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文学と土地のかかわりについて - Meiji Repository:...
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Meiji University
Title 文学と土地のかかわりについて
Author(s) 近藤,正毅
Citation 明治大学教養論集, 113: (1)-(14)
URL http://hdl.handle.net/10291/8810
Rights
Issue Date 1978-02-01
Text version publisher
Type Departmental Bulletin Paper
DOI
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/
文学と土地のかかわりについて
近
藤
正
毅
文学とはどこにあるのであろうか。文学を”味読”するというかぎりでは、活字となρた文字を”文字どおり”身体の中
に取り入れ、心の中で味わうのである。ところがひとたび文学を”研究”するとなると、作品を机上において、別の棚に研
究書や資料を取りにいったり、あるいは作品をもったりもたなかったりして、作品に描かれた土地や作家の知人を訪ねたり
する。
作品と一番関係の深いものはもちろん作家である。作家が生きている間は、作家にじかに会って話し、理解を深めること
ができる。しかし作家イコール作品ではないから、作家から学んだものがそのまま作品の意味ということにはならないDそ
れは作家と作品の関係であって、作品と読者の関係ではないからである。そこに”作る”ことの秘密があって、 “生きる”
こととのちがいがある。 ”作る”ことは作家にとって”生きる”ことであるとはいっても、その場合は”作る生き方”の部
分であって、 ”作らない生き方”の部分とはちがっている。日記や手紙を書くことと、詩を書くこととはちがうからであ
る。それほど”作る”ということは不思議な存在の変容であって、作家の内にあったものが外在化され、対象化されなが
ら、いぜんとして作家の内面と通じているという関係にある。作家の内にあったものといえども、作家が外の世界を受け止
・-rユー
めたものも合んでいるから、作品は、作家が外の世界をどう受け止めたかを示す証拠品でもある。
作家を理解してから作品を読むということは、作品の中に意味を詰め込むことになる。運がよければ作家の創作過程を追
跡できるかもしれない。できたと信じるかもしれない。しかし保証はない。それはそれで楽しみであってそれはよい。しか
し、ひとたび作家を知ると、もはやその先入観を捨て去ることはできなくなる。作家と似たような立場になってしまい、作
品を客観的にというか、純粋に読者の立場から眺めることができなくなる。出来上った作品の言葉はもう変らないから、ふ
つうの読者の読み方では飽き足りなくなって、あらゆる手段・方法を講じて読み込み、読み明かそうとする。それが作品の
研究と称される。読書とは作品を味い、そこから意味を抽き出すことであるから、作品の味読が深まっていく間はいいが、
作品の外の知識を使って作品の意外な種明かしをされたり、裏の意味の説明をされると、読者は協定違反のような、裏切ら
れたような気持になる。作品は完全なものではなく、手引きが必要だったのかという虚しさを抱かせられるのである。
文学には作家論というジャンルもあるから、なによりも作家の貴重な証言を含んだ言語作品を通して、作家の入問像を推
察するのは興味があり、また人間研究として有益なことである。しかしそれは作品研究では必ずしもないので、その両者の
境はあいまいである。そのあいまいな部分がじつは創作の秘密であり、作家の内と外の転換が、言葉によっておこなわれる
ひとつの芸である。そこをイコ…ルでつなぐときは、文学の秘密を切り落していることになる。しかしたとえ作家が生きて
いても、そこを窺い知ることはむずかしい。ひとつの作品をめぐってだれも、同時に作家と読者の立場に立つことはできな
いからである。
