Special Edition PART 安全 に暮らせる社会、 安心 できる未来 · 数学的に解明...

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Special Edition 32 早稲田理工 PLUS 2014 33 早稲田理工 PLUS 2014 PART5 では、安心できる未来につながる公的年金プランの最適化研究 ――早稲田理工が公的機関と共に行っている 2 つの取り組みをレビューする。 PART 5 PART 5 Special Edition 次に、人々の老後の安心に直結する 重要な問題、公的年金の積立金運用に 関わる研究に目を向けたい。 基幹理工学部応用数理学科の谷口正 信教授の研究室では、年金積立金の管 理・運用を行う年金積立金管理運用独 立行政法人(GPIF)と共に、公的年 金プランの数理研究を進めている。 GPIF は、約 120 兆円に上る年金積 立資金を5つの金融資産に分散して運 用し、2012 年度は+ 10.23%の収益を 上げている図 5-5、表 5-1分散投資を行うのは、収益率は高い がバラツキも大きい資産と、バラツキ は小さいが収益も少ない資産を組み合 わせてポートフォリオを構築し、安定 的な収益を得るためだ(図 5-6)。 「最も望ましいポートフォリオは、バ 金における最適なポートフォリオを数 理的に明らかにしたということだ。 最適な年金ポートフォリオの推定に 最尤推定量を用いることの数理的な成 果は明快で、すでに国内外の学会やシ ンポジウムで発表している。ただ、年 金ポートフォリオは、時の政治などさ まざまな制約下で決定されるため、結 果をそのまま反映する流れにはなって いない。現状は、あくまで基礎研究と して貢献している格好だ。 「ただし、GPIF は今もこの方向での 基礎研究を続けています。GPIF から は、平均賃金上昇率が年金ポートフォ リオ構成比と因果関係を持つ状況で最 適ポートフォリオを構成する、といっ た新たな課題ももらっていて、GPIF と の共同研究は発展的に展開しています」 日本の公的年金運用の理論研究が進 み、より良い運用の実現と本当に安心 できる未来の実現が期待される。 ラツキを小さく抑えて期待値(収益率) を最大にするものです図 5-7。従 来の最適ポートフォリオは、標本平均 と標本分散という2つの統計指標から 計算します(平均・分散ポートフォリ オ)。年金ポートフォリオも基本的に はこの方法で計算されてきました」 しかし、実際には平均・分散ポート フォリオは最適にはならないという。 「最適になるには、収益率が過去や未 来に影響されず、正規分布に従うのが 条件ですが、金融収益率はどちらも満 たさないからです。なお、ある条件下 では最適になることも分かりましたが、 現実のデータでは不自然なものです」 谷口教授は、共同研究の中でこれら を数理統計学的に証明。長年の研究 テーマである時系列の最適推測論を用 いて、「金融資産の最適ポートフォリ オは最尤推定量である」ことも示した。 これは、簡単に言い換えれば、公的年 最適な年金ポートフォリオを 数学的に解明 安全 安心 に暮らせる社会、 できる未来 公的年金プランの数理研究 応用数理学科 谷口正信 研究室(数理統計学/時系列/金融工学) 谷口研究室では、大きなテーマとして 時系列データの最適推測理論を研究して いる。以前は、理論研究が主だったが、 数年前からこの研究の応用範囲が非常に 広いことが分かってきて、近年は幅広い 研究に携わっている。 たとえば、てんかん患者が手足を動か したときの筋電波と脳波を測定し、両方 のデータを時系列解析し最適推測論を用 いることで、脳から表面筋電位への医学 的に意味のある構造を明らかにした。 「基礎研究なので、すぐ治療に役立つと いうことではありませんが、今までは分 からなかった相関構造を明らかにしたこ とでは貢献できました」 また、金融の分野では、13 企業の株 価データを分析することで、株価データ を見るだけで業種を分類することにも成 功した。「この研究成果は、医学診断や 遺伝子分析など、極めて多様な応用が期 待できると考えています」 医学、金融・経済、気候変動など研究の応用範囲は膨大 国内債券 60% 国内株式 12% 外国債券 11% 外国株式 12% 短期資産 5% 資産 構成割合 図 5-5 公的年金の現行の基本ポートフォリオ 図 5-5、表 5-1 出典:年金積立金管理運用独立行政法人ホームページ 表 5-1 2012 年度の運用状況 図 5-7 最適なポートフォリオ 収益率 全体の収益率 10.23% 国内債券 3.68% 国内株式 23.40% 外国債券 18.30% 外国株式 28.91% 財投債 1.45% 図 5-6 資産ポートフォリオのモデル図 時間資産 1 資産 2 ポートフォリオ 1.0 0 5 10 15 20 25 30 0.5 0.0 - 0.5 期待値 分 散 (収益率) (バラツキ) E(Pt) Var(Pt) できる だけ 大きく できる だけ 小さく 両方を 満たす

