PROSPECTUS...05 04 定し、国内で実施する国内法と国際法は異な...

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〒101-0051 東京都千代田区神田神保町3-27 入試事務室 TEL.03-3237-5656 FAX.03-3237-5633 HP http://www.kyoritsu-wu.ac.jp E-mail [email protected] KYORITSU WOMEN’S UNIVERSITY PROSPECTUS 世界と、そして地球と響きあうこと 共立女子大学 国際学部 2011 -- 2013

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  • 〒101-0051 東京都千代田区神田神保町3-27 入試事務室TEL.03-3237-5656 FAX.03-3237-5633HP http://www.kyoritsu-wu.ac.jpE-mail [email protected]

    KYORITSU WOMEN’S UNIVERSITY

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    US

    世界と、そして地球と響きあうこと共立女子大学国際学部

    2011 --2013

  • 03 02

    世界はそこに。

    CON T E N T S

    Interview世界に飛び立つとき、自分を守り、他者をも守る武器を手に入れる 准教授:立松美也子国の狭間の地域に着目してヨーロッパを考える     准教授:西山 暁義

    国際学部 学生座談会国際学部の 4年間で学んだこと

    Human Document人生の転機には、いつもフランス 高橋希実(フランス国立東洋言語文化大学日本語講師)

    Message

    Information

    3~10

    11~18

    19~25

    26

    27

    I N T E R V I E W

    1立松美也子

    国際社会コース准教授

    世界に飛び立つとき、自分を守り、他者をも守る武器を手に入れる

  • 05 04

    を利用することが必要となりましょう。

     

    国連の限界も目の当たりにしましたが、専

    門調査員として働いた二年半は、実に多くの

    実りを与えてくれました。ちょうど私がヨー

    ロッパに居た頃、世界は大きな時代の変革期

    にありました。一九八九年にベルリンの壁が

    崩壊して冷戦が終結し、中国では民主運動に

    端を発した六四天安門事件が発生しました。

    一九九〇年にはイラクのクウェート侵攻から

    湾岸戦争へと突入し、国連が多国籍軍を派遣

    し、イラク軍を制圧しました。実際に国際法が

    国際社会のなかで実現しうる。自分の研究し

    ていることが社会のなかで実践されうること

    を体感しました。この時期に国連難民高等弁

    務官事務所(UNHCR)の会議に出たり、現

    在では人権理事会となりましたが、人権委員

    会に出席したりしました。これらの経験に

    よって、現在の私の研究テーマが、国際人権法

    となったといえます。

     

    国際法は、それぞれの国家が国会などで制

    定し、国内で実施する国内法と国際法は異な

    クールを体験した位でしたが、お受けしまし

    た。国連のさまざまな会議に参加し、国際法が

    どのように利用されているのかを見てみたい

    とスイスに行きました。

     

    よく日本人は国連に対して幻想を抱いてい

    るといわれます。日本人は国連が高邁な人類

    の理想と平和への願いで動いているのだとい

    う印象を持っているといわれています。しか

    し、現実は甘くありません。実際の私が感じた

    のは、国連機構とは巨大な官僚組織なのだと

    いうことでした。国連タイムといわれる一五

    分遅れの会議の開始、そして、通訳の予算がな

    くなれば、会議の延長もできない。決議の採択

    では、外交的な取引もある。必ずしも、法律論

    だけではなく、理想論だけでもない。当時の時

    代を反映して、東西冷戦の枠組みも顔をのぞ

    かせます。大人の世界とはかくなるものか、と

    思いました。しかし、こうした東西対立という

    対立関係にある国家の間で、話し合いの場が

    いつでもあること、そして、それを利用できる

    ということは、実に大きな意義があります。国

    連で何かを決議すれば、すぐに国際問題が解

    決するわけではありません。国連を過大評価

    せず、しかし、過小評価もせず、国連という場

     

    私が国際法に興味を抱いたのは国際基督教

    大学の三年の頃でした。当時はアメリカを盟

    主とする資本主義・自由主義陣営と、ソビエ

    ト連邦を中心とする共産主義・社会主義陣営

    とが対立する冷戦の時代でした。世界を動か

    すのは、強大な軍事力を背景とするパワーポ

    リティクスであると高校生の頃私は感じてい

    ました。ところが、国際法を学ぶと、必ずしも

    そうとはいえないとわかりました。アメリカ

    やソビエトといった大国であっても、国際法

    には従わねばならないのです。単なる力だけ

    で世界が動いているのではないということに

    気づきました。この点がとてもおもしろいと

    思いました。

     

    その後、上智の大学院に進み、国際法を専攻

    しました。その博士課程にいた時、外務省から

    指導教授を通して、在ジュネーブ日本政府代

    表部で専門調査員として働かないかというオ

    ファーがありました。国際法を学ぶ者として、

    このようなチャンスを見逃す手はありません。

    それまで、学部時代にアメリカでサマース

    何らかの力になっています。条約もそれを締

    結すれば、いかに大国であってもそう易々と

    無視はできないのです。つまり、国際法は脆弱

    さと強さを併せ持っています。そこが私はお

    もしろいと思います。

     

    最近、関心を抱いているのは国籍や退去強

    制に関する問題です。たとえば、母親がフィリ

    ピン人で、出産後に日本人の父が認知した場

    しれません。しかし、実態は、国際法は遵守さ

    れているのです。

     

