中心血圧と末梢血圧の違い - Arterial Stiffness1 図2 偽性収縮期高血圧の一例...

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1 図1 上行大動脈と上腕動脈の圧波形 140 70 R R 1s R R (mmHg) 150 80 (mmHg) 上行大動脈 上腕動脈 NTG投与後 NGT投与前 (Kelly RP, et al. Eur Heart J 1990; 11: 138-44.より引用) 成人男性の上行大動脈と上腕動脈にカテーテルを挿入のうえ、ニトログリセリン(NTG)0.3mgを舌下投与し、投与前後の圧波形を測定した。 第 9 回 臨床血圧脈波研究会 招待講演 中心血圧と末梢血圧の違い Michael O'Rourke(University of New South Wales) 監修:河野雄平(国立循環器病センター高血圧腎臓内科部長) 臨床で「血圧」といえば、一般に末梢の上腕血圧の ことである。しかし、心臓から離れた末梢血管の血圧 と、大動脈起始部の中心血圧には大きな違いがある。 その違いは、血圧値の大小だけでなく、圧脈波の違 いによる本質的なものであり、臨床的指標としての両 者の精度や有用性にも大きく影響する。本講演では、 両者の圧脈波の違いとその臨床的意義について解説 する。 中心血圧と末梢血圧はこんなに違う 収縮期血圧は、心臓から遠い血管ほど高くなること は古くからよく知られた事実である。例えば、健康 な若年男性の橈骨動脈の収縮期血圧は、上行大動脈に 比べ安静時で約 30mmHg、運動後では約 80mmHg も 高値を呈することが報告されている。 末梢血圧と中心血圧の違いは、血圧値の大小だけ ではない。図1 は、心臓カテーテル検査を受けたあ る成人患者において測定された上行大動脈と上腕動 脈の圧脈波の波形である。左側は投与前の状態、右 側はニトログリセリン(NTG)投与後の波形である が、左側の上行大動脈の波形をよくみると、最高血圧 を作るピークの手前の「肩」の部分に、ひと回り小 さな別のピークがあることに気づかれることと思う。 実は、この小さなピークこそが左室からの血液の駆出 によって生み出される駆出波のピークであり、その 後に訪れる大きなピークは末梢からの反射によって 生じた反射波のピーク(R)である。すなわち、上行 大動脈においては駆出波のピークより反射波のピー クのほうが大きく、大動脈では反射波のピークが最 高血圧となる。 これに対し、血管抵抗の大きい末梢動脈では駆出 波が高くなるため、上腕などでは駆出波のピークが 最高血圧となる。つまり、中心血圧と末梢血圧では、 みているもの自体が異なっている。 次に、右側の NTG 投与後の圧脈波に目を向けると、 上行大動脈の最高血圧は NTG 投与に呼応して著明に この論文は、「Arterial Stiffness」WEBサイトに掲載されています。その他の論文はこちら Click "Arterial Stiffness" web site for more articles.

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図1 上行大動脈と上腕動脈の圧波形

140

70

R

R

1s

R

R

(mmHg)

150

80(mmHg)

上行大動脈

上腕動脈

NTG投与後NGT投与前

(Kelly RP, et al. Eur Heart J 1990; 11: 138-44.より引用)

成人男性の上行大動脈と上腕動脈にカテーテルを挿入のうえ、ニトログリセリン(NTG)0.3mgを舌下投与し、投与前後の圧波形を測定した。

第 9 回 臨床血圧脈波研究会 招待講演

中心血圧と末梢血圧の違い

Michael O'Rourke(University of New South Wales)監修:河野雄平(国立循環器病センター高血圧腎臓内科部長)

 臨床で「血圧」といえば、一般に末梢の上腕血圧のことである。しかし、心臓から離れた末梢血管の血圧と、大動脈起始部の中心血圧には大きな違いがある。その違いは、血圧値の大小だけでなく、圧脈波の違いによる本質的なものであり、臨床的指標としての両者の精度や有用性にも大きく影響する。本講演では、両者の圧脈波の違いとその臨床的意義について解説する。

   中心血圧と末梢血圧はこんなに違う

 収縮期血圧は、心臓から遠い血管ほど高くなることは古くからよく知られた事実である。例えば、健康な若年男性の橈骨動脈の収縮期血圧は、上行大動脈に比べ安静時で約 30mmHg、運動後では約 80mmHg も高値を呈することが報告されている。 末梢血圧と中心血圧の違いは、血圧値の大小だけではない。図1 は、心臓カテーテル検査を受けたある成人患者において測定された上行大動脈と上腕動