ひとたび作家が死ねば、作家が生前書き残したものすべて、家族・友人、生活や旅行の場所など、いっさいの資料が研究
材料として漁られる。こうして観光半分の文学散歩や、作家ゆかりの地の情熱的な行脚がおこなわれたり、そこで写真を撮
って「作家の世界」と題した写真集を出したり、なかには作中人物と同じ一年の日・時刻に、同じ場所に立って、夕日の沈
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むのを眺めて感慨に耽ったりする。だからといって、それは作中人物の感慨とは全く無縁のものである。何十年も経った作
家ゆかりの地は、写真集が現実とは無縁といってもいいほど現実と離れたものであると同様に、作家か実際に生きた土地と
は無縁であると考えた方が間違いない。研究者がそこで抱く印象は、作家の思いに惹かれてこの地を訪れた旅行者の心唐で
あって、作家のそれとすりかえることはできない。その旅行者の感慨が、作家の思いに浸りながらも、そのとき、その場所
での体験として旅行者の存在感を与えるものであれば、それはそれで意味がある。そこから作家の時代と現在の時間の隔た
りや、虚構のリアリティと現実のリアリティのちがいを知ることもできる。これを同一視することの罪に較べれば、作家の
生活と作品の世界を同一視する罪の方がはるかに軽いものである。
かくいう私も、ときには文学散歩や哲学散歩をすることがある。文学や哲学がかくべつどこかの土地とかかわり合う場合
は、言葉の生むイメジの魅力が、物によるその具体化を求めさせて、ひとをゆかりの土地へと惹き寄せるのである。
ある夏の日曜日、私はパリの東駅で注意深く、 「パーシイユフホープ」ど発音して往復切符を買った。ボン・ディマンシ
ュの日曜割引はきかなかった。バーシイユフホーフはパリから百粁以上離れていたことになる。イタリアの鉄道のシステム
の複雑さにこりていたので、私はプラットホームで駅員に列車をたしかめたあとも、疑い深げにぐずぐずしていた。さっき
の駅員がまた通りかかって、 「なぜ早く乗らねんだ、このうすのろ」といった感じのことをいった。私はあきらめてデッキ
に昇った。汽車は人家のない畠の中を特急なみのスピードで走った。検札係がきて私の切符を調べ、だまって私に返した。
二.三の駅に停って東へ疾走しているうちに、私はいつの間にかバーシイユフホープを通りすぎているらしいことに気がつ
いた。深い谷を越え、小高い山の上の町に停って降りると、そこはバーシイユフホーフから三・四十分先のバスもない小さ
な町だった。ドイツかスイスの国境近くまできてしまったのかもしれない。駅員が時刻表を調べると、私は列車を乗りちが
えたのだった。次の上りは三時間後なので、私は止むをえず乗越し料金を払い、この町を見物することにした。古い教会の
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暗がりで涼をとり、木蔭を選んで住宅地を歩き、その並木道が行き止りになるところまでくると、ベンチのある小公園があ
って、急な崖の下方に緑の牧草地が拡がり、茶褐色の牛の形が遠くに見え、山並みに向ってまっすぐのびる一本の田舎道
と、農家が数軒樹木に囲まれてあった。ひとも通らぬ道路の下草の上に仰向けになって私は昼寝をした。静まり返った昼下
がりの空気のすぐ耳元で、近所の家の話し声が聞こえ、それが止むと、はるか遠方から、ひとつひとつ、はっきり区別のつ
く鈴の音が、いくつも細やかに重なり合いながら、祭の小さな行列がすぎていくように聞こえてきた。それは風鈴を吊るし
たリヤカーを押していくようでもあったが、一様にゆれる、澄んだガラスの音ではなく、太陽の熱を含んで響き合う金属の
音だった。やがてそれが、さっき豆粒ほどに見えた牛の首に吊るされたカウ.ペルが、牛の身体の動きにつれてゆれている
のだとわかったとき、私はいい知れぬ幸福感に浸ったのである。
私は夕方になってやっと、強い西日の射し込むバーシイユフホープへ着いた。通りで、バシュラールの隣に住んていたと
いう老紳士に出会った。娘がこんなに小さかったと手で示した。丘の上にガストン・バシュラールの名をつけた新しい中学
校があり、その正門の筋向いに、バシュラールが住んでいたという質素な二階屋があった。あの二階の窓辺で、バシュラー
