The significance of 'Yan (艶)' in histrical novels ...

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九州大学学術情報リポジトリ Kyushu University Institutional Repository The significance of 'Yan (艶)' in histrical novels published during the Ming Qing (明清) period. : In particular, "Sui Yangdi Yanshi (隋 煬帝艶史)" and "Sui Tang Yanyi (隋唐演義)" 河野, 真人 九州大学大学院博士後期課程 https://doi.org/10.15017/9622 出版情報:中国文学論集. 30, pp.34-51, 2001-12-25. The Chinese Literature Association, Kyushu University バージョン: 権利関係:

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九州大学学術情報リポジトリKyushu University Institutional Repository

The significance of 'Yan (艶)' in histricalnovels published during the Ming Qing (明清)period. : In particular, "Sui Yangdi Yanshi (隋煬帝艶史)" and "Sui Tang Yanyi (隋唐演義)"

河野, 真人九州大学大学院博士後期課程

https://doi.org/10.15017/9622

出版情報:中国文学論集. 30, pp.34-51, 2001-12-25. The Chinese Literature Association, KyushuUniversityバージョン:権利関係:

中国文学論集

第三十号

明清

の歴史小説

「艶」

の概念

ついて

『晴煬帝艶史』

『晴唐演義』を中

心に

ー河

周知のように中国明清時代には、「艶」

「情」そして

「淫」等をテーマとした文学作品が数多

く刊行された。

それは正しく民衆文化の発展に伴

つて、当時の人々に於けるその類

の文学作品の需要が増し、その必要に応じて起

こった現象

であ

ったと考えられよう。だがその

一方

で、これら

「艶」「情」「淫」等をテーマとした作品は、為政者

によ

って、害悪をもたらすものと見なされ、屡々禁殿の対象とな

ってきた。勿論裏を返せば、それだけこの類の作

の需要が多く、また流布していたと言える事にもなるのだが。

明末頃に成立したとされる小説

『晴煬帝艶史』は、晴煬帝の生涯を扱

った作品であるが、題名からも分かるよう

に、

晴煬帝と女性との絡みが多数描かれ、「艶」をテーマとした作品として実

に相応しい作品と言

える。但しそこ

に描

かれる

「艶」

について考えた場合、それは単なる男女間の肉体関係を指すのではなく、も

っと広い意味

での男

女関

係を指し、そしてその間

に存在する、素直

で生き生きとした感情の発露を言うのではないかと思われるので

ある。

「『艶』とは

↓体何なのか。」

この問題は極めて深遠で壮大な上に、その意味は千変万化し、実に曖昧模糊として

いる。従

って我々としては、目前

の問題をそれぞれ着実に究明していく事

により、大きな問題解決

の糸口を見つけ

てゆく他無

いであろう。そこで、本稿

では前に挙げた

『晴煬帝艶史』を中心に、そして同時代の

「艶」をテーマと

一34一

した文学作品を比較考察する事で、明清

に於ける

「艶」概念のあり様について考えてゆきたい。

二、晴唐を扱

った文学作品と

『晴煬帝艶史』

明代から清代

にかけて、唐王朝を興す、所謂興唐故事を扱

った小説が多数刊行されている。具体的な書名を挙げ

ると

『唐書志伝』『晴唐両朝史伝』『大唐秦王詞話』『晴史遺文』『晴唐演義』『説唐演義』

であり、

これらの作品間

には極めて深い関係が存在する。小松謙氏は

『中国歴史小説研究』

で次のように述べる。

『唐書志伝』

の系統は、史書の体裁

で唐の歴史を語るべく、その開国

の発端にあたる李淵の挙

兵から物語を始

める。

これは……「按史」「按鑑」を称する明代歴史小説に共通する教養書意義に基づく製作態度と言

ってよか

ろう。……それに対し

『晴史遺文』

の系統には史書の形式にこだわらない、あくまで面白い話

を提供しようと

する物語作者としての意識が顕著に認められるのである.

