FACT BOOK - 三井不動産グループ【報道関係の方のお問い合わせ先】...

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【報道関係の方のお問い合わせ先】 三井不動産「霞が関ビル」PR事務局(株式会社プラップジャパン 内) 担当:村瀬、米津 TEL:03-4580-9107 FAX:03-4580-9133 Email:[email protected] “霞が関ビルディング”日本のランドマークとして ~50年の歩みとこれから~ FACT BOOK

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  • 【報道関係の方のお問い合わせ先】三井不動産「霞が関ビル」PR事務局(株式会社プラップジャパン 内) 担当:村瀬、米津

    TEL : 03-4580-9107 FAX : 03-4580-9133Email : [email protected]

    “霞が関ビルディング”日本のランドマークとして~50年の歩みとこれから~

    FACT BOOK

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    竣工から50周年、日本初の超高層ビル “霞が関ビルディング”について

    国家規模の超高層ビル 建設プロジェクトがスタート

    “霞が関ビルディング現象” ~官庁街、霞ヶ関が人気観光スポットに~

    “経年優化”が続く霞が関ビルディング

    経年優化の思想を体現したビル

    最新の設備を搭載した霞が関ビルディング

    未来のオフィスビル環境を追求し続ける 霞が関ビルディング

    データから見る霞が関ビルディングの影響力

    三井不動産の今後の主要プロジェクト一覧

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    I NDEX

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    竣工から50周年、日本初の超高層ビル“霞が関ビルディング”について1

    霞が関ビルディングとは「霞が関ビルディング」は1968年に建設された、高さ147メートル36階建ての日本初の超高層ビルです。1960年代、建築基準法をはじめとした制度や法律の改正が行われ、日本の建築業界は大きな変革期を迎えていました。ビルの建設についても全く新しい形が求められる中で、究極の答えとして誕生したのが霞が関ビルディングなのです。現在もその姿を残し続ける霞が関ビルディングは、2018年4月12日に竣工から50周年を迎えます。周辺には皇居や首相官邸、国会議事堂や中央官公庁といった国の中枢機関はもとより、多くの企業が集積し、また国立国会図書館も近く、今もなお、多くの方々にご利用いただいております。

    所 在 地交 通

    敷 地 面 積延 床 面 積総貸付面積基準階面積構 造階 数エレベーター駐 車 場設 計施 工竣 工高 さ

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    ::::::::::::

    東京都千代田区霞ヶ関三丁目2番5東京メトロ銀座線「虎ノ門」駅徒歩3分東京メトロ丸の内線・千代田線・日比谷線

    「霞ヶ関」駅徒歩5分東京メトロ銀座線・南北線「溜池山王」駅徒歩6分11,578.43㎡ (3,502.48坪)153,959.23㎡ (46,572.67坪)87,012.17㎡ (26,321.18坪)2,636.73㎡ (797.61坪)鉄骨造・一部鉄骨鉄筋コンクリート造屋地上36階、地下3階、塔屋3階31基、人荷用3基、駐車場用2基350台株式会社山下設計鹿島・三井建設共同企業体1968年4月147メートル