ルは深夜思索に耽りながら、山の中腹の一軒家の孤独なランプが、ついに明け方まで灯り続けるのを眺めて、 『蝋燭の焔』
を書いたのだろうか。その白塗りの壁がくっきりと輪郭を描く明るい屋並みの辺りからは、町をめぐる山はよく見えなかっ
た。私は中学校の石垣の上に立って、教会の尖塔を囲んだ町のたたずまいと、その周囲のなだらかな山稜の緑を眺めた。そ
れは意外に低く、青空の底辺に横たわるだけで、その中腹に、自己と対者のイマージュが一致するような思念が湧くほどの
厚味はなかった。
それよりも、あの名前も忘れた町のはずれで、はるか彼方から伝わってきたカウ・ベルの音をそれと認めたときの幸福感
は、いまもなお、私に奥行についての思索を深めるようにと誘い続けているのである。それは長い距離の空気を伝って私の
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すぐ耳元まで届いた、豆粒ほどに見えていた遠い牛たちの記号だヴた。しかもこれは牛たちの眼に見えない身体の動きを細
やかにとらえ、互いに響き合い重なり合いながら、ひと続きの音楽になる記号だった。眼に見えるものが眼に見えないもの
へ、さらに耳に聞こえるものへと受け渡されて、はるかな空間を超えて私のもとへやってくるというか、あるいは微妙な記
号を手掛りに、私の方から空間を超えて彼方へ赴むくというのか、道路端で昼寝をしながら、私は奥行と想像力にかかわる
夢心地の体験をしていたのである。この奥行は、いい知れぬ幸福感となにか深い関係があるにちがいない。
べつの日曜日、私はモンパルナス駅の出札口で、シャルトルまでのボン・ディマンシュの往復切符を買った。シャルトル
寺院の深海のきらめきのようなステンド・グラスに見入ったあと、ローカル線に乗ってさらに南の、プルーストが幼年時代
をすごしたイリエを訪ねてみた。小さな田舎の駅にはイリエbコンブレと小説のなかの地名が並べて書いてあった。ここで
は虚構の方が現実を浸蝕しかけているように見えた。巨大な帽子掛けのようなプラタナスの並木道をいくと、マルセル・ゾ
ルーストの名をとうた館のような小学校があった。教会のわきの垣に文学散歩の道順を示した板が張ってあった。それは古
い小さな町で噛ヴィヴォンヌ川のなれの果てか、汚れた水の淀んだ小川があり、土塀に沿ってどこまで歩いても、中央の広
場のわきに立つ教会の尖塔が見えた。日灼けして黒い顔の農夫が、腰をかがめて歩いていた。 『失われた時を求めて』の読
者にとっては、それは小説の残骸というか、文字どおり、失われた時の残津であって、見るみる私の内部のイメジの世界を
浸蝕し、覆い尽しかねないほどの退屈な田舎の現実であった。 ・ ’
夕方パリ行の列車に乗って、私は海のように、しかしふっくらと拡がる一面の小麦畠を眺めた。やがて大地の果ての麦穂
の隙間から灰色の尖塔が一本、針のように覗いて見えた。ひたすら疾走する列車に引き寄せられるように、穂の中から徐々
に両肩を現わし、広漠とした平野に寺院がただひとつ、仔んであるようだった。しかし、そう思う間もなく、穂の間から次
つぎと、灰色の石の屋根が覗き始め、寺院の両側につらなりながら、やがてひと塊りの灰色の石の町になると、もうそれ以
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上左右に伸びることもなぐ、ひとつひとつ見分けのつくさまざまな形の家になって、麦畠の中を進んでぐ惹のだった。私ば・
列車の座席に坐ったまま、またもいい知れぬ幸福感に浸っていた。これがプルーストも感動して言葉にいい表わしたv馬壷閥
の上から見たマルタンヴィルの鐘塔の遠近の移り行きであり、そこから覚えた幸福感にちがいなかった。、小麦の地平の上に
覗いて見えた灰色の石の町の中に、いま、私の列車は停車していた。
馬車がいまは汽車に代ρて、私はシャルトルの鐘塔の遠望と列車の進行によって、広大な空間の視覚と奥行の関係を体験
したのである。私の身体が想像力に先んじて空間を運ばれ、想像力があとからついてくる意外さは、私の身体そのものに想
像力の自由を与えて、私の存在を予想された日常の空問から解放させてくれたのである。‘
‘.