この意識の差は、小説作者

・出版者

の意識

の変化を

示すものであると同時に、受容者

の側にもある種の変化が生じていることを示唆しよう。『晴史遺文』系統の

読者にと

っては、歴史小説が歴史的知識を得るための教養書であることを強調する必要はもは

やなくなり

つつ

ったのではあるまいか。

王朝を興すと

いう事は、言い換えれば晴王朝が滅亡することを意味する。すなわち興唐故事を語る上で、晴煬

帝は欠かすことのできない人物

であり、晴煬帝の生涯を扱

った

『晴煬帝艶史』は、

これらの作品群

中に組み入れら

れる

べき作品

であると考えられる。これについては、欧陽健氏の論文

「《晴唐演義》

"綴集成秩"考」

『晴唐演

義』

が、『晴煬帝艶史』と

『晴史遺文』を繋ぎ合わせ、更

に作者

の独創を付け加えて成立した作品

であると述

べら

れており、『晴煬帝艶史』『晴史遺文』と

『晴唐演義』との襲用関係の存在を明らかにしている。従

つて少なくとも

『階煬

帝艶史』

『晴唐演義』と深

い関係を持

つ事になるのだが、それ

では果たして

『晴煬帝艶史』

は前

に挙げた

興唐

故事を扱

った歴史小説群の中に組み入れても良

いと言えるのだろうか。

『唐書志伝』以下六作品、及び

『晴煬帝艶史』

の成立時期は以下のように考えられる。

一35一

明清

の歴史

小説

「艶

の概念

ついて

中国文学論集

第三十号

・『唐書志伝』

嘉靖

三十二年

(一五五三)楊氏清江堂刊本。首

に嘉靖癸丑李大年序。

・『晴唐両朝史伝』

萬暦四十七年

一九)金閻襲紹山刊本。

・『大唐秦王詞話』

1

編次者、澹圃主人が作者としている諸聖隣は万暦三十五年

(一六〇七)の進士であり、

また第五十八回の首に引く詩

に、閏三月の事が詠んであることから、

万暦十九年

(一

五九

一)頃の作と思われる。

・『晴煬帝艶史』

崇禎四年

(一六三

一)野史主人の序。

・『晴史遺文』

崇禎六年

(一六三三)吉衣主人の序。

・『階唐演義』

四雪草堂刊本に正徳三年

(一五〇八)林翰

の序、次

に康煕三十四年

(一六九五)楮人

の序。前の林翰

の序は

『晴唐両朝史伝』

のものとほぽ同じで、成立はおそらく後者

の序

の年号に拠るべきと思われる。

『説唐演義』

乾隆元年

七三六)如蓮居士

の序が、乾隆四十八年

七八三)の観文書屋重刊本

の巻首にある。

って、『晴煬帝艶史』は序が書かれた年代からすれば、『晴史遺文』

とほぼ同年代の作品と考えられ、これは

『晴

煬帝艶史』『晴史遺文』

の両作品が

『晴唐演義』成立に係わ

っているという考えが間違

っていない事を示している。

なわち、①興唐故事には晴煬帝故事は欠かせない事、②

『晴煬帝艶史』と

『晴唐演義』間には襲用を含む密接

な関

係がある事、③

『晴煬帝艶史』

の成立時期が他の小説とは大幅

に外れていない事、以上の三点から考えると

『晴煬帝艶史』は、これら興唐故事を扱

った作品の中に組み入れても良さそうに思われる。

かしながらその中で

『晴煬帝艶史』

の立場は微妙

で、またその関係は特殊であることも事実である。興唐故事

を扱

った小説及び

『晴煬帝艶史』は、扱

っている時代が晴時代から唐時代の最初辺りである点は共

通している。但

しそれぞれの主題としているものは些か相違がある。これについては、前に挙げた小松氏

の主張の引用部分に明ら

かにされ

ているように、『唐書志伝』『階唐両朝史伝』『大唐秦王詞話』の三書は、歴史事実を基に唐高祖李淵及び

唐太宗李世民の、正に興唐の故事が描かれている。そして

『晴史遺文』『晴唐演義』『説唐演義』

の方は、歴史事実

二36一

を基

にしながらも、秦叔宝、尉遅週徳といった、どちらかと言えば歴史の中

で、比較的裏方的存在

の人物

に焦点を

当て

ている。言うなれば

『水濡伝』に出てくる多くの無頼漢と酷似する役回りである。

それでは、『晴煬帝艶史』はどうなのか。冒頭でも述

べたように、主役はあくまでも晴煬帝であり、重点は宮女

との交わりに置かれている。しかしながら晴煬帝は、他の興唐故事を扱

つた小説中では、僅かに

『晴唐演義』前半

中の

『晴煬帝艶史』を襲用したと思われる箇所に、晴煬帝を中心として第

一人称的に扱

っている箇所が目立

つ程度

であ

り、その殆どは主人公として扱われるよりも、むしろ主人公に対する敵役

であ

ったり、或いは

ただ単

に歴史の

表舞台

の人物として扱われているだけの存在であ

って、出番も少量に限られている。『晴唐演義』

『晴煬帝艶史』

襲用箇所にしても、その割合は作品全体からすると極めて少量であ

って、晴煬帝の扱われ方を考え

た時

に、『晴煬

帝艶史』と他の作品間でかなりの相違があると言えよう。

此処で重要な問題として取り上げたいのが、男女の描写の相違

についてである。『晴煬帝艶史』

は、宮廷及びそ

の周辺を舞台とした男女の絡みが多く、従

つて女性の描写は多数存在する。そして

『晴煬帝艶史』

「凡例」中に、

煬帝は千古の風流天子であり、その

一挙

一動は、全

て耳目を悦楽せしめ、艶に対して羨望を抱

かせる。故

に此

の作品に

『艶史』と名付けた。

と述

べられているのを始めとして、この作品が殊更

「艶」を意識して描

いている事が、序

