Lecture1 緩和ケアの考え方と日本の現状 ·...
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012005001 緩和ケア Part1
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WHO(世界保健機関)は、緩和ケアを「生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対し、
疾患の早期より痛み、身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題に関して、きちんとした評価を行い、
それが障害とならないように予防したり、対処することで、QOLを改善するためのアプローチ」と定義づけて
いる。すなわち、ケアのターゲットは「痛み」だけではなく、苦痛を伴うあらゆる症状であること、この「苦痛」
は身体的な苦痛だけではなく、精神的・社会的・スピリチュアルな苦痛も含めた全人的苦痛(トータルペイン)
であること、ケアを受ける対象者には患者さまのみならず、家族や遺族も含まれることがポイントである。
緩和ケアの対象となる疾患は様々だが、この講座ではがん性疼痛緩和に焦点を当てて解説していく。
従来のがん医療のモデルは、がん病変の治療の後に痛みの治療が始まるという流れであった。このことが「痛
みの治療=終末期医療」という認識を与え、死亡が間近であり、治療がもうできないという諦めや絶望を抱かせ
てしまい、かえって患者さまに苦痛を与えてしまう状況であった。
そんな中、平成19年にがん対策基本法が施行され、「がん疾患」に対して予防・治療・緩和という3つの柱で
対策を行うことが明記された。更にこの法律を受けて政府が策定したがん対策推進基本計画(平成24年改定)
では、「治療の初期段階からの緩和ケアの実施」が重点的に取り組むべき課題として位置付けられた。
がん患者さまの多くは、がんと診断されたときから身体的な苦痛や精神心理的な苦痛を抱えており、またその
家族も様々な苦痛を抱えている。早期に緩和ケアを導入し、これらの苦痛を取り除くことで、がんであっても日
常に近い生活を送ることが可能となり、がん治療に取り組む力も湧いてくる。生存期間の延長にも繋がるという
報告もある。
このような背景から、緩和ケアは終末期だけでなく、治療の初期段階から積極的な治療と並行して行われるこ
とが求められる。
Lecture1 緩和ケアの考え方と日本の現状
図1
全人的苦痛(トータルペイン)
図2
がん医療における
緩和ケアの位置づけ
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しかし現在の日本では、がん性疼痛
を抱える患者さまのうち、痛みを取り
除くことができている割合は、がんセ
ンターでは約60%、大学病院や民間
病院では約50%程度であると言われて
いる。実際に、日本における医療用麻薬
の消費量は他の先進国と比べて最低レベ
ルであることが明らかになっている(図
3)。これは国民に医療用麻薬への誤解や
緩和ケアが終末期を対象としたものとす
る誤った認識があるためと考えられる。
がん性疼痛で苦しむ患者さまをなくす
ため、多様化する医療用麻薬をはじめと
した身体的苦痛緩和のための薬剤の迅速
かつ適正な使用と普及を早急に図るとと
もに、「緩和ケアは死を待つだけのあきら
めの医療」ではないことを国民に認識
させることが求められる。
がん性疼痛とは
がん性疼痛とは、がん患者さまに生じる痛みの全て
・ がん自体が直接の原因となる痛み:腫瘍の浸潤、増大、転移等
を含む。痛みの原因はがん病変だけとは限らない。
・ がん治療に伴って生じる痛み:術後痛、術後の慢性疼痛、化学療法による神経障害に伴う疼痛等
・ がんに関連した痛み:長期臥床に伴う腰痛、リンパ浮腫、褥瘡等
・ がんに関連しない疾患による痛み:変形性脊椎症、片頭痛等
これらの痛みはがん診断時には20~50%、進行がん全体では70~80%の患者さまに存在し、痛みを訴
える患者さまの80%は身体の2か所以上に痛みがあるとされる。持続性かつ強い痛みが多く、大多数の痛みが