?髀Hの日の夕方、私はダブリン市内のエアターミナルから重いスーツケースを下げ、人波を掻き分けるようにして、狼
い歩道をオウコネル・・ストリートへ向って歩いていた。それが小説『ユリシーズ』の舞台への、私のアプローチの仕方であ
った。ビルというビルから現われ出た勤め人の群が歩道にあふれ、街中に立つバス停のポールにはどこも長い行列ができて
いた。みすぼらしい身なり、乱れた茶色の髪の毛、眉間や額に深い搬を寄せた赤ら顔。写真で見ているジェイムズ・ジョ子
スやサミュエル・ベケットの顔をいくつも認めることができた。古い街並や、河の水や、大学の建物よりも、なによりも強
く心を打たれたのは、家路にはやる心を肩や背に表わしながら、車の洪水の中の二階建バスを待つ貧しげだが人なつこい勤
労者と、オウコネルブリッジのてすりの蔭の水溜りに坐って物乞いをする幼い子供たちの哀れな姿だった。小説の読者は、
肩で人波を掻き分けるようにして小説の世界へ入っていくことはない。 「ユリシーズ」の言葉は掻き分けなければ中に入れ
ぬ大理石のかけらのようなものかもしれないが、それらの言葉もやがては頭に入ヴ、心に融ける。歩道の人びとの喋る言葉
も私の中に入って融けるが、彼らの身体は私の肩の先にもうしろにも残っている。 、
私はバス停の列の先頭に立っていた鳥打帽の男に最初に道を尋ねた。男は息ばかりが出て声にならない口をゆがめなが
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ら、必死の身振り手真似で私に道を教えた。それは言葉よりもよくわかった。歩道を歩き続けると、舌を拡げて上下に叩く
ように強い願で発音するアイルランドなまりの英語が、右からも左からも聞こえてきた。
その英語はパブでグイネスの廻った労働者はもちろん、インテリふうの男からも、アベイ・シアターのオスカi・ワイル
ドの舞台からも、その地下のピーコック・シアターのW・B・イエツの舞台からも、とりわけ濃密に聞こえてきた。舌と願
が連動して、英語の単語がひとつひとつ、餅になって口から出てくるようだった。
小説からは作者の語り口は聞こえてきても、作者の声は聞こえてこない。作家の声と、作品の言葉とは別物だろうか。印
刷された文字の背後に、取り残された作家の声が、見えない息の形となって漂っているにちがいない。作家の声帯の質や口
腔の構造が、作家の文体に影響を与えているかもしれないのだ。この重いアイルランド英語が、ジョイスが畠からじゃがい
もを収穫するようにヨーロッパ大陸で蒐集した語彙をますます重くし、ベケットがフランス語の単語を小石のように並べ
て、英語も書くもとになったのではないだろうか。アイルランドの外では、アイルランドなまりは一層重く響くにちがいな
い。
こうして私は歩道に群がるアイルランド人の間を縫って、ダブリンの街を歩いた。まるで『ユリシーズ」のなかでは、ダ
ブリンの街がジョイスの言葉で埋まっているような旦ハ合だった。小説の文字をぺ!ジの上になぞり読むだけでなく、文字の
間をかい潜って文字の奥へ入り込み、肩の先にもうしろにも文字を感じ取るような読み方があるのではないだろうか。
その後ロンドン大学のドッド先生の『ユリシーズ」のゼミナールに通った。ダブリンへいってきた私は、ゼミナール室の
壁にいくぶん得意気にダブリン市内の地図を貼った。部屋に入ってきたドッド先生はちらと地図を見るなり、 「だれがあの
地図を貼ったのか?」と口早に質問した。「『ユリシーズ」は現実のダブリンとは関係ない。『ユリシーズ』の主題は言語で
ある」とヨークシャーなまりの低い願の位置で、ドクターはきっぱりいってのけた。文学は言語であるということだ。英語
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も充分に読めない私は、自分の観光半分の”文学研究”を恥じ入った。ジョイスの言葉はアイルランドなまりの英語よりも
はるかに難かしい。
二年後、日本英文学会の大会で、私ははからずもジョイスの声を聞いた。 『フィネガンズ・ウェイク」のシンポジアムの
会場で、古いレコードから再生されてくる『アンナ・リヴィア・プルウラベル』の朗読に耳を澄ましていると、私は思いが
けなく、広い舌と、強い願で発音するアイルランドなまりの英語を思い出した。これはまことに、 ”思いがけなく”であっ
た。その後私はアイルランドなまりの英語をすっかり忘れていた。そしてまことに”思いがけなく”も、私はジェイムズ.