    物件情報

    内閣総理大臣官邸

    内閣府

    霞が関ランプ

    国会議事堂 国土交通省

    警視庁

    総務省

    法務省最高検察庁

    東京高等裁判所

    日比谷高校

    山王日枝神社

    国立国会図書館 内堀通り

    内堀通り

    外務省

    農水省環境省

    日比谷公園

    晴海通り

    日比谷シャンテ

    帝国ホテル

    日比谷通り

    日比谷シティー

    財務省

    中小企業庁

    経済産業省

    日本郵政

    霞が関コモンゲート新霞が関ビルディング

    特許庁東京倶楽部ビルディング虎の門三井ビルディング

    虎ノ門琴平タワー金刀比羅宮

    虎の門病院

    国立印刷局 虎ノ門2丁目タワー

    外堀通り

    桜田通り

    虎ノ門ツインビルディング

    ANAホテル東京

    首都高速3号線

    汐留シティセンター

    首都高速

    JR新橋駅

    東京メトロ銀座線新橋駅

    東京メトロ銀座線虎ノ門駅

    東京メトロ銀座線

    溜池山王駅

    東京メトロ南北線溜池山王駅

    東京メトロ南北線永田町駅

    東京メトロ有楽町線永田町駅

    東京メトロ有楽町線桜田門駅

    東京メトロ千代田線国会議事堂前駅

    東京メトロ丸ノ内線国会議事堂前駅 東京メトロ丸ノ内線霞ヶ関駅

    東京メトロ千代田線霞ヶ関駅

    東京メトロ千代田線日比谷駅

    東京メトロ日比谷線日比谷駅

    都営地下鉄三田線日比谷駅東京メトロ

    日比谷線霞ヶ関駅

    霞が関ビルディング

    都営地下鉄三田線内幸町駅

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    国家規模の超高層ビル建設プロジェクトがスタート2

    霞が関ビルディング建設前、東京は首都機能不全に陥る寸前だった1960年代前半、霞が関ビルディング竣工前の東京は、人口と産業の集中がピークを迎えたことや、モータリゼーションの進展に伴い、緑地・オープンスペースの減少、大気汚染、騒音など、多岐にわたる都市問題が顕在化していました。当時は、「このまま推移すれば東京は首都の機能さえ失う」とまで言われ、新首都の建設構想までもが立ち上がっていました。このような状況にありながらも、当時は建築基準法により、ビルは31mまでの高さ制限(百尺規制)が定められており、この高さの制約をカバーするために、ビルは敷地の隅まで使って建設されることで、東京はますます空間や緑が少ない息苦しい都市になっていました。

    大都市における人間性の回復を目指すところが1963年、ついに建築基準法の一部が改正されます。この改正により建築規制は従来の高さ制限によるものから容積率による規制へと移行し、より高層のビルを建設することが可能になりました。日本初の超高層ビル霞が関ビルディングは、ビルを高層化することで生まれる地上のスペースに、緑や人々の憩いの場を確保し、「大都市における人間性の回復」の実現を目指していくという壮大なテーマを掲げ、その建設が始まったのです。結果的に、霞が関ビルディングは、広大な敷地に約1万平方メートルもの緑の広場を確保することを可能にしました。それらの広場をはじめとした空地率は全敷地面積に対して実に72.13%にも上ります。広場には十分な太陽光を届けられ、霞が関ビルディングはいたずらに高さを競うのではなく、高さによってもたらされる美しく潤いのある都市環境を創造することをテーマとして掲げ、実現することに成功したのです。

    ※容積率とは敷地面積に対する建物の延床面積の割合で、容積率がクリアされていれば、小さな建築面積で階数の多い建物さえも建築可能となった。

    昭和41年5月15日 読売新聞 朝刊

    昭和39年7月17日 読売新聞 夕刊

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    地震対策~揺れるビルという新発想~霞が関ビルディング建設前の耐震構造の多くは、鉄筋コンクリートで柱と壁を強くして地震の揺れに対抗する「剛構造」でした。しかし、剛構造では建物の躯体が重くなり、躯体を支えきれなくなるため、地震大国日本での超高層ビルには向かないとされました。そこで、霞が関ビルディングは関東大震災を耐えた上野・寛永寺の五重塔を参考に地面が揺れると心柱を中心にした多数の木組みが地震の揺れを分散・吸収する「柔構造」を採用します。この「柔構造」によって日本で超高層ビルの建設が可能となりました。建設当時の建設省から特別な建設大臣認可を取得した霞が関ビルディングの耐震性能は、現在の耐震基準をも上回る耐震性能を誇っています。

    工事費163億円のビッグプロジェクト「大都市における人間性の回復」を目指した霞が関ビルディング建設プロジェクトは、従来のビルの限界の高さ31mから約5倍近い147mの超高層ビルの建設を試みる大プロジェクトとなり、今までのビル建築と比べて建設費の増加は避けられませんでした。防災施設、昇降機、その他の設備の設置や、外装費の増加の他、技術・資材共に品質が保証できる“多くの国産”の活用を目指した結果、霞が関ビルディング建設の工事費は約163億円(現在の価値:約554.2億円)にも上りました。1958年に建設された東京タワーの30億円(現在の価値:164億円)や1964年に建設された日本武道館の20億円(同:83.25億円)と比べると、霞が関ビルディングの建築費がその圧倒的な規模を物語っています。

