Cysticercus cellulosae hominisの1症例

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764 金沢大学十全医学会雑誌 :第72巻 第3号 764-768 (1966) Cysticercus cellulosae hominis 金沢大学医学部第二外科学教室(主任 熊埜御堂進教授) (昭和40年4月1日受付) 本論文の要旨は1956年7月,第83回北陸外科丁寧会にて発表した. 患者=35歳,δ,工員. 主訴:上半身皮下の多数の腫瘤形成 家族歴:特記すべきものなし. 既往歴:21歳,左滲出性肋膜炎 現病歴:昭和27年,中華民国河北に滞在中生の豚肉 を食し,県下条虫症に罹患し,北京大学において治療 を受く. 昭和28年1~2月頃より,上半身皮下に次々と小結 節を生じ,次第に増加し,増大せり.同年夏頃より, 時に左咬筋並びに左上肢に痙肇を見たることあり.昭 和29年1,月20日,突然一過性発語障凝を認めたり.同 月23日,当科外来を訪う. 現症:身長中等,体格・栄養共に良好,顔貌正常, 皮膚に貧血・黄疸・浮腫・チアノーゼ・初診を認め ず.笹葺結膜に貧血なし.眼球運動正常,瞳孔左右同 大,遮光反射正常.舌は清潔にして口腔内に腫瘤を認 めず.心臓大きさ正常,心音純,脈搏72,整調,緊張 良.肺は打聴診上異常なし.肝腫大せず,脾・腎を触 れず.体温36.60C.淋巴腺の特に腫大せるものなし. 軽度の言語脳凝あり.即ち運動性失語症の軽症なるも のなり.知覚異常,運動障凝を認めず.四肢・腹壁の 反射運動正常にして病的反射なし. 腫瘤は右上眼軍部1個,右肩月限部2個,右背部2個, 左背部1個,計6個あり.皮下または皮内にありて碗 豆大ないし小指頭大,球形または楕円球形,軟骨様硬 度を有し,周囲組織と癒着せず,圧痛を認めず. 尿は淡黄色,透明,比重1012,弱酸性,蛋白・糖・ ウロビリノーゲン・インディカンを証明せず.尿は黄 褐色,有形便にして消化良,粘液・膿・血液を見ず, 潜血反応陽性,虫卵または条虫体節を証明せず. 血液所見:赤血球数470×104,血色素75%(Sabli), 血色素係数0.80,白血球数7500,白血球百分率,中性 嗜好球63%(内桿状核5%,分葉核58%),酸性嗜好 球6%,塩基性嗜好球0%,淋巴腺29%,単核球2 %. 病理学的所見:1.月23日,0.05%ヌペルカインによ る局所麻酔の下に右背部の腫瘤の試験的切除術を施行 す.腫瘤は1.5×1,0×0.9cm,灰白色,平滑にして周 らロ 囲組織と癒着せず.内に無色透明の液体充満し,切割 せるに内側壁中央に半米粒大,白色のやや隆起せる部 あり.組織学的に腫瘤壁は内外2層よりなり,外層は エオジンに好染し,細胞核多く,血管を有し,小円形 細胞浸潤を認む.内層は粗籟にして細胞核に乏しく, 血管を欠き,結締織繊維よりなれり.内層の内部に頭 球を認め,腸生壁の如き突起を出し,体腔をなす. 有中条虫卵は尿と共に人体外に出で,主として豚 草に猪・鹿・羊・犬・猫・鼠・熊・掌中の哺乳動物に 食物と共に摂取せられ,これら動物を中間宿主として 嚢胞虫となり,この嚢胞虫の人体に寄生せるものを Cysticercus cellulosae hominisと称 鈎条虫嚢虫症,有鈎嚢虫症,嚢虫症,嚢尾虫症,蜂案 織嚢尾虫症,小胞状嚢虫症,胞虫症,結締織留虫症, Cysticercose, Finnenkrakheit等という れらの語に人体という語を附す. 本症は1558年Rumlerにより始めて一町瘤患者 の硬脳膜に発見せらる.1786年Wernerは入体に おける本症の豚におけるそれと同一なることを証明せ り.1843年以来皮下嚢胞虫症の臨月報告あり.1855年 K働henmeisterは嚢胞虫の有心条虫卵なるを動物実 験により証明せり.本邦にては1909年福島はじめて本 症を報告す. 本疾患は欧州殊にドイツにて多数の報告あり.イギ リス・フランス・イタリーにおいても前世紀末まで多 く見られしも,個人衛生の進歩並びに国家的衛生設備 の完備により減少せり.東洋にても満洲,北支に常時 本疾患存在す. ACase of Cysticercus Cellulosae Hominis. Shunsu:ke Surgery(皿)(Director:Prof. S. Kumanomido), School of Ulliversity.