や本文から読み取れるの

であ

る。それに対し

『晴唐志伝』等六作品は、どちらかと言えば、女性の描写は少なく重要度も低

い。確かに

『晴

唐演義』

に関しては、前半部は

『晴煬帝艶史』を襲用したとされる宮廷での男女描写があ

ったり、

或いは後半部に

於いて則天武后や楊貴妃の登場等、女性に関係した描写も目立つ。しかしながら、それは物語に厚

みを増す為

のい

わば副次的な要素に過ぎず、作品の目指すものは、あくまでも秦叔宝、尉遅 徳等の活躍を面白く描こうとする態

度が窺えるのである。

『唐書志伝』『晴唐両朝史伝』『大唐秦王詞話』『晴史遺文』『晴唐演義』『説唐演義』の六小説は歴史に基づいた作

であることから歴史小説と称されるのと同時に、講史小説とも称される。そもそも講史小説とは、元来講釈師

語り物

をもととしているが、しかしながら明代そして清代と時代が移り変わると共に、次第

に講釈師による語り物

明清の歴史小説と

「艶」の概念について

一37一

中国文学論集

第三十号

の性

格は失われ

ていった。従

って明清時代に於

いては、「講史小説」という言葉の意義が確立でき

ないのが実状で

ある

のだが、さて

『晴煬帝艶史』をこの観点から考えると、晴煬帝という歴史上

の人物を扱

い、また運河開墾

や万

里の長城

の修築等、歴史事実が多数収められ

ている。すなわち歴史に基づいた作品

である事から

「歴史小説」と言

うことは可能

であると言えよう。ただ

「講史小説」となるとどうなのか。

いま述

べてきたように、『晴煬帝艶史』

『唐

書志伝』等の小説の中に簡単に組み入れることができない作品である。そしてその要因のひと

つは、『晴煬

帝艶史』

の持

ついわば

「艶」

の性格

に深く係わるのではあるまいか。以下襲用関係があると思われる、『晴煬帝艶

史』

『晴唐演義』を比較検討することで、その両作品の持

つ性格を明らかにしたい。

三、『晴煬帝艶史』と

『階唐演義』

『晴唐演義』序

では次のように述

べられている。

昔簿庵衰先生、曾示予所藏

『逸史』、載晴煬帝朱貴児、唐明皇楊玉環再世因縁事、殊新異可喜。因與商酌、編

入本傳、以爲

一部之始終關目.合之

『遺文』『艶史』、而始廣其事。極之窮幽倦謹、而已尭其局。其問闘略者補

之、零星者剛之。更採當時奇趣雅韻之事鮎染之、彙成

一集、頗改善観。

昔、籠庵衰干令先生が、私に所蔵

『逸史』を見せてくれた。其処には晴煬帝と朱貴児、唐明皇と楊玉環の転

の事が描かれており、極めて斬新

で素晴らしく正に喜びに値するものであ

つた.よ

って共に吟味して、本伝

に挿し入れ、

↓部始終の関目となした。『晴史遺文』と

『階煬帝艶史』を綴り合わせ、その話

は始まる。そし

て究極には幽界や仙界の故事

に及び、その話が終わる。その間の欠落している所は補

つて、半端な所は削る。

に当時

の素晴らしく興味深

い故事を取り上げて付け加え、

一つに集成してみると、頗る今ま

での見方を改め

るものがある。

すなわち

『晴唐演義』は

『晴史遺文』と

『晴煬帝艶史』を綴り合わせ、その素晴らしく、興味深い故事を描き、そ

して新たな物語を創作しようとしているのである.此の様な

『晴唐演義』

に於

いて、『晴煬帝艶史』

が拘

つた

「艶」

一38一

は如何なる受容が為されたのであろうか。

『晴唐演義』は前半部と後半部

に大きく分かれており、前半部は晴煬帝時代、そして後半部は則天武后及び玄宗

楊貴妃時代が背景とな

っている。今回特に見てゆく前半部分は、序文及び前

に述べた欧陽健氏の論

文等から明らか

なように、『晴煬帝艶史』との襲用関係がある。具体的には

『晴唐演義』中の十七回の箇所に於いて、『晴煬帝艶史』

との関係が見られるのだが、『晴煬帝艶史』

の取り入れ方は、比較的割合が少なく、その順番もまちまちで、変更

や省略点が目立

つなど、作者が必要に応じて任意に取捨選択し挿し挟

んでいる。具体的な襲用関係

については、欧

陽健

氏の論文

に譲るとして、『晴唐演義』が

『晴煬帝艶史』

の如何なる故事を選択したのか、実際

に見てゆきたい。

まず

『晴煬帝艶史』に於いて、如何なる部分が

『晴唐演義』

に引かれているのかを見てみたい。以下は

『晴煬帝艶

史』

の表題

である。ゴチ

ック文字

で表された部分が

『晴唐演義』に引かれた部分

で、付された数字

はその回数であ

る。

また、「艶」を考える上で欠かすこと

の出来ない、男女関係を描写した箇所

には、「◎」印を

それぞれ付す。

(表①

)

『晴煬帝艶史』

回数

一回

二回

三回

四回

五回

六回

七回

八回

◎◎◎◎◎

階文帝帯酒幸宮妃

飾名節垂孝濁孤

正儲位謀奪太子

不獲喪楊素弄権

黄金盒賜同心

同釣魚越公恣志

選美女楊素強諌

逞富強西域開市

『晴

回数

(1

・2

)

(1

)

(2

)

(19

)

(19

・20

)

(20

)

(20

)

明清

の歴史小

「艶

の概念

ついて

◎◎◎◎

猫孤后夢龍生太子

蓄陰謀交勧楊素

侍寝宮調戯宣華

三正位阿摩登極

仙都宮重召人

捷宮人煬帝生唄

受罎民王義潭身

檀兵文廟北賦詩

『晴

(1

)

(2

)

(19

)

(19

)

(19

・20

)

(20

)

(27

)