    ※煙探知機(スイス製)とエレベーター(アメリカ製)は海外製※消費者物価指数 99.9(平成28年)÷29.4(昭和43年)=3.4倍

    2. 国家規模の超高層ビル 建設プロジェクトがスタート

    <参考>1958年 東京タワー 30億円 (現在の価値:164億円) 消費者物価指数18.2  1964年 日本武道館 20億円 (現在の価値:83.25億円) 消費者物価指数24.0 1984年 国技館 150億円 (現在の価値:172.8億円) 消費者物価指数86.7

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    2. 国家規模の超高層ビル 建設プロジェクトがスタート

    霞が関ビルディング建設までの流れ

    1962年6月

    1962年10月

    1963年7月

    1964年8月

    1965年3月

    1968年4月

    霞が関ビルディング企画室設置

    霞が関ビルディング建設委員会設置

    高さ制限を撤廃する建設基準法の改正実現

    建設省から「東京都市計画霞ヶ関三丁目特定街区」が指定

    霞が関ビルディング着工

    霞が関ビルディング竣工

    竣工当時の主なオフィステナント・三井化学工業(現三井化学)・シェル石油(現昭和シェル石油)・国際電信電話株式会社(現KDDI)・鹿島建設

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    2. 国家規模の超高層ビル 建設プロジェクトがスタート

    霞が関ビルディングから生まれた革命的技術前例のない“日本初の超高層ビル建設”の成功の裏側には、いくつもの革命的な建築技術の開発がありました。それらの建築技術は、50年経った現在でも高層ビル建築における基礎となっています。

    コンピューターを活用した建築設計当時、東京大学に設置されていた日本で唯一の地震解析専用コンピューターSERACを活用し、その計算能力により霞が関ビルの設計が可能となりました。

    大型H型鋼他の形鋼に比べて、断面効率(重量当たりの曲げ剛性や曲げ強度)が優れているのが特徴です。霞が関ビルディングで極厚のH形鋼が大量に使用されて以降、急速に普及し、現在では代表的な形鋼の一つとなっています。

    プレハブ工法建築物の一部又は全ての部材をあらかじめ工場で製作し、建築現場で組み立てる建築工法です。天候に左右されにくいこの工法により、工期の短縮化が可能になりました。

    セルフクライミング方式柔構造建築物の骨格である鉄骨構造を利用し、既に組み上がった鉄骨にクレーン本体とタワー部を交互に引き上げることにより上昇させる工法です。上層階でのクレーンのセッティングが飛躍的に効率化され、工期の短縮に寄与しました。1981年弁理士会会長賞を受賞。

    デッキプレート捨型枠工法デッキプレートを作業床としながら施工する工法です。こちらも霞が関ビルディングの建設工期の短縮に大きく寄与しました。

    スリット(切れ目)工法壁と柱の間にスリットを設けることで、地震の振動から柱の変形や破壊の被害を最小限に抑え、主要建造物自体への影響を和らげることができます。

    画像提供:国立科学博物館

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    初の超高層ビル用のエレベーター霞が関ビルディングによって生まれた革新的な技術は建築技術だけではありません。霞が関ビルディングが建設される前、当時の日本最速のエレベーターの速さは分速150mであったのに対し、霞が関ビルディングのエレベーターは、倍となる分速300mが要求されました。そのため、精密なモータ制御を行う速度制御技術の開発、非常時に安全に停止させる非常止め装置の開発、快適な乗り心地の実現のための騒音対策や振動対策、複数のエレベーターを効率的に制御する群管理技術の開発、巻き上げ機を冷やすための空調装置がエレベーターに初めて整備され、超高層オフィスビルのエレベーターの運用を可能にしました。エレベーター事業大手の日立も、(霞が関ビルディングが建設されたことによって)「日本では超高層ビルの時代が始まると同時に、エレベーターのスピード競争が始まった」と言及しており、霞が関ビルディングの建設がエレベーター事業の発展に多大なる影響を与えたことが伺えます。引用:日立評論「超高層大規模ビルに対応する エレベーターの研究開発 」