ジョイスがまぎれもないアイルランド人であることを知ったのである。
チューリッヒやパリで暮した世界的な作家、写真で見ると、粋なスーツにステッキをもち、足を組んで立ったスマートな
紳士が、田舎弁まる出しの英語でフィネガンズ・ウェイクを朗読していたのである。ドクター.ドッドの厳しい戒めにもか
かわらず、私はまたも、こんどは言葉の詰まった重いスーツケースを下げて、ダブリンの歩道の人波を縫って歩いているよ
うな気分だった。言葉を通じてダブリンのリアリティをたしかめるのであれば、間違った方法ではないだろう。
それから二年後の夏、私はアメリカで文学散歩をした。アメリカの大地からアメリカの言葉を収穫するのではなく、アメ
リカの大学図書館の棚からジョイスの落ちこぼれの言葉を収集するためであった。ここではジ』イスの言葉がアイルランド
なまりで語られるのではなく、清潔にファイルされ、カード・ボックスに分類されて、特別書庫のロッカーに格納されてい
た。
清潔なウォールナットのテーブルの上に、ジョイスの言葉の落ち穂が宝石のように運ばれてきた。声にならない息のよう
なペンの跡を、私は拡大鏡で何時間も眺め、読めない文字を読んでノートに書き写した。冷房が効きすぎて鼻水が出る。涙
も出そうだった。
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こうしてたぶん、一九一四年から一九年にかけてジョイスが書いたと思われる、 『ユリシーズ」のエピソードのためのノ
ートを判読していくと、あるページの下の方に、 「モリー・ブルームのらミミ」、「レオポルド・ブルーんら受§ミら澄ミ」と
いう言葉があって、その下に「わたしだけの女」という字が見えた。この§§§は§がページの右端に向って長く伸ばさ
れ、かすかな山がひとつあるだけだった。この官能的なペンの跡は、四年まえにロンドンの大英博物館の原稿閲覧室で、や
はりジョイスが『ユリシーズ」のために蒐集した言葉や文句を一面に書きつけた、二十九枚の古い紙を調べていたとき、ふ
と眼に入った こ。§§§§§ミo§§という三文字のもっと大きくのびやかで、やはり官能的に伸びてうねる鳶を思い出
した。それは憧れの吐息がくねったペンの線になったようだった。いま見るノートブックの§§§は、ページの隅の小さ
く目立たないものだが、しかし、その一行下に思わず息を呑む細いペンの筋が二本ついていた。下端でわずか左上に曲げ気
味にペン先を止めた、二本の捷毛のような記号は、先端でインクが心もち濃く残って、私にはどうも、§と読めるのであ
る。とすると、どうやら、 「どの女もそのミ……の中にジェイムズ・ジョイスを……」という意味になる。
天井から冷い風が吹き下りる閲覧室の片隅で、私は思わず身体が熱くなるのを覚えた。そのページは『ユリシ!ズ」の主
人公レオポルド.ブルームの妻、モリー・ブルームの内的独白のエピソードのためのものであったから、この記号がもし
「ジェイムズ.ジョイス」であるなら、その文句はモリーの独白ではなく、作家ジョイスの独り言をページの最後に書きつ
けたことになる。「簡ミ・::・」はおそらくミoミ伽ではないだろうか。『ユリシーズ」のなかに、「言葉は女の子宮で肉体になる
が死んだ肉体は造物主の心の中で不滅の言葉になる」という文がある。作家のジョイスは言葉であるから、子宮の中にジョ
イスがいるというのは合っている。ドッド先生が「ユリシ!ズ」の主題は言語であり、それはまた女であるといった意味が
わかってくる。
一
緕オ五年に出版されて評判になったエルマン編集の『ジョイス書簡選集」に初めて集録されたポルノばりの手紙では、
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ジョイスは裸になっている。一九〇九年、アイルランドに旅行した二十七歳のジョイスは、トリエステに残してきた妻宛に
夜ごと情欲の手紙を書く。サンディマウントの海岸で、岩の上にのけぞった十七歳の少女の腿を眺めて自慰をおこなったレ
オポルド・ブルームの精液が少女の子宮に届かない精液であるように、ジョイスの手紙の言葉はまさに彼の精液の記号であ
る。ジョイスの精液は妻ノーラには届かないが、彼の言葉は毎夜ダブリンの中央郵便局から北イタリアのトリエステへ届け
られる。彼は手紙のなかで妻を裸にして舐め廻す。彼が手紙のなかで妻の肉体を描いていくさまは、 『ユリシーズ」の創作
に通じるものがある。
昼食どき、私は文学の独房から解放され、鉄格子のエレベーターに乗って一階に降り、書架の間を抜けて太陽のあふれる