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764 金沢大学十全医学会雑誌 :第72巻 第3号 764-768 (1966)

Cysticercus cellulosae hominisの1症例

金沢大学医学部第二外科学教室(主任 熊埜御堂進教授)

     染  村  舜  輔

       (昭和40年4月1日受付)

本論文の要旨は1956年7月,第83回北陸外科丁寧会にて発表した.

        症     例

 患者=35歳,δ,工員.

 主訴:上半身皮下の多数の腫瘤形成

 家族歴:特記すべきものなし.

 既往歴:21歳,左滲出性肋膜炎

 現病歴:昭和27年,中華民国河北に滞在中生の豚肉

を食し,県下条虫症に罹患し,北京大学において治療

を受く.

 昭和28年1~2月頃より,上半身皮下に次々と小結

節を生じ,次第に増加し,増大せり.同年夏頃より,

時に左咬筋並びに左上肢に痙肇を見たることあり.昭

和29年1,月20日,突然一過性発語障凝を認めたり.同

月23日,当科外来を訪う.

 現症:身長中等,体格・栄養共に良好,顔貌正常,

皮膚に貧血・黄疸・浮腫・チアノーゼ・初診を認め

ず.笹葺結膜に貧血なし.眼球運動正常,瞳孔左右同

大,遮光反射正常.舌は清潔にして口腔内に腫瘤を認

めず.心臓大きさ正常,心音純,脈搏72,整調,緊張

良.肺は打聴診上異常なし.肝腫大せず,脾・腎を触

れず.体温36.60C.淋巴腺の特に腫大せるものなし.

軽度の言語脳凝あり.即ち運動性失語症の軽症なるも

のなり.知覚異常,運動障凝を認めず.四肢・腹壁の

反射運動正常にして病的反射なし.

 腫瘤は右上眼軍部1個,右肩月限部2個,右背部2個,

左背部1個,計6個あり.皮下または皮内にありて碗

豆大ないし小指頭大,球形または楕円球形,軟骨様硬

度を有し,周囲組織と癒着せず,圧痛を認めず.

 尿は淡黄色,透明,比重1012,弱酸性,蛋白・糖・

ウロビリノーゲン・インディカンを証明せず.尿は黄

褐色,有形便にして消化良,粘液・膿・血液を見ず,

潜血反応陽性,虫卵または条虫体節を証明せず.

 血液所見:赤血球数470×104,血色素75%(Sabli),

血色素係数0.80,白血球数7500,白血球百分率,中性

嗜好球63%(内桿状核5%,分葉核58%),酸性嗜好

球6%,塩基性嗜好球0%,淋巴腺29%,単核球2%.

 病理学的所見:1.月23日,0.05%ヌペルカインによ                     コ のる局所麻酔の下に右背部の腫瘤の試験的切除術を施行

す.腫瘤は1.5×1,0×0.9cm,灰白色,平滑にして周                       らロ囲組織と癒着せず.内に無色透明の液体充満し,切割                     ゆせるに内側壁中央に半米粒大,白色のやや隆起せる部

あり.組織学的に腫瘤壁は内外2層よりなり,外層は

エオジンに好染し,細胞核多く,血管を有し,小円形

細胞浸潤を認む.内層は粗籟にして細胞核に乏しく,

血管を欠き,結締織繊維よりなれり.内層の内部に頭

球を認め,腸生壁の如き突起を出し,体腔をなす.

        考     察

 有中条虫卵は尿と共に人体外に出で,主として豚

草に猪・鹿・羊・犬・猫・鼠・熊・掌中の哺乳動物に

食物と共に摂取せられ,これら動物を中間宿主として

                      ゆ嚢胞虫となり,この嚢胞虫の人体に寄生せるものを

Cysticercus cellulosae hominisと称し,本症を有

鈎条虫嚢虫症,有鈎嚢虫症,嚢虫症,嚢尾虫症,蜂案

織嚢尾虫症,小胞状嚢虫症,胞虫症,結締織留虫症,

Cysticercose, Finnenkrakheit等という.或いはこ

れらの語に人体という語を附す.