    2016年12月号

    霞が関ビルディング開発における立役者 故江戸秀雄(竣工時三井不動産社長)■巨額の建築費の調達霞が関ビルディング建設に要した163億円の資金調達は当時の経済不況の情勢上、困難を極めました。前代未聞のビッグプロジェクトが故に、一度は成立しかけた融資の約束も大蔵省の反対により破談となり、建設が危ぶまれる中、当時の三井不動産社長江戸秀雄に救援の手を差し伸べたのは、第一生命の村上兼次副社長でした。村上氏の協力の元、江戸は、日本生命、朝日生命、三井生命、東邦生命各社と共同、75億円の融資を取りまとめることに成功しました。

    ■オフィステナント誘致に奔走三井不動産は霞が関ビルディングの完工の一年前からテナントの誘致を開始しました。しかし、1階~3階のショッピング部分はすぐに成約となった一方で、オフィス部分については経済不況の中で、なかなか契約に結び付きませんでした。そこで、江戸自身がテナント獲得に乗り出し、国際電信電話株式会社(現KDDI)や全日空、シェル石油、その他も契約を取り付け、結果的に開館時には霞が関ビルディングの稼働率は70%にも上りました。霞が関ビルディングはその後も高い稼働率を保ち続け、過去5年は9割以上の稼働率を維持しており、直近では満室に近い稼働率を維持しています。

    「日刊建設通信」昭和43年4月18日

    2. 国家規模の超高層ビル 建設プロジェクトがスタート

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    霞が関ビルディングによって生まれた新しい考え方・試み「日本初の超高層ビル」としてのプライドのもとに、霞が関ビルディングは建設から今に至るまで、常にビルの模範となる新しい考え方や試みを実践してきました。

    ミクストユース(複合用途型)建物内に病院、郵便局などの公共施設が入り、ビル自体に街の機能を混在させる概念が、初めて取り入れられました。

    日本初のウインドウアート1972年、霞が関ビルディングの壁面にアポロ号の月面着陸を祝うウインドウアートが日本で初めて映し出されました。

    日本初の広場を備えたビル部外者でも敷地内に自由に入れる「公開空地」の考え方を初めて導入しました。

    2. 国家規模の超高層ビル 建設プロジェクトがスタート

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    “霞が関ビルディング現象”~官庁街、霞ヶ関が人気観光スポットに~3

    霞が関ビルディングは、行き先としてはもちろん、霞が関ビルディング建設をテーマにした映画の公開や、大きさを表す際のモノの単位として活用されるなど、日本に”霞が関ビルディング現象”を巻き起こしました。

    1日に2万1千人の来場者を記録した展望台霞が関ビルの最上階(36階)には、東京を一望できる展望台「展望回廊 パノラマ36」がオープン。見学料250円(現在の価値:850円)の展望台を登るために、列をなすお客様がビルのまわりを2周してさらに外まで伸び、多い日には1日に2万1千人の来場者を記録しました。また、霞が関ビルディングの低層フロアーは飲食店街になっており、手頃な値段で食事ができるとあって、大勢のお客様にお越しいただきました。このように、テナント収入以外の収益化を実現したことで、予想より早く黒字化することに成功しました。※消費者物価指数 99.9(平成28年)÷29.4(昭和43年)=3.4倍

    霞が関ビル○個分大きいものや、量が多いものを、約124万立方メートルある東京ドームを用いて、「東京ドーム○個分」と説明されることがありますが、東京ドームが誕生する以前は、約52万立方メートルある霞が関ビルを用いて、「霞が関ビル○個分」と説明されていました。

    霞が関ビル建設を テーマにした 映画が大ヒット霞が関ビルディングの建設を描いた映画「超高層のあけぼの」が1969年に公開。1969年度邦画興行ランキング2位を記録した他、文部省特選、科学技術庁推薦、優秀映画鑑賞会推薦など数々の賞を受賞しました。

