Interpretation of Sukala Maddava in Indo-Iranian Context 前 ...

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研究 ノー リエ ト42-1(1999):155-170 スーカラ ・マ ッダヴ ァにつ いて -イン ド・イラ ン文化 を背景 とした解釈- Interpretation of Sukala Maddava in Indo-Iranian Context * MAEDA Tatsuhiko ABSTRACT Sukala-maddava that Buddha had taken at the last time in his life is now interpreted as rotten flesh of boar or mushroom, in a sense, poison. It is natural to think that either could have caused Buddha's death. Buddha himself, however, said that nobody could eat those substances except himself. It is difficult to believe that Buddha is portrayed as weak as an ordinary human in Buddhist texts, for Buddha defeated Mara, death. This interpretation makes nirvana seem somehow negative. Therefore we have to search for an affirmative answer for nirvana, in the background of Indo-Iranian or Indo-European culture, because the Pali language belongs to Ancient Prakrit. A boar, if that is what sukala means, is identified as Vrtra in Rgveda (‡T. 121. 11; ‡T.61.7; ‡[. 66.10; ‡]. 99.6 etc.), and as one of ten incarnations of Vishnu, Varaha which made the world reborn in the Bhagavatapurana (‡V. 13), also Verethragna who runs in front of Mithra in the Mihr Yasht(70). In addition, in the Taittiriyaranyaka (‡T. 10.8), a black boar saves the world by appearing from the bottom of water. His 10 incarnations symbolize winter, and death (RV. ‡]. 51.3; Vendidad, 4) , and these incarnations signify the voyage in the underworld. Now, Verethragna is the guide of Mithra in the darkness of night. Namely, the boar signifies an obstacle, winter, night, death and the underworld, and also acts a helper of renewal, of rebirth. Boar, therefore, has two meanings: obstacle and helper, psychopompos, to go to heaven. While the name "Chunda" has no special meaning, it is important that he is a son of a blacksmith, kammarah. Blacksmith is an alchemist, which is symbolically important, and the divine blacksmith, Tvastr, is a creator of Vajra for Indra. An alchemist makes gold from base metals, and is a person who can make a mortal *古 代 オ リエ ン ト博:物館非常勤研究員 Visiting Specialist, The Ancient Orient Museum Tokyo

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研 究 ノ ー ト オ リエ ン ト42-1(1999):155-170

ス ー カ ラ ・マ ッ ダ ヴ ァ に つ い て

-イン ド・イラン文化を背景 とした解釈-

Interpretation of Sukala Maddava

in Indo-Iranian Context

*

前 田 龍 彦MAEDA Tatsuhiko

ABSTRACT Sukala-maddava that Buddha had taken at the last time in his life

is now interpreted as rotten flesh of boar or mushroom, in a sense, poison. It is

natural to think that either could have caused Buddha's death. Buddha himself,

however, said that nobody could eat those substances except himself. It is difficult

to believe that Buddha is portrayed as weak as an ordinary human in Buddhist

texts, for Buddha defeated Mara, death. This interpretation makes nirvana seem

somehow negative. Therefore we have to search for an affirmative answer for

nirvana, in the background of Indo-Iranian or Indo-European culture, because the

Pali language belongs to Ancient Prakrit.

A boar, if that is what sukala means, is identified as Vrtra in Rgveda (‡T. 121.

11; ‡T.61.7; ‡[. 66.10; ‡]. 99.6 etc.), and as one of ten incarnations of Vishnu,

Varaha which made the world reborn in the Bhagavatapurana (‡V. 13), also

Verethragna who runs in front of Mithra in the Mihr Yasht(70). In addition, in the

Taittiriyaranyaka (‡T. 10.8), a black boar saves the world by appearing from the

bottom of water. His 10 incarnations symbolize winter, and death (RV. ‡]. 51.3;

Vendidad, 4) , and these incarnations signify the voyage in the underworld. Now,

Verethragna is the guide of Mithra in the darkness of night. Namely, the boar

signifies an obstacle, winter, night, death and the underworld, and also acts a

helper of renewal, of rebirth. Boar, therefore, has two meanings: obstacle and

helper, psychopompos, to go to heaven.

While the name "Chunda" has no special meaning, it is important that he is a son

of a blacksmith, kammarah. Blacksmith is an alchemist, which is symbolically

important, and the divine blacksmith, Tvastr, is a creator of Vajra for Indra. An

alchemist makes gold from base metals, and is a person who can make a mortal

*古 代 オ リエ ン ト博:物館非常勤研究員

Visiting Specialist, The Ancient Orient Museum Tokyo

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Buddha into a gold immortal being, and vajra is the weapon to kill Vrtra, to defeat

death.

Another item is in the Mahaparinibbanasuttanta, "A pair of golden clothes"

(4.35) that Buddha wore. "A pair" is equal to "twins", whose meaning is"death and rebirth" . The twin Sala trees also mean "death and rebirth", and"gold"

, and the name of hiranna (golden) river (5.1) , that Buddha crossed justbefore entering nirvana, are symbols of "eternity". Two offering foods, Sujata's

and Chunda's, that Buddha praised (4.42) are also "a pair". One, Suj ata's , was for"birth" of Buddha and the other

, Chunda's, was for his nirvana, "death". This pairtoo has the same meaning. They all signify the future of Buddha.

Thus in my opinion, Sukala is a flesh of boar, and eating of it makes Buddha

equal to vrtrahan, and means going to heaven. People who have the same Koine

could easily understand that Buddha was eternal. Probably the interpretation of

sukala as mushroom happened in China : sukala could be translated into a food of"eternity" in Chinese thought

, ling-zhi for example.

スーカラ ・マ ッダヴ ァとは,仏 陀の生涯物語(仏 伝)に おいて鍛 冶工 の子 チュ ンダが

仏陀に供養 した食物 で,仏 陀が この世 にあって最後 に口に した もので ある。こ の次 第 を

記 した 『マハ ーパ リニ ッバ ー ナ ・ス ッタ ンタ』 に よれ ば,硬 軟 と りど り揃 え られ た食 事

の 中 に ス ー カ ラ ・マ ッダ ヴ ァが 用 意 され て い るの を知 っ た仏 陀 は この 食 物 を 自分 だ け に

供 し,比 丘 た ち に は ほ かの 噛 む 食 物,柔 らか い食 物 を供 す る よ うチ ュ ンダ に告 げ た(4-

18)の み な らず,食 後 に余 っ た スー カ ラ・マ ッダ ヴ ァ はす べ て 穴 に埋 め させ た(4-19)と

い う。 この後,仏 陀 は腹 痛 と下 痢 にお そ わ れ,衰 弱 し,死 にい た っ て い る。 こ の と きの

模 様 は,「 尊 師 が 鍛 冶 工 の 子 チ ュ ンダ の食 物 を食 べ られ た と き,激 しい病 が起 こ り,赤 い

血 が ほ とば し り出 る,死 に至 らん とす る激 しい苦 痛 が 生 じた」(4-20)と あ る。さ らに 「鍛

冶 工 の 子 で あ るチ ュ ン ダの 捧 げた 食 物 をめ して,し っか りと気 を つ け て い る人 は,っ い

に死 に至 る激 しい病 に か か られ た。ス ー カ ラ ・マ ッダ ヴ ァ を食べ られ た の で,師 に激 し

い病 が 起 こ った。下 痢 を しなが ら も尊 師 は言 われ た… … 」(4-20)な ど とあ る。こ れ らの

件 か ら は,あ き らか に食 中毒 の 症 状 が読 み とれ る と して,ス ーカ ラ ・マ ッ ダヴ ァが 「腐 っ

た もの」 あるいは 「毒物」で あった と考 え られたの も当然であった これ ゆえ,ス ーカ

ラ ・マ ッダヴ ァは 「腐 った何 か」 あるいは 「毒 を もった何か」 として探求 され てきた

実際,仏 陀の死 の原因が食 中毒 ・赤痢の類 であったというのは十分考 え られ ることでは

ある。 しか し,い くら,仏 伝 に多 くの事実が記録 されてい るとはいえ,経 典 にその よう

な毒物が仏陀 を死 にいた らしめたことが記載 され ているとは考 えが たい。仏 陀 自身,「残

りを穴 に埋め させた」理由 として,「神々 ・悪魔 ・梵天 ・修行者 ・バ ラモンの問で も,ま

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た神々 ・人間 を含 む生 き物 の間で も,世 の 中で,修 行完成者(如 来)の 他 には,そ れ を

