Title [研究論文]シュタイナー「ニーチェ論」の思想...

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Title [研究論文]シュタイナー「ニーチェ論」の思想史的検討 : 試金石としてのニーチェ Author(s) 井藤, 元 Citation 臨床教育人間学 = Record of Clinical-Philosophical Pedagogy (2009), 9: 9-19 Issue Date 2009-03-31 URL http://hdl.handle.net/2433/197070 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

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Title [研究論文]シュタイナー「ニーチェ論」の思想史的検討 :試金石としてのニーチェ

Author(s) 井藤, 元

Citation 臨床教育人間学 = Record of Clinical-Philosophical Pedagogy(2009), 9: 9-19

Issue Date 2009-03-31

URL http://hdl.handle.net/2433/197070

Right

Type Departmental Bulletin Paper

Textversion publisher

Kyoto University

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[研究論文]

シュタイナ ー 「ニー チ ェ論 」 の思 想史 的検討

一 試金石としてのニーチェ ー

井 藤 元

1.は じめ に

本論考 は、ル ドルフ 。シュタイナー(Rudolf Steiner 1861-1925)の 思想を、彼の 「ニ ーチェ論」 の分析

を通 じて思想史的 に検討す るものである。

近年、 シュタイ ナー学校の教 育実践が世界的に耳 目を集める中、実践を支え る当の シュタイナー思想 は、

その特異 さ故に しば しば敬遠 され、 これを理論 的 ・分析的に捉え ようとす る試みは十全にな されてはいない。

そのため、 シュタイナー は、思想史的位置づ けす ら未 だ不明確 なままであ る。そ うした現状に鑑 み、本研究

で は、 シュタイナー思想を思 想史的に孤立 した 「突然変異」 とみなすのではな く、 諸々の思想家(本 論文 に

おいて はニ ーチ ェ)と の関連において読み解き、 シュタイナーが彼 らといかな る思 想的地 盤を共有 していた

か、解明を試み る。その際に考察 の対象 とす るのは、 シュタイナーが霊的指導者 へ と転 回する以前、つ ま り

思想研究者時代(20代 半ばから、 およそ40歳 頃まで)の 彼 のテキス トで ある。世紀転換期以前 のシュタイ

ナーは、霊的指導者 とな って以 降の彼 とは異な り、 ゲーテの自然科学論文、ニーチ ェ思想 などにつ いて、堅

実な思想研究を行 ってい る。 コリン ・ウィル ソンは、 シュタイナー初期の著作 「自由の哲 学』、『ゲーテの世

界観』につ いて、次のよ うに述べて いる。

「い ささか驚 いた ことにはシュタイナーは並 々な らぬ冴えを もった哲学者、文化史家 だったので ある。

これ らの著 作にはいかさまめいた ところは微塵 もな く、 それ どころか、思想史 に完全 に魅了 され、 自分

の思想 をでき るだけ簡潔明瞭 に語ろ うとしている人という印象 さえ受 けたD」。

シュタイナーは、 ゲーテ、ニ ーチ ェらの うちに自身 と同質の思想 的傾向性 を見 出 した。 そ して彼は、 自身

の思 想をゲーテやニーチ ェに投影 し、彼 らの思想を読み解 く中で、 自らの根本理念 を間接 的に語 ってい るの

である。再 び コリン ・ウィル ソンの著 作か ら引用 しよう。彼はその点に関 し、次ρ よ うに述べ る。

「シュタイナーはル ドル フ ・シュタイナー自身の口で語 ってい るのではな く、 いわばゲー テの代弁者 と

して語 っているのであ る。ニーチェについての著書の中で もシュタイナーはニーチ ェの代弁者 と して語 っ

ている2)」。

従 って、 この時期 の シュタイナーの著作 を分析す ることにより、彼 が考察 の対象 とす る思想家 一 ゲーテ、

ニーチ ェら一 との思想的接点を導 き出す ことが可能 となる。彼の思想研究を分析す ることで、 シュタイナー

を思想史 的地平 で検討す る可能性が開かれるのであ る。そ して、 シsタ イナーが彼 らを いかに読 み解 いたか、

それ を分析す ることによ り、逆に シュタイナー 自身 に潜在す る根本理念を、 ゲーテやニーチ ェの枠組 みを用

いて(つ ま り、人智学 の特殊用語を用いず に)抽 出することも可能 となるように思われ る。

ここで特筆すべ きは、 シュタイナーの初期の思想研究が、決 して、霊的指導者 とな って以降の彼 の思想 と

矛盾す る もので はないという点である。彼 は思想研 究者時代のテキス トにつ いて、それを人智学 の基礎 とし

て位置づ けられ るべ きもの とみな している(一 例 として、彼 の思想研究者時代の著 作 『自由の哲学』 を挙 げ

よう。『自由の哲学』、「新版のためのまえが き」 において、 シュタイナー は、『自由の哲学』 と霊 的指導者 と

な って以降の著述 とは 「この上な く密接 な関係を持 っている3)」と述べて いる)。従 って、 そこには既 に霊的

指導者 シュタイ ナーの独 自の思想へと受 け継がれる理念が萌芽 と して 内在 してい ると予想 されるので ある。

筆者は、別稿 「シュタイナーのゲーテ 『メール ヒェン』論 一 ゲーテ、 シラー、 シュタイナーの思想的遅

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・・ 臨床教育人間学 第9号(2009)