 本症は1558年Rumlerにより始めて一町瘤患者

の硬脳膜に発見せらる.1786年Wernerは入体に

おける本症の豚におけるそれと同一なることを証明せ

り.1843年以来皮下嚢胞虫症の臨月報告あり.1855年

K働henmeisterは嚢胞虫の有心条虫卵なるを動物実

験により証明せり.本邦にては1909年福島はじめて本

症を報告す.

 本疾患は欧州殊にドイツにて多数の報告あり.イギ

リス・フランス・イタリーにおいても前世紀末まで多

く見られしも,個人衛生の進歩並びに国家的衛生設備

の完備により減少せり.東洋にても満洲,北支に常時

本疾患存在す.

 ACase of Cysticercus Cellulosae Hominis. Shunsu:ke Somemura, Department of

Surgery(皿)(Director:Prof. S. Kumanomido), School of Medicine, Kanazawa

Ulliversity.

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Cysticercus cellulosaehominis 765

 本邦にては比較的稀なり.本邦症例の感染地の多く

は満洲にして,その他支那・朝鮮・台湾・沖縄等にて

感染せるものあり.

 20歳ないし40歳に多し.男子は女子に比して多く,

約2倍なり.

 Cysticercus cellulosaeの発生は有罰条虫卵の胃

に到達し,中の六鈎幼虫遊離し,胃腸壁を穿通し,血

行または淋巴行より全身に拡がるとなす.或いは筋を

伝わりて拡がるとなす説あり.しかして胃に虫卵の到

達するに次の2法あり.一は虫卵に汚染せる飲食物を

摂取せる場合,他は本症患者の自己の排泄せる虫卵を

嚥下せるか或いは腸内の虫卵または体節の胃内に逆流

せる場合なり.一般には第2の自家感染は少なしとせ

らる.

 発生部位:脳・皮下・筋肉に多く,,眼球・心筋・舌

・横隔膜・乳房・肺・肝・脾・膵・腎・肋膜・腸壁・

腸間膜・大血管等にきたり,稀に骨・関節に発生す.

一般に上半身に多し.左右相対的に存在する傾向あ

り.四肢にては屈側に多く,下肢に少し.脈管の排列

と一致するあり.或いは一致せざるものなりという.

 症状:皮下・筋肉内にては多.くは自覚症を欠き,或

いは神経を圧して知覚異常・神経痛・運動平町・倦怠

感・疲労感あり.腫瘤は米粒大・大豆大・碗豆大,時

に胡桃大・肝腎大に達す.球形・卵形にして軟骨様硬

度を有し,皮膚は隆起せるも表面正常,境界明瞭,表

面平滑,皮膚と癒着せず.下部組織と多少癒着せるこ

と多し.筋組織内にては筋繊維の走行と一致し多少長

楕円形を呈す.普通圧痛を認めず,時に炎症症状を示

すことあり.

 脳内にては軟脳膜・硬脳膜・蜘蛛膜.脈絡叢・大脳

皮質・髄質・脳室・導水管・線状体・四畳体・松果体

・脳橋・小脳・嗅三角部・延髄等に発生し,特に脳室

に多し.癒瘤発作を起すこと多く,1回ないし数十回

忌発作あり.多くは皮質性癩瘤なり.脳室内に浮游せ

るもの急に導水管閉塞を起し,突然死亡するものあ

り.第4脳室内にありては脳圧昂進症状,Bruns症状

を示す.脳底部にありてはCysticercus racemosus

とし,葡萄状に集団となり軟脳膜の間に生じ,脳水腫

・慢性軟脳膜炎を惹起す.

 脊髄性症状とし,腱反射消失・尿尿失禁・感覚異常

あり.

 眼症状としては,脳内寄生または眼窩内寄生により

諺血乳頭・眼球突出・視力障擬・乳頭萎縮・瞳孔変化

・対光反射減弱等あり.また三三皮下・結膜下層・前

房内に現わるることあり.