オピオイド鎮痛薬に反応する痛みである。例えば、食道・胃・小腸・大腸などの臓器が障害されることで起こる
痛み(内臓痛)、部位が漠然としているような痛みには、オピオイド鎮痛薬が効きやすいといわれている。
しかし、中にはオピオイド鎮痛薬が反応しにくい痛みもあり、非オピオイド鎮痛薬や鎮痛補助薬を併用するこ
とで痛みがコントロールされる場合もある。組織炎症による痛み、骨・関節・筋肉等が障害されることで起こる
痛み(体性痛)、体動時に増強するような種類の痛みには、NSAIDs等の消炎鎮痛薬が効きやすいといわれて
いる。一方「ピリピリする」「しびれる」「焼けるような感じ」と表現されることが多い神経障害性疼痛(がん組
織の神経・脊髄への浸潤・圧迫により生じる痛み)には、抗うつ薬、抗てんかん薬等が鎮痛補助薬として用いら
れることがある。
Lecture2 がん性疼痛緩和の基本方針
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カナダアメリカオーストリアイギリスドイツオーストラリアフランスイタリア韓国日本
人口百万人の一日あたり消費量(g)
図3 医療用麻薬の国別消費量比較
(モルヒネ・フェンタニル・オキシコドン合計、モルヒネ換算)
財団法人 がん研究振興財団 「がんの統計'14」
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図4 がん性疼痛の種類と治療薬
痛みの評価
痛みの評価では、患者さまの訴えを信じることが基本である。患者さまの痛みの状態をできるだけ正確にモニ
ターするために、何をする時に痛むか、痛みの強くなる時間帯はないか、あるいは日によって痛む日とそうでも
ない日がないか等、色々な角度から考えて表現の例を提示すると良い。
≪痛みの具体的な表現例≫
ズキズキ/チクチク/ピリピリ/ジンジン/押しつぶされそうな/刺されるような/焼けつくような痛み
足がしびれているような、重たいような、痛みと言って良いのかわからないが不快な感じ
服が触れているだけで痛いような感じ
胸やお腹が締めつけられているような、鉄板がのっているような感じ
背中や肩が重苦しい、筋肉痛のような感じ
電気が走るような感じ
痛みの強さを評価するためのペインスケールとして、数値的評価スケール(NRS:Numerical Rating Scale)、
フェイススケール等が用いられる。これらのスケールの利用により評価にある程度の客観性を与え、患者さまと
医療者との間で痛みの強さに対する共通した認識を持つことが可能となる。
【NRS】10を最大の痛みとした場合、今の痛みはどのあたりですか?
【フェイススケール】今の痛みに最も当てはまる顔はどれですか?
0 1 2 3 4 5 図5 ペインスケールの例
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薬物療法の流れ
疼痛コントロールの最終目標は「痛みのない状態が維持され、平常の生活に近づくこと」である。「がんの痛み
はとれるものである」と患者さまに認識させるため、薬剤師の情報提供が重要である。
第1目標 痛みに妨げられずに夜間の睡眠時間が確保できること
第2目標 日中の安静時に痛みがない状態で過ごせること
第3目標 起立時や体動時の痛みが消失すること
最終目標 鎮痛効果の継続と平常の日常生活に近づけること
表1 疼痛コントロールの目標
がん疼痛に対する薬物療法は、WHO方式がん疼痛治療法に則って実施されることが基本である。この治療法
は、治療にあたって守るべき「鎮痛薬投与の基本5原則」、痛みの強さによる鎮痛薬の選択ならびに鎮痛薬の段階
的な使用法を示した「3段階除痛ラダー」から成り立っている。医療用麻薬を使用する上での最低限の基礎知識
であり、基本姿勢である。
§鎮痛薬投与の基本5原則
患者さまが自分自身の手で投与できる、最も簡便な方法である経口投与を基本とする。しかし嘔気や嘔吐、嚥
下困難、消化管閉塞等がある場合には、経皮投与(貼付剤)、直腸内投与(坐剤)、持続皮下注、持続静注等を検
討する必要がある。
1.経口的に(by mouth)