食 して 完 全 に消化 し うる人 を,見 いだ せ ませ ん 」(4-19)と 語 っ て い るの で あ る。 仏 陀 と

はマー ラを倒 して正法(ダ ル マ)を えた覚者で あ り,か つ て奇蹟 を起 こ して並 み居 る外

道 をうち負か した者であって,バ ラモン世界 きっての神 々ブ ラフマーや イン ドラさえ も

が礼拝す る存在 なのであ る。 だか らこそ,「完全 に消化 で きる」の は如来で ある自分 しか

いないと語 ったのであ る。 この 「至高神」 と もいうべ き仏陀が毒物 あるいは腐物 を,そ

れ と知 りなが ら口に してあえな く死 に至 るという場面が経典 に記 されて いるとはとうて

い考 えがた い。その ような仏 陀に 「救済」 を望むべ くもな く,仏 法は地 に落 ちることと

な り,仏 教の終局 を意味す るこ とになる。そ こで 当然の こ とと して,こ の 「仏陀の死」

という事実 を 「完全な る涅槃 」にふさわ しい物語へ と転換 ・有効利 用 した と考 える方が

妥 当なので ある。つ ま り脚色 である。

Ⅰ.仏 伝 における主 な脚色

仏伝 にあって脚色 は珍 しいこ とではない。 た とえば仏陀の生涯 に登場 す る主要 人物 た

ちはそれぞれに 「役割」 を名前 としているこ とが多 い。 なかで も 「太 子誕 生」の場面 に

登場 する太子 の母マーヤー夫人 と継母 のマハープ ラジャーパテ ィ,愛 息子ラーフラな ど

が好例 である。マ ーヤー とマハープ ラジャーパ ティー という名 は,と もに 「創造 原理」

を意味 している。マ ーヤ ーは 「創造す る」を意味す る動詞maか らなる語 で,「幻影」 の

こ とで あ り,「 形 の な い原 初 の 実体 か らの生 き て い る形 の 出 現 を表 現 して い る」。 す なわ

ち,マ ー ヤ ー は太 子 を兜 率 天 か らこ の世 に下 天 させ る役 目 を表 して い る とい え.る。 ま た,

マ ハ ー プ ラ ジ ャ ーパ テ ィー とは被 造物 の主 で あ るプ ラ ジ ャー パ テ ィの女 性 形 に 「マ ハ ー」

(大いなる)の つ いた語形であって,発 生力の源で あ り,そ の保護者 であるこの神の性

格 に「母性 」を加味 された存在で ある。すなわち,マーヤーか らマハープ ラジャーパ ティー

へ とい う 「母親交代」 は 「幻影」(神的 な もの)か ら 「被造物」(人 の姿)へ とい う太 子

の 「降誕 」 を表 して い る と言 え よ う。 それ ゆ え,役 目の 終 わ っ た マ ーヤ ー(幻 影)は 産

後7日 目に他 界 す る こ ととな る。こ の 「7」 とい う数 字 に して も,「3」 「5」 の 数 字 と

と もに仏伝 中に数多 くみられ るものであって,象 徴的表現 として用 い られ てい ることは

確 実であ る。これ らの数字を 「実際の数」「記録」 と解釈 するこ とはで きない。さらに,

太子出家の とき,太 子の心 を揺 さぶ る愛息子 ラーフラ(Rahula)は 太陽 を呑み込む悪魔

ラー フ(Rahu)に 由来 し,昇 りゆかん とする旭 日の太陽(=出 家のため に城 を出てい く

太子)を 束縛あ るいは惑 わす役 目をになっている。 また,生 涯 における四大出来事 の一

つ,成 道場面について も同様の ことがいえる。太子 はマーラを うち負か して悟 りを開 く

の で あ るが,マ ー ラ(mara)と は,mrを 語 根 に もつ 「死 」 を意 味 す る言 葉 で あ る。 す

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なわち この場面 は死 を滅 して,輪 廻転生 という生死の繰 り返 しか ら解脱す る法,す なわ

ち 「不死 」の法 を うるのである。 さ らに,涅 槃 においては,沙 羅双樹 とい う 「双 子」が

もつ象徴 的な意味を用 いて仏陀 の不滅性 ・不死生 を示 して いる。 この ように,古 代世 界

においては,登 場 する神 ・人物 の名前や彼 らと関係す る 「小道具 」の名前 はその性格 す

なわ ちその 「役 どころ」を示 す ものであ る。これ らのこ とを考慮すれ ば,ス ー カラ・マ ッ

ダヴァを 「毒 茸」 と解 するのはあま りに表面的す ぎるといわ ざるをえな い。

さまざまな場面にあって重要 な役 どころを演 じる小道具の中で もっと も重要 な物 の一

つが,涅 槃 に関わ るスーカラ ・マ ッダヴァであったことが考え られ る。す なわ ち,ス ー

カラ ・マ ッダヴ ァとは毒物 で も,腐 物で も,ま た仏陀の死 の肯定 につなが るような 「普

通の食物」で もいけなか ったのであ る。む しろ積極 的に涅槃 を肯定 する意 味 をもった 「食

物」であったと解すべ きであろ う。仏陀 自身,次 の ように語っている。「アーナ ンダよ。

鍛冶工の子チ ュンダの後悔 の念 は,こ の ように言 って と り除かれねばな らぬ。<修 行完

成者 は最後のお供養 の食物 を食べ てお亡 くな りにな ったのだか ら,お まえ には利益 があ

り,大 いに功徳が ある。……修行完成者が供養の食物 を食べて無上 の完全な さとりを達

成 したの と,供 養の食物 を食べ て,煩 悩の残 りのないニルヴ ァーナの境地 に入 られたの

とである。 この二つの供養 の食物 は,ま さにひと しいみの り,ま さにひ としい果報 があ

り,ほ かの供養の食物 よりもはるかにす ぐれ た大 いな る果報 があ り,は るかにす ぐれた

大 いなる功徳が ある。鍛冶工 の子 である若 き人 チュンダは寿命 をのばす業 を積 んだ。鍛

冶工 の子 である若 き人チュ ンダは容色 をます業 を積んだ。鍛冶工 の子 であ る若 き人 チュ

ンダは幸福 をます業 を積 んだ。鍛冶工 の子 である若 き人チュンダは名声 を ます業 を積 ん

だ。鍛冶工 の子 である若 き人チュ ンダは天 に生 まれ る業 を積 んだ。鍛冶工 の子 である若

き人チュ ンダは支配権 を獲得 す る業 を積 んだ 〉と。……」(『マハーパ リニ ッバーナ ・ス ッ

タ ンタ』4.42)。 この 一 節 は,チ ュ ンダ の後 悔 の 念 を取 り除 くため の 「思 いや り」 を あ ら

わ した とい う よう な もの で は な く,チ ュ ンダ の施 食 が ニ ル ヴ ァーナ に 直結 す る重 要 な 「食

物 」 で あ っ た こ とを言 い表 して い る。 つ ま り,仏 陀 の死 が食 中毒 に起 因 して い た こ と を

暗 に否 定 して い る ので あ る。 で は,い っ た いス ー カ ラ ・マ ッダ ヴ ァ とは何 で あ った の か。

これ にっ い て い ま まで と は異 な っ た視 点 か ら解 釈 を試 み るのが 本 稿 の 目的 で あ る。

Ⅱ.ス ー カ ラ ・マ ッダ ヴ ァ

これ はパ ー リ語 仏 典 『マ ハ ー パ リニ ッバ ー ナ ・ス ッ タ ンタ』(第4章17-20)に しか見 ら

れ な い語 で あ り,サ ンス ク リ ッ ト文,チ ベ ッ ト文 の 涅槃 経 に これ に対 応 す る語 は見 あ た

らな い。こ の こ とは,後 代 に この 語 の意 味 が 分 か らな くな って い た の で,諸 本 の伝 承 者

たちはこの語を省 いて しまったか らであろうと考え られている。

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この 語 の 意味 解 釈 をめ ぐっ て は二 つ の 有 力 な説 が あ る。 ス ー カ ラ(Sukara)と は 「野

