長崎歴史文化博物館所蔵 中島広足関連書目解題 (一)...酔 拳曳塩 亀施...

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九州大学学術情報リポジトリ Kyushu University Institutional Repository 長崎歴史文化博物館所蔵 中島広足関連書目解題 (一) 吉良, 史明 九州大学大学院博士後期課程 https://doi.org/10.15017/15082 出版情報:文獻探究. 46, pp.57-68, 2008-03-31. 文献探究の会 バージョン: 権利関係:

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九州大学学術情報リポジトリKyushu University Institutional Repository

長崎歴史文化博物館所蔵 中島広足関連書目解題(一)

吉良, 史明九州大学大学院博士後期課程

https://doi.org/10.15017/15082

出版情報:文獻探究. 46, pp.57-68, 2008-03-31. 文献探究の会バージョン:権利関係:

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長崎歴史文化博物館所蔵 中島広足関連書目解題(一)

吉良史明

 近年、近世後期から末期の熊本、長崎、大阪を舞台として活躍した

    なかしまひろたり

国学者、中島広足(寛政四年〈一七九二〉生-文久四年〈一八六四〉

没)の基礎的研究には、著しい進展が見られる。例えば、中島家ゆか

りの村川家に伝わる資料は、熊本県立大学日本語日本文学科の諸氏の

手で悉皆調査され、川平敏文・鈴木元・徳岡涼・山崎健司・米谷隆史

編『村川家蔵中島広足資料目録』(熊本県立大学日本語日本文学科、

平成十六年)に紹介されている。さらに、現在国立国会図書館蔵の彌

富濱雄旧蔵資料は、上田由紀美編「国立国会図書館所蔵 弥富破摩雄

旧蔵書目録-中島広足自筆本・手沢本類の宝庫1」(『参考書誌研究』

第六四号、平成十八年三月)に報告され、広足研究で著名な彌重氏旧

蔵の広足関連資料が明らかにされた。そしてさらに、上野洋三・若木

太一・井上敏幸の三氏領導のもと鎮西大社諏訪神社所蔵の広足自筆稿

本、旧蔵書の類が悉皆調査され、若木太一・上野洋三・鈴木淳編『諏

訪文庫中島廣翠雲筆稿本展目録』(諏訪神社・諏訪の杜文学館、平成

十四年)として結実した。

 そもそも広足は、前掲「国立国会図書館所蔵 弥富破摩雄旧蔵書目

録-中島広足自筆本・手沢本類の宝庫1」に

天保以降の類題和歌集で常に歌数の高位を占めるなど、当時にあ

っては代表的な歌人・国学者の一人であった。とりわけ、長崎、

熊本の国学・和歌の発展に果たした役割は大きく、江戸後期から

幕末にかけての国学の全国的な広がりを考える上で欠かせない存

在である。

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と指摘されるように、加納諸平編『類題鰻磁土』を始めとして天保期

以降の類題和歌集に数多くの詠歌が入冒した歌人である。その歌人と

しての名声は、広足『荘園文集』(天保十年刊二巻二冊)一集末附載

の橘守部書簡に

さてく、橿園大人、学といひ、御風流と申し、不堪欽慕候。殊

更御歌之御手際御秀絶、当今、江戸にはヶ斗之人、壱人も無御坐

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と評されるごとくである。すなわち、近世後期歌壇史の実態を明らか

にする上で注目される人物といえ、叙上の自筆稿本、ならびに手沢本

の微細な書入れを辿ることから、今後さらなる研究のなされることが

期待される。

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      中島広足写真(浦勘太郎編『長崎県史料』〈明冶四五年〉より転載)

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 一方、長崎歴史文化博物館蔵の広足関係資料は、若木太一・大庭卓