遁 一 匂 に おいて、 シュタイ ナー によるゲー テ 『メール ヒェン』 論(「 ゲ ーテの黙 示Goethes geheime

Offenbarung」)を 分析 し、 ゲーテ、 シラーとの連関 において、 シュタイナー思想を構造 的に把捉す ること

を試 みた。 「ゲーテの黙示」 は、 シュタイナーが思 想研究者か ら霊的指導者 へ と歩み を転換 させる、 その転

回の直前(1899年)に 発表 され た論 文であ る。 彼 は、 その 中でゲー テの文学 作品、 『メール ヒェンDas

M&rchen』(1795)に つ いて独 自の解釈を試 みている。彼 は 『メール ヒェン』 をシラーの 『人間の美的教育

についての書簡Uber die rlsthetische Erziehung des Menschen』 と関連付 けて解読 し、 ゲーテ思想の根底

に潜在す る枠組みを、 シラー的枠組 みを用いて抽出 している53。そ うした 「ゲーテの黙示」 の うちには、 ゲー

テ、 シラー、 シュタイナー、三者 に通底す る思想的地盤が潜在 して いるように思 われ る。 シュタイナーは、

謎 のテキス ト 『メー ルヒェン』の うちに自らを投影 し、そ こに自身の思想の根底 に位置づ けるべき理念 を読

み取 った。従 って、 シxタ イナーが 『メール ヒェン』 をいかに読み解 いたかを分析す ることを通 じて、 シュ

タイナー自身の思想的地盤が浮 き彫 りになる と考 え られるのであ る。 「ゲーテの黙示」分析 を通 じて、 ゲー

テ、 シラー、 シュタイナー、三者 に内在する思 想的枠組みを抽出す ること、 この ことを筆者は別稿 において

試 みた。

本稿 もまた、 上記の試み同様、思想研究者時代のシュタイナーの テキス トを検討す るものである。本論文

で は、 特 に シュ タイ ナー の 「ニ ー チ ェ論」(『ニ ー チ ェー同 時代 との闘 争者Friedrich Nietzsche, ein

K¢mpfer gegen seine Zeit』1895以 下、『ニ ーチ ェ』 と略記)に 焦点 を当て、分 析を試み る。以下ではまず、

シュタイナー とニーチェの関係につ いて若干の説明を行 うこととする。 そ して、『ニーチ ェ』が シュタイナー

思想 の逆照射 のた あのテキ ス トとして、 いかに恰好の ものであるか、ニーチ ェ哲学の性質 について示す 中で

明 らか に した い。

2.シ ュタイ ナー とニーチ ェ

ー見す るところ、超感覚的世界の実在 を認め、 その重要性 を説 いたシュタイナー と、あ らゆ る超感性的原

理 を否定 したニー チェの間に思想 的接点 を見出すことは、困難 と受 け取 られ るか もしれない。 しか しなが ら、

かか る一般的見解 とは裏腹 に、 シュタイナーのニーチェへの傾倒ぶ りには瞠 目させ られ るものがある。

シュタイナーはニ ーチ ェの妹 エ リーザベ トの依頼 を受 けて、ニーチェ蔵書 目録を作成 し、 さらには、ニー

チ ェ思想 についてエ リーザベ トに個人的教授 を行 った6)。そ うした縁 もあ り、 エ リーザベ トの許 しを得て、

シュタイナーは、1896年1月22日 、病床のニーチ ェと対面 している。彼 の自伝 には、 その時の様子が克明

に記 されて いる。

「その部屋の 中で狂え るニーチ ェは、芸術家であ り同時に思想家であ る驚 くほど美 しい額を顕 して、休

憩用 ソファーに横たわ っていた。午 後も早い頃のことである。正気が消え失せていなが ら、なお魂が こ

もって いると感 じられ る彼の両眼 は、彼の魂の中に入 り込 むことがで きないで いる周囲の像を、それで

もなお映 して いた。人がそ こに立 っていて も、ニ ーチェにはそのことが まった く分か らなか った。 しか

しそれ で も人 は彼の理知的な顔立 ちを見ている と、 それは午前 申ず っと思索を営んでいた人の、今暫時

休憩せん と して いる表情に も思 えるのだ った。私 の心が受 けた 内的衝動は、 この天才に対す る理解へ と

変 じてい くか のように思われた。彼 の眼差 しは私 に向か っている ものの、私を 見てはいなか った。 この

じっと動 かぬ視線の表す受動性 は、 己れの眼差 しに対する理解 を人に呼び覚 ま し、その眼差 しにぶつか

らず と も眼が有す る心の力を及ぼす ことができるのだった。… …私 はかつてニーチ ェの書いた ものに感

嘆 した。 しか し今私 は現実の感嘆 の対象 として、明 るい光を放つ一つの姿 に見入 って いるのだ った了}」。

シュタイナーはニーチ ェとの対面 を深い感動を もって回顧 してい る。ホ フマ ンは、 シュタイナーがニーチェ

に関 し、500以 上 もの箇所 で言 及 してい る事実 を取 りあげて いるが8)、そう した事実 は シュタイナーのニー

チ ェへの傾倒 を示す一つの指標 となろ う。 しか しなが ら、その言及 の数を示す よ りも、端的 に、『ニーチ ェ』

中の以下 の一節か ら、 シュタイナーの並 々な らぬ傾倒 ぶりを見て取 ることがで きる。

「彼[ニ ーチェ 註:筆 者]が ショーペ ンハウアーとの関係について語 った言葉を、私 は自分 とニーチェ

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井藤:シ ュタイナー 「ニーチェ論」の思想史的検討 ・・

との関係 について言 いたい。「私 はニーチ ェの読 者であ る。第一 ページを読 んだ とき、すべてのペー ジ

を読 み通 し、彼の語 った どの言葉 も傾聴す るだろ うと、 は っき りと知 る読者 の一 人である。私 はす ぐに

彼を信頼 した。……分か りやす く、 しか し厚かま しく、愚 か しく表現すれ ば、彼 が私 のために書 いたか

のよ うに、私 は彼を理解 した」。 そのように語 る ことができる9}」。

また、同著にお いて シュタイナーは、ニー チェとは別の道 を辿 って、 ニーチ ェと同様 の理念 を獲得 した と

記 しているicyO

「6年前 に フリー ドリッヒ 。ニーチェの著作を知 ったとき、彼 と同様の理念 が、す でに私のなか に形成

されていた。私はニーチ ェとは別個 に、彼 とは別の道で、彼 が 『ツ ァラ トゥス トラ』『善悪の彼岸』『道

徳の系譜』 「偶像の黄昏』 において述べた ことに一致する見解 に到 ったi°iJ。

シュタイ ナー は、 ニーチェの うちに自身 に内在す る理念と同質 の ものを読 み取 ったが故 に、r彼 が私 のた

め に書いたかのよ うに、私 は彼 を理解 した」 と言 えるほどの共感 を示 したのであ ろう。高橋巖が指摘 してい

るように、 シュタイナー はニー チェの立場 を基本 的に全面肯定 している'㌔ こ うした シュタイナーの記述 に

基づ くことによ り、 シュ タイナー思想 を理論 的に明 らかにす るた めの方途が得 られ ることとな る。以下で詳

述す ることとなるが、ニーチ ェ思想 は、その表現形式 が先天的 に有 して いる性質 によ り、 シュタイナー 自身

の思想 を照 らし出す ための試金石 とな るのである。

3.ニ ーチ ェの形式 一 「アフォ リズム」 の誕生

ニーチェ哲学 についてはこれ まで多様な(無 数 の)解 釈が提示 されて きたが、周知の通 り、定説 と呼ばれ

るよ うな ものは未 だ存在 しな い。 その最大の理 由は、ニーチ ェがいわゆ る体系を示 さなか ったか らである。

形 の上 では断片 を しか語 らなか ったばか りか、 その断片同士 が相矛盾す ると思 われ るよ うな姿 を とってい

るis>0ピ ヒ トは、哲 学的文 献には、ニーチェの ごとき哲学叙述の形式 は他 に例が ないと指摘 し、 さ らに次の

よ うに述 べ る。 「読者 はまず戸惑 い、恣意や気紛れ、勝手放題 という印象 を受 け る。詩的 な語 り方 と分析的

な鋭 い思想 との間 の揺れが、分裂 した印象を与えて、哲学者 の厳密 さに も詩 人の 自由奔放さに も不足 してい

る一種の合 いの子 一 まさに 〈詩入哲学者〉 が語 っているのではないか とい う疑 念が生まれる町 。

ニーチ ェ自身 、 自分 はすべての体系家を信用 しないと述べ、「体系 への意志は誠実性 の欠 如であ る15)」と

まで言い切 る。ニ ーチェ独特の激 しさを伴 った体系化拒否の宣言 は、他方、 多 くの 「アフ ォリズム」 による

表現形式 と結びつ けられて、彼の思想 の非体系的性格を一般 に印象づける。 フ ィンクは、 ニーチェの哲学は

依然 「隠蔽 された まま」 であ った と述A15)、 またハイデガー は、 ニーチ ェの哲学的計画 は、 『ツ ァラ トゥス

トラ』の時期 とほぼ同時 に成立 しなが らも、 それ に基づ く彼 本来の哲学は、 出版 された諸 々の著書 において

は決定的な形態 をとるに至 らず、遺稿 「力へ の意志』の中に残されたままである と述べ る17)0

しか るに、 ここで一つの疑問が生ず る。ニーチ ェが精神の崩壊 に至 らず、仮 に彼 が思想 の体系的叙述を試

み たと して、果た して彼はその試みに成功 しただろ うか。そ もそ もニーチ ェ哲学 は体系化 によって把捉 しう

る ものなの であろ うか。(以 下の論述で明 らかにするが)ニ ーチ ェ哲学の 「アフ ォリズム」形式 は、 そ もそ

も先天的に体系化 とは相容れない可能性 を孕んでい る。

そこで、以下、 まず はニーチ ェの根本形式で ある 「アフォリズム」 の性質 につ いて言及す るが、その際、

特 にヤスパースのニーチ ェ論 を参照す る。彼は、ニーチェの 「アフ ォリズム」形式 を、体系化を拒絶す るも

の と位置づ けた。以下、ヤスパースのニ ーチ ェ論(1936)を 適宜参照 しつつ、上記 の問題 について、考察を

進め ることとす る。

ニ ーチ ェの作 品様式 は 「アフ ォリズム(箴 言体Aphorismus)」 で ある78)。それ は彼の生涯を通 じて、本

質的 には変 わ らない19)。初期の著作 である 『悲劇 の誕生』(1872)と 『反時代 的考 察』(1873-1876)は 、例

外的 に、論文形式を とってい るが珊、ニーチ ェは 『反時代的考察』 の 「当時 は私 は 「雄 弁」 であるこ とをま

だ恥 じてはいなか ったJと 初期 の著作 の叙述に対 して、 自己批判的 に回顧 してい る。 また、後期の著作 であ

る 「ツァラ トゥス トラ』 は、物語性 を もった詩的 ・哲学的な寓話2Dで あ り、一般 に、叙事詩 として位 置づけ

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エ2 臨床教育人間学 第9号(2009)