    また、国際法の規範内容を決める際の難し

    さは、国際法をそれぞれ異なる背景や事情を

    持つ国々の間で成り立たせる必要があるとい

    う点にもあります。たとえば、イスラムには女

    性の服装に厳しい規定があります。また、イス

    ラム諸国では、コーランに基づいた刑罰を採

    用している国もあります。他の文化的背景の

    ある国の人には残虐で受け入れがたいかもし

    れませんし、女性を差別しているとも受け止

    められるかもしれません。しかし、イスラム法

    的には当たり前のことなのです。そのような

    ものを文化として認めるべきか、あるいは世

    界標準に統一していかなければならないのか。

    つまり、人権とは普遍的なのか、国によって個

    別的なものなのか。死刑にしても世界的には

    廃止傾向にあります。しかし、日本も含めて存

    続させている国もあります。

     

    国際社会には立法機関もないし、それを執

    行する政府もありません。国連は世界政府で

    はありませんし、世界議会でもありません。そ

    こでの議論はある種の力を持ってはいます。

    直接的ではなくとも、国際社会に働きかける

    ります。もっとも大きな違いは、実施するため

    の強制力を持たないという点です。たとえば、

    国会で成立した国内法に違反すれば、違反者

    は何らかの処罰や、不利益を受けます。しかし、

    国際法の一種である条約は、そもそも加入す

    るかどうかもそれぞれの国家の意思に従いま

    す。たとえば、CO2の排出を制限する地球温

    暖化防止条約の京都議定書にアメリカは加入

    していません。入っていない国はその義務を

    負いません。ある種の契約のような性格を

    持っています。また、入っていて、違反した場

    合、国際警察がその国家を罰したりすること

    はありません。前世紀末にあった湾岸戦争の

    場合、多国籍軍が武力をもってクウェート侵

    攻したイラクをその地から排除しました。今

    世紀になってからは、英米が軍事力でフセイ

    ンを倒しました。非常に希な武力の行使とい

    えます。

     

    国際法は相手が守るから自分も守る、自分

    が守るから相手も守ってくれる、相互主義が

    機能して動いているのです。そして、実際にそ

    れは機能しています。違反が生じると、非常に

    大きく取り上げられます。だから、皆さんはい

    つも違法行為がなされていると感じるのかも

    合、以前は日本国籍が付与されませんでした。

    同じ状況でも妊娠中に認知すれば日本国籍が

    与えられます。父親が外国人で母親が日本人

    なら、結婚しなくてもその間の二人に生まれ

    た子には日本国籍が与えられます。このよう

    な国籍付与の方法を決めていた国籍法につい

    て、最高裁が日本国憲法に反すると判断し、二

    〇〇八年に国籍法が改正されました。父母が

    I N T E R V I E W1世界に飛び立つとき、自分を守り、他者をも守る武器を手に入れる

    欧州で体験した

    時代の変革期

    国際法の力と限界

  • 0607

    にユーゴやルワンダの大量かつ重大な人権侵

    害が生じた悲劇を機に設立された国際刑事法

    廷の後に、国際刑事裁判所は作られました。戦

    争犯罪といえば、東京裁判のように戦勝国が

    敗戦国を一方的に裁いているという批判がよ

    くなされました。現代は、戦争犯罪がどちらの

    側でなされても裁かれる可能性があるという

    点で大きな進歩といえるでしょう。

     

    国際学部で学び、今後、国際的な舞台で活動

    をしようというなら、国際法は押さえておか

    ねばならない重要な項目のひとつです。国際

    法の動きを知っていると、国際情勢がどう動

    いていくかがわかりやすくなります。そして、

    国際法の力をうまく利用すれば、大きな武器

    にもなります。語学と並ぶ強力なツールと

    いってもいいでしょう。

     

    共立の学生と話していると、感心すること

    がよくあります。彼女たちはおおむねマジメ

    で、自分たちができることは何かということ

    を真剣に考えています。決して「自分たちなん

    か」とはいいません。大学にいる留学生に対し

    ても親切で、地道に国際交流をし、相手を理解

    しようと努めています。実に優しい心根を

    持っています。しかし、優しさ故に、やや情緒

    結婚していない場合にも出生後に日本人父に

    認知され、法務大臣に届出を行えば、その子は

    日本の国籍を取得できる途が開けました。

     

    このような流れは、ヨーロッパにおける人

    権保護の流れと同じ方向にあると考えられま

    す。ヨーロッパには、欧州人権裁判所があり、

    域内の個人が一定条件をクリアした後、提訴

    することができます。欧州人権裁判所の判例

    は、世界に影響を及ぼします。その意味で、

    ヨーロッパの人権状況を調べておくことは、

    日本の未来を予想する材料になります。いつ

    かは日本でも同性婚や夫婦別姓が認められる

    ようになるかもしれませんね(もちろん、これ

    らの問題については、それぞれ意見は違うこ

    ともありましょう)。

     

