸給を掛ってほしいというような、官に何かを

求めたいからというよりもむしろ官に届けておかねばならなかったからではないだろうか。つまり、官は卒の私物管理の

必要上、貰買が成立したなら届け出をさせる。一方卒にとっては、届けて官の帳簿にのることによって自らの財物が不正

- 15ー

な手段で得たものではないことを詮明されたことになる、あるいは盗難のようなトラブルがおこった時の誼明にもなるの

であろう。このように考えると、卒は買った時だけでなく買った時にも自言しなければならなかったはずであり、従って

自言買の名籍ほ今のところ例をみないが、おそらくこれも存在したものと思われる。ただ、現買に卒、が買手になることが

少なかったために出土していないとみるべきであろう。

559

では、

吏はどうであろうか。

貰買行震に劃する慮理・取扱において吏と卒とで遣いがあったとのべたが、その遣いと

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560

は、卒が貰買を届け出なければならなかアたのに劃して、吏にはその必要がなか司たということであると考えられる。吏

には届け出義務がなか

ったために買手帳簿にも貰手帳簿にも主語としてあらわれないのである。

つまり頁買に閲していえ

ば、官の管理・把握の劃象は卒であって、吏ではなかったということになる。

これまで考察してきた結果をまとめておこう。

て買手では卒が、買手では吏が多くの割合を占めた。

つまり、卒から吏に貰るという流れがみられた。取り引き品目で

は衣類が多いが、

その債格は決して安くはなく、時として不首に高値で買られることが問題となった。

二、官は賓買によって生じた財物の増減を把握する必要からも、貰買が成立するとそれを届け出させた。ただそれは卒の

はなく、

また多数存在するはずの買手名籍も作成されていない。これに劃して買手となることが少なかったはずの卒につ

- 16-

みで吏は針象外である。それゆえ(自言)買

・自言(行道)貰貰・貰賓の諸名籍において、買手として吏が登場すること

いては買手側名籍の存在が確認できるのである。

三、従って、掛け賀りあるいは現金決済まで自言するのは、踏み倒された時の誼明を求めたり、

まして取り立てを求めた

りしているのではなく、届け出なければならなかったからで、

かっこれによって正嘗な持ち物として認められたものと思

われる。

以上、買買闘連簡に

ついて

の検討を通して若干の結果を得たが、

最後に問題貼を指摘しておきたい。

」こでは、頁

買、現金

・掛いずれの場合にも帳簿が作成されていることを、倉庫の管理の仕方を手がかりに、官の卒に劃する管理とい

う側面から説明した。しかし、卒と吏で帳簿の作成のしかたに遣いがある、即ち官の封躍の仕方が違うことは確かである

としても、その遣いのよって来たる所を管理にだけ求められるかは疑問であり、他の要因が存在する可能性は充分にあろ

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ぅ。例えば、官は吏の俸給から天引きで卒に借金を返済しているが、このような債権の回牧という、

(9〉

な取扱いを行っていることは、管理とどのように関わるのか。

一見卒にと

って有利

管理といっても何故の管理なのか、

」そが重要なのであ

る。これは皐に買買という問題に限らず、他の方面からの考察も必要であろう。

さらに、用語の問題もある。第一章であげた買買関連帳簿のタイトルの中にも不明な言葉があったし、行道などのよう

に、行論においても不明確なまま用いた用語もある。これらの語義を是非明確にする必要がある。

にさらに検討を重ねてゆきたい。

以上述べた諸問題も含め、官の買買への関わりかたの考察を通して、官と卒の関係について、今後の資料の増加ととも

'561

註(1〉寅買関係簡を扱った先行研究には次のものがある。李均明

「居延漢簡債務文書述略」(『文物』一九八六|一一〉、林甘

泉「漢簡所見西北透塞的商品交換和買貰契約」(『文物』一

九八九l九)。ただし、いずれも吏や卒の個人的頁買のみな

らず公的責買をも扱い、李論文では吏の未梯い俸給に関する

ものなども官の債務文書として扱っており、その封象範囲は

庚いA

(

2

)

鱗3は、

3月乙卯鋭庭部土吏奉敢言之譲移卒自言責

E縞敢言之

というもので、これは鈎庭部から甲渠候官に迭った「卒自言

頁::・」という帳簿につけられた迭り紋である。

(

3

)

おJ幻はmml担とはやや性格を異にする。「貰寅」以下、

買手に関してみると、名前だけでなく住所も記され、さらに

任者(保護人)もみえる。まるで契約書をみて作成した名籍

のようである。幻は書式見本で、図以下には買手である王乙

の住所と「任者」の語があるのだろう。

mmlMと遣うのは、

買手が吏ではなく繰得豚、居延豚、屋蘭豚に住む民関人であ

るということである。ただ、買手が民関であるから、任者を

たてて契約したのかというとそうとも限らないであろう。卒

や吏が買手となっている場合でも任者をたてて契約書をかわ

している場合がある。敦爆の例であるが、ある契約に関し

て、簡側に切れ込みをもっ貰手・買手隻方の契約書が出土し

て注目されているものがある。それは、

紳爵二年十月廿六日陵胡照長張仲口買卒寛寛布砲一領H

O一A)