られて いるが、個 々の章 は独立 してお り、各章相互の連関は、一 見す る ところ希薄である。すなわち、『ッァ

ラ トゥス トラ』 もまた、詩的形式 に身 を包みつつ も、個々の章 は潜在的に 「ア フォリズム」の形式 を採 って

いる といえ るのだ。 「ツ ァラ トゥス トラ』 は、ニ ーチェの著作 にお いて、唯一、「ア フォ リズム」 の詩的形象

化、 つま り、 詩 と 「アフ ォリズム」 の融合形式に よって描 かれた作 品 と考 え られ るのであ る(尤 も、『ッァ

ラ トゥス トラ」 の個 々の章 には、物語的要素 の導入 により、統一的意図が通奏低音 として存在 している。そ

のため、「ツ ァラ トゥス トラ』 は、 文脈なき 「アフォ リズム」 の集積ではな く、個 々の 「アフォ リズム」が

緊密 に関係 し合 い、 それぞれがニ ーチェ哲学 の根本問題と直結す る、思想的集合体なのである。 この点 につ

いて、 レー ヴィ ットは 「『ツ ァラ トゥス トラ』で は、脈絡のない沢山の説話 ではな く、匿 された長 い思想の

鎖」 が問題 になっていると述べ る22))。

さて、ニ ーチ ェの病気 が悪化す る1876年 以降、保養旅行先で 「アフォ リズム」集が書かれ るよ うになる。

「アフ ォリズム」 は、発作の波の合 い間や移動の合 い間に、断続 的か つ即興的 に書 くのに適 して いるE9)。「い

ろいろな著想が、路 を歩 いている間 に も、彼[ニ ーチ ェ註:筆 者]を 見舞 った。 彼は最 後の十年 間は、午前

と午後 の大部分 を野 外で過 ご し、折 にふれて手帳 に記入 した。 そ して家 に帰 ってか ら、それを慎重 な文体で

ノー トに書 き下 ろ した2v」。 か くして、彩 しい量の思想の断片が生 まれ た。刊行 された もの とほぼ同量の も

のが死後 に残 され、遺稿 として 出版 された。

しか しなが ら、止 むなき事情 から採用 され ることとなった 「アフォ リズム」形式 に、積極的意味 が見 出さ

れ る。 ヤスパ ースの解説 を参照 しよう。彼によれ ば、ニーチ ェはそ こで一 つの課題 を作 り出 した とい う。

「近代人 は、彼 らが職務上 の要求 か ら解放 され るときである旅行 中だけ、心 の くつ ろぎを得 る。 それ ゆえ一

般の見解を変え よ うとす る者 は、旅行者を相手 と しなければな らない2門。 このよ うな反省か ら一定の伝達

形式が生ず る。「長 く引き延 ばされた思想体系 は旅行の本質に反す る一 通読す るので はな くて、 しば しば

絡いて読む ような書物が必要だ物 。 こう した見方 を決 して反復 しは しなか ったが、 ニー チェは後 に至 って

別の弁明を見いだ したとヤスパースは述べ る。「簡 単な言葉の在 る物 は、多 くの長期 にわたって考え られた

ものの果実 や収穫物 であることがある2i)」。

か くして 「ア フ ォリズム」 の形式 は、本質的 な ものの伝達に必 要な形式 とな る。「或 る事柄 は、 それ が単

に刹那的に触 れ られたにすぎないとい うことだけで、 もう本 当に不可解であ るのだ ろうか。少な くとも、刹

那的 にしか捉え られない ような真理 があるものだ2fl)」。それゆえ 「最 も深 い、不滅 の事物 は常 にかのパ スカ

ルの 『パ ンセ』 が もつアフォ リズ ムの性格を、 したがって或 る刹那的 な性格 を、 もつであろ,,29)」。ニーチェ

は最後まで、 この形式 に依存 した。 「アフ ォリズムや格言に関 しては、私は ドイ ツの大衆 中第一人者 なので

あ るが、 このよ うなアフ ォリズムや格言は 『永遠性』の形式 である。私の名誉欲は、他の人び とが一冊 の書

物で述 べることを一他の人びとが一冊 の書物 で言えな いことを一 十 の文章で述 べ ることだ3°)」。

4.ニ ーチ ェ哲学 における矛盾 の意味

再びヤスパ ースを引用 しよ う。彼 は、もし我 々がニーチ ェ哲学か ら体系を取 り出そ うと試みるな ら、解決

されえない問題 に座礁 す るだろ うと述べる。「取 り出された ものはそれが非常に うま く成功 した場合 には、

それか ら後 に意識 され る全体 よ りも優 れた もので あ り、一つの新 しい もので あ りうるだ ろデD」。 しか し多

くの場合、 それは劣 った もの となる。 なぜな らそれ は忘れた り、看過 した り、除外 した りす るに相違 ないか

らである。

ヤスパー スによれば、 「ニーチ ェの真理 は、何処か の段階に もな く、終極 にもな く、初 めに もな く、或 る

高所に もな く、 む しろ進 行過程全体 の うちに存す る。 そしてこの進行過程 において は、或 る地点における真

理の あらゆ る在 り方 は、 それ独特 の意 義をもって いるのであ る:5列。 この進行 を通 じて現象す る全体者 の結

合力 は、ヘーゲル におけるように、体 系としての著作 によっては表現 されなか ったanOそ れゆえ、 ニーチェ

の体系は集 合的構 成によ っては獲得 せ られない3%

ニーチ ェは個 々の ものについて一つ一つ観察 し、 そ して この観察 を通 じて、真理 というものは素朴な反定

立や二者択一 の うちには見いだされないとい うことを我々に教 える。す なわ ち、矛盾 においては じめて真理

と真な る存在 は現 れる ことがで きるの である。「最高 の人間は存在の対立的性格を極 めて強 く示 しているよ

うな人間」であ り、 「凡庸な人間は、対立の緊張が増加するや否や滅亡 するような人 間であ る35'」。 そこでニー

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井藤:シ ュタイナー 「ニーチ ェ論」の思想史的検討 13