    このように、脆弱な部分を併せ持つとはい

    え、国際法が果たす役割や影響は今後ますま

    す重要になります。最近の例でいえば、リビア

    のカダフィ大佐が国際刑事裁判所に提訴され

    ました。これは個人の戦争犯罪や人道上の罪

    を裁く常設の国際司法機関です。一九九八年

    I N T E R V I E W

    2西山暁義

    国際文科コース准教授

    国の狭間の地域に着目してヨーロッパを考える

    I N T E R V I E W1世界に飛び立つとき、自分を守り、他者をも守る武器を手に入れる

    法学は大人の学問

    国際基督教大学教養学部卒業。上智大学法律学研究科修了。外務省在ジュネーブ日本政府代表部専門調査員、山形大学教員を経て2008年より本学国際学部准教授。主な担当科目は「国際法」「国際組織論」「国際協力特講」など。

    に流されやすい傾向も見られます。たとえば

    講義で難民退去の問題について講義すると、

    全員を救わなければ、全く何もならないのだ

    と思う学生もいます。両親が不正入国して、日

    本で生まれた娘を残して国外退去させられる

    という事例がありました。一人残る娘さんは

    確かに寂しいことでしょう。しかし、国は不正

    入国を許すわけにはいかないでしょう。合法

    的に入国した人たちの保護という観点も持ち

    合わせなくてはなりません。難民問題もただ

    可哀そうだけではだめなのです。可哀そうと

    いう一時の気持ちだけでは、援助は続きませ

    ん。彼らが持つ権利は何かに着目して、この現

    状で何ができるかを考えてほしいと思います。

    法学は大人の学問です。法解釈は変化します。

    裁量権の余地も残している場合があります。

    法文だけの理解だけでこと足るわけでもあり

    ません。それがおもしろいと思えば、もっと社

    会がわかってきます。国内法で女性がどうい

    う権利を持っているかがわかれば、社会で戦

    うツールにもなります。世界へ飛び立つとき

    に、自分を守り、他者をも守る武器を手に入れ

    る。それが法学や国際法を学ぶということな

    のだと思います。

    立松美也子 准教授・国際社会コース

  • 09 08

    ぐるしく移り変わりました。しかし、第二次世界

    大戦後両国が一転して和解するようになると、

    ここにはヨーロッパ評議会やヨーロッパ議会な

    ど、両国を中心に進められる欧州統合の中心的

    な機関が置かれるようになります。極端に言え

    ば、良くも悪くもアルザス・ロレーヌはヨーロッ

    パ近現代史を象徴する地方であると考えられる

    わけです。

     『最後の授業』では当時フランス領だったアル

    ザス地方のある学校の、普仏(独仏)戦争の結果、

    ドイツ領となる頃の様子が描かれています。フ

    ランス語を教える最後の授業を終えて、教師が

    ざまな国家が密集し、その領土も戦争で拡大・

    縮小していくことに特徴があり、ふたつの国の

    狭間で揺れ動いた地域に注目することで、フラ

    ンス一国、ドイツ一国だけではわからない何か

    が見えてくるのではないかと思うようになりま

    した。そうした例のひとつとして、アルザス・ロ

    レーヌという地方を研究してみようと考えたの

    です。

     

    このアルザス・ロレーヌ地方は、フランスの

    作家ドーデーの『最後の授業』で日本でもよく知

    られていますが、ドイツとフランスの国境に位

    置し、たびたび両国の間で争われ、領有権がめま

     

    愛読書は『三国志』。中学・高校時代の私は、吉

    川英治や山岡荘八の歴史大河小説に胸躍らせ、

    山本周五郎や藤沢周平の人情物に胸打たれる、

    そんな生徒でした。まあ、どこにでもいる、歴史

    の好きな学生ですね。ですから、大学では日本史

    を学びたいなと漠然と考えていました。ところ

    が高校三年生で世界史を担当された先生がドイ

    ツ史の専門家で、大きな影響を受けることにな

    ります。フランス革命にしても、ナチスにしても、

    ヨーロッパの動きは、その行為の正当性は別に

    して、全世界に大きな影響を与えてきました。日

    本の近現代史もまた、西洋の動き抜きには語れ

    ません。この先生の授業を受けたことで、私は

    ヨーロッパ、とくにドイツやフランスに興味を

    持つようになりました。その後、東大の文科三類

    に入学し、文学部西洋史学科に進みます。学科で

    の授業は、イギリス史、フランス史、ドイツ史な

    ど、国ごとにゼミが分かれており、私はドイツ史

    を選び、やはり指導を受けた先生から大きな影

    響を受けたのですが、同時にヨーロッパはさま

    決定されたのかなどを調べ、まとめました。

      