 診断:皮下・筋肉内の多数の腫瘤と癒滴発作により

                  ゑ       ノロ診断せらる.Weinberg氏反応あり.即ち嚢液を本

疾患患者の皮内に注射せば局所の発赤・腫脹を見る.

また嚢液を抗原とし,患者血清を抗体とする補体結合

反応陽性なりという.尿中の虫卵及び体節の証明は診

断の一助たり.脳脊髄液・血液の酸性嗜好球の増加あ

り.嚢尾虫の組織学的証明最も確実なり.

 鑑別診断:皮下・筋肉内の腫瘤と鑑別すべき疾患

に,結締性徽毒疹・多発性毛嚢嚢腫・粉瘤・単純性肉

腫・軟性繊維腫・Recklinghausen氏病・肪肪腫・類

癌等あり.

 予後:寄生部位に達したる幼虫は2r)4カ月にて嚢

虫となり,皮下・筋肉内にては3~6年,脳内にては

10~20年の生命を保つ.何ら障擬のなきものあり,数

十回の癒瘤発作のため死亡するものあり.

 治療:腸内に有鈎条虫棲息せば綿馬エキス・チモー

ル等にて駆虫を行なう.嚢尾虫の下野,嚢液排除また

は平内に酒精・沃度丁幾・昇乖水・アクリヂン色素を注

入す.或いは陰極を嚢胞内に刺し電気分解を施行す.

全身療法として,サリチル酸ソーダ剤・カルシウム剤

・沃度加里内服,スチブナール・エメチン・ヤトレン

・アンチモン・サルバルサン注射を行なう.カルシウ

ム剤と副甲状腺剤,またはカルシウム剤とビ山口ンD

の併用法あり.脳圧昂進症状には脳脊髄液の排除有効

なり,

 本症例は35歳,男子に発生せるものにして本疾患の

好発年齢に相当す.

 本症例における感染地は中国河北にして,同地にて

生の豚肉を食し,有鈎条虫症に罹患せり.

 本症例は有明条虫症に罹患後1年にしてCysticer-

cus発生せり.その発生は帰国後にして自家感染にホ

らずんば感染源を求めえず,本症例は自家感染により

発生せるものならむ.

 発生部位は上半身皮下に多数相対性にあり.しかし

て失語症並びに咬筋,上肢の痙蛮あるにより,脳内に

もあるものと思わる.これらは何れも本疾患の好発部

位なり.

 本症例は皮下の瘤腫に自覚症なし.しかして左咬筋

・左上肢の野蛮並びに運動性失語症を有したり.

 白血球百分率にて軽度の酸性嗜好球の増加を認あた

り.

 試験岡岬術により病理組織学的に回附幼虫を証明せ

り.

結 語

35歳の男子,中華民国河北において生の豚肉を食

し,有物条虫症に罹患,1年後より上半身皮下に次々

Page 3: Cysticercus cellulosae hominisの1症例

7働 染 村

と小腫瘤を生じ,左咬筋,左上肢の径寧並びに軽度の

運動悔朱語痙を発レ,試験別出術により病理組織学的

にqystlOerc馨Cβ11u1Qsaeと診断赦られたる1例を

報告せり.

       参考文麟、

1> 石橋・・宮尾 = タト科, 6ち 1195 (1942).     2)

板倉2臨脈の皮膚泌尿と其領域,7,2軍(1942).

3)今共:十全医会誌,50,$25(1947)、

4)筆貸:博愛医学靴3,$1(1弱0).

5)長門・中根・池見・内田: 日消会誌,42475

(1943>・  6>名瀞母噂石浦:診と療,ao,443

(1943).  7)福島:東京医事新誌,璃(㍉15賂・,

71a (1908>.    8) 堀内勉広1松;}  日17肖1会言志乳 4a・

709 (1943),.

                   Abstract

 Ar3与year-01d man having suffered from Cysticercus cellulosae homi血is was

repdrted with disculs合ion.

Page 4: Cysticercus cellulosae hominisの1症例

767Cysticercus cellulosaehominis

第1図摘出標本

補講

  第2図頭球の部位 (×15)

聾三三簸

オ・藻嚢轟窯灘灘

Page 5: Cysticercus cellulosae hominisの1症例

村染

(×7)虫胞嚢第3図

(x30)閣議月嚢第4図

難欝

欝、灘審

       難翻薄舞

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