Post on 10-Aug-2020
展覧会
マリー・アントワネット
イメージのメタモルフォーゼ
2019 年 10 月 16 日~2020 年 1 月 26 日
展覧会所
ラ・コンシェルジュリー、
コミッショナー
アントワーヌ・ド・
ベック
ウェブサイト
http://www.paris-conciergerie.fr/en/
マリー・アントワネットの肖像、オールトリブ城、フランス、©P.BERTHE-CMN
まえがき
存命中から現在に至るまで、マリー・アントワネットのイメージは拡大していきまし
た。それはまるで、各時代、各グループの人々が、裏切り者の異国人から殉教
者として、若きヒロインから偏屈な母親として、知的な女性からファッションのアイ
コンとして「彼ら」の女王のイメージを創り上げようとしたかのようです。彼女はまた、
日本からアメリカ、イギリス、イタリアでも人気が高く、各国がそれぞれの視点か
らマリー=アントワネットを創り上げたのです。当時のフランスでは時流からはず
れ、理解者の少なかった彼女ですが、死後、主に数年前から空想の世界では
彼女のイメージが溢れかえっています。マリー・アントワネットは歴史上の人物とし
て、書籍や伝記、映画で最も多く語られ、コンテンポラリーアーティストによって最
も多く表現され、家具または鏡、人形、漫画、小説、広告、ビデオゲームの中に
最も多く利用されています。
なぜ、ここまでにイメージが広まったのでしょう?この女王の運命が、現在でも多く
のファンタズムを生み出す理由とは?それは、虐げられ、不幸な運命を背負わ
された女性の象徴だからに他ありません。望みが全て叶うヨーロッパ最上位の階
級に生まれながらも、独立した人生を過ごし、悲劇の運命をたどる政治的役割
を与えられ、歴史の渦中に投げ込まれたマリー・アントワネットは、人々の心の
琴線を大きく揺るがすのです。これは女王に2つの顔を与えています。現代で
同情を誘う「可哀相なお金持ちの少女」としての顔、それと同時に、世間に相
反する価値観を構築する「有名人」つまり、ペルソナとしての顔です。当展覧会
では、歴史的観点からだけでなく、世界中におけるマリー・アントワネットとキッチ
ュな復活版の彼女の過剰なメディア化の比較や評論を通して、彼女を紹介、
そしてその理解に努めます。
ラ・コンシェルジュリー
ここでは、「死刑囚の牢」で過ごす一方で、革命裁判所にて彼女の裁判が行われた、女王にとって最も激
動の時期に当る、彼女の生涯最後の10週間を紹介します。看守の見張り、わずかの訪問者、他の囚人の
存在など、死を受け入る覚悟を胸に人生最後の時を過ごした牢のあるラ・コンシェルジュリーは、マリー・アント
ワネットにとって特別な意味を持つ場所です。
当展覧会では、彼女の死から数か月または数年後に制作された様々な肖像画や版画、絵画を通し、これ
らの異なる時期を紹介します。しかし同時にラ・コンシェルジュリーは、記憶の場所でもあります。マリー・アント
ワネットのここでの生活を説明し、その記憶を後世に残すため、その時の方針や学習する歴史の内容に応じ
て、つい最近まで継続的に改装が行われていました。シャツや靴、ベルト、裁判や刑執行に関する資料など、
数々の記念品が、当時の様子を証言しています。
歴史
マリー・アントワネットの人生は死後に、復古王政から現代までの記録や資料に加え、あらゆる噂などが混ざ
り立った、数多くの物語や伝記によって描かれています。マリー・アントワネットは、18世紀後半から19世紀
初期に生まれた「有名人」という新しい概念の良い見本と言えるでしょう。フランスの女王は公的な「人物」
ですが、彼女はフランスの王室としては新たな特権として、そのプライベートな空間と自主性の確保を主張し
ました。それが民衆に対し、彼女という「人物」について、さらに知りたいと思わせる欲求を植え付けたのです。
それが、比較的早い時期に、伝統と制度に縛られた身分から逃れようとする女性の内面を描き出そうと試
みた作品の増加につながります。
公的な生活と私生活を区別した事は、現代にいたるまで、マリー・アントワネットに対する好奇心を刺激し続