    大学院時代は、普仏戦争後に、ドイツがこの地

    域をどう統治したのか、とりわけどのような教

    育政策を行ったかを中心に研究を進めました。

    学校関係者や政府、保護者や教会などが、当時、

    何を考え行動していたか。そうした細かい資料

    や、書籍化されていない文書は現地に行かなけ

    れば入手できません。そこで、博士課程時代に、

    ドイツ学術交流会から奨学金をいただき、ザー

    ルラント大学に留学しました。ザールラントと

    いうのはドイツ南西部にあり、この地方自体、ド

    イツとフランスの間で争奪の対象となった地方

    です。ドイツ時代のことを調べようとしていた

    こともあり、このアルザス・ロレーヌに隣接す

    るドイツの大学を選んだわけですが、この留学

    は実に貴重な体験となりました。何よりも同じ

    ようなテーマを地元の歴史として研究している

    歴史家の講義を聴いたり、私と同じ世代の若い

    大学院生と同じゼミで学ぶ機会を持てたことは、

    とても刺激的な体験でした。とくに私の指導教

    官となった先生は国境を越えた学術交流に熱心

    けにはいかない、ということです。確かにナチス

    の時代、第二次世界大戦で占領され、(国際法の

    決まりを無視して)併合されたアルザス・ロレー

    ヌでは高圧的な暴力的支配が行われましたが、

    それ以前の時代をきちんと見ていくと、基本的

    にはリベラルな部分もかなりある。たとえば、さ

    きほど述べたようにアルザス・ロレーヌの九割

    はドイツ語系の人々で、約一割がフランス語を

    使っていたのですが、その一割の人々にはフラ

    ンス語の使用を認めているんですね。逆に、フラ

    ンス領の頃は、学校教育からドイツ語を排除し

    ようとする政策が行われていた。ドイツは人種

    主義で残酷で、フランスは博愛と平等の国など

    という思い込みで見ると、間違ってしまうこと

    になります。

     

    普仏戦争によるアルザス併合については、一九

    六〇年代にドイツの歴史学界で大きな論争があ

    りました。この併合を求める要求は「鉄血宰相」と

    呼ばれたビスマルクが主導したものなのか、ある

    いはドイツの人民自身がアルザス・ロレーヌを

    ドイツ領だと自発的に声をあげたのか。言い換え

    ればドイツにおけるナショナリズム、政治、世論

    の関係をめぐる問題です。大学の卒業論文では、

    この併合に至った経緯や、どういう基準を持って

    「フランス万歳」と叫ぶラストシーンが有名です。

    以前は国語愛を謳う名作として、長く教材に利

    用されてきましたが、基本的な部分に史実と大

    きく異なるところがあり、教材として取り上げ

    られることは少なくなりました。というのは、ア

    ルザス・ロレーヌ地域の人々が日常生活で使う

    言葉は、実はフランス語ではなく、ドイツ語の一

    方言なのです。つまり、もともとアルザスの学校

    ではドイツ語が使われ、また教えられてきたわ

    けで、『最後の授業』は、フランス愛国心を煽る

    フィクションとして書かれた作品だったのです。

     

    ここで気をつけなければならないのは、後世

    から ナチスを生んだドイツ という先入観で、

    正義のフランス、悪のドイツと単純に断じるわ

    こう側の隣国ではなく、自らの一部でもあると

    いう意識はドイツ時代全体を通して見られるも

    のです。

     

    もちろん、大学や公文書館、図書館以外にも、

    二年間に及ぶ留学生活にはさまざまな思い出が

    あります。ザールラントに住んでいたのは最初

    の六カ月で、その後史料調査のためにアルザス

    の中心都市ストラスブールに引っ越しました。

    より正確に言えば、私はドイツから奨学金をも

    らっていたので、ライン川対岸のドイツの小さ

    な町にアパートを借り、毎日橋を渡って、フラン

    スのストラスブールまで通っていました。

     

    たった半年だけですが、ザールラントでの生

    活でもっとも楽しかった思い出は野球です。私

    は大学時代、体育会の準硬式野球部に所属して

    いたのですが、まあ、強豪には程遠い存在です。

    ドイツというと当然サッカーが国民的スポーツ

    で、野球はマイナーな存在ですが、それでもザー

    ルラントには小さな野球クラブがありました。

    さっそく入会すると、その日からスーパース

    ターです。腐っても野球部ですから。負けてばか

    りいた大学時代とは異なり、あんなに野球が楽

    で、毎学期一、二回フランスの大学と合同で大学

    院ゼミが開かれていました。留学してから約一

    年たった頃に、私もこの合同ゼミで報告する機

    会が与えられました。それまでの人生でもっと

    も緊張した時間であったこのときの経験は、私

    にとって懐かしい思い出であるとともに、大き

    な財産となりました。

     

    先ほど述べたように史料調査が主目的であっ

    たので、留学時代にもっとも時間を過ごしたの

    は、アルザスの公文書館(アーカイブ)や大学図

    書館でした。そうした史料、たとえば当時の教育

    新聞や、手書きの文書を詳しく調べていくと、必

    ずしもドイツの統治に人々が反対していたわけ

    ではない様子が浮かび上がってきます。『最後の

    授業』では、「フランス万歳」と叫んだ教師はフラ

    ンスに移住するという設定になっていたのです

    が、実際にはこれはきわめて例外的なことで、ほ

    とんどの先生は残留してそのまま教壇に立って

    います。ではドイツ統治を喜んで受け入れてい

    たかといえば、必ずしもそうではない。世代など

    によって違いはあるにせよ、アルザスの人々に

    とって、フランスというのはたんなる国境の向

    アルザス・ロレーヌ地方へ

    の道のり

    思い出のザールラント

  • 10

    I N T E R V I E W2国の狭間の地域に着目してヨーロッパを考える

    自分の頭で汗をかく

    西山暁義 准教授・国際文科コース

    東京大学文学部西洋史学科卒業。東京大学大学院博士課程修了。2002 年より共立女子大学勤務。2003 年、博士(文学)。主な担当科目は「英語で読む国際文化」「ドイツ語特別演習」「ヨーロッパ地域文化入門」「国際文化専門演習」など。