豚 ・猪 」,マ ッダ ヴ ァ(maddava)と は 「や わ らか さ,や さ しさ」 を意 味 す る語 で あ り,

これ を複 合 して 「柔 らか い猪 肉」 とす る説 と,ス ー カ ラ を同 じ く 「野豚 ・猪 」 とす るが,

マ ッ ダヴ ァ を 「好 む」 と解 して 「猪 好 み」 の 意 に と り,食 用 茸 の 方 言 的 名 称 で あ る とす

る説で ある。

1)猪 肉 説

5世 紀初頭の注釈者 ブ ッダゴーサ はパ ー リ語 による注釈 「スマ ンガラ ・ヴ ィラーシニ

ー」 の なか で ,ス ー カ ラ ・マ ッダ ヴ ァ とは 「若 す ぎず,老 い す ぎな い上 等 の 野 豚 の生 肉

の こ とで あ る。 これ は柔 らか で,な め らか で よ く肥 えて い る。 そ れ を用 意 して,よ く煮

て,と い う意 味 で あ る」 とい い,さ らに 「こ の(肉 の)う ち に は,二 千 の 島 に 囲 まれ た

四つ の大陸の うちに まします神霊 たちが精気 を注入 した」(中村元訳)と している。これ

を理 由に,ス ーカ ラ ・マ ッダヴ ァを 「軟 らかな猪 肉」 とし,仏 陀の 「食 中毒」 はこれが

「腐 っていた」こ とに起 因す ると考 え られた。しか し,こ の説は通俗 語源解釈 にのっ とっ

た もの で あ る とい う。

2)茸 説

スーカラ ・マ ッダヴ ァを 「茸料 理」 とする解釈 は,5世 紀 前半に漢訳 された 『長阿含

経 』第三巻 「遊行経」に 「栴檀 耳」 とあることがお もな支 えとなってい る。 また,「猪好

み」とい う意味が,世 界三大珍味の一つで,フ ランス料理の食材 として有 名な茸 「トリュ

フ」のあ りかが豚の鼻で探 し求め られ ることに比較 されただけでな く,「このあた りの農

民 は,薮 の中で見 つかる一種の茸のか さば った,結 節のあ る球根 を愛好 し,そ れをくスー

カ ラ ・カ ンダ> と呼んで いる」 といい,さ らには仏陀の病状 の原因を考慮 した 「毒茸」

説がお こなわれて きた。 しか し動物(豚)が 毒茸 を好む はずはな く,ま たただの茸料理で

あった場合 には 「仏陀の腹痛」の原因 とはな らない。 この説は,あ くまで 「漢訳」 され

た翻訳語 にこだわった もので あ り,「猪好み」とい う 「名前」か らの発想 である。こ れで

は,猪 肉説 に対 して二石的 な解釈で しかない と思 われ る。 また,こ のスーカラ とマ ッダ

ヴァの二つの単語を組 み合 わせ た複合詞は文献上 ほか に用例 がないこ とか ら,こ れが固

有名詞で ある可能性 は きわめ て低い。「栴檀耳」とは,文 字通 り栴檀樹 に生 えた茸の こと

であるが,な ぜパ ー リ語で 「栴檀」を意味す る 「チャンダナ(candana)」 の語が使われ

なかったので あろ うか。おそ らくこの 「栴檀耳」とい う訳語 は中国文化 を背景 に した 「翻

訳」表現で あった と考 え られ る。

3)他 説

「ウダーナ(自 説経)」 に対 す るタムル人 ダンマパ ーラ(5世 紀末)の 注解 によれば,

「〈スーカラ・マ ッダヴ ァ> とは野豚の柔 らかでなめ らかな生の肉である,と 『大注解』

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に言 わ れ て い る。 しか しあ る人 々 は,野 豚 の 肉の こ とで はな くて,野 豚 の踏 み に じ るタ

ケ ノ コで あ る とい う。 また他 の人 々 は,野 豚 が 踏 み つ けた 土 地 にで き る茸 で あ る とい い,

また 他 の 人 た ち は,< ス ー カ ラ ・マ ッダ ヴ ァ > と は一種 の薬 草 で あ る と考 え て い る。 鍛

冶 工 の 子 チ ュ ンダ は <今 日,尊 師 が入 滅 な され るで あ ろ う > とい う こ と を聞 い て,< わ

ず か で も召 し上 が っ て 下 さっ た な らば,少 しで も長 くな が ら えて くだ さ る よ う に > と,

師 が 長 生 き して くだ さ るこ とを願 っ て,そ れ を捧 げ た の で あ る」 と語 って い る。 ま た,

ブ ッダゴーサの注釈書 の二 つの写本 によれ ば,「 ある人々は語 る,< スーカ ラ ・マ ッダ

ヴァ>とい うのは,柔 らかな米飯 の名 であって,そ れの料 理法 は牛 に由来す る五種の味

ある汁に基づ く。それはあたか も<乳粥 > というのが,一 般になにか料 理 された ものの

名で あるような ものであ る。ま たある人 々は語 る,< スーカラ ・マ ッダヴ ァ>とい うの

は不老長寿の薬(ラ サーヤナ)の 調理法の ことであ る。そ のこ とは不老 長寿の薬 の論書

の うちに出て くる。尊師が入滅 されるこ とのない ように とて,チ ュ ンダが,そ の不老 長

寿の薬 を調製 したのであ る,と 」。これ らの解釈 を見 ると,す で に,「スーカラマ ッダヴ ァ

とは何で あるか」わか らな くなってお り,多 様 化 しているこ とが わかる。 いずれにせ よ,

「普通の食物」ばか りであ り,積 極的 な解釈 としては 「不老長寿 の薬」 しか見 あた らな

い。この ような積極 的な解釈 は評価で きるが,こ れ に した ところで,「尊師 が入滅 される

こ とがない ように」調 理 された もので あ り,完 全なる涅槃 に否定的 な解釈 である。

Ⅲ.イ ン ド ・イラン的解釈

スーカ ラ ・マ ッダヴ ァの語 が南 イン ドか ら東南アジアにか けて流 布す るパー リ語仏典

にだ けみ られ るか らといって,南 イン ドの文化 だけで解釈す るの は問題で ある。パー リ

語 は仏陀の時代 にマガダで話され ていた 中期 イ ン ド・アー リア語(プ ラー ク リッ ト)古

層 に属 し,前1世 紀 頃 になって固定 し始めた と考 え られ る言語であ る。 さらに,涅 槃の

地 クシーナー ラー(ク シナガル)の 所在地のみな らず,い ま問題 と してい るチュ ンダの

「施食話」の発信源がバ ラモン社会の中心にあったこ とを考 えれば,「 スーカラ・マ ッダ

ヴァ」 は,イ ン ド・イ ラン語族,あ るいは もっ と大 きな枠組みであ るイ ン ド・アー リア

語族 に共通 した文化世界を背景 に して解釈 される必要があ ると考 え る。そ して,そ の内

容 は 「涅槃 を肯定,あ るいは積極的 に後押 しする」解釈でなければな らない。

1)ス ーカ ラ(sukara)