一39一

中国文学論集

第三十号

九回

十回

第十

一回

第十

二回

第十三回

第十四回

十五回

第十六回

十七回

第十八回

第十九回

二十回

二十

一回

二十二回

二十

三回

二十四回

二十五回

二十六回

二十七回

二十八回

二十九回

三十回

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

文皇死報好雄

東京陳百戯

乏龍舟煬帝揮毫

會花陰妥娘激寵

捲雲傍賛路風流

煬帝讃史修城

怨春偏侯夫人自緯

明霞観李

衰寳兜賭歌博新寵

取純臣奏天子氣

麻叔謀開河

留侯廟假道

独去邪入深穴

美女宮中春試馬

陶榔見盗小見

司馬施銅刑惧俵

王弘議選殿脚女

虞世南詔題詩

種楊柳世基進謀

木鵡開河

静夜聞謡

幸迷棲何稠献車

(20

)

(34

)

(39

)

(28

)

(34

)

(28

)

(29

)

(29

・30

)

(31

)

(32

)

(32

)

(32

)

(34

)

(36

)

(40

)

(40

)

(47

)

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

煬帝大窮土木

北海起三山

清夜遊薫后弄寵

舞後庭麗華索詩

前刀彩爲花冬富貴

慶見極君魔夢

失佳人許廷輔被収

北海射魚

晴煬帝観圖思奮遊

瀟懐静献開河謀

大金仙改葬

中牟夫遇神

皇甫君撃大鼠

好人林内夜逢魑

段中門阻諫奏

催王賜國寳愚妊

寳児賜司迎螢花

王令言知不返

圭里長黛絡仙得寵

金刀斬倭

清宵玩月

賈務枝二仙警帝

(27

)

(27

)

(34

)

(39

)

(28

)

(34

)

(29

)

(29

)

(30

)

(31

)

(32

)

(32

)

(32

)

(34

)

(36

)

(40)

(40

)

(47

)

一40一

三十

一回

三十

二回

三十三回

三十四回

三十五回

一二十六回

三十七回

三十八回

三十九回

四十回

◎◎◎◎◎◎

任意車虜女試春

丹藥留春

王義病中引諫

賜光綾薫后生妬

來茜劉兄車能心恰情

下西河世民用計

水飾娯情

観天象衰充進言

宇文謀君

軾寝宮煬帝死

(47)

(47

)

(47

)

◎◎◎◎◎◎◎◎

鳥銅屏美人照艶

泳盤解燥

雅娘花下被檎

不薦寝羅羅被嘲

斐玄眞宮人私侍

賜隻果緯仙献詩

肇形失語

陳治齪王義死節

貴免罵賊

嶢迷棲繁華終

(47

)

(50

)

(46

)

(47

)

(48

)

また、この表と対応させて、次に

『晴唐演義』中に見える

『晴煬帝艶史』に描かれた故事

について、主なものを以

下に挙げる。(

)内

には

『階煬帝艶史』に於

いて第何回に描かれている故事なのかを示し、前と同様、男女関係

が描写されている故事には各々

「◎」印を付す。(表②

)

一41

『晴唐演義』

回数

一回

二回

第十九回

独孤后の性癖

賢人を装う煬帝

皇太子廃立の企て

独孤后と尉遅 妃

宣華夫人

への求愛

『晴

煬帝艶

史』

回数

(1

)

(2

)

(2

)

(1

)

(3

)

煬帝誕生

皇太子廃立

文帝崩御

『晴

煬帝艶

史』

回数

(1

)

(3

)

(4

)

明清

の歴史

説と

「艶」

の概

つい

二十回

中国文学論集

第三十号

第二十七回

第二十九回

第三十回

三十

一回

三十二回

三十三回

三十四回

三十

五回

二一十⊥ハ回

三十八回

三十九回

■◎●●◎◎◎◎◎◎◎◎■●◎◎◎●◎◎

同心結の贈答

薫后の嫉妬

楊素との魚釣

楊素の死

顕仁宮と西苑の造営

王義の献上

秦夫人のもてなし

侯夫人の自殺

衰紫姻の天象観察

「解生」鯉のその後

衰宝児

宮女達の歌比べ

楊州図

薛冶児の剣舞

運河着工

麻叔謀の子供誘拐

妥娘と桃花

望江南八首

清夜の宴

運河の完成

伝脚女の選定

陳後主と張麗華夫人

(5

)

(5

)

(6

)

(9

)

(10

)

(7

)

(13

)

(15

)

(16

)

(17

)

(17

)

(17

)

(18

)

(18

(23

)

(12

)

(Ⅱ

)

(11

)

(25

)

(29

)

(12

)

煬帝即位

宣華夫人の死

「解生」の鯉

◎◎●

十六院夫人の選出

御女車の制作

王義の献上品

玉李と楊梅

盗賊討伐と李淵

木蘭の花見

■●◎◎◎◎

狭去邪と皇甫君

唯陽住人の賄賂

煬帝の奇病

『清夜游』曲作成

薛冶児の乗馬

虞世南と詔書

(4)

(6)

(6

)

(10

)

(13

)

(13

)

(16

)

(17

)

(17

)

(21

)

(22

)

(Ⅱ

)

(22

)

(26

)

一42[

第四十回

第四十六回

第四十七回

◎◎●●●◎

第四十八回

第五十回

江都

への出発

呉経仙

李密の反乱

迷楼宮の造営

宇文化及の反乱

独孤盛、開遠の奮闘

薫后との別れ

宮女達のその後

宇文化及の死

(27

)

(27

)

(35

)

(50

)

(39

)

(39

)

(39

)

(40

)

(40

)