    しかったことはありません。また、留学について

    きてくれた妻は元警察官で剣道四段の腕前です。

    それを知った大学の友人が、町の道場を紹介し

    てくれました。そこで教えていたのは初段のド

    イツ人だったので、いきなり師範扱いです。スト

    ラスブールに引っ越してからも、彼女はフラン

    スの全国選手権に出場したり、五段に昇段した

    りと活躍し、アルザスの新聞にも取り上げられ

    ました。こうした妻のおかげもあって、留学時代

    には大学関係者にかぎらず幅広い人々と交流を

    持つことができ、ドイツ人やフランス人に対す

    るイメージも多様なものになりました。

      

    いま、私の授業ではこれまで述べてきたアル

    ザス・ロレーヌをはじめとする国境地域を取り

    上げ、ヨーロッパ、国家、地域のさまざまなレベ

    ルから対立や交流の歴史を考えたり、最近では

    フランスとドイツの間でつくられた共通教科書

    も題材にしています。この共通教科書は、一九六

    三年独仏友好協力条約の締結四〇周年記念に生

    まれた提案をもとにつくられたもので、両国の

    和解への取り組みの象徴ともいうべきものです。

    これは東アジアの日中韓を巡る歴史対決の解決

    へのサジェスチョンになるかもしれません。も

    ちろん、ヨーロッパの場合は、背景に米ソに挟ま

    れ、地盤沈下したヨーロッパの危機感がありま

    したし、日本の場合は島国で地続きの国境がな

    く、なかなか東アジア人という意識が持ちえな

    いという条件の違いはあります。日中、日韓、中

    韓にはまだまだ深い溝がありますが、ヨーロッ

    パは今後のアジアを考えていく興味深いモデル

    でもあるのです。

     

    授業、とくにゼミで心がけているのは、ひとつ

    の歴史的事件、過程について対立する複数の見

    方や資料を提示して、学生自身に調べさせ、判断

    させることです。テレビ番組の解説のように、わ

    かりやすく回答を提示してあげれば、学生は喜

    ぶのでしょうが、大学は「正解」を与えられる場

    所ではありません。自分の頭で汗をかいて、自分

    自身で「こたえ」をみつけてもらいたい、そう思

    うからです。歴史というと、とかく「暗記科目」と

    思われがちです。もちろん、埋もれた史実を発掘

    することも歴史学の重要な使命ですが、同じく

    重要なのは、そうした個々の史実をどのように

    束ね、解釈するかということです。学問ですから

    他人にも共有できる客観性が求められるのは当

    然です。しかし、同時に客観的に思われるものの

    なかに、自分が生きている時代や地域に限定さ

    れた思考様式が潜んでいないか、と問い直すこ

    とも必要です。「細かいことはいいから、とにか

    く正解を教えてくれ」という立場からすると、い

    かにもまどろっこしい、優柔不断と映るかもし

    れません。しかし、「ああでもない、こうでもな

    い」と悩みながら考えることに十分な時間を与

    えられていることが、大学で勉強することの特

    権であり、それが知的なたくましさを鍛えてい

    くことになるのではないか、と思います。

     

    この春には、年に一回行われる海外研修旅行

    で学生と一緒にヨーロッパを訪れました。アウ

    シュビッツ、シュレージェン地方、ベルリンのホ

    ロコースト記念碑など、ふだんの旅行ではなか

    なか足を運ぶ機会のない場所を巡り、アルザス

    にも足を延ばしました。この研修旅行で、学生は

    いろいろな問題意識を持ってくれたようです。

    すべての学生が、実際に行ってみて考えさせら

    れたという感想を述べてくれました。これから

    も、大学での授業の充実とともに、学生が自分の

    目で確かめ、自分の頭で考える、このような機会

    を多く用意したいと思っています。

    11

    HUMAN DOCUMENT

    人生の転機には、いつもフランス

    高橋希実フ1997年卒業

    ランス国立東洋言語文化大学

    日本語講師

    子どもの頃からフランスに憧れを抱いていた。

    フランス語が学びたくて国際文化学部の門をくぐった。

    そして現在では、パリの街でフランスの学生たちに日本語を教えている。

    興味や関心は少しずつ変化し、思いもよらぬ転身を遂げたが、

    国際学部OG・高橋希実の人生の転機には、

    なぜかいつもフランスが関わっている。

  • 21 20

    HUMAN DOCUMENT人生の転機には、いつもフランス

     

    いまフランスでは日本のポップカル

    チャーが大人気である。マンガ、アニメ、

    ゲーム、音楽、ファッション…

    。二〇〇〇

    年からは毎年パリ郊外でJapanEx

    poが開催され、多くの若者が”憧れ“の日

    本文化に目を輝かせ、熱狂する。会場には綾

    波レイや犬夜叉、セーラームーンなどのコ

    スプレイヤーが自慢の衣装を競い合う。

    三〇年前、こんなことになると誰が予想

    できただろう。多くの日本人にとって、まだ、

    世界は遠い海の彼方にあった。旅番組で凱

    旋門を眺めてため息をつくことはあっても、

    まさかフランス人が日本に憧れる日がくる

    とは予想だにしなかった。なにしろ自由と

    平等と博愛の国である。ベルばらの都であ

    り、芸術とファッションの街なのである。

     