この語が 「猪」 を意味 していることはすでに見 たとお りであるが,こ の語 はサ ンスク

リッ トに もあ り,同 じ意味 である。 となれば,こ れ,を 「猪 」 と解釈す るこ とに意義 はな

い と思 われ る。猪は先史時代 よ りその姿 を多 くの遺物 にとどめているだ けで な く,イ ン

ド・アー リア世界 はもちろんのこと,イ ン ド・イラン世 界の神話学 にあって,き わめて

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重 要 な役 割 を果 た す 動物 で あ る。

『リグ ・ヴ ェ ー ダ』中の イ ン ドラ に捧 げ られ た讃 歌 の うち の い くつ か(Ⅰ.121.11;Ⅰ.61.7;

Ⅷ.66.10;Ⅹ.99.6)で は,猪(エ ー ム シ ャ)は 悪 龍 ヴ リ トラ と同一 視 され て お り,イ

ン ドラが これ を殺 した とあ る。 ヴ リ トラ(vrtra)は 本 来 「障 碍 物 」 を意 味 す る。 ヴ リ ト

ラ の 占有 す る水 は天 の 水 で あ り,「 ヴ リ トラ殺 し」(ヴ リ トラハ ー ンvrtrahan「 ヴ リ トラ

の殺戮者」)によって これが解 放 され ることは,宇 宙 の秩序 を回復す る意味 を もつ。 これ

は また,太 陽 が ふ たた び 天 に昇 る こ とで もあ っ た(RV.Ⅰ.32.4;Ⅱ.19.3ほ か)。 ま た別 の

箇所(Ⅸ.97.7)で は,猪 は 強 力 で速 い ソ ーマ の こ とで あ る と もい わ れ て い る゜

さ らに,『 タ イ ッテ ィ リー ヤ ・サ ンヒ ター 』(Ⅵ.2.4.2-3)に も,ア ス ラ た ち の財 宝 の

保持者 であったアヴァーマモー シャとい う名 の野猪が イン ドラに殺 され たとある。こ の

「ヴ ァーマモーシャ」 という名 はアー リア語 とは言語系統 を別 にす る南亜語族系のム ン

ダ語で 「よき物 を盗む者」 と解 されてお り,「 猪殺 し」の話が広 くゆ きわた っていたこ

と を示 して い る。

『シャ タパ タ ・ブ ラ ー フマ ナ 』(Ⅹ Ⅳ.1.2.11)で は,エ ー ム ー シ ャ とい う名 の 野 猪 が

大 地 を持 ち上 げ,彼 は主 プ ラ ジ ャー パ テ ィで あ っ た と述 べ られ て い る。

『バ ー ガ ヴ ァタ ・プ ラー ナ 』(Ⅲ1.13)に よ る と,水 中 に没 した ま まで あ った 大 地 を水

の 上 に持 ち上 げ て くれ る よ う,息 子 マ ヌ に頼 まれ た梵 天 は,そ の こ とを ヴ ィ シ ュヌ に祈

念 した 。 す る と突然,ヴ ィ シ ュヌ の 鼻 孔 か ら猪 の子 供 が 出 て きて,み る み る う ちに 山 の

よ う に巨 大 な 野猪 ヴ ァ ラ ーハ(Varaha=ヴ ィ シ ュヌ の 十 化 身 の一 つ)に な っ た。彼 は大

声 で 咆 哮 す る と,水 中 に飛 び込 ん で,そ の 牙 で大 地 を救 い あ げた とい う。 この と き,ヒ

ラニ ヤ ー ク シ ャな る者 が棍 棒 を もって ヴ ィ シュ ヌ に襲 いか か った が,殺 され た とい う。

ま た,こ の ヒ ラニ ヤ ー ク シ ャが 大 地 を沈 め て い た の で,ヴ ィ シ ュヌ が こ の 悪魔 を殺 した

とす る伝 承 もあ る。

『タ イ ッテ ィ リー ヤ ・ア ー ラ ニヤ カ』(Ⅰ.10.8)に は,千 の腕 を もつ黒 い猪 が大 地 を持

ち上 げ た と説 か れ て い る。

『シ ャ タパ タ ・ブ ラ ー フ マ ナ』 以 下 は,水 中 に沈 ん で い た大地 を猪 が救 い あ げ た とい

う内容 で 一 致 して い る。

さ らに,イ ラ ンの ア ヴ ェス タ ー 中 『ワル フ ラー ン・ヤ シ ュ ト』(15)に は,次 の よ う に あ

る。「ア フ ラ につ くられ た るウル ス ラ グナ は 敵 に 向 か い,鋭 き牙 あ る雄 猪,鋭 き顎 もっ 猪,

よ く一 撃 を もって 殺 し,敵 を追 い か け… …五 度彼 の とこ ろ に馳 せ きた り」。 さ ら に,『 ミ

フル ・ヤ シ ュ ト』(70)に は,「 ミス ラの 前 には,ア フ ラ に よ りて創 られ しウル ス ラグ ナ が

い く。 か の もの は勇 み 立 ち,鋭 い歯 と牙 を有 せ る雄 猪 の 姿 に して,猪 は一 撃 に して打 ち

殺 す者,近 づ くべか らざる怒 れる者,斑 なす顔の雄強 なる者」(岡田明憲訳)と ある。猪

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は イ ラ ンの 勝 利 神 に して,『 ワル フ ラー ン ・ヤ シ ュ ト』(28;30;32)に 「勇 気 を つ く り,

死 を作 り,甦 りを作 り,平 和 を保 ち,自 由の道 を もてる者」 とうたわれた ウルス ラグナ

(イン ドの 「ヴ リトラハー ン」 と同意)の 十化 身の一 つである。 そ して ミス ラの先駆 け

となる猪 というの は,光 と闇の中間者た るミスラがその姿 をあ らわす までがその役割で

ある。つ ま り,沈 んだ太陽の先駆け とな り,日 の出へ と導 く者で ある。 すなわ ち猪 は夜

(一年 を単位 とすれ ば,冬=死)を 象徴 す る者 であ り,「冥界(夜 ・冬)を ゆ く太 陽」 を

復活へ と導 く者(=甦 りを作 る者)で もあ る。こ のこ とは,同 じく十 変身の一つ として

猪 の姿 を とるヴィシュヌが 「水の中=死 した状態」 にあった大地 を復活 させ ることと同

じこ とである。変身 は本来,最 終 目的へ の過渡的 な仮 の姿で しか ない。ウ ル スラグナの

場合 は,最 後 に 「黄金の刃 ある剣 をもった」人 間の姿 とな り,勝 利神 となるのであ る。

ヴ ィシュヌの場合 に も,「中間部」を形成す る変身の内容 はかな り異なってい るが,最 後

にカル キ とな り,全 世界 を駆 けめ ぐって邪悪 な連 中を皆殺 しに し,こ れ によって人び と

の 心 が清 らか とな り,黄 金 時 代 が ふ た た び始 ま っ た とい う。両 者 の 関 係 は き わめ て似 て

い る。 さ らに,両 者 に共 通 す る 「10」 とい う変 身 の 数 は,『 リグ ・ヴ ェ ー ダ』(X.51.3)