一周爵二年十月廿六日庚漢鯨廿鄭里男子節寛覚賓布抱

一MM

陵胡暗黙長張仲孫所買銭千三百約至正月口口任者口口口

U- 17ー

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562

O八A)

正月責附口口十時在努侯史長子仲良卒杜忠知券口浩芳U

(

O八B〉

というもので、これは卒と照長との取り引きであるが、ここ

には保護人(任者〉と立舎人(努〉がみえる(なお、関番挽

は『敦煙漢簡』甘粛省文物考古研究所編、中華書局一九九

一年による)。契約書そのものは居延からも出土している。そ

れによると頁買の際に必ず契約書を取り交わしたのかどうか

はわからないが、契約書を作成するか否かと買手が誰である

かは無関係である。ともあれ、民閑人相手の場合には、吏-

卒相手の場合とは区別した名籍が作られたのであろう。ちな

みにこれらの簡を、李均明氏は「行道貰貰名籍」として分類

している(前掲論文)。

(4〉「愛書新探|漢代訴訟論のために|」(『東洋史研究』第

五一巻第三抗)。

(

5

)

関口のタイトルは、

甘露二年五月己丑朔戊戊候長害時敢言之謹移成卒自言貰U

E件仲副市

吏民所定

一編敢言之

にみえるもので、これは部(侯長は部の長)から甲渠候官に

迭られた「成卒自言貰頁財物吏民所定」という帳簿につけら

れた迭り伏である。

(6)

例えば表的は、

陽朔元年五月丁未朔丙辰珍北守侯塞尉庚移甲渠候官室百HH

日一第廿五時照図

責珍北石燃長王子恩官抱一領直千五百鋭庭照卒越回責HH

珍北備冠図

〈7)

「漢筒零拾」

(『文史』第十二輯)。

(

8

)

永田英正『居延漢隣の研究』(同朋合一九八九年)一一一一

四頁。

(9〉この問題に関連して李均明氏は前掲論文の中で、衣のよう

な見解を一示されている。透塞の吏卒は互いに地理的に離れて

いて直接取り立てなどを行えないことや、しばしば勤務地や

職がかわることから、官が代理人となって債権・債務後方の

権利・義務を履行し、僻見方の利益を保護する。このため、卒

は内地からもってきた衣財物(透塞では不足する物品)を安

心して蛍地の吏民に寅る。その結果蛍地の経済生活を活液に

させた、と。

- 18ー

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563

債権者 債務者 内 止モト. 筒番披

1 吏 吏 合銭(2330) 3・4

2 吏 吏 斐銭 3・6

3 卒 吏 委 1(750) 26・1

4 更 卒 馬銭(9500) 35・4

5 卒 吏 阜練1(1200) 35・6

6 -ヌiSー・ ワ 阜布 49・10

7 ワ 吏 官襲 1 88・13

8 卒 吏 鶏綾 1(1000) 112.27

9 ーヌすた4 ワ 橋銭(2600) 116・40

10 3ーkすa 吏 つ 117.30

11 民 吏 ワ 132・36

12 勺 吏 官抱 1(1500) 157・5A

13 卒 ワ ワ 190・12

14 ワ 吏 糸 l斤 (350)、麹4斗(38) 206・3

15 ワ 民 阜複抱1(1800)、鎌長抱1(2000)、阜袴1(1100) 206.28

阜口(750)16 卒 吏 練 l丈(36O) 217・15

17 卒 吏 ? (500 ? ) 257・17卒 吏 布複袴

-ヌT長- 吏 複儒

18 卒 吏 剣 1(650) 258・7-ヌfた- 吏 裏 1(380)

19 吏 卒 阜布章皐衣 1(353) 262・2920 ポーす丈‘ ワ 創 1(700) 271・1

21 ー掃すでー 民 九稜曲布 3匹(1000) 282・522 吠-;-丈a 吏 阜抱 285・1923 卒 民 八稜布 1匹(290) 287・1324 卒 民 八稜布8匹(1800) 311・2025 卒 吏 官抱 1(1450) 甲附2226 ワ 卒 つ EPT43・8127 吏 ワ 斐銭(600) EPT50・9628 卒 吏 長橋銭 EPT51・829 吏 つ 菱銀 EPT51・3930 吏 吏 粟 3石 EPT51・7031 -ヌT気- 民 剣 1(800) EPT51・8432 -ヌrうr 吏 練複砲 1(1100) EPT51・12233 汁ヲ耐ー・ 吏? 莞字袴棄繋装1(270) EPT51・125

-19 -

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564

債権者 債務者 内 ;チ10、ヲa 、 筒番鋭

34 卒 吏 つ EPT51・19935 卒 民 糸紫 2(300) EPT51・24936 卒 勺 臼絡橋 1(1500)、斐銭(500) EPT51・30237 -ヌiS 吏 布 EPT51・329