也編『長崎県立長崎図書館蔵 善本・稀書展解説』(長崎大学環境科

学部研究科・長崎県立長崎図書館、平成十四年)に広足自筆稿本の類

か一部紹介されるものの、その全貌はいまた明らかにされていない。

同館所蔵の広足関連資料は点数こそ僅かではあるか、広足自筆稿本、

もとおりおおひら                           なカふみ

本居大平添削本、広足の知友てある青木扇島筆写本、広足書入れ本等

か収蔵されており、広足研究、ひいては近世後期国学研究の好資料と

いえる。そこて本稿は、同館所蔵の広足関連資料を調査し、ここに紹

介するものてある。

凡例

 本解題は、長崎歴史文化博物館所蔵の中島広足関連書目の解題て

あり、写本のみを記載した。なお、板本に関しては稿を改めて紹介

する。

 同館附載の整理番号にしたがって列挙した。

 記載は、書名、整理番号、書写年時、雛型、巻冊数、丁数、装丁、

奥書、識語の九項目を基礎晴報として、必要に応して若干の晴報を

記した。なお、広足自筆と判断されるものは、その旨を記した。

 書名は原則として外題を採った。外題か欠落、もしくは近現代に

補われたものに関しては、内題等によった。書名かないもの、また

近現代に補われたものについては、適当と判断する名を〔〕内に

記した。

 巻冊数は、一巻一冊のもの、あるいは不単巻のものは冊数のみを

記した。

 書写年時に関して、奥書・識語の類かない場合は私に大まかな書

写年時を記した。その際の判断基準は、近世初期(慶長~寛永)、

近世前期(正保~元禄)、近世中期(宝永~天明)、近世後期(寛政

~天保)、近世末期(弘化~慶応)、明電算、のことくてある。

 蔵書印は、広足およひ門人のもののみを採録した。

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唐人船梅ケ崎修理場碇泊図 三-六一-二

 掛雛一軸。紙本淡彩。広足筆。本紙縦三六・五×横五〇・五糎。表

紙に「唐人船梅ヶ崎修理場碇泊図 中島広足」と打付け書。落款、右

下隅に「懇懇(印)」。印はコ畳園」(朱文楕円印縦一・六×横○・八

糎)か。「蛭麿」コ量園」ともに広足の号。上方に「から船のはこぶた

からのたまの浦のさかえを千世とよぶ千鳥かな」の賛。絵は、右に唐

船、左に千鳥を配す。近世末期成立。

             

 『日本古典文学大辞典』中島広足の項(中西啓執筆)に「村田春海

と併称されているが、画をもよくし、雅致のある作風であった」と指

摘されるごとく、広足は画人としても名を馳せていたようであり、長

崎南画三筆の一人と称された木下鱗雲とも親交がある。

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観蓮記 一難ー四七

 広足自筆本。天保八年(一八三七)成立。巻子本(縦二九・九×横

六六九・九糎)一軸。題籏に「観蓮記」と墨書。冒頭に同じく「観総

記」と墨書。見返し(縦二九・九×横二六・四糎)は鼠色に銀砂子が

配される。料紙は金砂子散らし。奥書は「天保八年六月 中島広足し

るす」。

 本書は、巻頭に

六月十九日の夜、浦上がたの月をめで、つとめて、蓮の花見むと

人々ちぎりおきつれば、たそがれ時より、永章と㌻もに興善のも

とに物しつ。ほどもなく、長春・総懸・敦化来りて、いぬの時過

るほど、しほもみちぬといふに、まうけの舟にのりて漕いつ。

と記されるように、天保八年六月十九日夜、浦上へ月、ならびに蓮見

に出かけた折のもの。中島広足・青木懸章・高野興善・島谷長春・小

田充興・道幸敦化の六人に道すがら島谷春弘・田総総の二人を加え、

八人で遊行へ赴いた。いずれも長崎における広足の知友か。広足、近

藤光輔とともに崎陽国学の三雄と称された青木懸章のほかは伝未詳。

計六一首の和歌が記載される。

 本書は『叢書総目録』に本館所蔵の一本のみが記載される総総本で

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あるが、戦前刊行の彌難破摩雄・横山重校訂『中島纏足全集』に翻刻

が備わる。

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〔平春海歌論消息〕

一ニー五三

                     あきざね

 村田春海著。嘉永五年(一八五二)西田秋実写。大本(縦二六・三

×横一八・六糎)二巻二冊。墨付五三丁。表紙は後補の山吹色厚紙。

下巻表紙中央に「平春海歌論消息/平春海 寛政十一年/西田秋実写

本」とマジック書。下巻初丁表に「大平がかへりごとに又こたへたる

                  かもすえたか

書」とあり。装丁は袋綴。上巻末に賀茂季鷹の識語、ならびに「文政

                       

二年閏四月廿五日写干京師旅寓 中島藩臣」の本奥書。下巻末に「嘉

永五年子十一月欝欝日以中島欝欝いそぎうつしぬ/西田秋実」の書写

    

奥書。西田秋実は広足門人で、数多くの広足蔵書を筆写した人物。

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 本書は、本居大平編『八十浦之玉』(文政五年成立三巻六冊)の編