●◎◎◎◎●

楊柳の植樹

麻叔謀の処刑

李淵の挙兵

二十四橋の宴

煬帝の落胆

朱貴児の絶叫

煬帝の最期

(27

)

(28

)

(35

)

(29

)

(37

)

(39

)

(40

)

以上

二つの表から、『晴煬帝艶史』と

『晴唐演義』

の二作品の性格を幾

つかの点から考えてみたい。

『晴煬帝艶史』

の記述

『晴唐演義』中に引かれていない部分

表①を見ると

『晴煬帝艶史』

の殆どの箇所が、『晴唐演義』に引かれている事が分かる。勿論

これは対聯式に付

され

た題目を調査した範囲の話であり、細かい故事それぞれにまで調査すれば、他にも引かれていない部分は存在

する

であろうが、今回の研究

では紙幅

の関係もあり、その存在の確認だけに止める。男女描写との関係もあまり拘

りは感じられず、作者

の都合

の良いように引用していつたと考えるのが妥当であろう。

では逆

に引用されていな

い部分

についてはどうだろうか。表①

から判別するに、「葡北

への行幸」「運河開墾」

「迷楼

宮」の大きく分けて三部分が挙げられる。それぞれ理由を考えると、以下のようになる。

・「葡北

への行幸」……

晴煬帝の話ではあるが、話自体が面白味に欠ける。

・「運河開馨」

直接階煬帝が絡まない部分なので、全てを選択する必要性がない。

・「迷楼宮」

男女描写に偏重し過ぎで、全

てを取り上げると主役

の秦叔宝側の話が進まないばかり

か、作品の雰囲気を変えるおそれがある。

一43「

明清

の歴史

小説

「艶」

の概

つい

中国文学論集

第三十号

今はまだ推測の域を出ないが、

これらの理由が微妙に絡んでいたものと思われる。

『階唐演義』

に引用された故事

表②をみると、量にしてみれば

『晴唐演義』に占める割合こそ低

いが、数だけを考えると実に多くの故事が引か

ていることが分かる。また、その約半数は男女描写の係わ

ったものであり、その類の故事を敬遠し

ていたとは言

い難

い。但し、『晴唐演義』

に引かれる過程で、改変されて部分的

に省かれてい

つたものも少なくない。特

に顕著

なのは

『階唐演義』第

二十七回と第四十七回であり、表を見ても明らかなように、

一回の中に実に多くの故事を詰

め込

んでおり、その結果それぞれの内容が簡素化されていく傾向にある。

うひと

つは故事

の引き方について。表②

『晴唐演義』の回数を見ても分かるように、比較的集中して配置さ

れているのが分かる。すなわち作者が秦叔宝側と晴煬帝側とを、続けて読ませようとしている事が分

かるのである。

▼歴史事実について

には直接示してはいないが、『資治通鑑』『晴書』等に載

っている所謂史実とされるものは、『晴煬帝艶史』『晴

唐演義』

の両方に殆どが描写されている。その意味では此の二作品は共に歴史に基づいた

「歴史小説」と言うこと

ができる証明ともなるのだが、此処にひと

つ大きな問題がある。それは

『階煬帝艶史』

に於ける、高句麗遠征

の扱

いに

ついてである。

つまり

『晴唐演義』

には扱

いがあるが、『晴煬帝艶史』には高句麗

へ恭順を促す詔書は贈るも

のの、それ以上の遠征

に関する描写は無いに等しい。『晴煬帝艶史』「凡例」中に、

煬帝

に関しては華やかで佳麗な故事が非常

に多く、風流で雅な情愛は全て採り上げている。三度遼東に行幸し

た事、扮陽で避暑した事等は、平凡で面白味

に欠けるので、省略し載せていな

い。

と述

べられているように、面白味が無いという理由で省かれたというのも確かに理解

できなくもな

い。ただ運河開

に匹敵する晴煬帝の業績

(結果失敗に終わるが)である高句麗遠征の故事を、果たして面白味に欠けると見なす

事が

できるだろうか。

これは勿論今まで再三述

べて来たように、『晴煬帝艶史』の

「艶」に対する拘りから来るのだと思われる。すな

わち晴煬帝

「艶」史の立場から考えると、高句麗遠征は、やはり物語としての面白味に欠けるのである。高句麗遠

一44一

征に宮女を絡ませるわけにはゆかないし、晴王朝及び晴煬帝

の失墜は、豪奢や女色から始まるのが此の作品には相

応し

いのである。しかし

『晴唐演義』

では流石に無視することができず、『晴史遺文』

から引かれ

ている事もあ

て、

っかり描写されている。

上の事から、『階唐演義』

の作者が

『晴煬帝艶史』所収の故事を、どのように受け止めていた

か推測できる。

つまり

『晴唐演義』の作者は、まずは次に挙げる四点の意識を持

って、『晴煬帝艶史』を襲用したのではなかろうか。

歴史事実に則す則さないという事

には拘らない

男女描写が為されているものも積極的に取り込む

晴煬帝に関しては、なるべく男女描写を反映させる

「艶」

への過度の偏重は避ける

の事から、『晴唐演義』

の作者は秦叔宝等の活躍の故事を描く上で、

一種のスパイスの様な形

で、『晴煬帝艶史』

所収

の故事を挿し挟んだのではなかろうか。秦叔宝側の話が続くと、所謂男性だけの武侠物

に偏り

がちになる。そ