チ ェは次 のよ うに言 う。「最 も賢 明な人 間は一時 々彼の壮大 な不協和音の偉 大な瞬間を もつ ところの 一 最

も矛盾 に富 める人 間で あるだ ろゲ6)」。

以上、 ヤスパ ースのニ ーチ ェ論を参照 しつつ、ニーチェ特有の表現形式 た る 「ア フォリズム」形式の特質

を確認 した。「アフォ リズム」 は体系化 とは相容 れない形式であ る。 体系化 は矛盾 の排除へ と向かい、 また、

細部 を看過 し、対立項 を除外す る。対 して 「アフォ リズム」 においては、 矛盾 しなが らの同居 が可能であ る。

個 々の 「アフ ォリズムJは 簡潔 に物事の核心 を言 い当てる。 また、文脈依 存的でな く、 あ りのままの~場面

を密封す る。

5.シ ュタイナーのニーチェ論 一 試金石 と してのニーチ ェ

従 って、 そう したニ ーチェの叙述形式は、 あらゆ る体系化を拒絶す るこ ととな る。 た とえ、 ある一貫 した

筋でニーチ ェの 「アフ ォリズム」をつなぎ合 わせ、説得的な分析 を達成 しえた として も、 それは彼の思想の

一側面 を照 らし出 して いるに過 ぎず、見落 とされ、捨象 された要素が必ず 存在 す るのである。 ヤスパースの

議論 を前提 とす るならば、ニ ーチェ思想の体系化を 目指すすべての試 みは、既 に先天 的に失敗 に終わ る運命

にある と'考え られるのである。

前置 きが長 くなったが、 ここで漸 くシュタイナーの 「ニーチ ェ論」へ と移行 す ることができる。先に引用

したとお り、 シュタイナーはニ ーチ ェの うちに、 自身の思想 と同一 の理念 を読 み取 った と告 白 してお り、深

い傾倒の もと、『ニ ーチ ェ』 を書 き著 した。 しか しなが ら、上 で言及 したニーチ ェ思想の性質 に鑑み るな ら

ば、他 の諸研究 同様、 シュタイナーの 「ニーチェ論」もまた、それが一つ のあるま とま ったニ ーチs像 を描

き出 している以上、ニ ーチェ解釈 としては、先天的に不完全な もの とな らざるをえない。

ところが、『ニーチ ェ』 を シュタイナー思想を読み解 くための テキ ス トと位 置づけるな らば、 事態 は一変

す る。 それは、無数 に存在す るニーチ ェ解釈 の一つ としての消極 的位置づ けを脱 し、 シュタイナー思想の逆

照射を可能 にす る試金石 と化す のであ る。 ニーチェ思想は、無数 の解釈 を許す が故 に、 そこにいかな る理念

を見出す かによ って、逆 に解釈 者 自身 の思想 を映 し出 して しま うのである3D。三度 コ リン ・ウィル ソンを引

用するな らば、彼が指摘 して いるように、「シュタイナーがニー チェの中 に見 て とった ものの多 くは、 シュ

タイナー 自身の反映}町 といえ るのである。従 って、 シュタイナーの 「ニーチ ェ論」が、ニー チェ解釈 とし

て妥 当か どうかは問題 とならない。 シュタイナーがニーチ ェ思想 のいか なる点 に着 眼 し、そ こにいかなる解

釈を与 えたかを読 み解 くことは、 シュタイナー思想を解き明かす ことと同義 と考 え られるのであ り、本論考

ではあ くまで もシュタイナー思想の解明を 目指 して 『ニーチ ェ』 を解読す る。

以下、 シュタイナー のニ ーチェ論を読 み解 いてい くことに しよ う。

彼が 『ニーチ ェ』で中心的 に取 り上 げるのは、二~チェ後期のテキス ト 『ツ ァラ トゥス トラAlso sprach

Zarathustra』 であ る。彼 は 『ニーチ ェ』 初版 の序文 において、「ニー チ ェの努力の究極 の目標 は 「超人」

類の描出 にある3門 と述 べ、 この類型の性格を定め ることこそが、「ニーチ ェ』 の主要課題 である と告 白 し

てい る。 従 って、 ここで は問題 を 「超人(der Ubermenscb)」 思想 に限定 し、 シュタイ ナーが 「超人」 を

いかに解釈 したか、見て い くことにす る。手始め として、 「哲学者」、「僧侶」(彼 らは 「超人Jの 対極 に位置

つ くとされる)に つ いて の分析 を参照する ことに しよう。

まず は、 「哲学者(Philosoph)Jに つ いて、『ニーチェ』で は、次 のよ うな分析 がなされる。 シュタイナー

によれば、「哲学者」達が 自 らの理論の 中で述べていることは、彼 ら自身 の尺度 で測 ったこ とにすぎない。

「哲学者」達 は生か らの離反 を説 くのだが、それは確かに彼 らにとっては有 効である。「彼[「 哲学者」 註:

筆者]は 自分の複雑 な思考 の道 を現実 ごときに横切 られた くない4°)」と考 えてい るが故、彼 らに とって現実

か らの脱却は極めて有益なので ある。そ して、「哲学者」達が現実か ら背 を向け ることで、 彼 らの思考 は一

層勢 いづ くこととなる。 シュタイナーは、 これ によ り、彼 らが生 に対す る敵対感情 をあ らわ に した として も、

何 の不思議 もない と述べ る。か くして、「哲学者」達が生に対す る反感を学説 に仕立 てあげ、 それを支持す

るよ うすべての人々に働 きかけるまではあと一歩である4UOシ ュタイナーによれ ば、例えば、 ショーペ ンハ

ウアーは これを行 ったので ある。彼 は世俗の喧躁が自身の思考 を妨げ ると考 えたのであ り、 「現実 に関 して

反省す るのに もっとも適 しているのは、人 がこの現実か ら免れている場合 であ るa?)」と感 じたのである。 し

か しなが ら、これによ り、彼 は現実 についてのすべての思考 が価値 を有す るのは、思考 が現実 に根差 してい

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・4 臨床教育人間学 第9号(2009)