痛みが持続性である時には、時刻を決めた一定の使用間隔で投与する。通常、がん疼痛は持続的であり、鎮痛
薬の血中濃度が低下すると再び痛みが生じてくる。痛みが出てから鎮痛薬を投与する方法は行うべきではない。
加えて、突出痛に対してはレスキュー・ドーズを設定する。(※突出痛とレスキュー・ドーズについては後述)
2.時刻を決めて規則正しく(by the clock)
鎮痛薬は3段階除痛ラダーに従って選択する。ある鎮痛薬を増量しても効果が不十分な場合は、効果が一段強
い鎮痛薬に切り替える。(※3段階除痛ラダーについては後述)
3.除痛ラダーにそって効力の順に(by the ladder)
オピオイド鎮痛薬の投与量は個々の患者さまによって異なる。痛みが消え、眠気などの副作用が問題とならない
量が適切な投与量である。十分な緩和が得られる定時投与量を決定する。
4.患者ごとの個別的な量で(for the individual)
鎮痛効果を評価しながら副作用を予防したり、使用方法の妥当性等を検討したりして、患者さまの病態の把握
に努めることが大切である。
5.その上で細かい配慮を(with attention to detail)
§3段階除痛ラダー
弱い痛みに対しては、ステップ1として非オピオイド鎮痛薬であるNSAIDsやアセトアミノフェンを投与
する。十分な除痛が出来なくなった場合、痛みの強さに応じてステップ2あるいはステップ3の薬剤を追加する。
軽度~中等度の強さの痛みに対しては、ステップ2として弱オピオイド鎮痛薬の投与を行う。十分な除痛が出来
なくなった場合は、ステップ3の薬剤に変更する。中程度~高度の強さの痛みに対しては、ステップ3として強
オピオイド鎮痛薬の投与を行う。ステップ2・3ともに非オピオイド鎮痛薬の併用により鎮痛効果の増強が期待
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できる。また、いずれの段階においても、必要に応じて鎮痛補助薬を併用する。
いずれの段階においても、疼痛時のみに鎮痛薬を投与することは誤りである(基本5原則の2)。がんの進行度
や生命予後にかかわらず、痛みの程度に応じて、躊躇せずに必要な鎮痛薬を投与することが大切である(基本5
原則の3)。痛みの程度に合わせて最初からステップ3の薬剤を投与することももちろんあり得る。
※「がんの痛みの治療」はどの段階から始めてもよい
※ステップ2から低用量のオキシコドンを用いることもある
図6 WHO方式3段階除痛ラダー
§突出痛とレスキュー・ドーズ
痛みのパターンには持続痛と突出痛がある。持続痛とは「24時間のうち12時間以上経験される平均的な痛
み」と定義される。1日中強い痛みが続く、あるいは1日の間に痛みが強くなったり弱くなったりし、「1日を通
してずっと痛い」という状態である。 持続痛に対しては鎮痛薬の定時投与が行われる。
一方、突出痛とは「持続痛の有無や程度、鎮痛薬使用の有無に関わらず発生する一過性の痛み、または痛みの
増強」と定義され、がん患者さまの約70%に見られる。持続痛の一過性増悪と考えられており、「普段はほとん
ど痛みがないが時々感じる強い痛み」というイメージである。痛みの発生が予測できる場合(体動時、定時鎮痛
薬の服用前等)と予測できない場合がある。突出痛に対してはレスキュー・ドーズを行う。
レスキュー・ドーズとは、突出痛や体動時の痛みに対して速放性の鎮痛薬を臨時で追加投与することである。
レスキュー・ドーズには、原則として定時投与している鎮痛薬と同じ成分のものを用いる。1回量は1日量の6
分の1~10分の1の量を目安に設定する。
内服用速放性製剤は投与後30分~1時間後に効果が最大となるため、内服1時間後に効果を確認し、まだ痛
みが残っていれば、繰り返しレスキュー・ドーズを使用する。1時間空ければ1日に何度服用しても構わない。
しかしレスキュー・ドーズの服用回数が増えてきた場合(1日4回以上が目安)は、定時投与している鎮痛薬
の増量(タイトレーション)を検討する必要がある。
痛みはできるだけ我慢するのではなく、痛みが出る前にレスキュー・ドーズを使用し、積極的に痛みをとるこ
とが大切であり、患者さまへの服薬指導でもしっかり伝えるようにする。
図7 持続痛と突出痛