の 一 節 「… … ア グ ニ よ。か か る汝 をヤ マ は見 い だ した り,光 彩 陸 離 れ た る者 よ,十 月 の

旅程 の か な た よ り輝 き渡 る 〔汝 〕 を」お よび,『 ウ ィー デ ー ウダ ー ト』(4)の 一 節 「こ こ

に十 月 の 冬 あ り」 とが よ く説 明 して い る と考 え る。 す なわ ち,「10」 とは イ ン ド・イ ラ ン

時代 の 記憶 を と どめ て い る もの で あ り,か つ て の生 活 環 境 を示 して い る と考 え られ て い

るものであ るが,冬 すなわち 「死せ る状 態」=冥 界 を象徴す る数字 ともな ってい る。変

身は,定 着 農耕社会 における 「冥界下 り」にあたる もので,お そ ら く草原の生活の中で

繰 り広 げ られた弱肉強食 によって,あ るいは死 肉を食べ た動物が春 に子 を産む とい う動

物の生態系 を写 した もの と思 われ る。いずれにせ よ,共 通 して言 えることは,猪 は 「死

(=夜=冬=冥 界)」 と 「再生」 とに関わ りがあるということであ る。

この ように,冬 の動物であ る猪 は,「世界 の死」を意味 している。そ して 「猪殺 し」は

「狩猟」 に由来 す るものである。狩猟は植物界 の稔 りが死 に絶 えた季節 におこなわれ る

もので あ り,黄 道12星 座 の 「射手座」がこの季節の記憶であ り,秋 分 と冬至 との中間 に

おこなわれて いた ことを示 している。それゆえ,「猪狩 り」を含む狩猟 その ものは 「冬 を

射 る」 ことで あ り,「世界 の更新」「世界の復活」 を意味 した。ヴェーダにおいて猪が比

せ られ るヴ リトラもまた,世 界 を干ばつに陥れる悪魔,太 陽 を隠す雲 であ り,す なわ ち

「死」 の代表者で ある。その一方で,上 述の文献 に見 られ るように,大 地 を持 ち上 げる

とい う死 した世界の復 活や,冥 界 をゆ く太 陽の先駆 けとな るのであ るが,こ れ はあ くま

で大地が水面 に持 ち上 げ られるまでの働 きであ り,太 陽が東の空に顔 を見せ るまでの こ

とである。す なわ ち復 活に関係 し,そ れは死 した者 を他界へ運ぶ行為 を司 って いるので

162

Page 9: Interpretation of Sukala Maddava in Indo-Iranian Context 前 ...

ある。このプ シコポンポス(psychopompos),す なわ ち死者の霊魂 を冥界へ導 く案 内役

としての役割 を猪 に認めるこ とは,連 珠 中の猪頭文がバー ミヤー ン(D洞 前室天井)と

い う仏教 遺跡に描 かれているこ とを説明す るこ とになろう。

神通力 を具 現化 したヴァジラパ ーニ を属性 とす る仏陀 は,ヴ ァジラを手 にヴ リトラを

殺 して世界 を救 ったイ ン ドラ,す なわちヴ リ トラハー ンに比せ られ よう。仏陀が 「スー

カ ラ」を食す ということは,「ヴ リトラ殺 し」に相 当する行為で ある。これは 「死」の克

服 を意味す る。だ か らこそ,マ ーラ(死)を 滅 して正法 をえた 「仏 陀のほか に,こ れ を食

して完全 に消化 しうる者はいない」 のであ る。 かつ て 「ヴ リトラ殺 し」で あったイ ン ド

ラは,仏 教 においてその栄光 を仏陀に譲 ったのである。また,「スーカ ラ」を食す とい う

こ とは,プ シコポンポス としての猪 に導 かれて復活す ることも意味す る。すなわ ち,涅

槃 か ら中有 を経て,天 に生 まれ るこ と(不 死)を 意味す ると考 えられ るので ある。同 じ

イ ン ド・アー リア語族文化圏 に属 すゲル マ ン民族の神話で は,猪 は天国で勇士たちが賞

味 す る食 物 とい う こ と にな って い る。 これ も同様 の考 え,同 じコイ ネ に 発 す る もの と考

え られ る。

2)マ ッ ダヴ ァ(maddava)

この語 は サ ン ス ク リッ トに は見 られ な い 。『パ ー リ語 辞典 』 に よる と形 容 詞mudu「 柔

らか き」 か ら派 生 した語 とな って い る。こ の訳 語 に何 らか の 意 味 を見 い だ す の は難 しい。

しか し,ス ー カ ラ ・マ ッダヴ ァが ほ か に用例 の な い複 合 詞 で あ るな ら,あ えて,サ ンス

ク リッ トmadhuの ヴ ェー ダ に お け る属 格 形madhvas,パ ー リ語 のmadhuva(副 詞

形)の よ うな近 似 の音 を もつ 単 語 が 転 訛 し,maddavaと 混 同 され た と も考 えた くな る。

とい うの も,こ れ らの 単語 が 「蜂 蜜 」(リ グ ・ヴ ェー ダ),「 ソー マ 」(リ グ ・ヴ ェー ダ,ア

タル ヴ ァ ・ヴ ェー ダ,Tブ ラ ー フ マ ナ),「 乳,ま た は 乳製 品」(同)の 意 を もつ もの で あ

り,蜜 は灌 奠 と して 重 要 な もの の一 つ で るだ けで な く,不 死 との 関 わ りが つ よい か らで

あ る。

3)鍛 冶 工 の 子 チ ュ ンダ

チュンダ(周 那;准 陀;淳 陀;淳)と いう名前に意味を見つ けることはで きなかった

が,そ の 職 業 が 注 目 され る。 鍛 冶 工(Kammara)は,「 火 の 親 方 」 で あ り,火 に よっ て

ある状態か らほかの状態への物質の移行 を統御す る特 能者で あった。前世 において燃燈

仏(デ ィーパ ンカラ)に よって火 を灯 された菩薩が,仏 陀 とな りその火 を涅 槃に よって

「吹 き消 される(ニ ルヴ ァーナ)」 と表現 されていることを考 えれば,き わめて興味深 い

職業 である。ま た,同 じく火に よってある状態か らほかの状態への物質 の移行 を統御す

ることで金 を作 り出す とい う錬金術師 との関係 も深 い。 ある物質 を金 に変 えるというこ

とは,「人間界の者 を金,す なわ ち死後 の不死 の者 に変 える」とい う意味 をもつのではな

163

Page 10: Interpretation of Sukala Maddava in Indo-Iranian Context 前 ...