れでは物語全体が偏頗なイメージになりがちで、面白みに欠けると判断し、そこで宮女達の登場す

る晴煬帝周辺の

故事を挿し挟むことで、そのイメージを和ませ、作品全体の単調さを取り除こうとしたとは考えられないだろうか。

明代そして清代

へと時代が移

ってゆくにつれ、庶民文化が発展していく事

で、文学作品は、創造する側も、そし

てそれを需要する側も、

一般大衆が主役とな

つてくる。そのような流れの中で、講史小説もその需要に応えるべく

必然的に変容していった。『晴唐演義』はそんな時代が創り上げた、講史小説の中

のひと

つの発展形態と言えるだ

ろう。本来

「史」を

「講」じるはずの講史小説であるが、

そこに男女描写を挿し挟み、「艶」を匂

わせることで、

更な

る面白味を加える。『晴唐演義』はその様な変容を遂げた作品

であるが、

その変容こそが、明清

に於ける時代

の流

れの中

で、読者が求めてい

ったものなのではなかろうか。

一45一

四、『晴煬帝艶史』成立時に於ける

「艶」の意識

明清

の歴史

小説

「艶

の概念

ついて

中国文学論集

第三十号

上節

で述べた様

に、「艶」は明清時代の読者、すなわち

一般大衆が求めていた通念のひと

つと考

えられる。

では、

当時

「艶」は如何なる受け止め方が為され

ていたのか、以下に考えてみたい。

前述

の如く

『晴煬帝艶史』は序

の崇禎四年

(一六三

一)の年号から、明代末の作品と考えられる。当時は

『金瓶

梅』『西廂記』等を筆頭に、「艶」や

「情」をテー

マとした文学作品が多数刊行されていたのだが、

では果たしてそ

れら

の作品は

「艶」や

「情」に如何なる意義を持たせたか

ったのだろうか。特に

「艶」

について考えてみたい。

明代及び清代

に於いて、為政者

によ

って禁忌対象に指定された文学作品を見てゆくと、『晴煬帝艶史』を始めと

して、「艶」そのものを題名

に使

った作品が存在する事に気付く。

いま具体的

にそれらの作品を見

てみたい。

『桃

花艶史』は六巻十二回。作者及び成立年代は不詳である。但し道光年間

に禁殿

の対象にな

っている事から、

それ以前すなわち清代中期以前の作である。内容は、時代は唐朝の蘇州人、康建という人物が、蜻

蜻山の桃樹を持

ち帰り大切に育て、その樹

の精霊が康建とその娘の金桃児を助ける話である。ただ、康建

の桃園では、破落戸

の白

守義、そして妻の劉氏、侍女の春梅、秋月、妾

の胡子らと荒淫

の限りを尽くす。最後

には白守義は自らの智で処刑

され、金桃児は相思相愛

の仲である李輝枝と共に山にこもり、幸福な生活を送る。この話の中心は、白守義とその

周辺

の人物との淫行

で、実に生

々しく狸褻な印象を受ける。

『巫山艶史』は四巻十六回。作者は不詳

で、成立年代は今現在残

つている囎花軒刊本

の囎花軒から判断するに、

清初康煕年間頃の作と思われる。内容は、時代は北宋末の蘇州人、李芳という人物が、広陽道人と出会

い、丹薬

粒と錦嚢三袋を貰

い、錦嚢

の効能で危難を避けながら、多くの女性と出会

い妻にしてゆく話

である。

此の李芳が次

と多くの女性を相手にしてゆくという内容から、男女関係を数多く描写し、しかも肉体関係

に及ぶ事も多い。全体

的には狸褻なイメージが拭えない作品と言えよう。

『妖

狐艶史』は

一巻十

二回。作者は扉

「松竹軒編」と署され

ているも

のの、不詳

である。成立年代については

不詳

であるが、『桃花艶史』と同様清

の道光年間に禁殿の対象とな

っていることから、それ以前の作と考えられる。

内容

は宋代の江西青峰嶺に二匹の妖狐が居り、美女に化けて春明媚という男性と深い仲となる。

その後春明媚は月

素仙

子という狐

の仙人に、前世

で助けて貰

つたお礼にと、様々な恩返しを受ける話である。此の作品に関しては、

一46一

春明媚と美女に化けた二匹の妖狐

の関係など、やはり男女関係、それも肉体関係まで描写した部分が存在している。

って全体的に狼褻な印象は拭えない。

『飛花艶想』は

一巻十八回。作者は樵雲山人で、山西太原の劉璋の号である。成立年代については樵雲山人

の序

「己酉」

の年号があり、これは康煕六年もしくは雍正七年を指していると考えられる。内容は明嘉靖年間

の漸江

人の柳友梅と、杭州府雪太守の娘の雪瑞雲及び彼女の従姉妹

の梅如玉の二佳人との話

で、柳友梅と

二佳人は柳友梅

の詠

んだ詩を通じて知り合い、共に惹かれてゆくが、劉有美なる悪役に様々な妨害を受けてしまう。結局

二佳人は

柳友梅と

一緒になり、後に嬰

った三人の夫人を含め幸せな日々を送る。

この作品は前

の三作品とは違い、男女関係

の描写はあるものの、極めて純粋で肉体関係を想像させる部分は存在しないと言

って良い。所謂

「才子佳人小説」

と称されるもので、その性質は前の三作品とはかなりの部分

で異なると言えよう。

以上

「艶」を題名

に含む四作品について見てきた。これらの作品は成立年代を考えると、余り大きな差はなく、

ほぽ同じ時代背景下に創作された作品と言える。