    そんな昭和の時代のある日、六歳だった

    高橋希実は年の離れた従姉の部屋でフラン

    スの香りを嗅いだ。絵本の挿絵作家である

    従姉が、絵を学ぶためのフランス留学から、

    お土産を抱えて帰ってきたのだ。

    「私へのお土産はきれいな髪飾りでした。そ

    の色使いにびっくりしたのを覚えています。

    フランス語を学ぶこと以外、とくに強い

    目的意識を持って入学したわけではなかっ

    たが、国際文化学部の学びはおもしろかっ

    た。とても充実していた。

    「国際文化学部の最大の特色は、ゼミという

    少人数制の授業にあります。ゼミでは文献

    な高校生がなぜ国際文化学部(現・国際学

    部)を選んだのか。

    「高校まで機会がなかったので、大学でフラ

    ンス語をぜひ学んでみたいと思ったのです。

    国際文化学部なら、言語を学びつつ、文化や

    芸術も学べるかな、と」

     

    岐路選択のキーワードは「フランス」であ

    る。

    せがんで彼女の部屋に行くと、そこにはい

    ろいろなフランス語の本がおいてありまし

    た。絵本の『星の王子様』を見つけたのはそ

    の時です。表紙を開くと見たことないアク

    セント記号がついた文字がたくさんあって、

    またびっくり。自分の生活にはない、知らな

    い国に漠然と憧れるようになったのは、た

    ぶん、それがきっかけです」

     

    大人でも憧れる花の都のお土産が、お

    しゃれな小さな女の子に与えた影響はいか

    ばかりであったろう。意識する、しないに関

    わらず、その後の高橋の人生を追っていく

    と、人生の岐路で必ずフランスの影が見え

    隠れする。つまり、従姉のフランス土産は高

    橋にとって初めての”異文化体験“ であり、

    原体験であったといっていい。

     

    しかしその後一〇年、とくにフランスと

    接触することはなく、高橋はファッション

    に興味を持つ女子高生に育っていた。

    「制服のない高校で、毎日洋服を着替えて学

    校に通っていました。休日は他人とは違う

    おもしろい服を見つけたくて、よく古着屋

    さん巡りをしました。大学では洋服をつく

    るような造形芸術をやってみたいと思った

    時期もありました」

    ファッションと芸術に興味がある。そん

    検索の方法など、研究の進め方を基礎から

    学ぶほか、自分で調べ、考え、プレゼンテー

    ションするという姿勢を徹底して鍛えられ

    ます。そうして学生たちは、興味や関心を抱

    いたテーマを掘り下げていきます。ゼミで

    追い続けたテーマは最終的に卒業論文とし

    て、大学の学びの集大成となります。私は三

    年次、木戸先生のゼミに学びました。木戸ゼ

    ミではケネス・クラークの『ザ・ヌード』を

    講読したり、ゼミ旅行に行ったりと、いろい

    ろなことを体験させていただきました。し

    かし、私は当時モードの歴史に興味を抱い

    ており、フランスの文献などにアクセスす

    る際にペシャール先生にご教示いただきた

    いと思って、四年次はぺシャールゼミに所

    属しました」

     

    高橋の卒業論文は単にファッション史を

    調べただけのものではない。ファッション

    史の中心はフランスを中心とした西洋にあ

    ることは間違いないが、東洋文化もまた

    ファッションの流行に取り入れられている。

    文化は一方的に流れるものではなく、相互

    に影響を及ぼす。高橋が注目したのは、西洋

    に大きな影響を与えたジャポニズムである。

    「ジャポニズムというと一般には歌川広重

    の『名所江戸百景』を模写したゴッホや、着

    物を着た女性像を描いたモネなど、絵画へ

    の影響がよく知られていますが、西洋の

    ファッションの歴史においても日本の文化

    が大きな影響を及ぼしています。こうした

    ファッションにおけるジャポニズムの影響

    を探っていくなかで、二〇世紀の女性の社

    会的進出とモードの関係についても関心を

    抱くようになり、卒業論文はかなり大がか

    りなものになりました」

    ファッションという身近な存在を入り口

    にして歴史に興味を持ち、次に文化の交流

    とその相互作用を考察し、さらには女性の

    社会進出にまで踏み込んでいく。文化やコ

    ミュニケーションを重視した国際文化学部

    の学びに刺激され、高橋は広く、そして深く、

    知的好奇心を伸ばしていったことがわかる。

     

    一方、入学と同時に学びはじめたフラン

    ス語も、高橋は順調に力をつけていた。覚え

    たら使いたくなるのが語学であり、授業で

    学んだ表現を実際に使ってみたいという気

    持ちが徐々に強くなるのは高橋も例外では

    ない。そして、その機会が訪れたのは四年生

    の春休みのことだった。

    「フランス語の授業を通して知った、親子で

    行くフランスツアーという企画があって、

    母と一緒に参加しました。パリを中心に巡

    花の都のお土産

    広く、そして深く

  • 23 22

    HUMAN DOCUMENT人生の転機には、いつもフランス

    「たった一年ですっかり忘れていることも

    多く、もう一度一からはじめたようなもの

    でした。でも、そのうちだんだんと学生時代

    に感じた、もっと話せるようになりたい、と

    いう気持ちが強くなり、ついに留学するこ

    とを決意しました」

     