    “日本一高い 場所での結婚式”開業当初、誰からも見通せる場所で正々堂々とした式をあげたいと思った一組の男女の想いが当時の三井不動産の社長を動かし、霞が関ビルディングの屋上で最初で最後となる結婚式が挙げられました。

    修学旅行の新定番1968年、霞が関ビルディングは修学旅行先としても大人気な行き先でした。

    宇宙人を呼ぶセミナー1976年、日本がUFOブームの頃、霞が関ビルディングにてUFOイベント「UFOフェスティバル '76」が開催され、冒頭のスピーチをSF作家の星新一が担当しました。

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    “経年優化”が続く霞ヶ関4 ビルではなく、人口1万人の“街”としての経年優化

    年月が経つにつれ、老い古びていく「経年劣化」が自然の摂理というものです。それに対して三井不動産グループは企業思想として、時が経つにつれ、魅力・価値の低下をおさえるだけでなく、より一層の向上を目指す「経年優化」という考え方を持っています。総床面積5万坪を超える広さの中に、7000人が働き、出入りで1万人を超える霞が関ビルの誕生は、霞ヶ関の地に一つの“街”を作ってきたといっても過言ではありません。霞が関ビルディングは現在に至るまで、「経年優化」をビルとして体現してだけではなく、その周辺の霞ヶ関エリアの「経年優化」も実現してきました。

    霞ヶ関三丁目地区の地域連携から生まれた国内最大級のPFI事例霞が関ビルディングが竣工したことにより、多くの方が霞ヶ関エリアを利用するようになりました。その中で、霞が関ビルディング前の広場では、屋外コンサートや、テナント対抗歌合戦、地方物産展、釣り堀などの多彩なイベントを催し、ビジネスマンのみならず多くの一般客に賑わいをもたらしてきました。2001年には霞ヶ関三丁目地区の官民の地権者等「霞が関三丁目南地区まちづくり協議会」が設立され、まちづくりの方向性について議論がなされ、「まちづくり提案書」が取りまとめられました。実際にこの提案書は、国が実施しているPFI手法を用いて、実現され、官民共同による超高層ビル、「霞が関コモンゲート」が誕生しています。そして霞ヶ関三丁目エリアは霞が関コモンゲートを中心に、霞が関ビルディングや東京倶楽部ビルディングと連携しながら、音楽会、文化セミナー、寄席といった「霞が関から文化力プロジェクト」をはじめ新しい街づくりについての様々な活動を行っています。

    霞ヶ関エリアの“経年優化”霞が関ビルディングの建設により霞ヶ関エリアはより多くの方々にご利用いただけるエリアへと変貌を遂げてきました。

    「霞の打ち水」プロジェクト

    第三次リニューアル

    霞ヶ関駅乗客者数推移

    日比谷線

    丸ノ内線

    千代田線

    1967 1968 1969 1970 1971

    13,00020,265

    9,914

    36,755 37,742 40,221 40,81147,467

    58,992 61,28762,986 64,467

    ・1968年、霞が関ビルディング建設により、 霞ヶ関駅の利用客数が約2倍に

    ・1971年、地下鉄千代田線大手町駅 - 霞ヶ関駅間開業

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    経年優化の思想を体現したビル5 時代のニーズを先取り ~50年間建て替えなかったワケ~

    通常ビルは一定の年数が経過すると、時代に合ったビルに新しく建て替えられてしまいます。しかし霞が関ビルディングは、50年経った今でも形を変えず、残り続けています。それは、時代のニーズを先読みし、リニューアルを通じて、常に最新の設備にアップデートすることで、テナントの皆様に愛され長年ご利用いただいているからにほかなりません。また、霞が関ビルディングは建築当時から、どんな時代にも対応できる設計が細部まで突き詰められており、設備関係のリニューアルのみで、最新設備のビルへと生まれ変わることができるのです。例えば、中央にエレベーターと廊下がある以外、柱が周辺部にしかないつくりは、フロア内を自由に移動できる回遊性が確保されているため、オフィスレイアウトのトレンドが変わっても柔軟に対応することができます。対面コミュニケーションが重視されるため、「空間を広く取りたい」という現代のニーズにはまさにこのつくりが最適といえます。 