脈の圧脈波の波形である。左側は投与前の状態、右側はニトログリセリン(NTG)投与後の波形であるが、左側の上行大動脈の波形をよくみると、最高血圧を作るピークの手前の「肩」の部分に、ひと回り小さな別のピークがあることに気づかれることと思う。実は、この小さなピークこそが左室からの血液の駆出によって生み出される駆出波のピークであり、その後に訪れる大きなピークは末梢からの反射によって生じた反射波のピーク(R)である。すなわち、上行大動脈においては駆出波のピークより反射波のピークのほうが大きく、大動脈では反射波のピークが最高血圧となる。 これに対し、血管抵抗の大きい末梢動脈では駆出波が高くなるため、上腕などでは駆出波のピークが最高血圧となる。つまり、中心血圧と末梢血圧では、みているもの自体が異なっている。 次に、右側の NTG 投与後の圧脈波に目を向けると、上行大動脈の最高血圧は NTG 投与に呼応して著明に

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図2 偽性収縮期高血圧の一例

その値から算出された大動脈圧波形橈骨動脈の圧波形

Sp

154Sp

123

Dp

78Dp

80

PP

76PP

43

MP

101MP

101

(O'Rourke MF, et al. Vasc Med 2000; 5: 141-5.より引用)

23歳男性、身長183cm、体重79kg

低下しているのに対し、上腕動脈の最高血圧はほとんど変化していない。実は、上腕動脈においても反射波のピークは 2/3 程度に低下しているのだが、その変化は駆出波すなわち最高血圧値には反映されない。言い換えれば、カフを使った上腕血圧測定では、中心血圧の変化は読み取れないのである。

   非侵襲的に測定する中心血圧は   カフによる上腕血圧測定より高精度

 簡便に測定できる末梢血圧とは異なり、中心血圧はカテーテルを挿入しないと測定できない。そこでChen ら(1997)は、20 例の症例の末梢動脈圧波形と大動脈圧波形を比較解析し、両者を関連づける関数

(transfer function;TF)を求め、これを利用して橈骨動脈で測定した末梢動脈圧波形から大動脈圧波形を推定する方法を考案した。 われわれは、62 例の患者のデータを集め、この方法によって求めた種々の中心血圧の推定値と直接法にて測定した値の相関を検討した。その結果、推定値では実測値に比べて収縮期血圧と脈圧がやや低く、拡張期血圧と平均血圧はほぼ一致していた。 推定中心血圧値(以降は中心血圧値)はばらつきが少なく、再現性の高さが示唆された。これに対し、カフによる上腕血圧測定値は再現性の低さがしばしば臨床上の問題となる。Lane ら(2002)の検討によると、上腕血圧測定値の標準偏差(SD)は収縮期血圧で 8mmHg を超えていたが、われわれが検討した

中心血圧測定値の SD は 4.3mmHg にすぎなかった。

   末梢血圧測定値に基づく「高血圧」の   診断には多くの問題がある

 問題は、現在の「高血圧症」の診断は上腕血圧値に基づいてなされている。McEnieryら(2008)は、約7,000人の成人男女の中心血圧値と上腕血圧値を測定した結果、上腕血圧値に基づく分類で正常高値と判定されたグループと、ステージ 1 の高血圧と判定されたグループの中心血圧値は大きくオーバーラップしていることを見出した。すなわち、上腕血圧値の診断では、実際には治療が必要であるにもかかわらず、見逃されている患者が少なからず存在する可能性を示唆した。 逆に、治療が不要な人に対して漫然と治療が施されている可能性も指摘されている。図2 は、身長183cm、体重 79kg の 23 歳の男性の橈骨動脈にて測定した血圧および圧波形(左)と、その値から算出された大動脈血圧の圧波形(右)である。154/89mmHgという上腕血圧値をみる限り、高血圧症である。しかし、中心血圧は 123/80mmHg という平均的な値である。 実は、こうした現象は、長身の若年男性では珍しいことではない。Mahmud と Feely(2003)によると、医学部の男子学生の 10%にこうした偽性収縮期高血圧が認められ、これが「偽性」の現象であることは、中心血圧を測定して初めてわかることである。

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図3 血圧低下と左室肥大の退縮との関連(n=46)

ΔSBPB(mmHg)

ΔLVMI(g/m

2)

-100 -50 0 50

r=0.09p=n.s.