そしてまず

『桃花艶史』『巫山艶史』『妖狐艶史』

の三作品に於

いて、「艶」

の示唆するものは同様であると見な

すことができる。それは男女関係であり、しかも肉体関係ま

で及ぶ狼褻なものである。

これらは全

「~艶史」と

言う題名

である事から、成立に関し三作品間に於いて深い関係があ

ったとも考え得る。それに対し

『飛花艶想』

「艶」

は、男女関係を指すものではあるものの、それは決して肉体関係

ではなく、狸褻さを感じさ

せるものではな

い。

って前の三作品との違いは明らかなのである。

って

『晴煬帝艶史』

に於いてはどうなのか。筆者

のこれま

での研究から得た考えは、単なる肉体関係を指し示

すも

のではないという事

である。すなわち

『晴煬帝艶史』には肉体関係を描写した部分はあるものの、それは部分

的なものであり、終始狸褻な印象を持たせる作品では決してないのである。従

って同じ

「~艶史」と

いう題名を使

ては

いるものの、『桃花艶史』『巫山艶史』『妖狐艶史』中

「艶」とは明らかな相違がある。また、『晴煬帝艶史』

は作品

の長さも長く、描写も生き生きとしており、面白味も格段に感じられる。この様な事から

『桃花艶史』『巫

山艶

史』『妖狐艶史』は質量共に、文学作品としての完成度という点に於いて

『晴煬帝艶史』に遠

く及ばないので

明清

の歴

史小説

「艶」

の概

つい

一47「

中国文学論集

第三十号

此処まで

『晴煬帝艶史』を中心に、部分的な調査

ではあるが、明清時代

の文学作品に於ける

「艶」

について考え

てき

た。『階煬帝艶史』

「艶」描写は、『階唐演義』

の中で所謂武侠物に偏重しがちな話の流れ

の中で、いわばス

パイ

スの役割を果たし、物語が単調になるのを避けてきた。そしてそのスパイスこそ、大衆化した明清時代の文学

に於

いて、読者、そして作者の求めに応じて発展していつた社会通念なのである。

それにしても、『晴唐演義』のスパイスの振り分けは、その振り分ける場所、量ともに絶妙と言え、その結果、

歴史小説

の役割を果たしながら、

一方で面白い話を提供し、更に宮廷での男女描写を組み込んで、話

に変化を付け

ている。筆者は今までの研究過程に於

いて、『晴煬帝艶史』を完成度の高

い作品と見なし、その地位を

『金瓶梅』

と同等とまではいかなくとも、それに近

いレベルま

で引き上げ得る事を主張してきた。

そして今

回、『晴唐演義』

との兼ね合

いを考察することで、『階唐演義』が、『晴煬帝艶史』とはまた違

った形での、極めて文学的価値の高

作品

である事が判明した。確かに

『晴唐演義』は、『晴煬帝艶史』を始め先行作品の襲用箇所が多

いのも事実だが、

それを完成度

の高い作品に纏め上げた業績は認めるべきであろう。

て最後に

『晴煬帝艶史』は、如何なる性格

の作品なのかを考えてみたい。『晴煬帝艶史』

は、

文字通り晴煬帝

という実在

の皇帝に取材した作品

である。また

『階唐演義』

への襲用など、興唐故事を扱

った歴史小説との関係も

い。従

つてこの観点からは歴史小説と言う事ができる。しかしながら、いままで述

べてきたよう

『晴煬帝艶史』

は、

「艶」に限りなく拘

った作品であり、その志向するところは、男女間に於ける素直な感情

の発露を、生き生き

と描写する事にあり、興唐故事を扱

った歴史小説とは性格

の異な

つた作品と言えよう。また、『晴煬帝艶史』

「艶」

に拘

っているとはいえ、その内容は肉体関係を描写するだけの、単なる狸褻な作品には止ま

っていない。前

に挙

げた、題名に

「艶」を使

った作品の中で、特に

『桃花艶史』『巫山艶史』『妖狐艶史』とは、同じ

「~艶史」の

一48一

名を持ちながらも、その内容は異な

っているし、文学的価値も明らかに優るのである。

の様な

『晴煬帝艶史』の性格を考える上で、極めて重要な鍵となるのが

『金瓶梅』の存在

である。周知の如く、

『金瓶

梅』の第

一回から第六回までの部分は、『水群伝』をもとにしている。そしてその

『水濡伝』

は、全てが歴史

事実

ではないものの、歴史に基づいた作品である事は言うまでもない。従

って、その

『水濤伝』をもとにしたとい

う事

は、少なからず歴史との関わりがあると言える。また多数の男女描写がなされているが、単なる狽褻な作品と

は言

い難い。例えば魯迅

『中国小説史略』第十九篇

「明の人情小説

(上)」

『金瓶梅』解説部分

には次

のように

べる。

作者

の世情に対する洞察は、まことに犀利を究めているといえよう。およそその表現は、或いはのびのびと明

確にし、或

いは曲折に富み、或いはまざまざと目に見えるように克明な絵にし、あるいはぼかして機笑を込め、

或いは同時に両面を描いて対照の妙を為しているので、変化してやまぬ実情が至る所で明らかにな

つている。

-…此の書がも

っぱら市井

の淫乱な男や女を描くために書かれたとする説は、本文の実際と全

く符合しない。

すなわち、歴史