纂に際して、大平が江戸派の村田春海に協力を求めたところ、期せず

して書信上の論争となったものであり、江戸派と織屋社中が歌論議対

立していたことを物語る。

 文政二年(一八一九)閏四月、江戸派の流れを汲む広足は、大平に

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面会すべく鈴門の城戸千楯のもとを訪れた。その折に筆写したものが

本書の親本であり、翌文政三年(一八二〇)正月、広足は同書に倣っ

                         

て、本居宣長の歌論を批判した『後の歌がたり』を著した。

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二十七番歌合  一壷ー六七

 広足判。近世後期成立。大本(縦二七・二×横一九・並立)一冊。

墨付二八丁。表紙は白血の白色厚紙。表紙左肩題籏に「二十七番歌合

 判者中島広足翁」と墨書。元表紙中央に「二十七番歌合」と墨書。

装丁は袋綴。長崎ゆかりの歌人の歌合二十七番に対して、広足が一対

ごとに判詞を加えたもの。懸詞は広足自筆。

 歌人は、左、望古・常城・広端・重道・元修・佳秀・欝欝・久世・

信敏、右、元興・秋郷・恒徳・貞雄・長成・敦化・欝欝・総総・一清

の計十八人であり、広足門人が一堂に会した歌合といえる。

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東路紀行 一声ー七〇

 広足著、青木永章筆。近世後期写。大本(縦二五・六×横一九・二

糎)二巻一冊。墨付四一丁。表紙は後補の白茶色布目紋様。表紙左肩

題籏に「東路紀行 中島広足著/青木永章書」と墨書。冒頭に「東路

紀行」と朱書。奥書は「天保二年四月中島広足」。装丁は袋綴。初丁

表に「坂本/蔵書」(朱文長方印縦三・七×横二・六糎)、「青木/文

庫」(朱文方印縦三・六×横三・六糎)の印。本文同筆の朱書入れが

施されている。

 初丁表に

文政十まり三とせといふとしの九月廿五日、にはかに大江戸にゆ

くべき事ありて、あかつきふかく白川のいほりを出。あその嶺、

はるかに月さしのぼりて、川なみにほのめくけしき、またいっか

はかへりきて見るべきとおもふに、をさな子のしたひがほなるも

いとむねいたし。

 故郷をひとりだち出るありあけの月の光のこころぼそしや

とそいはれける。師のやまひをいかならむとのみ、おもひやりて

 わが旅のゆくへをおきてまさきくといのる心は神ぞしるらん

足であるが、出立に際していつまた熊本の地を踏むことができるかと

心細い胸の内を吐露している。

 なお、広足は千古の学統の養子であったが、辞して長崎に赴き諏訪

神社の歌会を主催するに至ったことが『国書人名辞典』(岩波書店、

平成八年)に指摘される。

筑紫紀行 一嘗ー七一

 広足著、青木永章筆。近世後期写。大本(縦二五・八×横一九・一

糎)一冊。後掲『金海山詣記』との合写本。墨付二十丁。表紙は後補

の白茶色布目紋様。表紙左肩題簸に「筑紫紀行 金海山詣記 中島広

足著/青木永窺書」と墨書。冒頭に「筑紫紀行」と朱書。奥書は「文

政十三年 中島広足」と墨書。装丁は袋綴。本文同筆の朱書入れが随

所に見られる。図五面あり。

 本書は、門人の木谷忠英、藤村光鎮を伴い、熊本から太宰府天満宮

に参詣した時の紀行である。筑紫君磐井の墓を始めとして、北部九州

に残る旧跡の数々を歴訪し、和学者広足らしく考察を巡らす。

金海山詣記 一世ー七一

一62一

と記されるように、上巻は文政十三年(一八三〇)九月に故郷熊本を

発ち、江戸へ上る折の旅の紀行。下巻は天保二年(一八三一)三月に

江戸を出発し、同年四月に熊本へ帰り着くまでのもの。

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 師、一柳千古(橘千蔭門人)を見舞うべく江戸に上る決心をした広

 広足著、青木永章筆。近世後期写。前掲『筑紫紀行』との合写本。

墨付九丁。冒頭に「金海山詣記」と朱書。奥書なし。装丁は袋綴。本

書は、西の高野山と言われる金海山大恩教寺釈迦院に参詣した折の紀

行である。

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参拾番歌合 一ニー八一

〔広足歌稿〕

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 広足判。嘉永四年(一八五一)成立。大本(縦二七・四×横一九・