る場合 に限 られる とい うことを忘却 した。すなわち、 「哲学者が現実か ら退却 するこ とを許 されるのは、 そ

うすれ ば生 と離れた ところで生 じた哲学的思考が、いっそう都合よ く生 に役 立つ こ とがで きる場合であ るこ

とを斜 酌 しなか っだ 列 のである。 そ うして、 「哲学者」 自身 にとってのみ妥当であ ることを、全人類 に対

し押 し付けるな らば、彼 は生 に敵対す る者 となる。 シュタイナー によれ ば、「現実逃 避を現世肯定的な考 え

の創造 のための手段 と見 なすので はな く、 目的 として目標 として見 なす哲学者 は、無価値 な もの しか創 り出

せない4A)」。 これ に対 して、「真の哲学者」 は表向きでは現実を見捨て るが、そ うす ることによりさらに深 く

現実 に入 り込 む者 であ るnsi。ところが、「哲学者Jが 現世否定 それ 自体 を重 んず ることも十分 にあ りえ るの

である。

次 に、「僧侶(Priester)」 について、 シュタイナーは次のよ うに分析 して いる。

「僧 侶は人間が現実 の生活に没頭す ることを誤 りと見 る4門。 そ して、 高次の力 に導か れている生 と比 べ

て、 この人生 を尊重 しないよう要求す る。現実の生がそれ自身の内に意義 を有す ることを 「僧侶」は否定 す

るのである。 そ して、「彼 は時間性 の下 にあ る生 を不完全 なもの と見な し、 その生 に対抗 して永遠 の完全 な

る生 を持 ち出す9D」。従 って 「時間性か らの離反 と、永遠性、不変性 への回心 を唱える48)」ので ある。

また、「僧侶Jは 病め る者 に対 し次 の ように述べる。「君たちが病 んでいるこの生 は本 当の生ではない。 こ

の生 を病んで いる者 たちの方が、 この生に執着 し漫 り切 ってい る健全 な者 たちよ り本当 の生 に到達 しやす い

のだA9)」。「僧侶」 は、 この ように言 うこ とによって、人 々の心に この現 実の人生に対す る軽蔑の感情 を育 む、

そ して、最終的に彼 は、「真の生に至 るために、 この現実の生を否定すべ きだ 噌 という考えを導き出す。

「僧 侶」 のそ うした理念の影響下で、「僧侶」 を信奉 する者が、人生 の軽蔑 にとどま らず、人生 の破壊 を

標榜 したと して もそれは 当然の結果で ある。 「病者 や弱者 のみが実際 に高次 の生 に到達 できるのだと説教 さ

れていると、つい には病 や脆弱 さ自体が求め られることにな る5D」。

『ニーチ ェ』 において、「哲学者」、 「僧侶」は、 シュタイナーによって以上 のような存在 として読 み解 か

れる。 そ う した分析 か ら、 シュタイナー 自身 の思想構造 を見て取 るこ とが可能 となる。 彼 は 「哲学者」 と

「僧侶」、両者の共通点 と して、彼 らが生か らの離反を称揚 している点を挙 げ、その点を批判的 に考 察 してい

るので ある。

確 かにシュタイナー自身 は、感覚的世界とは別の、超感覚的世界 の重要性 を説 いた。 そ して この超感覚的

世界 を認識す ることを人間 の重大な課題 とみなした。 しか しなが ら、彼 はそ うした主張 によ り、決 して感覚

的世界 か らの脱却の必要性 を説 いたわ けではない。その離反 は、感性 界 とよ り深 く関わ るための一時的否定

にす ぎないのだ。感覚的世界の否定は、超感覚的世界 との交流を果 たす ために必要 な一過程ではあるが、 そ

の段階 自体 を称揚す ることは、誤 りとされるのである。上 に引用 した 「哲学者」、「僧侶」 に関す る分析 にお

いては、 まさにこの点が強調 されてい る。

余談 だが、 この世界観 は、本論文冒頭で示 した、 シュタイナーの思想研 究者時代 の論文 「ゲーテの黙示」

の うちに も克 明に表れ 出て いる。 シュタイナーは、『メールヒェン』 の結末 では、感 覚的世界 と超感覚 的世

界の問の架橋が達成 され ていると解釈 し、両世界を人 々が絶え間な く往来す る場面 に、人間の 目指すべき理

想的境地 を見 て取 っている。 そ してさらに、 その状態 をシラー哲学 と関連 させて読 み解 き、 ゲーテ とシラー

の 目指 した境地が同一で あるという結論 を導 き出 している。感覚的世 界と超感覚的世界 の交流 とい うシュタ

イナーのモチーフは、彼 のゲーテ研究の うちにも主要 テーマ として描 き出 されているのである。

6.「 自由」の問題 一 シュタイナーの=一 チェ批判

シュタイナー思 想の中で もと りわけ重大な問題である 「自由」の問題 について、『ニーチ ェ』の中でいか

に検討 され ているか。

シュタ イナー によれ ば、 「永 遠の理 性の法則(ewige Gesetzen der Vernunft)」 や 「神 の意志(Wille

Gottes)」 にのみ服 し、他人 に由来す る法則には屈服 しない故、 自らを 「自由思想家(Freidenker)」 と呼

ぶ人 々 もまた、 ニ ーチ ェによ って断 罪 され てい るとい うi27。ニー チ ェはそ うした人 間を 、「強者(der

Starke)」 とは見なさない。なぜな ら、彼 らは高次の権威の命令 に従 ってい るのであ り、 自分 自身に従 って

行動 していないか らで ある。す なわち、 「奴隷が主人の恣意 に従 うか、神 の啓示 した宗教的真理に従 うか、

哲学者の理性 の言葉 に従 うか、 どれ も言 いな りにな るとい う状況 に変わ りはない5門 ので ある。従 って、何

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井藤:シ ュタイナー 「ニーチェ論」の思想史的検討 巧

が命令す るかは問題で はな く、 そもそ も命令 され ること自体 が重 大な問題 とされ るのである。

そう した 「高次 の権威 の命令 に従 う」人間は、 ニーチ ェにとって 「弱者(der Schwache)」 とみな され る。

「弱者」 は 自分の善悪の判断 を 「永遠の世界意志(ewiger Weltwille)」 な どに指図 して もらう。 「弱 者は万

人 に平等 の権利を言いわた し、人間の価値 を外面的尺度で定 あよ うとす る5わ」。

一方、 ニーチ ェに とって 「弱者」 に対比 され る 「強者」 とは、「認識 によ って事 物を思 考可能に し、そ の

結 果事物 を自分 に従属 させよ うとす る」者である。 「彼 は自分 自身が真理 を創 った者 であ ること、 そ して 自

分 の善や悪 を創 り出すのが、 ほかな らぬ 自分 であ ることを知 っている551」。

ニーチェによれ ば、 ここでい う 「強者」 こそが 「超人」なのであ り、 この 「超人」 こそが真 に自由なので

ある。上記の 「弱者」 は 「超人」に至 る単 なる通過点 にすぎない。

そう した 「弱者」の段階は、 ツァラ トゥス トラとて例外な く経験 して いる。彼 もまた、かつては 「弱者」

であったのだ。

「ツ ァラ トゥス トラにも、世界の外に住む或 る霊すなわち神 が、世界を創 ったのだ と信 じていた時があ っ

た。満 ちた りぬ悩 め る神 を ツァラ トゥス トラは考 えていた。神 は一時 の満足 を得 るため、悩みか ら逃れ

るため にこの世を創 ったのだ と、ツ ァラ トゥス トラはかつて思 って いたのだ。 しか し彼 はそれが 自分勝

手 に捧えた幻影で ある と見 抜 くすべを修得 した。「ああ、 お前 たち兄弟 よ、 わ しが創 ったこの神 は、 す

べての神 々と同 じく人間の捲え物であ り幻想 だった!」。 ツ ァラ トゥス トラは自分 の心 の働 きを用いて

世界を観察 す るすべを修得 したのだ。か くて彼 はこの世 に満足 した。 もはや彼の考 えは彼岸の中へ迷い

込む こともなか った。当時彼は盲 だ ったのであ り、世界 が見え なか った。 そのた めこの世の外に救いを

求めた りしたのだ。 しか しツ ァラ トゥス トラは見 ることを学 び、 この世 自体 の内 に意義があるのだ と認

識す るすべを修得 したのだ っだ6)」。

ツァラ トゥス トラ もまた 「弱者」 の時代を経て 「強者」へ と到 り、現実の意義を認識 したのである。

さて、ニ ーチ ェは、 「強者」 の持つ英知を 「ディオニ ュソス的英知」 と呼んで いるの であるが、そ れは外

部か ら我 々に与え られ る ものではな く、 自ら創 出 した英知 である。従 って、彼 は神 を求 めない。「彼 がなお

も神的 な存在 と して思 い描 ける ものは、彼 の世界 の創造者 であ る彼 自身の みである57'」。か くして、 そう し

た状態が有機体 の隅 々にまで及べ ば、デ ィオニ ュソス的人 間が誕生す る58)O「デ ィオニ ュソス的精神(der

dionysische Geist)は 、行 動の動機 をすべ て自 らの中か ら取 り出 し、 外的な力 には少 しも従わないが ゆえ

に自由な精神 と言 える59)」。 なぜな ら自由な精神 は自分の本性 にのみ従 うか らで ある。

しか しなが ら、 ここにおいて シュタイナーは、ニーチ ェにおけ る自由の問題 に関 し、その不備 を指摘す る。

すなわち、 ニーチ ェの論述 には 「道徳的想像力(moralische Phantasie)」 が欠けている というので ある。

では、「道徳的想像力」 とは何か。 シュタイナーのこの概念 については、r自 由の哲学』(Die Philosophie

der Freiheit 1894)に おいて詳細 な説明がなされてい る。

「自由である とい うことは、行為 の根底にある表象内容(動 機)を 、道徳的想像力 によ って自分 か ら決

定できるとい うこ とである。機械的な過程や世界外にい ます神の啓示の ような私以外の何物 かが私 の道

徳表象 を決定す るのだとすれ ば、 自由な どあ り得ない。 したが って私 自身が表象内容を生 み出す ときが

自由なので あ って、他 の存在が私の中に植 えこんだ動機 を私が行動に移せ るとして も、それ で自由にな

るのではない。 自由な存在 とは、 自分が正 しいと見倣す ことを欲す ることのでき る存在である ゜'J。

人間は、「道徳的想像力」 によ って、 彼の理念の総体から具体的 な表象 を生み出す際 に自由とな る。彼 の

理 念を実現す るた めに、 自由な精神の持ち主 が必要 とするものが 「道 徳的想像力」なのである。 それ に対 し、

道 徳的説教者(道 徳的規則 を具体的表象まで凝縮で きないで、道徳的規則を紡 ぎだす人 々)は 、道徳的 に非

生産 的であるとされ る。彼 らはシュタイナーによって、芸術 作品が どのよ うであ るかを分析す ることを心得

てはいる ものの、最 も価値がな いもので さえ生 み出す ことができない批評家 と同一 とみなされるので ある。

人間は意 識的動機 に即 して行動すべ きであるが故に、「道徳的想像力」 を持 つ者 だ けが真 に自由 といえ るの

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・6 臨床 教育人 間学 第9号(2009)