おもてへ出た。曇りない青空を腿毛に透かして眺め上げるたびに、イギリスの空がなぜこんなにむんむんと晴れ上っている
のだろうかといぶかった。一瞬後、私の頭は、東京、ロスアンゼルス、シカゴ、バッファローと、地球の左半面を撫で巡り、
自分がいまイギリスではなく、アメリカにいることを思い出すのである。ニューヨーク州立大の宝であるロックウッド.メ
モリアル・ライブラリーの、いくらか古色を帯びたギリシア神殿ふうの石造りの建物を仰ぎ見ると、ジョイスの原稿がこん
な無縁の大陸の、広い芝生の上にあることが不思議に思えてくる。その四角い建造物は、ジョイスの意識の軌跡であるよう
な筆跡とは、なんの歴史的関係もないものだ。その倉庫のような内部には、 『ユリシーズ』の原稿も『フィネガンズ・ウェ
イク』のノートもある。キュレーターが鍵をいくつも開けて入った蔵のような部屋の中には、ジョイスの蔵書もあった。フ
ラン・オブライエンの』、⑦ミミ・目§-b口受譜が棚に見えた。まるで囚われの人質のようだ。この芝生と青空からは、ジョイ
スの言葉に意味が注ぎ込むということがない。しかし私はスチューデント・ユニオンのキャフィテリアで、肌も露わな若い
男女の学生たちに混って昼食をとりながら、図書館の中枢と食堂のわずかな距離にある、知の落差を往復することの楽しさ
を味った。それはヨーロッパとアメリカの、観念と現実の間の往復でもあった。食事が終り、紙コップも紙皿もストローも
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紙ナプキンももろともにごみ箱に投げ入れると、私は再び太陽と噴水と芝生の感触を捨てて文学の独房へ戻っていった。図
書館の扉を開けて中に入ると、私は首から下の身体を芝生の陽光に残して、やがて頭だけが書架の問を通り抜け、鉄格子の
エレベーターに乗って言語の世界へ昇っていくような気がした。それはボルヘスの、宇宙に拡がる無限大の図書館ではない
が、ジョイスは自分の作品が惑星のように浮んで自転するさまを想像していた。しかし、私の頭の内部は書庫になって、私
の眼はそこの文字に貼り付いている。これはもう文学の味読というものではない。この土地の図書館には、私の身体を生か
しながらテーブルに向かわせ、そうしていることによってますます私の身体を充実させるというものが欠けている。それは
文学と土地のかかわり合いの、ネガティヴな証拠かもしれない。
それならば、印刷された作品は世界中のどこの土地でも読まれ、読者に生命感を与えることもある。それは作品の素材と
しての原稿の断片と、完成して独立した作品のちがいかもしれない。ひとたび作家の手から離れて自立した作品の言葉は中
立の記号となって、読者の頭だけでなく、身体にも住まう自由をえるのであろう。作家や原稿は土地に結び付いたものであ
る。そこに作家が生きたリアリティを探ることは正当である。しかし作品はもっと自由なものであって、ひとりひとりの読
者のなかに作品の世界を実現していくことによって、その限りでは永遠に生き永らえる性質をもっている。作品を土地に結
び付けることは、作品を作家やその原稿という、作品以前の状態に引き戻すことである。作品は自転することを止め、作家
の生活の資料に還元されて、作家を中心に回転し始める。読者は作品を生きるというよりも作家を生きることになる。作家
は読者を栄養にして生き続けるが、読者はむしろ作品を栄養にして生きなければならない。そのとき、作家は作品を通じて
読者の栄養となっているはずである。
その夏の終り、私はニューメキシコのアルパカーキーという、赤褐色の高原の町へ飛行機で下り立った。そこでレンタカ
…を借り、州都サンタ.フェを経て東北へ四〇〇マイルほど砂漠をひた走ると、赤茶けた土の塊りのようなタオスの町に着
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く。その北側にはサングレ・デ・クリストと呼ばれる山脈があるという。砂漠の夕日に染まる赤い岩肌を見て、昔スペイン
人はキリストの血を想ったのだろうか。インディアン部落の泥練瓦で固めた教会にも十字架が立って、内部の祭壇にはスペ
イン人の聖者像が並んでいる。夏のブイエスタでは村中が夜明けまえに起き、羊の血を飲むのだと子供が教えてくれた。ア
メリカの大地の果ての砂漠にも、キリストの古い血が中世の泥臭さを秘めて、むしろ生なましく流れているのは意外だっ
た。ぼろぼろの灰色の砂漠一面に一株ずつ生えた、緑灰色の肉の厚い草の葉を踏むと、悲鳴のような刺戟臭を発して、 「生