    時代の働き方を捉えた霞が関ビルディングの変革~超高層ビルの大改修~

    総工費:約470億円

    第一次リニューアル:コンピューターの普及 (1989年6月~1994年10月)

    ワープロ、PC端末機の普及で業務処理が大幅に効率化。企業の導入が加速化する中で、オフィス自体も内部のOA(オフィス・オートメーション)化や空調・電源・給水等のシステム一新を図る決断を下した。

    日本の建築史上空前の規模のリニューアルはテナント数124社、およそ7000人にものぼる人々を巻きこみ、難航を極めることが予想されたが、敷地内に仮オフィスを作り、移転させることで、仕事環境を変化させることなくスムーズにリニューアル作業が行われた。

    OA化による100V系電源需要のために設置された地下2階特高電気室 OA化に伴う冷房能力の不足を補うために設置された新設ボイラー

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    第二次リニューアル:バブル崩壊による業務効率改革(1999年3月~2000年9月)

    バブル崩壊によって、企業は根本的な戦略の見直しを迫られる。ワーカーの労働効率が重視されるようになり、オフィスとしては個人の働きやすさやストレスの軽減が求められるように。第二次リニューアルでは、トイレなど共用部の改修、照明器具のHf化、光ファイバーの敷設、エレベータホールの意匠改装を図り、霞が関ビルディングはワーカー個人が働きやすい空間へと変貌を遂げた。

    第三次リニューアル:賑わいの創出と新しい働き方の対応(2006年8月~2009年3月)

    労働人口の減少に伴い、女性や高齢者にとっても働きやすい空間づくりが求められるように。そこで、当時としては最大規模のPFI事業による霞が関ビルディングと霞が関コモンゲートの一体性を重視した、官民一体の広場空間の創出が行われ、約13,000㎡の一体的都市広場が完成した。これによりワーカーにとっての寛ぎや賑わいの場が新設され、ワーカーが生産性向上のために自由にオンオフを切り替えることができるようにった。

    5. 経年優化の思想を体現したビル

    1968年 竣工時の2階ロビー

    第三次リニューアル前

    2001年 第二次リニューアル2階ロビー

    第三次リニューアル後

    霞が関ビルディングを今建設すると霞が関ビルディングの延床面積(坪)×建築費(坪単価)= 約426億円

    3回のリニューアルの総工費で もう一棟霞が関ビルディングが建設可能

    (※建築費については坪単価85万円で計算)参考:姫路城のリニューアル

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    最新の設備を搭載した霞が関ビルディング6霞が関ビルディングは、末永く使える普遍的な設計に加え、時代のニーズに合わせて、ビルに必要な機能をアップデートし、ビルとしての“経年優化”を果たしてきました。

    防災センターの魅せる化東日本大震災後、世間の防災への意識が急速に高まる中で、霞が関ビルディングは、閉ざされていた防災センターを開放しました。ビル管理の活動を積極的に「魅せる」ことで、ビルで働く方、訪れる方がその存在を意識できる“明るく安心できる空間”を実現。具体的には、防災関連の情報の可視化や、災害時に状況に応じて照明が変化するシステムを導入するなど、働く方が常に安心、信頼して働ける環境づくりを徹底しています。また、この取り組みは2015年度グッドデザイン賞を受賞しています。

    50周年ビルが備える最新のBCP対策霞が関ビルディングは2014年にBCP改良工事が完了しており、常に最新のBCP(事業継続計画)に対するテナント企業のみなさまのニーズに応え、非常時の対応や平常時の備えを強化しています。

    1.停電時の72時間電力供給を確保非常用発電機と燃料用オイルタンクを増設し、稼働可能時間を72時間に延長。

    2. 3日間のトイレ使用水の確保新たな井戸の掘削や貯水槽の増設(3棟とも対象)に加え、給水設備に対する非常用電源の確保を行うことにより、在館者100%相当の方が3日間トイレを使用することが可能。

    3.最高クラスの耐震性をもつエレベーター従来のエレベーターに比べて耐震性が高く、地震発生後も早期の運転再開が可能となる、最高ランクS09クラスを採用。

    霞が関ビルディングオイルタンク増設工事

    危機管理センターの様子

    帰宅困難者受入れ訓練の様子

    2014年BCP改良工事詳細

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    未来のオフィスビル環境を追求し続ける霞が関ビルディング7