だ。 そ して も しそ の動 機 を 自分 で産 み 出せ な い場 合 、彼 はそ れ を 外 部 の 権 威 な どか ら与 え られ る こ と とな る。

「感 覚 的本 能 に の み 身 を ゆ だ ね る 人 間 は獣 の よ うに 行動 す る。 自分 の感 覚 的 本 能 を 他 人 の 思 考 の 下 に 置 く人

間 は 自由 を持 たず に行 動 す る。 倫 理 的 目標 を 自 ら創 り出す 人 間 で あ って 初 め て 自 由 に行動 して い る と言 え る

の だ6')」。 シ ュ タ イ ナ ー に と って 、 そ う した 「道 徳 的想 像 力 」 が ニ ー チ ェ に は欠 け て い る よ うに思 わ れ た の

で あ る。

シュ タ イ ナ ー は、 ニ ー チ ェ の思 想 的 不 備 を指 摘 した。 そ して 、 自 らの 著 書 『自由 の 哲 学』 に お いて そ の 解

決 を 図 った の で あ る。 彼 は この 点 に関 し、1894年12月23日 付 け の パ ウ リー ネ ・シュ ペ ヒ ト宛 の 書簡 の 中

で次 の よ う に述 べ る。

「私 は ニ ー チ ェの 病 気 を特 別 の痛 み と共 に感 じて い ます 。 な ぜ な ら私 の 『自由 の哲 学 』 が ニー チ ェの 傍

らを素 通 り して しま う こ と は なか った だ ろ う、 と確 信 して い るか らで す 。 彼 は 自分 が未 解 決 の ま ま に し

て お い た多 くの 問 題 が 私 に よ って 敷術 され て い るの に気 づ い た で し ょ う。 そ して彼 の道 徳 観 、 彼 の 背 徳

主 義 が 私 の 『自 由の 哲 学 』 の 中で は じあ て その 画竜 点 晴 を 得 た こ と、 彼 の 「道 徳本 能 」 がふ さわ しい 昇

華 を得 、 それ が 私 の 「道 徳 的 想 像 力」 に まで 変 容 した こ とを 良 し と した こ とで し ょ う62)」。

シ ュタ イ ナ ー に よれ ば 、 ニ ー チ ェ思 想 につ いて 我 々 が考 え 抜 くと、 「道 徳 的 想 像 力 」 は 不 可 欠 で あ る とい

う考 え に到 らざ る をえ な い と い う。 そ して彼 は、 ニ ー チ ェの 世 界観 に 「道 徳 的 想像 力」 を加 え る こ とは一 つ

の 絶対 的必 然 で あ る と主 張 して い るfi3)。シ ュ タ イナ ー は、 ニ ー チ ェ に深 く共 鳴 しつ つ も、 自 由の 問 題 に関 し

て は、 彼 か らの思 想 的 脱 皮 を 図 って い るの で あ る。

7.お わ りに

本論 考 で は、 特 にニ ー チ ェ特 有 の形 式(ア フ ォ リズ ム)が 、 シ ュ タイ ナ ー を理 解 す る上 で いか に有 効 か を

示 す こ と に重 点 を 置 い た た め 、 紙 幅 の 都合 もあ り、 「ニ ー チ ェ論 」 そ の もの を 網 羅 的 に 考 察 す る こ とが で き

な か った。 そ の精 緻 な分 析 につ い て は、機 会 を改 め て行 う こ と にす る。

よ って本 論 考 は、 思 想 史 的視 座 の も とで シュ タイ ナ ー を考 察 す るた め の布 石 と して位 置 づ け られ る もの に

過 ぎ な い。 そ の た め、 検 討 さ れ る べ き重 要課 題 が、 未解 決 の ま ま残 され る こ と とな った。 そ の一 つ が 『ニ ー

チ ェ』 と 『自由 の 哲 学 』 の比 較 検 討 で あ る。 「自 由の 哲学 』 に お い て、 シ ュ タイ ナ ー が い か にニ ー チ ェ思 想

の発 展 的継 承 を試 み たか 、 これ は、 シ ュタ イ ナ ー思 想 の思 想 史 的考 察 に 際 し、 問 わ れ るべ き重 要 な問 いで あ

る。本 論 文 第6節 に お いて 、 そ の一 端 は示 した もの の、 十 分 な 分析 を 行 う こ とが で きな か った。 この 問 題 に

つ い て は よ り本格 的 な 分 析 が 求 め られ る。 「自由 の 哲学 』 と 「ニ ー チ ェ』 を 比 較 検 討 す る こ とに よ り、 シ ュ

タイ ナ ー思 想 の独 自性 を 浮 き彫 りにす る ことが 可 能 とな るは ず で あ る。

また、 『ニ ー チ ェ』 で 展 開 さ れ た シュ タ イ ナー の 根本 理 念 が 、 霊 的 指導 者 とな って 以 降 の 彼 の 思 想 へ とい

か に受 け継 が れ て い るか 、 シ ュ タ イナ ー の後 期 思 想 との比 較 の も と、 解 明 す る必 要 が あ る。 これ は、 思 想 研

究者 時 代 の シ ュ タ イ ナー 思 想 と霊 的指 導 者 とな って 以 降 の思 想 の 間 の 連 続 と不 連 続 の 問題 と換 言 で き るの で

あ るが、 両 時 期 に通 底 す る理 念 を導 き 出す た め に も、 これ は 検 討 す べ き課題 で あ る。

今 後 は、 上 記 の 課 題 に取 り組 み、 また、 本 論 文 冒頭 に おい て 示 した 、 ゲ ー テ、 シ ラー と の連 関 も視 野 に 入

れ て、 シ ュ タ イ ナ ー を思 想 的 に対 話 可 能 な地 平 へ と導 き入 れ 、 シ ュ タイ ナ ー の思 想 史 的定 位 を試 み た い。

車 註

1)Wilson, c.(2005):Rudolf Steiner:the man and his vision, Aeon, London, p.13二(1994):中 村保 男 ・中

村 正明訳 『ル ドル フ ・シュタ イナ ー』、 河 出書 房新 社、16頁 。

2)Ibid:, p.89=同 上 、137頁 。

3)Steiner, R.(2005):Die Philosophie der Freiheit, Rudolf Steiner Verlag, Dornach, S.9=(2002):高 橋 巌

訳 『自由の哲 学』、 筑摩書 房 、12頁 。

4)井 藤元(2009):「 シ ュタ イナ ーの ゲ ーテ 『メー ル ヒェ ン』論 一 ゲ ーテ 、 シ ラー、 シ ュタイ ナー の思想 的避

遁 一 」、 「ホ リス テ ィッ ク教育 研 究』、第12号 、 日本 ホ リステ ィ ック教 育 協会。

5)尚 、筆 者 は別稿 にお いて、 「ゲ ーテ ー シラー往復書 簡」 を根拠 と して 、 ゲー テ文 学 と シラー 『人間 の美 的教育

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井藤:シ ュタイナ ー 「ニ ーチ ェ論 」 の思想 史的検討 ・7