きているのだ」と主張する。海のような平原の中ほどに、濃い条が一本不規則に走っているのが、垂直の裂け目を暗示して
いるリオ・グランデ河である。
町に入ると、どこからともなく懐しいかまどの匂いが漂ってきた。控え目に覗いた石の煙突が、見えない薪の煙でうるん
でいた。
サングレ・デ・クリストのどこかに、D・H・ロレンスのランチがあるはずである。左手の地平線に砂漠の太陽が近づい
ていた。右手の山肌は血に染まることもなく、日本の青い山脈に似ていた。道路わきに、白い十字架が捨てられたように傾
き合った小さな墓地が見えた。ビニールの造花が色槌せて、土から生えた化石のような草の間にころがっていた。
ロレンスのランチは山の上にあるはずだが、道は山からそれていくように見える。日没までにランチにつきたい。私は不
安になって一軒屋の食料品店のまえに車を止めた。十五・六の少女はロレンスのランチを知らなかった。身体つきの大きな
父親が現われると、この道路をまっすぐいけば、右側にでっかいなにやらが立っているといい、太い両腕をわっと左右に拡
げた。その自然に生きる男の姿から、私は道路の右側に、ロレンスのランチの入口を示す、巨大なキリスト像が讐え立って
いるのだと思った。礼を述べると、やや狭く、悪くなった道路のはるか前方に眼を据えて、私は車のスピードを上げた。乏
しい生命の草に覆われた灰緑色の平原の彼方に、両腕を拡げた巨大なキリストが、丘の稜線の向う側から忽然と現われるの
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を私は待ち続けた。
しかしキリストの礫刑像はいっこうに見えず、それどころか家一軒ない荒地の丘を越えて走ると、つじに右手に別れ道が
見えて、二本の丸太に挾まれた頑丈な標示板に、 「ニューメキシコ大学」と「D・H・ロレンス」の字が見えた。
なるほど、これが現実だった。ここはアメリカであってスペインではない。そしてまた、この幻のキリスト像が文学なの
だと思う。それがそこにあると信じさせる力であり、現実の風物よりも超えた力をもって、見えない言葉で語りかける。こ
の砂漠の地に巨大なキリスト像が立っていると私に暗示をかけた見えない力は、スペイン入の血か、インディアン部落の赤
茶の土か、それとも、この土地に潜む「死んだ男」、D・H・ロレンスの霊だろうか。
私の心のなかには、あのランチへの別れ道に、巨大な木彫のキリスト礫刑像が立ってしまった。ニューメキシコ大学の標
示板は現実の風景、キリスト像は私のロレンス文学である。はるかな空間を越えて読者に送り届けられる作家と土地のメッ
セージは、作家と土地をめぐる読者の想像力を越えてひとつの世界を作り上げる。それは現実の中ほどにおかれた素通しの
空間である。それは見えるようでもあり、見えないようでもある。現実の牛の首に吊るされたカウ・ベルを見ていたら、私
の耳に祭の行列のような音楽は聞こえなかったであろう。シャルトル寺院と私の間の現実の距離を計算に入れていたら、私
は小麦畠の絵のような、絵をも超えるような珍らしい視界に胸躍らせなかったであろう。シャルトルの町に汽車が着いたと
きは、シャルトルの鐘塔は見えなくなっていた。ニューメキシコで、私は小麦畠を走るように砂漠を車で走っていたのであ
ろう。その道みち見えていたキリスト像が、目的地へ着いたら見えなくなった。
ジョイスはダブリンから離れていたから、ダブリンとそこの人間を文学にすることができたともいえよう。彼の描いたア
イルランドの女には、トリエステの女も、チューリッヒの女も、パリの女も入っていたにちがいない。ジョイスはユダヤ人
を主人公にして、馬車や汽車や自動車ではなく、言語に乗って、ヨーロッパの空間を移動したのである。そうして『ユリシ
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:ズ』の空間がどこかで女の肉体になって見えるとすれば、それはこの作品が内部にζ、つまりジョイスの言語を入れた
巨大な子宮であって、そこで彼の言語が肉体に変貌していることを意味している。最終章のモリーの内的独自にジョイスが
割り当てた身体の器管は肉体であった。そのような子宮や女の肉体が、ダブリンの街の中にも上にも見えるはずがない。そ
れは実際は眼に見えないロレンスのキリスト像であって、ジョイスの文字のなかに見えるわけでもない。それはジョイスの
言語が受肉した姿だからである。
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