い だ ろ うか。

さらに,神 的な鍛冶師が天上 の神 々の ため に鍛錬す る武器は雷霆 と稲妻で ある。神 的

な鍛冶師(工 巧神)ト ゥヴ ァシュ トリ(Tvastr)が イ ン ドラのため に創造 した武器が龍

ヴ リトラとの戦 いのための物,す なわ ちヴァジュラ(金 剛杵=稲 妻)で あった。 ギ リシ

ア神話 においてテユーポー ンに勝利 したゼ ウスが用いた武器 も,ヘ ーパ イス トスが鍛錬

した雷霆であったのをは じめ,同 様の話 は古代社会 に広 く共通 して いる。 この ように し

てみ ると,鍛 冶工 は,仏 陀が無事彼岸 に至 ることを確 実にす る役 目をあらわ してい ると

いって も過言ではあ るまい。

4)金 色 の一対の衣

チュンダの施食 を受けた後,仏 陀一行が クシナー ラーへ向か う途 中,マ ッラ族の人ブ ッ

クサが 「金色 の一対の衣」(4.35)を 布施 している。「尊 い方 よ。柔 らかい絹の金 色の一対

の衣が,こ こにござい ます。尊 師は どうか,私 のため にお受け くだ さい」 とい うプ ツク

サに対 し,仏 陀は 「一つは私 に着せ,一 つ はアーナ ンダ に着 せな さい」 と答え,金 色の

衣 が二人 に着せ られた。一見,ご く普通の会話 と行為 であ るように見 える。 しか し,時

を経 て も輝 きを失わない金が 「不死」 の象徴で あることは文献 に繰 り返 し述べ られてい

るこ とであ り,ま たそれゆえに 「死」 との関係が深 い。「不死」は 「死後」に しか存在 し

ないか らである。猪 が持ち上 げた という大地 を水中 に沈めていたのが ヒラニヤークシャ

とい う悪魔で あったとす る伝承 の存在 につ いては上述 したが,こ の名 も,「黄金」を意味

す るサ ンスク リッ ト 「ヒラニヤ」(hiranya)に 由来す る名であ る。 つ まり,こ の 「金色

の衣 」は 「死 と不死」を意味 してい る可能性 も考 えられ る。それを裏づ けるように 「アー

ナ ンダは,マ ッラ族の子ブ ックサが去 ってま もな く,そ のつやつや した金色 の一対の衣

を,尊 師のか らだに着せ てあげた」(4.37)と あ り,仏 陀が一人で一対 の衣 を身 にまとう

とい う不 自然 なこ とがお こなわれている。 この ことはすなわち,ま だ さとりの開 けてい

ない,そ して 「死」 も差 し迫 っていないアーナ ンダの身体 か らはこの 「金色」の衣が切

り離 されているのである。 したがって,こ の金色の衣が仏陀の死 とその後 の不死 なる者

への生 まれ変わ りを予兆 してい ると考 えることがで きよう。 とりわけ,衣 が 「一対」で

あることが重要である。つ ま り,「金 色の一対の衣」とは,金 色 の騎士 であるアシュヴ ィ

ン双神 を想起 させ るか らで ある。ヴェーダで もっともよく用い られ ているアシュヴ ィン

双神の名称は金色 もしくは蜜の色 をした双生児の騎士であ る。彼 らは馬 または鳥 に牽か

せ た黄金の戦 車で毎朝 ウシャス より先に行 く。毎朝生 まれ変わる曙光 の女神 ウシャスの

先触れ をす る者であった という点で,ミ スラの先 を走 る猪 姿のウル スラグナ に比せ られ

る神 で あ る。さ らに,「 ナ ー サ テ ィア双 神 」(Nasatyas),す な わ ち 「治療 者 ・救済 者」 と

も呼 ばれ る双神は死 と再生 に関わ る神 々であ り,そ れゆえ仏 陀涅槃の際の 「沙羅双樹」

164

Page 11: Interpretation of Sukala Maddava in Indo-Iranian Context 前 ...

の 「双」 なる表 現 を着 想 させ た神 であ り,「此岸 ・中有 ・彼岸」 という死後 の出来 事 をあ

らわす神々であ った。アシュヴ ィン双神 に比せ られ るギ リシア神話の双神 デ ィオスクー

ロイ も救済神で あ り,プ シコポ ンポスであった。し たがって,こ こで仏陀 が身に まとっ

た という 「黄金の一対 の衣 」 とは,仏 陀が 「死 に至 り,そ して不死の者 として天 に生 ま

れる」 ことを予兆す る物であった といえ よう。

さ らに,こ の着衣の件のす ぐのちに,仏 陀は 「今夜最後の更 に,… マ ッラ族 の沙羅

林 の中の沙羅双樹 の間で修 行完成 者の完全 な死が起 こるで あろう」(4.38)と アーナ ンダ

に告げているので ある。 この予言箇所 はサ ンスク リッ ト本 ・チベ ッ ト本 ・有部本 には欠

けているこ とか ら後代の付加 と考 え られている。 しか し,む しろこれが付加 され た とい

うこ とは,「金色の一対の衣 を着 せ る」とい う行為が この予言 内容 を意味 している と解 さ

れていたこ とを示唆す る もの に他な らない。また,「完全 な死が起 こる」最後 の更,す な

わち後夜 とは深夜 か ら夜明 けにかけての問を指す もので あ り,こ の ことは新たな太陽が

昇 ること,す なわち死後,仏 陀が天に生 まれる(不 死 になる)こ とを予 感 させ る もので

はないだろ うか。

5)ヒ ランニ ャヴ ァテ ィー川

涅槃の地 クシナーラーは 「ヒランニ ャヴァテ ィー川 の彼岸 にある」(同5.1)と 記 されて

いる。 この川 の名 は,パ ー リ語で 「金」 を意味す る 「ヒランニ ャ」(hirafifia)に 由来 す

る。 この川 を此岸 か ら彼岸へ渡 った ところで涅槃 にはいるということは,先 に見 た よう

に金が示唆す る 「死 か ら不死へ」 とい う意味が ここに具体化 されている。

6)二 つの施食

二つの施食 とは,仏 陀が並び賞 したスーカラ ・マ ッダヴァと,こ れ ともに大 いな る利

益 ・果報があ ると語 られていた 「修行 完成者 が供養の食物 を食べて無上 の完全な さとり

を達成 した」施食,す なわちス ジャーターの差 し上 げた 「乳粥」である。 この二 つの施

食 は状況が きわめて似 ている。苦行 を捨 てた菩薩が 「乳粥」 を受け取 ったのは金剛座 に

着 く直前 にナイラ ンジャナー川 に身 を浸 してであった。 この ことは,戦 士階級 クシャ ト

リヤ に生 まれた菩薩 が,み ずか らの体 を犠牲 に した苦行 とい う供犠 をおこな うこ とで,

さ とりを開 くにふ さわ しい身体(=「 善 き生」)に 「生 まれ変わ る」こ とをあ らわ した物

語 であ り,あ るい は川 の水 に よる浄化 をもって瀕死 の太陽(冬 行の太陽=苦 行す る菩薩)

が復活す る物語であ る。この 「仏陀の誕生」に関 わる施食 と,「仏陀の肉体 的な死」に関

わる施食 とは,「生 まれ変わ り」の場面 に食 され るとい う点で同 じ意味を もち,誕 生 と死

とい う相反す る出来事 に作用す るとい う点でこの二つの施食は まさ しく 「対 ・双」の関

係 にある。こ の こと も,「双子」の シンボ リズムにの っとって考 えれ ば,仏 陀が死後,不

死 なる存在 と して天に生 まれ ることを暗 示 している言 える。

165

Page 12: Interpretation of Sukala Maddava in Indo-Iranian Context 前 ...

これ まで見て きた ように,視 点 をかえてみる と,実 際 にあったこ との ように見 え る仏

陀涅槃前の出来事 やそれを取 り巻 く状況,す なわちス ーカラ ・マ ッダヴァをは じめ とし

て,一 対の金色の衣,鍛 冶工 という職 川の名前 に至 るまで多 くの ものが 「仏 陀の死 」

と同時 に 「仏陀の不死性」 を もはっ きりと,あ るいは暗 に,し か も重層的 に示唆 してい

るこ とがわか る。そこで,ス ーカラ ・マ ッダヴァとは仏陀の死 を仏陀の不死性へ と転換

す る重要な役割 を担った 「軟 らかい猪 肉」 あるいはひ ょっとす ると 「蜜付 けの猪 肉」 で

あったといえよう。 とな ると,ス ーカラ ・マ ッダヴァの漢訳語 「栴 檀耳」 は,中 国 に古

来 な じみ 深 く,「不 死 を もた らす 神 聖 な茸 」な ど と いわ れ た 霊 芝 をイ メ ー ジ した もの か も

しれ,ない。

(1)邦 訳 は,中 村 元 訳 『ブ ッダ最 後 の 旅 』,岩 松 浅 夫 訳 「大 い な る死 」 を参 考.

(2)中 村 元 訳 『ブ ッダ最 後 の 旅 』109-111頁.

(3)中 村 元 訳,同 書259-262頁,訳 註110.

(4)中 村 元 訳,同 書110頁.

(5)「 降 魔 成 道 」場 面 参 照.

(6)「 シ ュ ラー ヴ ァス テ ィーの 奇 跡 」 場 面 参 照.

(7)ガ ン ダー ラ美術 の い わ ゆ る 「梵 天 勧 請 」 図 な どに,仏 陀 を礼 拝 す る両 神 の 姿 が 表

現 され て い る。

(8)マ ー ヤ ー の 名 は こ れ以 外 に伝 わ って い な い とい う。H.ベ ッ ク 『仏教 』((上)115頁

参 照 。

(9)H.ツ ィ ンマ ー 『イ ン ド ・ア ー ト』39頁.

(10)H.ツ ィ ンマ ー 同書76頁.

(11)ウ ル セ ル,モ ラ ン 『イ ン ドの神 話 』美 田稔 訳,み す ず 書 房1959,39頁.

(12)前 田龍 彦 「ガ ンダ ー ラ美 術 にみ る,仏 伝 の 中 の五 本 の樹 」13-14頁.