につ いての書 簡』 との 間に 内的 連関 を仮定 し、 シラーの抽 象概 念(「 遊 戯衝 動」)の 内実 の解明 を試 み た。 「遊 戯 衝

動」 はあ ま りに抽象 的 な概念 で あ るが故、 その解釈 は論者 によ って微妙 に、 とき に大 き く異な る。本 論考 で はそ う

した 「遊戯 衝動 」 の作動 状態 の 内実 を解 明すべ く、 これ をゲー テの代 表的叙 事詩 『ヘ ル マ ンと ドロテー ア』 へ と還

流 し、 その具 象化 を図 った。[井 藤 元(2007):「 シラ ー 『美 的書 簡』 にお け る 「遊 戯衝 動」一 ゲー テ文学 か らの

解明 一 」、 『研究 室紀要 」、第33号 、東京 大学大 学院教 育学 研究 科教育 学 研究室]

6)シ ュタイ ナー とニ ーチ ェ資料 館、 並 びにニー チ ェの妹 エ リー ザベ トとの関係 につ い ては、恒 吉 の論考 に おい て

詳細 な解説 が な され て いる。[恒 吉 良隆(1999):「 ニ ーチ ェ資料館 とエ リー ザベ ト ・フェル スタ ー ・ニ ー チ ェ(皿)

一 エ リーザ ベ トとル ドル フ ・シュタイ ナー-J 、 『文 藝 と思想』、 第63号 、 福岡女 子大 学文 学部]

7)Steiner, R.(1963):Friedrich Nietzsche, ein K&mpfer gegen seine Zeit:erweitert um drei A ufs&tze u ber

Friedrich Nietzsche aus dem Jahre 1900 and um ein Kapitel aus≪Mein Lebensgang≫, Verlag der Rudolf

Steiner-Nachlassverwaltung, Dornach, S.185-186=(1981):樋 口純 明訳 『ニ ー チ ェー同 時代 との 闘 争 者』、 人

智学 出版 社、 :: 頁 。 尚、 本 論文 で は、『ニ ーチ ェ』の和訳 に関 し、樋 口訳 と西川 訳 の二種 類 を参照 させ て い

た だいた。

8)Hoffmann, D.M.(1993):Rudolf Steiner and Nietzsche-Archie‐Briefe and Dokumente 1894-1900,

Rudolf Steiner Verlag, Dornach, S.26.

9)Steiner, R,1963, S.15=(2008):西 川 隆範訳 『ニ ーチ ェー 同時 代へ の闘争 者 』、 アルテ、14頁 。

10)ま た、 自伝 にお いて も、 シュ タイナ ーは次 の ように述 べて い る。 「私 は彼[ニ ーチ ェ 註:筆 者]の 内で この

自由闊達 さか ら産み 出 された 多 くの思念 が、私 自身 の内で形成 され た思 念 とよ く似 て い るこ とを知 った 一 私 がそ

の思念 に至 るた め歩 ん だ道 は、 彼 の道 とは まった く異 な って はい たが」。[Steiner,1963, S.., 1981:樋 口訳 、

186頁]

u>Ibid., S,9=2008:西 川 訳 、5頁 、初版 へ の序 文。

12)高 橋巖(2001):「 第1回 高橋 巌講 演会 ニ ーチ ェと シュタ イナ ー」、 『昴』、 第1号 、 日本 人智 学協 会 関西 支

部 、12頁 。

13)ニ ー チ ェ哲 学 に 内在す る矛盾 につ いて は、W.ミ ュラー 一 ラ ウター 『ニ ー チ ェ ・矛盾 の哲 学』 を 参照 。[W.

ミュラー 一 ラウ ター(1983):秋 山英 夫 ・木戸三良 訳 『ニ ーチ ェ ・矛盾 の哲 学』、 以文 社]

14)ピ ヒ ト,G.(1991):青 木 隆嘉 訳 『ニー チ ェ』、 法政大学 出版局 、20頁 。

15)Nietzsche, F.01969):Gotzen-Dammerung, Nietzsche Werke VI3, Walter de Gruyter&Co, Berlin, S.57=

(1994):原 佑 訳 『偶像 の黄 昏 反 キ リス ト者』、筑摩 書房、21頁 。

16)Fink, E.(1960):Nietzsches Philosophie, Kohlhammer Verlag, Stuttgart, S.9.

17)Heidegger, M.(1961):Nietzsche Bd./., Neske, Stuttgart, S.17.

18)ニ ーチ ェが彼 独 自の文 体 を 「ア フォ リズ ム」 と公式 に命名 した のは 『道徳 の系譜 学』 の序文 に至 ってで あ る。

これ以 前 に公 刊 され た著 作 に は アフ ォ リズム とい う言葉は 出て こな い。[麻 生建(1972):「 こ一 チ ェ とア フ ォ リズ

ム」、 氷上英 廣編 『ニー チ ェ とそ の周辺 』、 朝 日出版社、111頁]

19)ヤ スパ ー スは、 「出版 された もの はすべ て、箴 言か、 でな けれ ば、 全体 的 な ものの観 念 に即 して いえ ば、 や は

り箴言 を意 味 す る ところ の散 文 か のいず れかで あ るか ら して、 実 際 にお いて はニー チ ェ的思惟 の文章 上 の全 形態 は、

依 然 として 箴言 体 で あ る」 と述 べ る。[Jaspers, K.(1974):Nietzsche:Einfuhrung in das Verstiindnis seines

Philosophierens, Walter de Gruyter Berlin, S.396=(1967):草 薙 正夫 訳 『ニ ーチ ェ(下)』 、理想 社 、265頁]

20)初 期 の著作(『 悲 劇 の誕生 』 と 『反 時代的考 察』)は 学術論 文 の型通 りの形態 とは異 な るが、 それ で もま だ論文

とい う外 的 な形 式 を備 え てい る。 ピ ヒ トによれば、 その モデル と して、 シラー の哲学 的著 作、 と くに 『素 朴文 学 と

情感 文学 につ いて』 と 『人 間の 美 的教 育 に関す る書 簡』が挙 げ られ る という。[ピ ヒ ト 1991、19頁]

21)ニ ーチ ェは 「ツ ァラ トゥス トラ』 の文 体を誇 ら しげに 自賛 す る。 「僕 の文 体 は ひ とつ の舞 踏だ。 あ らゆ る種類

のシ ンメ トリー の遊 戯 で あ り、 かつ これ らの シンメ トリーを跳 び越 し嘲笑 す る。 そ れが母音 の選 択 にまで 及 んで い

るの だ」 と書 き記 し、 さ らに 「と もか く僕 は どこまで も詩人 一 この概念 の あ らゆ る限界 に及ぶ までの詩 人 なの だ」

とい う。[薗 田宗 人(1972):「 詩 人 の像 一 こ 一 チェ 『ツ ァラ トゥス トラ』 の研 究 皿 ~ 」、『人文 研究 ドイ ツ語 ・

ドイツ文学 』、第24巻 、 第3分 冊 、大 阪市立大 学文 学部、43頁]

22)Lowith, K.(1956):Nietzsches Philosophie der ewigen Wiederkehr des Gleichen, Kohlhammer, Stuttgart,

S.230;(1960):柴 田治 三郎 訳 『ニ ーチ ェの哲学 』、岩 波書店、327頁 。 さ らに レー ヴィ ッ トは次 のよ うに述 べ る。

「『ッ ァラ トゥス トラ』 は ニー チ ェの全作 品 の内部 で文学 的に も哲学 的 に も特 別 な位 置を 占め る。 と言 っ て も、 そ

れ は、 『ツ ァラ トゥス トラ』 が 全作 品か らはみ出す か らではな く、 それ が考 え抜か れた比 喩の一体 系 の形で ニ ーチ ェ

哲学全 体 を含 ん でい るか らで あ る。『権力 へ の意 志』 の題名で 出 版 され た… … ノー トの遺稿 に も、原 理 的 に新 しい

もの は何 も含 まれて い ない」。[Lowith 1956, S.64 e 1960、73頁]