    フランス留学の第一の目的は語学力の

    向上である。当時、高橋は語学学校と同時に

    ファッションビジネスの学校にも通って

    おり、帰国後はファッション業界に復帰し、

    鍛えたフランス語を武器に活動したいと

    考えていた。しかし、結論から述べれば、高

    橋はフランスで日本語教師としての道を

    歩みはじめることになる。

    「国際文化学部には日本語教員養成課程が

    ありました。でも、在学中はまったく興味が

    なく、まさか将来、自分が日本語教師になる

    なんて夢にも思いませんでした」

     

    そのきっかけは、渡仏して語学講座に通

    いながらの生活をはじめた当初、そこで知

    り合ったさまざまな国から来た学生たち

    とのコミュニケーションや、異国でのひと

    り暮らしのなかで、多くの戸惑いに出合っ

    たことだった。

    「語彙の不足もあるのでしょうが、いつも自

    分の伝えたいことが一〇〇%は通じてい

    る一〇日ほどの研修旅行でしたが、自由行

    動も組み込まれ、自分のフランス語の力を

    試す絶好の機会になりました。授業で習っ

    た生活会話の表現を実際に使ってみて、言

    葉が通じた時の喜びは忘れられません」

     

    もっと話したい、もっとフランスのこと

    を知りたい。このプログラムに参加したこ

    とで高橋はますますフランスに親近感を抱

    くようになる。従姉の土産がファースト・

    インパクトとするなら、大学四年のフラン

    スツアーは第二の衝撃。実際に触れて、見て、

    現地の人々と苦労しながら会話したすべて

    の体験が、忘れられない思い出になった。

     

    国際文化学部を卒業した高橋は、高校時

    代から興味を持っていたアパレル業界に

    就職した。とくにフランスブランドにこだ

    わったわけではなかったが、担当すること

    になったブランドはヨーロッパのモード

    を取り入れており、商品名やブランド名も、

    どことなくフランス語的。そのせいかどう

    かはわからないが、入社して一年を過ぎた

    頃から、高橋は仕事帰りにもう一度フラン

    ス語を習いはじめた。

    反日プロパガンダ

    伝わらぬ思い

  • 25 24

    HUMAN DOCUMENT人生の転機には、いつもフランス

    ないような不安感を抱いていました。たと

    えば申しわけないという気持ちを伝えた

    いのに、その思いが伝わらない。こうしてほ

    しいと願っても微妙なニュアンスが伝わ

    らない。海外旅行で訪れるだけなら問題な

    くても、その街で暮らし、思いをぶつけ合い、

    心から理解し合おうとするにはまったく

    の力不足だったのです」

     

    自分がひとりでは何もできないという

    大きな絶望感と、ほんの少し気持ちが伝

    わった(ように感じた)時の喜びが交錯す

    る毎日を過ごしながら、高橋は「言語を学

    ぶこと」そのものに興味を持ちはじめるよ

    うになる。語学力の向上とともに留学初期

    のような戸惑いは徐々になくなっていっ

    たが、語学講座を終えた高橋は、帰国して

    ファッション業界へ復帰するという当初

    の計画をあっさり変更し、二〇〇一年、パ

    リ第八大学へ進学する。

    「正確にはFLE(Français langue étrangère

    と呼ばれる、外国語としてのフランス語教

    育・学習について学べる学部に登録して、

    フランス語の教員になるための講義を受

    交流基金が主催する在欧州日本語教師研

    修にも参加した。

    「日本語母語話者、非母語話者ともに、欧州

    で日本語教育に従事していらっしゃる方々

    とフランスのアルザス地方で集まって、二

    週間をともに学びました。これは私にとっ

    てかけがえのない経験となりました」

     

    こうして、さまざまな形で知見を深めた

    高橋は二〇〇九年、言語学・外国語教育学

    科において日本語教育についての博士号

    を取得する。フランス土産に目を輝かせた

    少女は、憧れのその地で大きな果実を実ら

    せたのだ。

     

    渡仏から一〇年、高橋の生活拠点は完全

    にフランスに移っている。スタンダール•

    グルノーブル第三大学での日本語教師の

    経験を経て、現在は国立東洋言語文化大学

    とエンジニア養成校、成人教育で日本語教

    師を務めているのだ。

    「日本語教師の仕事は、実際の授業の時間

    だけでなく、授業の準備や日々の宿題の採

    点、試験期間には問題の作成や採点という、

    授業以外の仕事が半分以上で、休日も机に

    いこなしていた

    高橋だが、もう

    日本でファッ

    ション業界へ復

    帰しようという

    気持ちはなく

    なっていた。言

    語教育という研

    究テーマにすっ

    かり魅了されて

    しまっていたのだ。

    「博士課程に進み、今度は日本語教育を専

    門として研究を進めました。とりわけ日本

    語を専攻していない人への日本語教育が

    メインの研究テーマです。やや極端ですが、

    日本語専攻学生への日本語教育が『研究者

    を育てる』ものであるのに対して、非専攻

    者への日本語教育は『日本語を日常生活で

    使う』ためのものです。自分の思いを伝え

    る、あるいは相手の思いを理解する。そん

    なコミュニケーションのための日本語教

    育をどう実現していくかを考えています」

     

    そのためにフランス日本語教師会に入

    会して勉強会を重ね、欧州で日本語を教え

    ている日本語教師の人々ともコンタクト

    をとるようになった。二〇〇六年には国際

    講しました。その在学

    中、学部の授業で、将

    来語学(フランス語)