八糎)一冊。墨付三二丁。表紙は後干の白色厚紙。表紙中央に「参拾

番歌合 中嶋広足翁判」と直に墨書。元表紙中央に「参拾番歌合 中

嶋広足世尊」と打付け書。背に「三十番歌合」とマジック書。装丁は

袋綴。末葉三二丁重に「嘉永四年夏」の日付、勝敗、歌人名が記載さ

れる。

 名を列ねた坂本秋郷・中島広行・森田速雄・島重道・遵奉恒徳・高

田無帽は、いずれも広足門人であり、青木本章・近藤光輔没後の長崎

歌壇の一翼を担った人物である。

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 広足自筆歌稿。文政十二年(一八二九)頃成立か。大本(縦二七・

三×横二一・二糎)一冊。墨付十五丁。表紙は後言の白色厚紙。表紙

左肩に「広足歌稿」と直に墨書。装丁は袋綴。十五丁裏に本居大平の

手になる附箋一枚あり。朱・墨の書入れが見られる。朱筆は広足の手

になるものが概ねであるが、他筆と思しきものも垣間見られる。墨筆

は広足、大平、各々の手になる。本草稿は春・夏・秋・冬・恋・雑・

長歌の部立からなり、計八九首が収載される。

 初丁嬉嬉に「今日飛脚立候皇朝の内永章よりしらせ来り俄に潮位候

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消)俄なること故旅中在合の鹿紙に相認候段御免可被下候」と広足の

朱書入れがあり、編上、傍に大平の縷言・添削が記されていることか

ら、懸章を介して大平のもとに送られたことが明らかである。また、

諏訪神社所蔵の広足『文業』(文政十二年成立 一冊)末葉三九丁裏に

は「文政十二年十一月七日の夜までに時々とり出て見終りぬ」と大平

の書入れがあり、広足は文政十二年頃大平に難文の添削を請うていた

ことが指摘される。おそらく本歌稿もまた、同年頃大平に呈した稿本

の一つであろう。

                          

 難中正行「長崎の国学  中島広足を中心に  」を始めとする種

々の先行研究は、文政五年(一八二二)の長崎来訪以後、広足の歌風

が変容したか否かを検討してきたが、長崎時代の歌風を検討する手が

かりとなる大平の書入れが、本書十丁裏に次のように施されている。

一63一

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恋の歌をかやうによむことは、古今以後、新古今までにはなきこ

と也。契沖・長流の風体にもあらず、後柏原・迫遙院殿の風調に

もあらず、寛政・文政の風にもわれいまだきかず、こたびはじめ

て也。狂歌の糟粕と云にてもなし。まつ、題が清国の詩などに云

さま也。さて  、めづらしきことをも見聞くものかな。

同書入れは「夢中握見手といふことを」と題した「たつさはりのぼる

と織しはっくばねのかゴひかひなきゆめちなりけり」の歌に加えられ

たものであり、大平は同歌を古歌の風調にないもの、いわば新風と評

したことが看取されよう。

 一方、巻末の「詠紅毛舶入貢歌一首井短歌」は「此貢物長歌はよく

と』のひそなはりてことに実を懸詞もおもしろく、感賞かぎりなく候早

々御清書御贈り可被下灘」と大平の絶賛するところとなり、広足『橿

園長歌集』(天保十一年欝欝一冊)に収載された。また、第二繋目「雪

消しとほやま㌻ゆのあさみどり日をへてふかくかすむ春かな」を始め

とする短歌数十首が広足『橿園集』(天保十年刊三巻三冊)に収載さ

れている。

貢鞠評.

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草稿 一三ー九一-二  (所蔵者整理名-広足草稿)

文詞 一三ー九一-三  (所蔵者整理名-広足文詞)

 広足自筆歌稿。文政十二年頃成立か。大本(縦二六・九×横一九・

二曹)一冊。墨付九丁。表紙は後補の白色厚紙。表紙左肩に「広足草

稿」と打付け書。元表紙中央に「草稿 上」と広足の手になる墨書。

二丁表右下に「広足上」と墨書。装丁は袋綴。朱・墨筆で種々の書

入れがある。朱筆は広足、墨筆は広足・本居大平双方の手になる。短

歌、長歌計六八首が収載される。本書もまた前掲〔広足歌稿〕と同じ

く、文政十二年頃、大平に添削を請うた歌稿の一つと思しい。

なお、巻頭歌「もえわたる小草のみどりはるぐとかすめる野べに

駒あさるなり」を始めとして、本書収載歌の一部は『橿園集』の草稿

にあたり、また「詠豊後国二浜之小石歌一首井短歌」他長歌数首も若

干の推敲を経て『橿園長歌集』に収載されている。

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 広足自筆稿本。文政十二年頃成立か。大本(縦二四・四×横一七・