(13)前 田龍 彦 同14頁.

(14)『 ラ リタヴ ィス タ ラ』 を例 に とる と,「7」 に関 して は 「七 歩 行 」 の歩 数(7章),

「お妃 選 び 」 や 「武 芸 競技 」 は 「公 示 か ら七 日後 」(12章),「 四門 出遊 」 と きの外 出許

可 も 「七 日後 」(14章),ル ドラカ の 弟 子 は 「七 百人 」(17章),成 道 後 の 「観 想 三 昧 」 は

「七 日」 ご と 「七 週 」 に わ た る(24章),な ど。「3」 は 「三 十 三天 」が代 表 的 な もの で

あ り,「5」 に関 して は 「吉祥 門」の 閂 を動 か す には 「五 百 人 」か か る と い い(14章),

最 初 の弟 子 が 「五 比 丘 」で あ り(17章),「 武 芸 競技 」 の 「競 技 者 は 五 人 」(12章),ト ラ

プ シ ャ とバ ル リカ の 隊商 は 「五 百 の 車 」 を もつ(24章),な ど。

(15)ラ ー フ ラ とい う名 前 が ラー フ とい う悪 魔 を連 想 させ た(中 村 元 『ゴ ー タマ ・ブ ッダ 』

76頁)の で は な く,ラ ー フ ラ は この 場 面 にお け る 「役 割 」と して ラ ー フ か らと られ た 名

前 と解 釈 す べ きで あ ろ う。

166

Page 13: Interpretation of Sukala Maddava in Indo-Iranian Context 前 ...

(16) Sir M. Monier-Williams, A Sanskrit-English Dictionary, cognate Indo-

European languages, Oxford 1899 6.

(17)前 田龍 彦 「仏伝 の 中 の五 本 の樹 」9-14頁,「 双 子 また は対 な る もの 」参 照.

(18)H.ベ ッ ク 『仏教 』101頁.

(19)中 村 元 訳,『 ブ ッ ダ最 後 の 旅 』122-124頁.

(20)中 村 元 訳,同 書272頁.

(21) The Digha Nikaya, Ed. by T. W. Rhys Davids and J. Estlin Carpenter, vol.

II, London : The Pali Text Society, reprint 1947, pp. 127-128.

(22)中 村 元 『ゴー タマ ・ブ ッ ダ』455頁,574頁.

(23)H.ベ ック 『仏 教 』101頁 訳 註*.

(24)Sumangala-vilasini,p.568.

(25)中 村 元 『ゴー タマ ・ブ ッ ダ』572頁,中 村 元 訳 『ブ ッダ最 後 の旅 』259頁.

(26)中 村 元 『ゴ ー タマ ・ブ ッ ダ』574頁.

(27)R.Davidsに よ る訳 な ど。 中村 元 訳 『ブ ッ ダ最後 の 旅』61-262頁 参 照.

(28)『 大 正 大 蔵 経」巻1,18頁 下 。『長 阿含 経 』以外 の漢 訳 仏 典 で ス ー カ ラ ・マ ッダ ヴ ァ

に相 当す る語 は,「 飯 食 」(『仏 般 泥垣 経 』),「多 美飯 食 」(法 顕 訳 『大 般 涅 槃 経 』),「種 種

上 妙 香 美飯 食 」(『有 部 毘 奈 耶 雑 事 』)な ど とあ る。

(29)渡 辺 照 宏 『新 釈 尊 伝 』 大 法 輪 閣1966,451頁.

(30)中 村元 訳 『ブ ッダ最 後 の 旅 』262頁 参 照.

(31)宇 井伯 寿 『イ ン ド哲 学 研 究 』 第 三 巻,366頁 以 下.

(32)H.ベ ック 『仏 教 』101頁 訳 註*.

(33)た と え ば サ ンス ク リ ッ トで は,candanasrotraな ど とな る。A. Bareau, La

nourriture offerte au Buddha lors de son dernier repas, Melanges d'Indianisme a la

memoire de Louis Renou, Paris 1968, p. 69 (pp. 61-71).

(34)中 村 元 『ゴー タ マ ・ブ ッダ』573頁.

(35)Sumangala-vilasini,P.568脚 注.

(36)中 村 元 『ゴー タ マ ・ブ ッダ』572-573頁.

(37)水 野 弘 元 『パ ー リ語 文 法 』(山 喜 房 佛 書林1955)1-6頁.

(38)L.ル ヌ ー 『イ ン ド学 大 事 典 』1944.

(39)辻 直 四郎 『イ ン ド文 明 の曙 』 <岩 波 新 書 >D12,岩 波 書 店1967,48頁.

(40)A. K. Lahiri, Vedic Vrtya ,Delhi 1984, pp. 103-104参 照。『 リグ ・ヴ ェー ダ』(Ⅰ.

51.4)に は,ヴ リ トラ を殺 戮 した イ ン ドラ が太 陽 を天 に昇 らせ た,と あ る。

(41) Griffith, Hymns of the Rgveda, Delhi 1987 (reprint), vol. ‡U, p. 391.

(42)辻 直 四郎 『ヴ ェー ダ,ア ヴ ェ ス タ』142頁.

(43)辻 直 四郎 『ヴ ェ ー ダ,ア ヴ ェス タ』142頁,同 『古 代 イ ン ドの説 話 』 春 秋 社1978,

171頁.

(44)ほ か に,『 マ イ トラ ーヤ ニ ー ・サ ン ヒタ ー』(Ⅲ.8.3);『 カ ー タ カ ・サ ン ヒタ ー』

167

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(ⅩⅩⅤ.2);『 チ ャ ラ カ ・ブ ラー フマ ナ 』(辻 直 四郎 『古 代 イ ン ドの 説 話 』169-173頁 参 照).

(45)上 村 勝 彦 『イ ン ド神 話 』220頁.

(46)上 村 勝 彦 『イ ン ド神 話 』118-119頁 。ヴ ィ シ ュヌ が 十 化 身 の 一 つ と して野 猪 に変 身

す る神 話 が生 ま れ,たの は,叙 事 詩 ・プ ラー ナ 時代 に入 って か らの こ とで あ る(立 川 武

蔵 ほ か 『ヒ ン ドゥー の神 々』).

(47)上 村 勝 彦 『イ ン ド神 話 』119頁.

(48)上 村 勝 彦,同 書220頁.

(49)岡 田 明 憲 『ゾ ロ ア ス ター 教一 神 々 へ の讃 歌 』.

(50)『 ア エ"ス タ教 』446-466頁 参 照.

(51)『 ワル フ ラ ー ン ・ヤ シ ュ ト』(27).

(52)『 バ ー ガ ヴ ァ タ ・プ ラー ナ 』(12.2)。 上 村 勝 彦 『イ ン ド神 話 』237頁 参 照.

(53)G.ニ ョ リ 「ゾ ロ アス ター か らマ ニ へ」 前 田龍 彦 訳,前 田耕 作 編 ・監 訳 『ゾ ロ ァ ス

タ ー教 論 考 』<東 洋 文 庫>609,平 几 社1996,107頁.

(54)ギ リシア 神 話 の ヘ ラク レス の12功 業 も本 来 は10功 業 で あ っ た とい わ れ る(ア ポ ロ

ドー ロス 『ギ リシア神 話 』高 津 春繁 訳 〈岩 波 文 庫 〉岩 波 書 店1978,89頁 参 照)。 こ こ で

も,「 冥 界 」で の 「10」の仕 事 を達 成 す る こ と に よ って彼 も また ウル ス ラ グ ナ と同 じ よ

う に 「光 輝 あ る勝利 者(カ リニ コス)」 とな っ た。彼 が 変 身 しな い の も,仕 事 の数 が12

とな った の もメ ソポ タ ミア文 化 の 影 響 か らだ と思 わ れ る。

(55)死 体 を 野犬 や獣 に喰 わせ た とい う葬 制 との 関 わ りだ と思 わ れ る。

(56)占 星 術 で使 わ れ て い る黄 道 十 二 宮 とは 西暦 紀 元 頃 に は ひ と月 の 狂 いが あ る。黄 道

の12星 座 で は,秋 分 点 は鰍 座(α 星 ア ン タ レー ス)に あ り,冬 至 は水 瓶 座(正 確 に は南

魚 座 の α星 フ ォー マル ハ ウ ト)に あ っ た。12の 星 座 は農 耕 を主 体 と した季 節 を反映 し

た表 徴 で あ る。例 と して は,前 田龍 彦 「コ ンマ ゲ ネ の <叙 任 図 > を め ぐっ て」 『象徴 図

像 研 究 』 Ⅸ(1995),22-39頁 参 照.