に基づいた舞台設定、そして単なる狼褻には止まらない男女描写という点に於

いて、『晴煬帝艶史』

『金瓶梅』と同じ性格を持

っていると言える。確かに、『金瓶梅』

の主人公西門慶は、晴煬帝す

なわち皇帝とは

かけ離れた立場

の人物であり、また

『金瓶梅』

の価値のひとつである当時の日常描写の充実振りは、『晴煬帝艶史』

には欠けているなど、異なる点も存在する。ただこれま

での考察から、『金瓶梅』が後

『紅楼夢』

に影響を与え

た、

その所謂

「人情小説」という流れの中に、『晴煬帝艶史』は組み入れられるべき作品だと筆者は考

えるのである。

これまで

『晴煬帝艶史』は、比較的注目を浴びることの無

い作品であ

った。それは作品の完成度

の低さもあ

った

だろうが、今回の考察

で明らかにな

ったように、『晴煬帝艶史』

の持

つ微妙で曖昧な性格から、敬遠されてきたと

いう理由からかも知れな

い。また或いは、「~艶史」という書名が、前

に挙げた

『桃花艶史』等の作品

の如く、単

なる狽褻な作品と見なされ続けてきた結果とも考えられる。

いずれ

にせよ、『晴煬帝艶史』を人情小説

の中に組み

入れ

て、焦点をあてて考察する事は、明清時代の人情小説を始めとした

「艶」

「情」等をテーマとする作品の分

に、極めて有効か

つ有益になるものと思われる。ただ

『金瓶梅』との関係を含めた、人情小説としての

『晴煬帝

明清

の歴

史小

「艶

の概念

ついて

一49一

艶史』

中国文学論集

第三十号

の更なる考察

については、稿を改めて論ずる事

にしたい。

『晴

煬帝

艶史

の作

品及

の成

ついては、

拙稿

「『晴煬

帝艶

史』

に於

『晴遺

録』

『海

山記』

『開

記』『迷

記』

の襲

ついて」

(『中

国文

学論

集』

二八号

)を参

照。

拙稿

「晴煬

帝を

ぐる

「艶

ついて

i

『艶

異編』

『晴煬

帝艶

史』

「艶

」描

を通

(『九

州中

国学会

報』第

三九号

)。

『古

小説集

成』

(上海

古籍

出版社

)所

収。

松謙

『中

国歴

史小説

研究』

(汲

古書

院、

二〇

】)。

『唐

書志

伝』

『唐

伝』

『晴

両朝

伝』

『大

唐秦

王詞

話』

が、『晴

史遺

文』

『晴史

文』

『晴

唐演

義』

『説唐

演義

がそ

れぞ

れ属

る。小

は同

に、

二系列

の分

が、伝

地域

の相

に由来

ている

可能性

を述

ておられ

る。

陽健

「《晴唐

演義

"綴集

成候

"考」

(『文

献』

一九

八年

二期

)。

本文

「煬帝爲

千古

風流

天子、

一畢

一動、

無非

娯耳悦

目、爲

人艶

羨之

事、

故名

其篇

『艶

史』。」

『東

京夢華

』巻

「京

瓦技芸

」中

には

「講史

の文字

え、

釈師

の名

が並

ぶ。

『夢

梁録

』巻

二十

「小

講経

史」中

には

「講

史書者

、謂

講説

『通

鑑』・漢

・唐

歴代書

史文傳

興廃争

之事。」

り、

当時

「講史

の実態

が述

べられ

ている。

「煬帝繁

華佳麗

之事

甚多

、然

必有

幽情雅

韻者

方採

入。如

三幸

遼東

、避暑

扮陽

等事

、平

平無奇

故略而

不載。」

暁伝

輯録

『元明清

三代

禁殿

小説

曲史

料』

(作家

版社

一九

八)等参

照。

えば

江蘇

の淫詞

小説

を禁

る法

『階

煬艶

史』

(『階煬

帝艶史

』)、『桃

花艶

史』等

の書

名が挙

っている。

『桃

花艶

史』

『巫山艶

史』

『妖

狐艶

史』

『飛

花艶

想』

は例

えば

『中

歴代禁

殿

小説

集梓』

(台湾蔓

国際

版社、

一九九

一50一

五~

一九

九六

)所収。

「作者

之干世

情、

蓋誠

極洞達

凡所形

容、

或條

暢、

或曲

折、

或刻露

而壼

相、

或幽

伏而

含機

、或

一時井

鳥雨

面、

使

之相

形、攣

幻之

情、

随在

顯見

。…

…至謂

此書

之作

、専

以鳥

市井

間淫夫

婦、

即與本

文殊

不符

。」本

訳は中

島長

文氏

訳注

(東洋

文庫、

一九九

七)

を参考

にした。

日下翠

『中

国戯曲

小説

の研

究』

(研文

出版

一九九

五)第

七節

「『金

瓶梅

』作

者考

には次

の様

に述

べる。

「『金

瓶梅』

の価値

は、

ストー

リー

の進

起伏

にあ

では

なく、

それ

での話

にはみ

られ

なか

った、

日常

生活

の緻

でリ

アルな描写

の積

み重

にあ

る。」

一51一

の歴史小

「艶」

の概念

ついて