    日本の新しい働き方の実現“ワークスタイリング”現在、企業にとって長時間労働の是正が課題となる中、効率的かつクリエイティブな仕事がこれまで以上に企業に求められています。その中で、多くの企業は、執務スペースを自社内に限ったこれまでの働き方に限界を感じており、コワーキングスペースやサテライトオフィスへのニーズが高まっています。この状況を打開すべく、三井不動産は、企業に属しながら働く人が自身のワークスタイルやライフステージに合った幅広い「働く場」を選択できるよう、セキュリティなどサービスの品質を高めたシェアオフィス「ワークスタイリング」を展開しています。霞が関ビルディングでもこの「ワークスタイリング」は活用でき、官公街の中心のスペースを活用できることや、法人向けに設定されている高いセキュリティが好評を得ています。霞が関ビルディングは三井不動産の企業思想「経年優化」のもと、50年経っても時代のニーズを確実に捉えてビルを常にアップデートし、今後もご利用いただく方に満足いただける最新の設備を備えたビルで有り続けます。三井不動産は、よりフレキシブルな働き方を促進するサービス「ワークスタイリングFLEX」を新たに提供していくことを2018年2月28日発表。「ワークスタイリングFLEX」は個室のサービスオフィスを提供するメニュー。利用期間は1日単位から選択でき、長期の利用も可能。スペースの大きさも、1席単位から大規模利用にも対応する。オフィスには24時間入退出が可能。現状決まっている対応拠点は、「八重洲」「東京ミッドタウン」「東京ミッドタウン日比谷」の3拠点で、「八重洲」「東京ミッドタウン」は4月より、「東京ミッドタウン日比谷」は秋のオープン予定。

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    データから見る霞が関ビルディングの影響力8 超高層ビル時代の幕開け

    超高層ビル建設に必要なノウハウが霞が関ビルディングで蓄積されたことをきっかけに、容積制や特定街区といった制度を運用して続々と超高層ビルが日本国内で誕生します。

    1,1001,0009008007006005004003002001000

    [棟]

    複合使途(その他)非住宅(その他)複合使途(事務所)事務所複合使途(共同住宅)共同住宅

    1964~1966

    1967~1971

    1972~1976

    1977~1981

    1982~1986

    1987~1991

    1992~1996

    1997~2001

    2002~2006

    2007~2011

    高層ビル(31階以上の着工棟数推移)

    出展:超高層建築物の供給実態と市場について - エレベータ研究所

    参考URL: http://www.blue-style.com/

    ● 日本における超高層ビルの数

    120~140メートル以上のビル 220棟140~160メートル以上のビル 169棟160~180メートル以上のビル 97棟180~200メートル以上のビル 43棟200メートル以上のビル 40棟

    ● 日本の主な超高層ビル

    300

    250

    200

    150

    100

    50

    0

    (m)

    平成26年

    大阪市

    あべのハルカス

    300 296

    ランドマークタワー

    りんくうゲートタワー

    大阪府咲洲庁舎 虎ノ門ヒルズ

    ミッドタウン・タワー

    ミッドランドスクエア 霞が関ビル

    横浜市 大阪市泉佐野市 大阪市 東京都 東京都 名古屋市 東京都

    平成5年 平成8年 平成7年 平成26年 平成19年 平成18年 昭和43年

    256 256 255 248 247

    147

    ※年は完成した年。高さは最高部。東京スカイツリーのような「塔」は含まない。

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    三井不動産の今後の主要プロジェクト一覧9

    東京ミッドタウン日比谷(2018年2月1日竣工)

    (仮称)OH-1計画

    八重洲二丁目北地区第一種市街地再開発事業

    日本橋二丁目地区第一種市街地再開発事業

    msb Tamachi(ムスブ田町)

    (仮称)豊洲二丁目駅前地区第一種市街地再開発事業 2-1街区

    日本橋室町三丁目地区第一種市街地再開発事業

  • 18

    MEMO

  • 19

    MEMO