けています。マリー・アントワネットの誕生から死まで、公的およびプライベートにおける 20 の出来事、そして
1814 年の国葬をご紹介しています。
女王のイメージ
マリー・アントワネットのイメージは、その作品が突然にしてイベントや式典、文化的ニュース、流行のきっかけと
しての機能を持つことになる、まさに「イメージボード」と言えます。イメージの拡大は、各時代によって、エリザベ
ート=ルイーズ・ビジェ=ルブラン作の肖像画が代表する公的なイメージ、「殉教した」女王の政治的なイメー
ジ、歴史的なイメージ、映画によって紹介される人物像にまで及びます。マリー・アントワネットの多様性を持
つイメージの拡大は、この4つの題材によって構成されているのです。
エリザベート=ルイーズ・ビジェ=ルブランの描いた肖像画
エリザベート=ルイーズ・ビジェ=ルブランの描いた肖像画は、女王のイメージの代表として、多種に渡る数多
くのバリエーションや複製を生み出しました。当展覧会では、女王専属の肖像画家のオリジナル2作品、
1783年作「バラを持つ」マリー・アントワネット、およびさらに公的な1778年作白いサテンのフランス風ドレスを
着たマリー・アントワネットを紹介します。加えて版画(19世紀/20世紀)、およびピエール・エ・ジルの王妃
の村里など数多くの近代的な作品も展示しています。
政治からみた殉難の女王
政治からみた殉難の女王。マリー・アントワネットの死後すぐ、彼女の遺体公式発掘に続き、王政復古の際、
1815年1月に国葬が執り行われるなど、女王に敬意を表する政策が打ち立てられました。ルイ16世とマリ
ー・アントワネットの遺体が埋葬された旧マドレーヌ墓地に建てられ、1826年に完成した贖罪礼拝堂は、その
敬意を示す、非常に重要な場所です。ラ・コンシェルジュリーが、どうやってこの記念碑を同じ場所に建てたの
かをより良く理解するため、継続的に行われた改装工事の様子がいくつかの資料に残されています。
歴史にみるマリー・アントワネット
ギロチンへと向かうマリー・アントワネットの姿。処刑台へと決然と落ち着いた様子で、死を覚悟し老け込んだ
彼女の姿を共和国の画家ジャック=ルイ・ダヴィッドが描いたスケッチは、歴史的な絵となって後世に残りま
す。この絵は長い間、ビジェ=ルブランが描いた象徴的な肖像画と比較し、「否定的」であると認識されてい
ました。この絵はまた、19世紀後期にヴァン・デン・ブッシュの描いた絵画により、揶揄されています。そこには、
女王の死である最後ではなく、その登場、歴史画家の目を通したその瞬間を全体的な構図で描いています。
映画にみるマリー・アントワネット
映画の登場人物としての地位を確立したマリー・アントワネットについて語るため、当展覧会では関連画像
(ポートレイト・映画の抜粋シーン・ポスター)、映画で女王役を務めた主演女優、数多くの無声寸劇から
ヴァン・ダイクまたはサーシャ・ギトリ、ジャン・ドラノワ、ブノワ・ジャコの映画、さらにテレビ映画、最近のテレビド
ラマなどをご紹介します。この部屋では、女王役を務めた主演女優に焦点を当てています。
女王のフェティッシュ
マリー・アントワネットに関する資料は、しばしば情熱的であり、心酔や敬意、あるいは暴力的な攻撃に反す
る要素を含んでいます。さらに多くの場合、ファンタズムや空想を介し、神話と混ざり合った分野にその存在
が確立されています。そして、遺品として崇められるにしろ、悪趣味で猥褻であると非難されるにしろ、多くの
場合は女王自身の体に焦点を当てています。何よりも、フランス革命を認めるか拒否するかによって、その表
現が対立または矛盾する事は珍しくありません。マリー・アントワネットのイメージが使われる場、その公開方
法や表現方法において、情熱と空想、肉体、議論を同時に表すことのできる唯一の要素が、注目すべき
対象物を決定するのです。当展覧会では選び抜いた絵と品物をこの部屋に集め、歴史と世界を通してマリ
ー・アントワネットを象徴する4つの題材をご紹介します。
髪
1780年代前半、巨大な「ベルプール型の」かつらが流行してから、王室に受け継がれる遺品に残された女