    教師になる学生たち

    が、それまで自分たち

    が習ったことのない

    言語を学習し、同時に

    観察者として自分の

    学習を記録していく

    ことで教授法を考え

    る、というプログラムがありました。学生

    たちが学ぶのはアラブ語、ペルシャ語、日

    本語の授業です。私は日本語の授業を担当

    することになり、そこではじめて日本語教

    師という存在を意識しました」

    フランス語であれ、日本語であれ、外国

    語を学ぶ時にぶつかる困難や課題は本質

    的な部分では同じだ。学部生に日本語を教

    えることで、高橋もまた語学学習の難しさ

    を改めて実感すると同時に、言語教育に対

    する関心がさらに膨らんでいった。

     

    修士論文は『日本でのフランス語教育』

    をテーマにまとめた。日本におけるフラン

    ス語の教育体制やカリキュラムについて

    調査・考察した力作だ。その頃には日本語

    と遜色ないほどにフランス語を自在に使

    日本語教師への道

    ソフトパワー

    向かって仕事をすることがほとんどです。

    授業はだいたい週に一五時間から一八時

    間ぐらいでしょうか。勤務時間帯は授業の

    時間によって、毎日違うのですが、私は午

    後から夜にかけての授業を担当すること

    が多く、お昼頃から遅い日は夜一〇時まで

    授業をしています」

     

    パリでの暮らしもすっかり板についた

    ようだ。

     

    冒頭に述べたように、フランスの若者の

    間では日本の文化に対する関心が高まっ

    ている。高橋の授業を受けている学生の多

    くが、日本語を学ぼうとした理由に「日本

    の文化をもっと知りたいから」と語る。か

    つて高橋がフランスに憧れた以上の情熱

    と熱意を、彼らは日本に対して抱いている。

    「フランスの日本語学習者の数は年々増加

    の傾向にあり、フランス全土では学習機関

    が足りないほどです。主に大学やグランゼ

    コールと呼ばれるエンジニア養成校、また

    成人教育などの高等教育機関で日本語教

    育が盛んです。私の授業も、日本文化に関

    心がある学生たちの熱気にあふれていて、

    時には私以上に知識が豊富な学生に、逆に

    自分の国のことを教えてもらうこともあ

    ります」

     

    涼宮ハルヒもAKB48も、最近のポップ

    カルチャーはすべてフランスの学生に教え

    てもらった。フランスで暮らし、フランスの

    学生と接することで、日本文化の力を感じ

    ることになるとは、思いもよらなかった。

    「これから、ソフトパワーを通じた日仏交

    流のなかで、日本語教育へのニーズや期待

    はますます高まっていくことでしょう。そ

    の期待に応えることが、いまの私に課され

    た使命だと思っています」

  • 27 26

    国際学部では、いろいろな種類の入学試験を実施しています。一般入試A・B 大学入試センター試験利用選抜A・B推薦入試(指定校制推薦入学 公募制推薦入学 卒業生子女推薦入学)特別選抜試験(海外帰国子女特別選抜試験 社会人特別選抜試験 外国人留学生入学試験A・B)詳しくは入試事務室にお問い合わせください。

    入試情報

    共立女子大学 入試事務室TEL.03-3237-5656 FAX.03-3237-5633 http://www.kyoritsu-wu.ac.jp〒101-0051 東京都千代田区神田神保町3-27

    [問い合わせ先]

    ACCESS

    東京メトロ半蔵門線・都営地下鉄三田線・都営地下鉄新宿線「神保町」駅下車A8出口前東京メトロ東西線「竹橋」駅下車1b出口から徒歩5分東京メトロ東西線・半蔵門線・都営地下鉄新宿線「九段下」駅下車6出口から徒歩5分

    神田一ツ橋キャンパス東京都千代田区一ツ橋2-2-1(本館)東京都千代田区神田神保町3-27(3号館)

    図書館

    体育館

    東北地方を中心に大きな傷跡を残した東日本大震災は、世界と日本のつながりを見直す機会になりました。

    医療チーム、物資、義捐金などの支援を表明した国と地域は、震災一カ月で一四二を数えます。

    また震災に立ち向かう静かな勇気やまじめさなど、

    日本の文化が育んだ国民性は、大きな驚きを持って世界中で報じられました。

    日本がこれほどまで世界から注目と関心を集めていることをはじめて体感した人も多いことでしょう。

    一方、福島第一原発の事故には、世界から大きな危惧も寄せられました。

    放射性物質の漏えいは日本一国にとどまらず、世界を不安に陥れています。

    また経済に目を転じると、東北に集中していた部品工場の被災によって、

    世界のサプライチェーンが混乱するという事態を招きました。

    もはや日本は、それ一国で存在しうるものではなく、

    世界とのつながりのなかで重要な役割を果たしていることを、今回の震災は如実に語っています。

    その国際的な責務と責任を果たすために、私たちは日本を含む世界をもっと深く理解しなければなりません。

    異なる文化や考え方、相互に依存する経済や社会システム。そして日本に寄せられている世界の期待と不安。

    再び世界に貢献する日本となるために。世界の期待に応える日本となるために。

    国際学部は、世界と日本を結ぶ学びを提供します。

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