一曹)一冊。墨付四丁。表紙は後補の白色厚紙。表紙左肩に「広足文

詞」と直に墨書。内題は広足の手で「文詞」と墨書。さらに、内題右

下に「広足上」と墨書。装丁は袋綴。朱・墨筆で種々の書入れがあ

る。朱筆は広足の手になる推敲、また本居大平への質疑であり、墨筆

は大平の手になる批言、質疑への返答。本草稿もまた文政十二年頃の

成立か。「閑中春雨」「早苗」「初雁をきく」、以上三編の和文を所収。

末葉四丁裏には「早苗初雁二章は清書申也おくり給へ 大平」の墨書

が見られる。

 右の書入れのごとく大平の一定の評価を得た本草稿は、近藤光輔宛

本居大平書簡の「此節はじめてひろたり子の文章見申候さて  よく

か㌻れ候事感心いたし候だん  後世は英才の人出くる事に御座候」

の文言とともに、板本『橿園文集』に収載された。

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橿園随筆 一興ー九一-四(所蔵者整理名-橿園随筆稿本)

〔十五番歌合〕 渡辺文庫へ一ニー四五(所蔵者整理名-歌合)

 広足自筆稿本。近世末期成立。大本(縦二六・八×横一九・喜泣)

一冊。墨付八丁。後補の白色厚紙表紙左肩に「薬園随筆稿本」と直に

墨書。内題は広足の手で「習事随筆 上巻」と墨書。装丁は袋綴。広

足筆の朱・墨書入れが見られる。「水制鳥」「百千鳥」「喚子鳥」「稲

負鳥」について、考証を加えたもの。四丁表欄上には「子九月十一日

上巻初より四丁板下書て送る」と朱書入れがあり、板本『橿園随筆』

(嘉永七年刊二巻二冊)成立の過程が垣間見られる。

 文化十二年(一八一五)十一月、若年の広足は『古今集三鳥三木弁

草稿』(国会図書館蔵写本一冊)を著して、堂上歌学の秘事とされる

三木三鳥の伝授を批判しており、本草稿は同書をもとに晩年の頃認め

られたものである。

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 広足自筆本。近世末期成立。大本(縦二六・○×横一九・四百)一