王の髪型を通し、現代のファッションやアート、広告にこの題材が利用されるようになるまで、マリー・アントワ
ネットと髪型は切っても切り離せない関係にあります。これは、過度で滑稽なお洒落への批判から、神の裁
きを前に自ら髪を切り、その身を清めた1人の殉教者としての女王への賛辞まで、非常に変化に富み相反
的な側面を持つ題材なのです。
女王の体
聖女から売春婦、殉教者から罪人、母親から怪物のような獣、理想の王女から「悪の女王」まで、女王の
体は背反する二つの要素から逃れる事はありません。悲劇的な人生最後の瞬間のマリー・アントワネットを
描いた「敬虔な絵画」から、ヴェルサイユ宮殿に到着した瞬間から、貞操観念の低い女性を卑猥な方法で
表現した空想上の動物に描いた風刺画「Poulle d’Autru/yche」(フランス語のダチョウ「オートリッシュ」と「オ
ーストリア」をかけている)や「Harpie femelle」(怪鳥ハーピー)までが揃っています。
「パンがなければ、ブリオッシュを食べればいいのに!」…
「パンがなければ、ブリオッシュを食べればいいのに!」…1789年10月5日、パリへの王家の帰還とパンを求
める民衆の波が、ヴェルサイユにやって来た際に、女王が言ったといわれている台詞です。実際には、革命の
数十年前に起こった全く異なる事件「小麦粉戦争」(guerres des farines)の際の台詞なのです。それ
にも関わらず噂は広まり続け、時の経過と共に異なる社会、時代、国々へと拡散し、この「決まり文句」は、
自国の民衆を軽視する権力の傲慢さを象徴する世界共通の台詞となったのです。こうして現代では、権力
者の態度を風刺によって批判する表現として使われています
処刑された首
処刑後に、首切り役人が民衆に向けてその頭を掲げた時から、血なまぐさい断頭の絵が誕生しました。構
図および状況がそれぞれ非常に異なる処刑の様子を描いた数多くの版画が存在します。続いて、マリー・ア
ントワネットの処刑された首は、処刑後に「型取り」によって作られたとされる頭部が多くの蝋人形博物館で
展示されることになります。現代プラスチックアートでは、頭部のない陶器や血みどろの首回り、首のないマリ
ー・アントワネットの人形のように俗物的な引用、または血なまぐさく恐ろしさを加えた方法で表現しています。
女王の復活
マリー・アントワネットは人物の現代風アレンジに伴い、当時および現代を代表する若い女性の1人となった
事で、驚くべき復活を遂げました。日本の漫画、池田理代子作のベルサイユのばら。イギリス人小説家アン
トニア・フレーザーの伝記マリー・アントワネット:ザ・ジャーニー 。続いて、ハリウッド映画ソフィア・コッポラ監督
作品マリー・アントワネットなど、新しい視点からマリー・アントワネットを描いています。以来、数人の現代的
なスーパーモデルを女王に見立てる事で、ファッションの世界もこの流行が広がっています。
漫画
漫画の世界でもマリー・アントワネットを取り上
げ、驚くほど活気的で興味深い女王の姿を
提案しています。こうして、1972年に池田理
代子が発表した日本の漫画ベルサイユのばら
では、新たな視点からのマリー・アントワネット
が描かれています。グラフィック性と物語性の
高い後世に残る大作であり、映画化もされて
います(1978年公開、ジャック・ドゥミ監督に
よる映画Lady Oscarなど)。
ベルサイユのばら、池田理代子、1972 年。
アントニア・フレーザーの小説、ソフィア・コッポラ監督の映
画
そのイメージを「現代化」する事でマリー・アントワネットの人気に再び火をつけたのが、世界的に成功を
収めた2つの作品です。まずは、2001年出版、イギリス人小説家アントニア・フレーザーの伝記マリー・ア
ントワネット: ザ・ジャーニー 。ヴェルサイユ宮殿の古い慣習に染まろうとせず、厳格な決まり事と公的
義務を拒否し、新しい政権による革命の犠牲者となった若い女性の人生を描いています。マリー・アン
トワネットに対するこの視点は、同じく伝説的な人物、1997年8月に悲劇的な事故でこの世を去った