23)ニ ー チ ェ,F.(1968):塚 越 敏訳 「ペー ター ガス ト宛て書簡 」、『書簡 集1』 、理 想社、359頁 。

24)Jaspersユ974, S.396=1967、264-265頁 。

25)Ibid., S.396-397;同 上、265頁 。

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18 臨床教 育人 閤学 第9号(2GG9)

26)Ibid.,5.397=同 上、265-266頁 。

27)Ibid.=同 上 、266頁 。

28)Ibid.;同 上 。

29)Ibid.=同 上 。

30)Nietzsche 1969, S.147=1994、146頁 、 一部改 訳。

31)Jaspers 1974, S.398 e 1967、267-268頁 。

32)Ibid., S.398=同 上、268頁 。

33)ヤ スパ ー スは、 「彼[ニ ー チ ェ 註:筆 者]は い ろい ろな可能 的な体 系 を草 案 しよ うと思 えば できた ので あ る

が、 それ らは彼 の道具 で あ るにす ぎな い」 と し、 「それ らによ って は、彼 の 思惟 の全 体 は把 捉 しえ らるべ き もので

はな い」 とい う。[lbid., S.397=同 上 、267頁]

34)こ の点 につ いて、 ヤ スパ ー スは次 の よ うに述 べ る。「本来的 な問 題 は、 ニー チ ェにお いて全般 的 に存在 してい

る矛盾性 は何 を意 味す るか とい う ことで ある。ニ ーチ ェは気分の赴 くまま に書 いて い ったの であ るか、彼 の思索 物

は気 分 の混沌 た る多様性 の表現 で あ るのか 、あ るいは 自己矛盾的 な ものの うち に一 つの必 然性 が支配 してい るので

あ るか、 い ろい ろな気分 は相互 に関連 し合 ってい るのだ ろ うか、 これ らは全 体的 な もの にお いて は じめて現 れ る或

る法則 によ って、一 な る ものに結 合 せ られ るので あろ うか。 以上 の如 き問 いは、 も しわれ わ れが、彼 が矛盾 す る こ

とな く把 握せ られ う るよ うな場 合 に のみ、 彼は正常 に把握 せ られ るのだ、 したが って矛盾 的 な もの は誤謬 と して排

除 せ らるべ きであ る、 とい う前 提 を も ってニーチ ェに接 するな らば、簡 単 に征嚴 せ られ る… … しか し、 この前提 を

も って しては、 ニ ーチ ェは その一般 的 な矛 盾性の ゆえ に究極 には無実 質 的 な もの に なるか …… それ と もわれ われ は、

孤立 化 されt:.一個 の特徴 的 な思 想 で あ ったにす ぎない ものを任意 に掴み 出 して、 そ れに対 して、適合 しない ものを

排 除 す る こ とに よ って 、 固 定 化 され た この 一 つ の立 場 を押 し付 けな けれ ば な らな い か の いず れ かで あ る」。

[lbid., S.414-415;同 上、294-295頁]

35)Ibid., S.392-393=同 上、259頁 。

36)Ibid., S.392;同 上、257-258頁 。

37)興 味深 い ことに、 シュタイ ナー が取 り上げ る思 想家 のテキ ス トは、 ニ ーチ ェの 「ツ ァラ トゥス トラ』 のみ な ら

ず、 未 だ統一 的 ・整 合的 解釈 が提示 されて いない ものが多 い(ゲ ーテ 『メー ル ヒ ェ ン』 や 『フ ァウス ト』)。と りわ

け、 シュ タイナー が、 自身 の教育思 想 の形 成 にお いて甚大 な影 響 を受 けて いる と告 白 して い る シラー 『美的 書簡 』

もまた、 数多 くの思 想家 に よ って無 数 の解釈 が提示 され ているテ キス トで ある。 シュタイ ナ ー教育思想 の思 想史 的

考察 の ため に も、彼 の 『美 的書 簡』 解 釈 は検討 され るべ きであ る。 尚、 あ また存 在す る 「美的 書簡』 批判 につ いて

は 、拙 稿 「シラー美 的教育 論 を あ ぐる諸論 の包越 に向けて 一 『美的書 簡 』批 判 の四類 型 Jに おいて類 型化 を

試 みた。 ここでは 多種多 様 な 『美 的書 簡』 批判をそ の批判 内容 ごとに四 カ テゴ リー(『 美 的書 簡』 矛盾説、 『美的 書

簡』 分 裂説、 『美的 書簡 』現 実 遊離 説、 『美的書 簡』 未完説)に 類型 化 した。[井 藤元(2007):「 シラー美的 教 育論

を め ぐる諸論 の包 越 に向 けて 一 『美 的書 簡』 批判 の四類型 一 」、 「東京 大学 大 学院 研究 科紀 要』、 第47号 、 東 京

大学 大学 院教育 学研 究科]ま た、 筆者 は別 稿にお いて、 シラー 「美 的書簡 』 を未 完 のテキ ス トとみ な し、 これ を補

完す る もの と して彼 の 『崇高論 』 を位 置づ けた。そ こで は 『崇高論 』分析 を 通 じて、 シ ラー美 的教育論 の全 体像 を

描 き 出すた めの分析 枠組 み を獲得 す る ことを 目指 した。[井 藤 元(2009):「 「崇高 論』 に よ るシラー美 的教育 論再 考

一 シ ラー美的教 育論 再 構築 への 布石 一 」、『京都大 学大 学院教 育学研 究 科 紀要 』、第55号 、京都 大学 大学 院教 育

学研 究科]

38)Wilson 2005,.:. 1994、134頁 。

39)Steiner 1963, S.10=1981:樋 口訳 、8頁 。

40)Ibid., S.53-54;同 上 、49頁 。

41)Ibid., S.54=同 上 、49-50頁 。

42)Ibid.=同 上 、50頁 。

43)Zbid.=同 上 。

44)Ibid.=同 上 。

45)76id.=同 上 。

46)Ibid., S.55=同 上 、51頁 。

47)Ibid. e同 上 。

48)Ibid.=同 上 。

49)Ibid., S:58=同 上 、53頁 。

50)Ibid.=同 上 、53-54頁 。

51)Ibid., S.59=同 上 、54頁 。

52)76id., S.26=2008:西 川訳 、25頁 。

53)Ibid.=同 上 。

54)Zbid., S.86=1981:樋 口訳 、81頁 。

Page 12: Title [研究論文]シュタイナー「ニーチェ論」の思想 …...本論考は、ルドルフ。シュタイナー(Rudolf Steiner 1861-1925)の 思想を、彼の「ニーチェ論」の分析

井 藤:シ ュタイナ ー 「ニ ーチ ェ論」 の思想 史的検討 Ig

55)Ibid.=同 上 。

56)Ibid., S.47-48=同 上 、43頁 。

57)Ibid., S.87=同 上、82頁 。

58)16id.;同 上 。

59)Ibid., S.89コ 同上、84-85頁 。

60)Steiner 2005, S 169=2002:225頁 。

61)Steiner 1963, S 91-92=1981:樋 口訳、86頁 。

62)高 橋 巌(1986)「 シュ タイ ナー書 簡集」、『若 き シュタイナー とそ の時代 』所 収、 平河 出版社 、235頁 。

63)Steiner 1963, S 92=1981:樋 口訳、..頁 。

(い と うげん 京 都大 学大 学院 教育 学研究 科博 士後 期課 程)