冊。墨付十五丁半。表紙は追補の白色唐草紋様。表紙左肩題簸に「歌

合」と墨書。扉左肩に「判者 広足」と墨書。装丁は袋綴。拙誠、書

聖による歌合十五番に広足が判取を書き加えたもの。拙誠は安政頃、

肥前島原楽士寺の住職を務める傍ら、広足に落文の教えを請うた人物

である。燈籠に関しては未詳。

〔樺島重量記〕 三宅文庫一二ニー五七

 広足著、青木永々筆。近世後期写。大本(縦二六・七×横一九・○

糎)二巻一冊。墨付二五丁。表紙は後補の白色厚紙。表紙左肩事事に

「椛藤浪風記 中島広足著/青木永漢書」と墨書。一丁表に「椛島難

風記」と朱書入れ。装丁は袋綴。奥書は上巻「文政十一年八月 中島

広足」、下巻「文政十一年九月」。欄上、傍らに本文同筆の朱・墨書入

れが施される。

 本書は、文政十一年(一八二八)八月、長崎から故郷熊本へ帰帆す

る道すがら台風に遭い漂流した模様を描いた上巻、台風後の長崎の様

子を主として書き綴った下巻からなる。

 なお、広足稿本の転写本が東京大学国文学研究室本居文庫に蔵され

ているが、同書は本居大平筆写、手沢本と目される。あるいは、前掲

〔広足歌稿〕と同じく、欝欝を介して届けられた稿本を筆写したもの

か。

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花のしたぶし 三宅文庫一二ニー七七

       あきさと

 広足著、坂本秋霧筆。近世末期写。大本(縦二五・三×横一八・三

糎)一冊。墨付十四丁。後補の白色厚紙表紙中央に「橿懲懲/花のし

たぶし」と直に墨書。元表紙中央に「橿園翁/花のしたぶし」と欝欝

の手になる墨書。装丁は袋綴。「安政二年二月橿園」の奥書。元表紙

と一丁表に「坂本/蔵書」(朱総長総懸縦三・七×横二・六糎)の印

があり、広足門人の坂本秋郷旧蔵である。

 本書は、その冒頭に

謙譲の高来郡島原なる北串山村の村長松藤成保は、はやくよりお

のれにしたがひて、ふるごとまなびすなるを、其家より谷ひとつ

へだて㌻、南に憾むかへる山を赤嶺といへり。其一山さくらのみ

生だてるは、ことさらにうゑおほしたるにもあらず (中略)さ□

(虫損)は、秋のころなど、二たび、三たびとひゆきて、温泉山

にもうちつれのぼりし事などはありしかど、あやにくに此花見に

とはいまだものせざりしかば、つねにうらみおこすめるもことわ

りにて、ことしはしひておもひたちぬ。

と記されるように、門人の松藤成保に招かれて現在の長崎県雲仙市小

浜町へと花見に出かけた折の紀行である。

 本書と同名の広足『花のしたぶし』(安政四年序詩五冊)が国会図

書館に蔵されているが、同書は安政四年(一八五七)に京都の嵐山、

奈良の吉野へ花見に出かけた折の著述であり、本書とは異なる。

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橿玉案七十賀之歌 古賀文庫シ一儲ー七二

 近世末期写。大本(縦二六・九×横一九・七糎)一冊。表紙は後補

の白色厚紙。表紙中央題籏に「橿暗躍七十賀之歌」と墨書。元表紙中

央に同じく「橿園翁七十賀之歌」と題す。墨付十一丁。装丁は袋綴。

短歌七三首、長歌三首を収載。学統の養子である中島広行を始めとし

て、門人、知友が広足の七十の賀を言祝いだもの。

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田翁書簡 古賀文庫シ一七-三三(所蔵者整理名-書簡)

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 近世末期写。唐坊長秋宛田翁書簡(切継紙一枚縦一六・二×横六

七・六糎)、田翁書簡(切紙一枚縦一五・八×横一七・八糎)、広足

著述書目(切継紙一枚縦一五・八×横五七・四糎)の三盆。「対馬国

府/唐坊長秋様 肥前長崎/中島田翁」と宛名書きした封筒(縦一八

・五×横四・六糎)あり。「田翁」は広足の号。

 本書簡は長崎の郷土史研究家、古賀十二郎の旧蔵であり、現在、表

に「中島広足書憤 安政三年十二月五日附/長崎之国学者、号零丁、

田翁等」と墨書した封筒(縦二一・八×馬歯・四糎)に収められる。

橿園大人判 二十四番歌合 福田文庫テーニー八二

 広足判、中村大蔭筆。近世末期写。大本(縦二七・○×横一九・七

糎)一冊。共紙表紙中央に「三園大人判/二十四番歌合 冬一巻十三

/春一巻十四」と墨書。さらに表紙左下に「大垣写」と墨書。墨付二

四丁。装丁は袋綴。表紙見返しに歌人名、勝敗が記載される。大蔭、

守善、幸穂、足海による冬、春各々二十四番の歌合に広足が判者を加

えたもの。広足門人である中村大蔭のほかは伝未詳。

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9

七編十四冊。初編文政十一・二宮天保四・三編同区・四編七十二・五編弘化

二・六編嘉永四・七編同罪年刊。

以下引用文に関しては、私に句読点、濁点、読み仮名を付した。

現在同母所蔵の広足関連資料の概ねは、長崎県立長崎図書館郷土急告蔵であ

る。岩

波書店、昭和五八年忌

大岡山書店、昭和八年。

文化十二年(一八一五)頃から文政末年にかけての広足の名。

西田秋実が筆写し、同じく「文政二年閏四月廿五日写干京師旅寓 中島春臣」

の奥書をもつ『大平歌論消息』(近世末期写 一冊)が長崎図書館資料課に蔵

される。

国会図書館所蔵、文政三年正月成立、写本一冊。なお、広足歌論の変容に関

しては、拙稿「広足と宣長   『後の歌がたり』に見られる宣長批判の内実

  」(『近世文藝』八一号、平成十七年一月)を参照されたい。

『日本文学論究』三四号、昭和四九年十一月。

【参考文献】前掲『長崎県立長崎図書館蔵 善本・稀書展解説』

〔附記〕

げます。

貴重な資料の掲載を許可された長崎歴史文化博物館に記して御礼申し上

(きら ふみあき・本学大学院博士後期課程)

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