38 -ヌ?うrー・ つ 布複 EPT51・54039 つ 吏 脂銭(120) EPT52・2140 卒 勺 阜橋 EPT52・38741 吏 吏 斐銭(600) EPT52・8842 ーヌすx-ー 吏 衣物銭(計5100) EPT52・11043 吏 吏 牛 1(3500) EPT53.73

44 卒 つ 字複 EPT53・221

45 ーヲ討「 吏 砲、襲 EPT56・9

46 -ヲ$: 民 七稜布 3匹(1050) EPT56・10

47 卒 つ ワ EPT56・224

48 一吠千~ 勺 襲 1(900)、布J袴 1(400) EPT57・3

49 卒? 民? 育複絡 1(500) EPT57・72

50 卒 つ 衣財物 EPT58・45

51 -ヌタ1'- 吏 銀斗 1(90)、刀 1(30)、縫績 1(25) EPT59・7

52 つ ヲ.$ 抱 1(1100) EPT59・31

53 ワ 民 袈 1(135) EPT59・38

54 卒 吏 粟 7斗、阜布 4尺 EPT59・114

55 つ 民 襲 1(1250) EPT59・555

56 卒 吏 練祷 1(830) EPT59・645-ヲ皆F つ 布(1080)

57 つ つ 官砲 EPT59・923

58 つ 吏 つ EPT61・4

59 民 -ヌ「知r ワ EPT65・130

60 つ 卒 持 1(穀15石) EPT65・229

61 つ つ 口10丈(穀 6石) EPT65・231

62 ワ ーヌすーrー 持(穀15石) EPT65・229

63 寸ヌx-ー つ 阜布 EPC1・3

64 吏 つ 阜締 1(900) EPS4.n.21

65 ワ 吏 鞍銭 EPS4・T2・142

66 吏 つ つ 44・22

67 卒 吏 ワ 127・17

68 卒 つ ワ 143・8

69 卒 ワ ワ 157・5A

70 勺 吏 つ 158・3

- 20ー

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565

債権者 債務者 内 n全&マ? 筒番披

71 卒 民 ワ 261・42

72 卒 吏 ワ 285・12

73 吏 吏 ワ 405・2

74 卒 吏 ワ EPT52・128

75 卒 吏 つ EPT52・487

76 勺 吏 ワ EPT52・506

77 卒 吏 ワ EPT59・586

78 勺 吏 ワ EPT61・1

79 卒? 吏 (600) 6.17

80 吏 吏 (800) 58・11

81 ワ 吏 (300) 158・20

82 ワ 吏 (300) 185・27

83 -ヲ~ 吏 (400) 190・13

84 ー式す文ー・ 吏 銭 214・34

85 ワ 吏 (660) 220・16

86 勺 吏 銭 259・1

87 一ス対「 吏 銭 279.17

88 卒 吏 (1000) 282・4AB

89 つ 吏 (300) 282・9AB

90 吏 ワ (600) 564・19A

91 卒 吏 (1000) EPT4・92

92 -式fKa ワ (300) EPT40・193

93 卒? 吏 (530) EPT51・77

卒? 吏 (200)

94 -ヌ「タr 吏 (310) EPT51・214卒 吏 (1010)

95 吏 吏 (1200) EPT51・225

96 吏 吏 (600) EPT51・241

97 ワ 吏 (160) EPT51・407

98 吏 吏 (1230) EPT52・2

99 吏 吏 (600) EPT52.126

100 つ 吏 (107) EPT52・132

101 ワ 吏 (100? ) EPT52・247

102 つ 吏 (1360) EPT52・531

103 ワ 吏 (2000) EPT59・8

-21ー

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A STUDY ON JUYAN HAN WOODEN STRIPS 居延漢簡

  

WHICH RELATE TO PURCHASE AND SALE

SUMIYA Tsuneko

  

Among Juyan Han wooden strips, there are many strips on purchase

and sale. From these strips, I will eχplain the actual condition of trade

at that time and the method how authorities participated in it. In the

course of this study, l eχclusively used the strips which related to purchase

and sale, making an exception of others, like strips having been related

to loan of money and so on. Results are as follows:

  

1) Analyzing strips of account books and of tytles, it turned out that

there were many strips in which sellers appeared as subjects, all of them

having been soldiers. And from a point of view of the actual state of

trade, there was a tendency that soldiers sold clothes to public servants。

  

2) Although there appeared public servants as well as soldiers in

account books, they were made only for soldiers, taking public servants

outside the object of concern. These account books were necessary for au-

thorities to manage soldiers, and were not made by voluntary declaration

from purchasers.

AN ASPECT OF PRACTICE OF LAW UNDER THE

         

MAMLtJKS IN SYRIA

     

―Based on al-Fatawa al・Tarsusiya一

KONDO Manami

  

Although alarge number of studies have been made on qadls (judges)

from a theoreticalor a social point of view, there are not enough studies

which explain their actual condition, that is to say, how they applied the

islamic law and how the judicial world was they lived in. The purpose

                  

-1-