ダイアナ妃の人生との共通点を示唆しています。続いて、小説を原作としたソフィア・コッポラ監督のハ
リウッド映画マリー・アントワネット(2006年公開)では、王女の「異なる」青春時代に焦点を当て、「お
洒落で現代的」な女王を演じる女優キルスティン・ダンストが、その態度や行動、拒否などから、まさに
思春期の若い女性を表現しています。宮廷の儀式に対する抵抗、女王としての役割に課せられた厳
しい制約、感情的そして文化的な面から生まれる行動、これら全てがマリー・アントワネットのイメージを
新しく生まれ変わらせ、「現代の若い女性」の象徴となったのです。
この空想的な復活版とそこから生まれた作品を批判する人々にとっては「可哀相なお金持ちの少女」
であり、若者たちにとっては「有名人」のアイデンティティの象徴なのです。マリー・アントワネットがここまで
過剰にメディア化された事は、恐らく前代未聞の出来事です。
ファッション
商品化された女王
ここ過去15年間で、マリー・アントワネットのイメージに基づいたファンカルチャーが生まれました。これは、グ
ローバル化した脱近代主義の商業的でありながら、文化的、イデオロギー的な現象です。この流行の大
部分は、一般的なポップアートの形をとっており、様々なジャンル、様々な商品、あらゆる国に広がってい
ます。過去10年では、インターネットの普及がこの現象に拍車をかけています。しかし商業的に最大の効
果を得るために、マリー・アントワネットの人物像は大きく非イデオロギー化される事になります。特に非常
に若い世代の消費者のために、主に心理的および劇的な要素を取り入れ、女王とすぐに認識できるよ
う出来る限り多くの個性と外見を与えています。当展覧会では、様々なジャンルや商品を取り合わせて
ご紹介します。
デジタルアート制作計画への呼びかけ
マリー・アントワネットによって創出されるウェブフィード
マリー・アントワネットによって創出されるウェブフィード上への作品制作は、新世代データアーティストに対
して求められる計画の1つです。この作品は、ウェブ上の検索傾向を視覚化し、マリー・アントワネット自
身や彼女に関連する情報を大量に提示するでしょう。
集団的イントロスペクション体験
個人的なマリー・アントワネットのイメージについて質問する。展覧会の来場者だけでなく、世界中の人々に
アンケートをとる。展覧会の際には、啓発的で楽しく利用でき、また遠隔操作で起動する事も可能な来場
者への質問のプロトコルを作成する事は、芸術的な計画に関わる案件です。特別なプロトコルは、この歴史
上の人物に関するイメージの発信と確立の複雑性を知るための手掛かりとなる事でしょう。
LE CENTRE DES MONUMENTS NATIONAUX
展覧会が開催されるコンシェルジュリーは国際モニュメントセンターの一員です。
国有モニュメントセンターはフランス文化・コミュニケーション省管轄の公共の行政機関です。当センターはフラ
ンス国家が認定し、所有する100件以上の歴史的建造物を保存・修復・管理しており、イベント等も開催
しています。これらの歴史的建造物には、モン・サン・ミッシェル僧院、アンジェ城、アゼー・ル・リドー城、カルカ
ッソンヌ城、凱旋門、サン・シャペルなどがあります。フランスの歴史的建造物は大変豊かで、フランスの歴史
のあらゆる時代を網羅しています。
また、修道院、城、先史時代の洞窟、考古学的遺跡など、その種類もヴァラエティーに富んでいます。国有
モニュメントセンターの任務には、ネットワークに名を連ねた歴史建造施設における文化イベントの企画組織
があります。国有モニュメントセンターは、独自の文化プログラムを企画更新し、新種の催しを展開することに
よって、ベストコンディションで見学者を受け入れることを目指しています。
国際モニュメントセンターウェブサイトはこちらへ:
https://www.monuments-nationaux.fr/en/
プレスコンタクト:
emmanuelle.pardini@monuments-nationaux.fr
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