-40

20

10

0

-10

-20

-30

上腕血圧

ΔAIx(A)(%)

ΔLVMI(g/m

2)

-100 -50 0 50

r=0.51p<0.001

-40

20

10

0

-10

-20

-30

大動脈AI

(Hashimoto J et al. Am J Hypertens 2007; 20: 378-84.より引用)

   中心血圧は末梢血圧より強く   臓器障害と相関する

 また、中心血圧は末梢血圧以上に強く臓器障害と相関することが数多くの研究において示されている。 東北大学の橋本ら(2007)は、1 年間の降圧治療に伴う血圧低下と左室肥大の退縮との関連を調べた。その結果、末梢血圧変化と左室重量変化の間に有意な相関は認められなかった一方、大動脈 AI と左室重量変化との間に有意な相関が認められた(r = 0.51、p <0.001;図3)。 Roman らの Strong Heart Study(2007)は、高い心血管疾患発症頻度で知られるアメリカ先住民コホート研究であるが、末梢血圧より中心血圧の脈圧が CV イベントと強く相関していたことを明らかにした。このほか、今年初めまでに報告された中心血圧と臓器障害の関連を検討した数十報の論文では、すべて両者の間に相関が認められている。

   末梢血圧を同じように下げる薬物でも   中心血圧への作用が異なれば   臓器保護効果は異なる

 臓器障害の予防あるいは改善のためには、末梢血圧より中心血圧を低下させることが重要である。前述のように、中心血圧の主要な構成成分は駆出波ではなく反射波である。心臓からの駆出を抑制するβ遮断薬よりも、血管拡張作用をもつ ACE 阻害薬(ACE-I)やAⅡ受容体拮抗薬(ARB)、Ca 拮抗薬(CCB)のような薬

剤のほうが臓器保護の面からは好ましいと推定できる。 この仮説を検証する最初の臨床試験は、ACE-I(ペリンドプリル)+利尿薬(インダパミド)とβ遮断薬(アテノロール)の左室肥大退縮効果を比較したREASON 試験(2004)である。同試験では、両群における上腕血圧の低下度は同等であったが、中心血圧の低下度は ACE-I +利尿薬群のほうが有意に優っており、1 年後の左室重量低下も ACE-I +利尿薬群のほうが良好であった。 さらに、約 20,000 例のハイリスク高血圧患者を対象に、CCB(アムロジピン)+ ACE-I(ペリンドプリル)とβ遮断薬(アテノロール)+利尿薬の心血管イベント抑制効果を比較した ASCOT 試験(2005)でも CCB + ACE-I 群の優位性が証明されたが、このときも両群の末梢血圧低下度には差はみられなかったが、中心血圧は CCB + ACE-I 群のほうが有意に低値であったことが翌年のサブ解析・CAFE 試験(2006)において明らかにされた(図 4)。 これらのエビデンスに基づき、高血圧の薬物療法においては、中心血圧に対する作用が検証されていない薬剤よりも検証済みの薬剤を考慮すべきであるとのコンセンサスが近年形成されている。

   脳血管性認知症の病態形成には   中心脈圧の増大が関与か?

 また、中心血圧は大動脈の動脈硬化に関与するだけでなく、細小血管障害である脳血管性認知症などの発

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図4 ASCOT-CAFE試験:上腕血圧と中心血圧の経時的変化

115

120

125

130

135

140

(mmHg)

133.9

133.2

アテノロール治療群

アムロジピン治療群

125.5

121.2

p=0.07

p<0.0001

0 0.5 1 1.5 2 2.5 3 3.5 4 4.5 5 5.5 6

(Williams B et al. CAFE study. Circulation 2006; 113: 1213-25.より引用)

経過(年)

上腕血圧

中心血圧

図5 高齢者における脈圧の増大と推測される細小血管傷害機序

圧(mmHg)

毛細血管

細動脈

小動脈

大血管

大動脈

左室

120

80

40

0

若年者

圧(mmHg)

毛細血管

細動脈

小動脈

大血管

大動脈

左室

120

80

40

0

高齢者

(O'Rourke MF, et al. J Am Coll Cardiol 2007; 50: 1-13より引用)

症にも関与することが示唆されている。この機序において重要と推測されるのは中心血圧の「脈圧」である。 周知のように、脈圧は加齢とともに増大し、最終的には青年期の 3 〜 4 倍にもなり、動脈には強い脈圧がかかることになる。それでも通常は、血流が細小血管に達する頃には脈圧はほとんど吸収されてなくなるが、一部の高齢者では末梢においても脈圧の遺残が認められ、特に脳血管性認知症を伴う高齢者ではその頻度が高くなるという(図5)。

 脈圧すなわち周期的に血流が強まる状態は、恒常的に強い血圧がかかるよりも血管内皮が傷害されやすい。したがって、脆弱な小血管に脈圧という刺激が加わって傷害された結果、脳血管性認知症などが生じるとの機序が推測される。同様に、腎臓や肺など微小な血管が集中して存在するすべての臓器にとって、パルスの増大は大きな脅威となることが推測されており、その対策が今後の課題となろう。

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