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Special Edition

32 早稲田理工 PLUS 2014 33早稲田理工 PLUS 2014

PART5では、安心できる未来につながる公的年金プランの最適化研究――早稲田理工が公的機関と共に行っている2つの取り組みをレビューする。

PART5PART5Special Edition

特 集

 次に、人々の老後の安心に直結する重要な問題、公的年金の積立金運用に関わる研究に目を向けたい。 基幹理工学部応用数理学科の谷口正信教授の研究室では、年金積立金の管理・運用を行う年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)と共に、公的年金プランの数理研究を進めている。 GPIFは、約120兆円に上る年金積立資金を5つの金融資産に分散して運用し、2012年度は+10.23%の収益を上げている(図5-5、表5-1)。 分散投資を行うのは、収益率は高いがバラツキも大きい資産と、バラツキは小さいが収益も少ない資産を組み合わせてポートフォリオを構築し、安定的な収益を得るためだ(図5-6)。「最も望ましいポートフォリオは、バ

金における最適なポートフォリオを数理的に明らかにしたということだ。 最適な年金ポートフォリオの推定に最尤推定量を用いることの数理的な成果は明快で、すでに国内外の学会やシンポジウムで発表している。ただ、年金ポートフォリオは、時の政治などさまざまな制約下で決定されるため、結果をそのまま反映する流れにはなっていない。現状は、あくまで基礎研究として貢献している格好だ。「ただし、GPIFは今もこの方向での基礎研究を続けています。GPIFからは、平均賃金上昇率が年金ポートフォリオ構成比と因果関係を持つ状況で最適ポートフォリオを構成する、といった新たな課題ももらっていて、GPIFとの共同研究は発展的に展開しています」 日本の公的年金運用の理論研究が進み、より良い運用の実現と本当に安心できる未来の実現が期待される。

ラツキを小さく抑えて期待値(収益率)を最大にするものです(図5-7)。従来の最適ポートフォリオは、標本平均と標本分散という2つの統計指標から計算します(平均・分散ポートフォリオ)。年金ポートフォリオも基本的にはこの方法で計算されてきました」 しかし、実際には平均・分散ポートフォリオは最適にはならないという。「最適になるには、収益率が過去や未来に影響されず、正規分布に従うのが条件ですが、金融収益率はどちらも満たさないからです。なお、ある条件下では最適になることも分かりましたが、現実のデータでは不自然なものです」 谷口教授は、共同研究の中でこれらを数理統計学的に証明。長年の研究テーマである時系列の最適推測論を用いて、「金融資産の最適ポートフォリオは最尤推定量である」ことも示した。これは、簡単に言い換えれば、公的年

最適な年金ポートフォリオを数学的に解明

安全安心  に暮らせる社会、  できる未来公的年金プランの数理研究

応用数理学科 谷口正信 研究室(数理統計学/時系列/金融工学)

 谷口研究室では、大きなテーマとして

時系列データの最適推測理論を研究して

いる。以前は、理論研究が主だったが、

数年前からこの研究の応用範囲が非常に

広いことが分かってきて、近年は幅広い

研究に携わっている。

 たとえば、てんかん患者が手足を動か

したときの筋電波と脳波を測定し、両方

のデータを時系列解析し最適推測論を用

いることで、脳から表面筋電位への医学

的に意味のある構造を明らかにした。

「基礎研究なので、すぐ治療に役立つと

いうことではありませんが、今までは分

からなかった相関構造を明らかにしたこ

とでは貢献できました」

 また、金融の分野では、13企業の株

価データを分析することで、株価データ

を見るだけで業種を分類することにも成

功した。「この研究成果は、医学診断や

遺伝子分析など、極めて多様な応用が期

待できると考えています」

医学、金融・経済、気候変動など研究の応用範囲は膨大

国内債券60%

国内株式12%

外国債券11%

外国株式12%

短期資産 5%

資産構成割合

図5-5 公的年金の現行の基本ポートフォリオ

図 5-5、表 5-1 出典:年金積立金管理運用独立行政法人ホームページ

表5-1 2012年度の運用状況

図5-7 最適なポートフォリオ

収益率

全体の収益率 10.23%

国内債券 3.68%

国内株式 23.40%

外国債券 18.30%

外国株式 28.91%

財投債 1.45%

図5-6 資産ポートフォリオのモデル図

【時間】

【収益】

資産1資産 2ポートフォリオ

1.0

0 5 10 15 20 25 30

0.5

0.0

- 0.5

期待値

分 散

(収益率)

(バラツキ)

E(Pt)

Var(Pt)

できるだけ大きく

できるだけ小さく

両方を満たす