(57)前 田 龍 彦 「ガ ン ダ ー ラ の ヴ ァ ジ ラパ ー 二 に つ い ての 一 考 察 」 『象徴 図像 研 究 』 ⅩⅠ

(1997),14-26頁 。

(58)同 様 の表 現 が 『ラ リタ ヴ ィス タ ラ』(6章)に も見 え る。「この 強 力 な飲 み 物 を受 け

入 れ る こ とが で き る もの は,こ れ 以 上 ふ た た び地 上 に生 まれ か わ る こ との な い ボサ ツ

の他 に は いな い」(H.ベ ック,44頁 参 照)。 この飲 み 物 は 菩薩 が 下 天 す る(生 まれ か わ

る)直 前 にブ ラ フマ ン神 か らす す め られ た もの で あ る゜ これ を参 考 にす るな ら,ス ー

カ ラ ・マ ッダ ヴ ァ も 「強 力 な 」 もので,「 ふ た た び地 上 に生 まれ か わ る こ との な い」 す

な わ ち仏 陀 の 不 死性 を強調 す る ため の もの とい え るの で は ない だ ろ うか。

(59)平 几 社 『百科 事 典 』 「猪 」 項参 照.

(60)水 野 弘元 『(二訂)パ ー リ語 辞典 』 春 秋 社1988,217頁.

(61) Sir M. Monier-Williams, Sanskrit-English Dictionary.

(62) D. Andersen, A Pali Reader, Pt. II : Glossary, Copenhagen-London 1907, p.

202.

168

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(63)漢 訳 で は,周 那(長 阿含 経),准 陀(有 部 毘 奈 耶 雑 事),淳 陀(大 般 涅 槃 経)淳(仏

般 泥恒 経)な ど とあ る゜

(64)カ ンマ ー ラ は,鍛 冶 工,金 銀 細 工 師 な どを指 す 。中村 元 『仏 陀最 後 の 旅 』訳 註(257

頁)参 照.

(65)M.エ リア ー デ 『鍛 冶 師 と錬 金 術 師 』大 室 幹雄 訳 < エ リア ー デ著 作 集 >5,せ りか

書 房1986,93頁.

(66)M.エ リア ー デ,同 書119頁.

(67)M.エ リア ー デ,同 書117頁.

(68)同116-117頁 。後 代 の イ ラ ンの 叙 事 詩 『シ ャー ナ ー マ』 に も,フ ァ リー ド ゥー ン王

が 鍛 冶 工 た ちの鍛 錬 した牛 頭 の斧 を もっ て龍 王 ザ ッハ ー ク を討伐 した と あ る。 また 世

界 の 支 配 者 で あ った龍 王 に対 して戦 うこ とを最 初 に宣 言 し,王 や 民衆 を奮 い立 たせ た

の も,鍛 冶 工 の カ ー ヴ ェで あ っ た。黒 柳 恒 男 編 訳 『ペ ル シ アの 神 話 』泰 流 社1980,51-

68頁 参 照 。

(69) Maitrayani-samhita, ‡U . 2.2; Satapatha-Brahmana, ‡V . 8.2.27; Aitareya-

Brahnlana,Ⅶ.4.6ほ か。

(70)ウ ル セ ル,モ ラ ン 『イ ン ドの神 話 』21頁.

(71)ウ ル セ ル,モ ラ ン,同 書37頁.

(72)Ⅴ.イ オ ンズ 『イ ン ド神 話 』酒 井 傳 六 訳,青 土社1990,60頁.

(73)『 リグ ・ヴ ェー ダ 』 Ⅳ.3.3,Ⅰ,118.4ほ か 。

(74)辻 直 四郎 『イ ン ド文 明 の曙 』71頁 ゜語根 nas「 救 う」 に 由来 す る。 ウル セ ル,モ ラ

ン21頁 参 照.

(75)前 田龍 彦 「仏 伝 の 中 の 五 本 の樹 」 お よび 「双 子 また は対 な る もの 」 参 照.

(76)訳 文 は 中村 元 『仏 陀最 後 の旅 』 よ り転 写 。た だ し,訳 文 に は 「二 本 並 ん だ サ ー ラ樹

(沙羅 双 樹)の 間 」 とあ るが,「 二 本 並 ん だ樹 」 と 「双 樹 」で は 意 味 に 重 大 な 違 い が あ

るの で,こ こ で は原 文(yamaka-sala)通 り 「沙 羅 双 樹 」 の 問 と した 。

(77)中 村 元 『ブ ッ ダ最 後 の 旅 』270頁.

(78)岩 松 浅 夫 「大 い な る死 」339頁.

(79)『 ラ リタ ヴ ィス タ ラ』18章:

(80)R.G.ワ ッ ソ ン ほか 『聖 な るキ ノ コ ソー マ 』徳 永 宗雄 ほ か 訳,せ りか 書房1988,

132頁.

主 な参 考 文 献

岩 松 浅 夫 訳 「大 い な る死 」 『仏 陀の 生 涯 』 <原始 仏 典 >1,講 談社,1985.

岡 田 明憲 『ゾ ロア ス タ ー教-神 々へ の 讃 歌 』平 河 出版,1982.

上 村 勝 彦 『イ ン ド神 話 』 東 京書 籍,1981.

H.ツ ィ ンマ ー 『イ ン ド ・ア ー ト[神 話 と象徴]』 宮 元 啓 一・訳,せ りか書 房,1988.

辻 直 四郎 編 『ヴ ェー ダ,ア ヴ ェス タ ー』 <世 界古 典 文 学 全 集 >3,筑 摩 書 房,1967.

169

Page 16: Interpretation of Sukala Maddava in Indo-Iranian Context 前 ...

中村 元 『ゴー タ マ ・ブ ッダ 』 <中村 元 選 集 >11,春 秋 社,1969.

中村 元 訳 『ブ ッダ最 後 の 旅-大 パ リニ ッバ ー ナ経 』 <岩 波 文 庫 >33-325-1,岩 波 書 店,

1980.

H.ベ ッ ク 『仏 教 』(上)渡 辺照 宏訳 <岩 波 文 庫 >33-324-1,岩 波 書 店,1962.

前 田龍 彦 「ガ ン ダ ー ラ美 術 に見 る,仏 伝 の 中の 五 本 の樹 」 『象 徴 図 像 研 究 』 Ⅹ,和 光 大 学

象 徴 図 像 研 究会,1996,5-16頁.

同 「双 子 また は対 な る もの オ リエ ン ト世 界 を中 心 に」 『ORIENTE』18,古 代

オ リエ ン ト博 物 館,1998,3-14頁 参 照.

L.ル ヌ ー,J.フ ィ リオ ザ 『イ ン ド学 大 事 典 』(山 本 智 教 ほか 訳)金 花 舎,1981.

『アご ス タ教 』上(木 村 鷹 太 郎 訳)< 世 界 聖 典 全 集 >波 斯教,世 界 聖 典 全 集 刊 行 會,1920.

『新 脩 大 正 大 蔵 経 』 巻1.

Le Lalitavistara, L'histoire traditionnelle de la vie du Bouddha, trad. par P. E. de

Foucaux, Paris 1884.

Griffith, Hymns of the Rgveda, Delhi 1987 (rep), 2 vols.

170